《No.6》このご時世でも天使になる奴がいた.中編
幼馴染との約束を呪縛扱いしていたのは、紛れもなくヤマト自身だ。
のらりくらりと過ごすうちに、目に見えなかった時効が突きつけられた。それは呪縛からの解放を意味すると同時に、彼女との縁が切れた瞬間でもあった。
幼馴染だからといって、生涯を共にする関係になるとは限らないのだ。
「それで諦めたつもりだったんだけどなぁ」
もし再開したとあれば、『お似合い、さようなら』とでも言ってやればいい。
後悔は無いわけじゃない。諦めも人生だ、天使になることも。彼女の隣にいることも。
「でも半年前、煉獄の侵攻が始まったろ。天界が滅びかけって時に、なっちゃった。この通りね」
ヤマトは頭上を指差した。天使であることを認められた証、銅色の天輪。
「諦めてなかったんですよね。幼馴染の方との約束」
エルカとカマエルは、“天使のヤマト"を目の前に話を聞いている。
過去にどんな挫折があったと聞かされても、"天使になったという今"に辿り着くのはわかりきったことだ。
ただヤマト自身、幼馴染との約束を諦めなかったと言えるかは曖昧なところだった。
「だって可哀想じゃん。せっかく相手が見つかったのに、たった数年で天界滅亡なんてさ」
–––––こんな俺よりも、彼女が幸せに暮らしてほしいんだ。
敢えて口に出さなかったのは、黒くて邪な感情を残していると自覚しているからだ。
実際ヤマトの笑みと声は、あまりにも渇き掠れていた。
それを見逃すほどエルカも鈍感ではない。
「天使はみんなヴァルハラ行きになってる以上、今あの子を守れるのは俺だけだしね」
天界神の勅命が下された今、荒廃した天界で助けを待つ人々は置き去りのままだ。
もし救いの手を差し伸べられる者がいるとしたら、神にすら背く畏れ知らずだろう。
ちょうどそこでコーヒーを啜る、透輪の男のように。
「ヤマトさんが来てくれたら、きっとその方も嬉しいと思います。私もカマエルさんに助けられてますから」
「え、そうだったの」
ヤマトの目線がそちらへと向くが、当のカマエルは無関心を装っている。
無言が数秒流れ、反応を求められているのだと察したカマエルはようやく口を開く。
「しかし破天荒な奴だ。思い立ったのが煉獄の侵攻始まってからだろ。そこから天輪授かって軍校も卒業したってのか」
「ま、まぁ。そうですね。ブランクあるとはいえ、下地無しってわけではないですけど」
「だとしてもイカレてやがる。たった半年で天使になるだと?天界創世以来の天才野郎じゃねえか」
「天才野郎て……そ、そうですかね?」
「1人でも兵が欲しい今だ、合格のボーダーが下がったか。はたまた元から半年で天使になる天才だったかは知らないがな」
「そんなバカな。めちゃめちゃハードでしたよ、銅輪試験。俺が天才だったかは微妙なトコですけど」
ヤマトは自身に才能があったとしても、それを認めたくはなかった。
数ヶ月で折れたあの頃にもう少し頑張ってたら、また違う未来が拓けていたのかと考えしまう。
煉獄という脅威が迫っていたからこそ、秘めたる馬鹿力が解放された可能性もあるかもしれないが。
結局、今更考察したとて後の祭りだ。
「まぁどっちにせよ、こうなったからには徹底的にやってやりますよ。地上には恋のキューピットなんて言葉があるらしいしね。夫婦揃って俺に足向けて寝れなくなるくらい、感謝してもらわなきゃ」
ヤマトはソファから腰を上げ、ゆっくりと立ち上がる。やけにゆったりした動作は疲労を誤魔化すためか。
目を覚ましてから1時間も経っていない。ダメージが残っていて当然ではある。
「そういう訳です。俺、そろそろ行きます」
「えっ、もう大丈夫なんですか」
「休んでばかりもいられないからね。助けに行くなら早い方がいい」
ヤマトの顔色は、未だ血が通い切れていないような白さだった。それを心配してエルカは引き留めようとするが、ヤマトはそれを見越したように先手を打つ。
「ありがとうエルカちゃん。話を聞いてくれたおかげで気が楽になったよ」
その笑顔は、あまりにも"天使"としてよく出来たパフォーマンスだった。誰もが憧れる、天界の守護者。下っ端の銅輪天使らしく親しみやすさもある。
ヤマトはリュックを背負い、ネクタイを締め直す。そして社長机の方を向き、別れの挨拶を投げる。
「カマエルさんもありがとう。また機会があれば、お礼に来させてください」
「ああ。達者でな」
