《No.4》余生は自分のために
食事はほとんど無言で進行した。2人が空腹だったこともあり、ペースも早く完食まで時間はかからなかった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様」
食後、合掌して一息つく。こんな日常の当たり前の所作すら懐かしく思わせる。
カマエルが食器を片そうと立ち上がったのと同時だった。
洗面所の方から電子音が鳴った。洗濯終了の合図だ。乾燥つきでほぼ1時間かからない、空き家に放置されているにしては無駄に高性能だ。
天界に漂うエネルギーを使う光子変換式。煉獄の侵略で効率は落ちたが、それでも普通の家電より早く仕上がる。
「ちょうどいい、飯も食ったし今度は服なんとかしなきゃな。デカすぎて動きにくいだろ」
エルカが間に合わせで着ている服は、上下ともに男性用だ。その小柄な体は、服を着ているというより包まっているという表現のほうが正しいかもしれない。
「あの時はサイズとかよく見てなくて……あ。私、自分で取ってきますね」
エルカは慌てて廊下に飛び出したが、当然ではある。カマエルも自身が女だったら、昨日会ったばかりの男に衣服を触らせないだろう。
カマエルもキッチンの流しまで食器を運んだ。他にやる事もないのでそのまま洗い始める。
食う、寝る、洗い物……全ては明日を生きるためにする行為だ。
死にたがりの昨日まではしなかった。カマエルは無意識にその癖を無くしていた。
エルカの両親がそのうち彼女を引き取りに来る。もしかしたら、どこかの避難所で待っているかもしれない。
そんな前向きな希望、昨日までなら見向きもしなかっただろう。
(まぁ結局、遅いか早いかの違いだしな)
どこまで続くかわからない、真っ暗な道を歩いているようなものだ。走ろうが歩こうが、楽観しようが悲観しようが警戒しようが、その先に滅亡という大穴が待ち受けている。
どうせ死の運命が不可避というなら、それまで自分の好きに生きようと構わないだろう。
各々の用事を済ませ、客間に戻ってくる。先着はエルカで、昨日の白パーカー、ジーンズに着替えていた。食事に使った客席で姿勢よく座っている。
遅れてきたカマエルを見るなり、ぱっちりとした目で視線を向けてくる。涙の潤いが消えてもなお美しい。
「カマエルさんって、元々は天使だったんですよね」
「ああ」
「どうして辞めちゃったんですか?」
「処罰食らったんだよ、上に噛みついてな。大っぴらに話すことでもない」
カマエルは窓枠に寄りかかり、外を眺めながら答える。
『どうして』を繰り返したいエルカだが、彼の様子を見てそれを抑える。
「私が天使になったのも、何か意味があるんでしょうか」
「どうだろうな。少なくとも罰じゃないだろ」
エルカ自身、一般の天界人として可もなく不可もない人生を送ってきた。何かに秀でることもなく、強いて言うなら平凡なことが特徴になるくらいだ。
天界の民を守護し、神に遣える者としては程遠い。
「私よりも相応しい人のところにいけたら良かったのに。それこそカマエルさんが天使に戻れたかも」
エルカは頭上の天輪に手を添える。
「気遣いありがとよ。だが生憎、天使に戻るつもりはねえ。それに今の天界がこの有様だ。天使が1人増えたところで状況は変わらん。誰がなっていようとな」
気休めのつもりで放った言葉だったが、エルカは視線を落としてしまう。
「あまり気に病まなくていいってことだ。さっきも言ったろ」
「誰かより自分を……」
食事の前にした会話を反芻するエルカは、両の拳をきゅっと固める。
自分が助かってしまったという自責の念を払えずにいるのか。思い詰めた時、彼女は決まって蛇口を閉めるように体を固めるのだろう。
だが、そうではなかった。細い眉をきゅっと結び、薄紫の瞳でカマエルを射抜く。
「それなら、私のために。自分のために誰かの役に立ちたいです」
「自分のためって言ったってな」
煉獄の侵攻には歴戦の天使が何人も立ち向かい、そして敗れていった。天界の滅亡はもはや誰にも止められない。
こんな一夜で天使になった小娘では、尚のことだ。
「誰が天使になっても同じなら、私でも何かできることがあるんじゃないかって思うんです」
「言葉遊びでどうこうできる状況じゃねえぞ。気休めにもならん」
「それでもいいんです。これで何もしなかったら、本当に天使になっただけになっちゃう」
これまでエルカが天使になって変わったことと言えば、立場が同じハズの一般人から疎まれるようになったくらいだ。
天使になった意味を見出せなければ、ただ不幸を押し付けられただけになる。
なんて後ろ向きな。そう思うカマエルだが、同時に否定することはできなかった。
世界が先か、自分が先か、少ない余生で好きに生きてもいいのはエルカも同じだ。それなら彼女の言うようにさせてもいい。
ただ、今の天界では不用意に他人と関わるべきではない。余計な心の傷を増やしたくなければ、独り閉じこもっておくことだ。
カマエルに責任があるとすれば、その時が来るまでエルカを無傷で守り抜くことだろう。
「わかったよ。それなら好きにしな」
「ありがとうございます……!」
エルカは喜ぶのとはまた違う、噛み締めるように胸を撫で下ろした。
一度目を離せばそのまま消えてしまうような、そんな危うさがある。
我ながら面倒な少女を拾ってしまったと、カマエルは呆れるようにため息をついた。
「だからカマエルさん、なんでも言ってほしいです。困ってることがあるなら、お手伝いします」
「そうだな」
とはいえ、昨日今日天使になったような新米に任せられることはほとんどない。
思考中のジェスチャーのまま歩き回り、カマエルは戸棚から分厚い地図帳を取り出した。
「これから避難所にでも行くか。少し遠征になるが、食材や日用品の配給をやってるところがあるらしい」
「避難所、ですか?」
「ああ。ここに備えてあった分だけじゃ限界が来るしな」
「わかりました。私も行きます。お荷物ならいくらでも持てます!」
「候補はここか、ここだ。ちなみに俺たちがいるのはこの辺だな」
カマエルは地図帳をめくり、食事をしていたテーブルに広げた。
広域地図につけられたマークの中からひとつ、指差される。西と南東で、ちょうど現在地が中心にくるぐらいの距離感だ。
「エルカが住んでたとこはどの辺だ?近いとこに行こう」
疑問符を浮かべるエルカへ、カマエルが答える。
「親が探しに来てるかもしれないぞ」
「親……」
一瞬、エルカの表情が固まるのをカマエルは見逃さなかった。
"親"の一言でそこまで動揺するなら、存在するということでいいのか。
生きているか死んでいるかの丁半なのは変わらないが、『覚えている』ならまだ望みはある。
天使という立場が牙を剥く前に、エルカを普通の少女へ戻してやれるならそれが一番良いのだが。
「たぶん、こっちの方が近いと思います」
「決まりだな」
2人は事務所にあったショルダーバッグを持って外に出た。
荒廃したスラム街の景色はいつ見ても不気味だ。人の気配が一掃されただけならまだしも、世界を侵食するように紫水晶が根付き煌めいている。
「よし。アインD-7区の避難所は、徒歩でざっと3時間。煉獄の鬼に絡まれりゃそれ以上かかる。だからこれを使うぞ」
カマエルの手には2つの小さなカートリッジが握られていた。そのうちひとつをシャツの襟にクリップする。
すると背後に、光線状の歯車が2対顕現する。そこから翼の骨格を模った光の筋が伸びて機械的に展開した。