カマエルは軽い返事で見送るつもりらしい。後腐れないようにするためなのだろうが、エルカにとってはどこか心残りがあった。
本当にそれでいいのか。消耗した彼をまた外に出したら、同じ結果にならないだろうか。
「ヤマトさん!」
避難所での一件と同じだ。名前を呼びかけるだけでは止まらない。
後悔はしたくない。それなら、エルカにやれることはひとつだ。
「私にも、手伝わせてくださいっ。みんなで、みんなで行きましょう!」
ドアノブに手をかけたところだった。ヤマトは手を離さず、そのまま静止している。
振り向かないその後ろ姿は、僅かに震えていた。それを見て余計放っておけなかった。
「お願いします、カマエルさんも。いいですよね?」
エルカが助けを求めるが、カマエルは冷たく突き放すように言う。
「慈善事業やってるんじゃねえんだぞ。そこまでは面倒見れん」
「なら、私だけでも行きます!」
その言葉とは裏腹に、エルカの瞳は協力を求めていた。
無意識の仕草なのか。計算しているならば、恐ろしくあざとい魔性だ。男の揺さぶり方をわかっているとしか思えない。
白旗を振るように「しょうがねえ」と吐き、カマエルは椅子から立ち上がった。
「目的地は」
「……ソフ・AD63区です」
枯れた声でヤマトが呟く。それに対してカマエルは乱暴に頭を掻くと、エルカへ指示を飛ばした。
「向こうの物置に地図があったハズだ。ダンボールに4の数字が書かれてる、取ってきてくれるか」
「は、はい!持ってきます!」
ぱっと表情が晴れるエルカは、ドア前に立ち尽くすヤマトへ「待っててください」と告げて廊下へ出ていく。
そして客間に残ったのは、男2人。
カマエルは物置部屋のドアが開く音を確認し、ヤマトヘ呟いた。
「文通相手、そこにいるって確証はあるのか」
声色は冷たかった。俯いていたヤマトだったが、息を飲んでそちらを向く。
カマエルの表情は予想通り厳しいものであった。
「言っただろう、無駄骨を折る気はねぇんだ。生きてるかどうかもわからん人間のとこまで運んでいけるほど、俺たちに余裕はない」
「生きてますよ。でなければ俺、約束のためにここまで来てませんから」
「そりゃお前の都合だろう」
ヤマトは首を横に振った。真剣な眼差しで、リュックから再び便箋を取り出す。
「試験受かった後、手紙送ったんです。そっちに行くからって。そしたら『待ってる』って返してくれた。ほんとに、久々に書いた手紙だったのに。だから約束、破れないんです」
「約束より生き延びることを優先する奴もいる」
ヤマトがこの手紙をここまで見せなかった理由だった。
約束を取り付けたとて、それが守られる保証はない。だからこそ、今の自分にできることはひとつしかない。
「俺にできるのはもう、信じることだけです」
「だろうな」
生きているのか、故郷で待っているのか。確証がないなら、どれだけ考えても堂々巡りになる。
そんな状況で最悪の結末を想定するのは当たり前のことだ。
「同じようにお前を信じて手伝おうとしてんだ、エルカは。まるで何もかも上手くいくと思ってな」
ハッピーエンドを望むのは悪いことではない。ただ、役割が違うだけだ。
「身の危険ならいくらでも俺が払ってやれる。だが心の傷は別だ。着いていった挙句最悪の結果になったとして、辛い思いをするのはお前だけじゃない」
「……わかってます」
「まぁだが、あの盛り上がり様を見て今更手伝いませんなんて言えないしな。俺が断ってもエルカが1人で行きかねん」
ヤマトは目を見開き、カマエルの表情を窺う。その苦笑は、了承を意味していた。
両膝に手をつき、頭を下げる。
「あっ……ありがとうございます……ありがとうございます!」
「感謝ならエルカにするといい」
「本当に健気な子ですよ。このご時世、くたびれた体と心に沁みます」
「健気か。純粋なのは間違いないだろうな」
エルカはきっとこれからも『自分のため』と言って、目に映る者に手を差し伸べていくだろう。
天使になってしまった意味を無くさないため、あるいは絶望の今から目を逸らすために。
だからこそ、エルカには最後まで綺麗な景色だけを見せていたい。手を差し伸べた結果、『自分のせいで』と思わせたくないのだ。
「ねえ、カマエルさん。ひとつ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「……俺のこと、どう思います?天界の未来が懸かってる今に、こんな私利私欲で天使の役目を放り出して」