神聖な天使の翼とは対極、無骨な羽ばたきで空を仰ぐ。
「天使の翼を一般人でも使えるようにした道具だ。ヴァルハラでも結構なレアモノなんだぞ」
エルカも渡されたものを見様見真似でパーカーに付ける。同じように翼の骨格が展開し、うまく起動できたようだ。
「自分の思うように動かしてみな。慣れるまではゆっくり飛んでいけばいい」
「こ、こうですか……っ?」
地面から飛び立つ瞬間こそ手間取ったが、すぐに足が地面を離れて高度が上がった。
カマエルも飛び上がりエルカの隣につく。
「さあ、目指すは西だ。行くぞ!」
「は、はいっ……!」
本物の天使の翼と比べると、飛行速度は半分以下もいいところだ。最高速度だけで言えば、車のほうが速いかもしれない。
だが、空を飛ぶこと自体に価値を見出す者にとっては夢のアイテムであることは間違いない。
天界人さえ空を飛ぶことには憧れるのだ。白き翼を広げ、優雅に舞う天使の姿を瞳に焼きつけながら。
エルカもその夢を抱いていたひとりだ。
「すごい……私、空を飛ぶのなんて初めてです!」
ずっと感情が溢れるのを堪えていた顔が、少しだけ柔らかくなった。それだけでも外出を提案した甲斐はあったのだろうか。
「はっ、そうだろうよ。空飛ぶなんてのは天使の特権だしな」
「私ももしかしたら、自分の翼で飛べるんでしょうか?」
「まぁ、ある程度の練習は必要かもな。半日もありゃ翼を出せるようにはなる」
「……ちょっとだけ、天使になってよかったと思っちゃいました」
「いいじゃねえか。今のうちに堪能しときな」
天使の基本技術である翼で、ここまで話が盛り上がったのはいつ以来か。
カマエルも天輪を授かる前は普通の天界人だった。その時まで遡れば思い出す。
もう他の誰も覚えていない声と会話、記憶だ。
フライトの時間はあっという間に過ぎる。目的地である避難所が目線の先まで迫ってきた。
スラム街の陰気くさい雰囲気は多少薄れ、一棟の建物を中心に広場が形成されている。
「降りるぞ」
避難所周りはこまめに整備されているようだ。脇に瓦礫が避けられている。各所に群生する紫水晶は柵で囲み、ブルーシートまで被せる警戒ぶりだ。
インフラの復活が望める段階では到底ないが、自治体の奮闘が窺える。
避難所に使われている元役場も、この天界を生き抜くための改修が行われていた。
煉獄悪鬼の対策かガラス窓を全て塞いで、出入り口も分厚い扉に取り替えられている。
煉獄悪鬼はドアを認識できないが、ガラスの先に標的あらば容赦なくぶち破ってくる。この性質を対策してのことだろう。
2人が翼を解き、避難所前まで歩いてきた時だった。
「おや?あなたはもしや、あの時の天使様ではないですか?」
隣に停まっていた大型車の運転席から声がかかった。
2人が反射的に振り向くと、声の主は降車して近づいてくる。使い込んだ作業着を着た中年男性だ。
見知らぬ呼びかけに閉口するエルカの代わりに、カマエルが返事をする。
「なんです?」
「以前、あなたに鬼の群れから救っていただいた郵送車の者です。覚えていらっしゃいませんか」
顔をだけ見てもわからない。作業着や車と照らし合わせてようやく思い起こされた。
「……ああ、あの時のか。貰った食材は2人でありがたく使わせてもらったよ」
エルカも出発前に食べた三食丼の出所に気づき、「ご馳走様でした」と一礼する。
「おや、そちらのお嬢さんも天使でしたか」
自身の銅輪に言及され、エルカの体が緊張で強張る。
たしかにこの天輪は、夢の翼を手にする権利。しかし一般人にとって現在の天使とは、民衆を見捨て神を取った裏切り者だ。
エルカはおそるおそる男へ視線を合わせると、温和な表情で微笑みを返される。
「立派な天使の輪だ。銅色ということは、新人さんですか」