「他人に聞いてどうする気だ。今更迷ってる訳でもねえだろ」
「ここまでして俺が望んでるのは、彼女の幸せなんです。天使になって見返すとかじゃない」
死に物狂いで天使になり、さらに命を削って掴まんとするのは、彼女が他人と生きていく僅かな未来。
誰と知らぬ男に譲ってしまうのは、自身が控えめで奥ゆかしいからではない。
「大した負け犬根性だ、とでも言ってほしいのか。お前が思ってる通りだろうよ。敗者側に立ってることには変わりねえ」
ヤマト自身、その厳しい評価が心地よい。
今の自分が選んだ道に後悔はない。彼女に生きてほしいという思いに偽りはない。
隣に立てなかっただけ。これからは他人だと割り切れるわけじゃない。捨てられないのは前向きな感情と、もうひとつ。
「それでもやっぱ、もう少し早く本気になってたらって考えちゃうんですよね。天使になった俺があっち側にいたかもなんて。あー、カッコ悪いなぁ俺!」
「杞憂だな。順調に行ってりゃこの歳で銀輪になってたんだろ?銅輪貰いたてのペーペーならまだしも、そんな戦力にヴァルハラ抜けさすなんて真似はさせないだろ。半年で天使になれる天才さんよ」
「そういう考え方もあるんですね。流石アウトロー天使」
「神に背いてんのはお前も同じだろ。喰らってみるか?神罰を」
「い、いやだなぁ。笑えないですよその冗談」
「そもそもどんな訳アリかと思えば、思春期の学生みてーな恋愛話聞かせやがって」
「そうは言われても、ホントに僕がなった理由がこれなんですもん。カマエルさんこそ、何か特別な動機があったんじゃないですか。伝説の天使誕生秘話みたいな」
「生憎そこらの天使と変わらねえよ。声高らかに『天界の平和のために命を捧げます!』ってな」
「うーん、ちょっと意外。結構ありきたりだったんですね」
「違いねえ」
「もう一個、聞いていいですか?」
カマエルは無言で返した。ヤマトはそれをYESと捉えて次の質問を投げる。
これはヤマトだけでなく、天界中の人々が知りたいことだろう。
「カマエルさんはどうして天界神様に逆らったの?」
「さあな」
たった3文字で流され、盛大にコケるヤマト。そっぽを向くカマエルにブーイングする。
「げぇ、酷くないですか?俺はあんな赤裸々に語ったのに」
「お前は勝手にペラペラ喋っただけだろ」
「確かにそうだけど」
意外にカマエルは柔らかな口調で受け答えをしている。
「そんなもんだろうぜ。結局のところ、生きてほしい人間を死なせたくないだけだ。天界のためだの神のためだの、大層な志掲げる奴でも根は同じだろうよ」
「そういうもんですかねぇ」
ヤマトの自分語りに影響されてか、先程よりもカマエルの口が緩くなっている。質問の答えははぐらかされてしまったが、ある程度のヒントは与えているようだった。
「大体向いてねえんだよ、天使らしい奴に天使なんて職業は。滅私奉公させたいならロボットにでも任せればいい」
「このご時世だと特にそうですよね。とくにエルカちゃんみたいな純粋な子、神様に仕えさせるにはもったいない」
「えらくアイツを買ってるじゃねえか」
「そりゃ、あんな綺麗な目を見せられたらね。ああいう健気な子のまっすぐな眼差しに弱いですよね、男はみんな」
奇しくもそれは、カマエルが最初に彼女に出会った時の第一印象と同じだった。
わざとらしい溜め息がカマされる横で、ヤマトは彼の口角が上がっていることに気づく。
「もしかしてカマエルさんって、ムッツリ?」
「ぶっ飛ばすぞ」
やがてエルカが分厚い地図を持って戻ってきた。それを受け取ったカマエルがテーブルの上に広げる。
ページは"ソフ・AD63区"、先程ヤマトの言った地区だ。
「そうです、この町です。俺が行きたいのは」
「一直線に飛んでいけば2時間程度で着くだろうな」
「ならすぐ行きましょう!カマエルさん、何を持っていけばいいですか?お飲み物とか、絆創膏とか?」
「遠足じゃねえんだぞ。最低限にしとけ」
「はい!」
そして外に出た3人は、背中に翼を展開する。
ヤマトは自前の翼、カマエルとエルカは配給所へ行った時に使った人工翼だ。
「うわ、懐かしいなぁそれ。軍校で練習用に使いましたよ。エルカちゃんは自分の翼使わないの?」
「細けえことは言いっこなしだ。さあ、バッテリー切れる前にさっさと行くぞ」
荒野の空を、白と灰の翼が羽ばたく。約束の故郷へ天使が飛び立った。