「まぁ俺と同じ訳アリでな。今は休業中と思っといてくれ」
「そうでしたか。天使といっても人の子、羽を休める時もあるでしょう。そうだ、ここまで足を運んでくださった縁です。また土産を貰ってやってください」
立ち話から避難所の中へと移り、カマエルとエルカは休憩室へ。男はひとり別室へ向かっていった。
壁際のベンチに腰掛け、カマエルは呟いた。
「昨日のが極端なだけさ。まだ天使を信じている奴もいる」
「ちょっと驚いちゃっただけです」
「堂々としてりゃいい」
数分待たされた後、男がダンボール箱を抱えて戻ってきた。エルカでも抱えられるくらいのサイズが2箱。
「貨物の横流しはマズいんじゃないのか。運送業やってる人間が」
「お気になさらず、いずれも私に支給された品です。妻も子供もいないような侘しい男には勿体ない。3人分あったところで使い切れやしませんから」
「この量はたしかに……俺たちでも持て余しそうだ」
ダンボールの中身は食糧や水、ティッシュペーパーや洗剤、毛布まである。
エルカも遠慮がちにダンボールを受け取るが、どこか箱に違和感を覚える。
【女性用】
開け口のところにわかりやすくラベルが貼ってあった。
カマエルが受け取った方のダンボールを横目で見ると、そこには【男児用】のものが貼られていた。
言い知れない寒気が胸の中に走り、エルカは息を飲んで男へと振り返る。
「……この歳を孤独に過ごしてきたからですかね。この頃、胸の内で喪失感が酷く騒ぎ立てるのです」
エルカでもカマエルにでもない、男は独り言のように呟いた。
「元々失うものなどないハズなのに、何に向けての感情なのか。時間、機会、あるいは……いけませんね、どうしても暗い話になってしまう。孤独に耐えられる人間はいないとよく言いますが、それを実感してしまいます」
「年長者の教訓として受け取っとくよ。この時世だ、孤独を感じるより先に逝っちまうかもしれないけどな」
「どうでしょうか。しかし貴方の顔は以前お会いしたときよりも活気づいて見える。きっと、このように可愛らしいお嬢さんが隣にいるからでしょう」
会話を蚊帳の外から聞いていたエルカへ、急に火の粉が飛んだ。背筋がバネのように伸び、咄嗟に出した声が裏返る。
「私なんてそんな、昨日あったばかりで、逆にカマエルさんは助けてもらった恩人でっ」
「まぁ、前と変わったのはそれくらいだな」
慌てるエルカをよそに、カマエルは苦笑で返した。
「さて、私はもうおいとましましょう。物資の届けを待つ人々は多い。今の天界で走り屋をやれるのは私くらいですから。それに……」
立ち上がった男の表情は、まるで風前の灯だった。
「こうして走り続けていれば、迎えに来てくれる気がするのです。私の喪失感の正体、それを暴いてくれるなにかが」
その表情は実年齢を超え、まるで死期を悟った老人のように静かだった。
後ろめたい負の感情を一切感じさせず、一礼から踵を返して外へ向かう様すら淡々としていた。
吹き消される寸前のロウソクがその風を心地よいと思うなら、それはきっと今なのだろうか。
「あ、あのっ」
最後の言葉を探していたエルカだったが、結局声に出せたのは3文字だけ。後ろ姿を一時的に呼び止めるくらいの効果しかなかった。
「御達者で」
外で鳴る大型車のエンジン音が遠ざかっていき、完全に消えてなくなった頃にカマエルが呟いた。
「何言おうとしてた?エルカ」
男が去ってから、エルカは出入口の方を見つめたまま放心していた。それに気づいての問いかけだということに気づく。
自分でも放心していた理由はわからない。後から客観的に考え直して言葉を整理していく。
「このままお別れしてよかったんでしょうか」
「止めようとしてたのか」
「……わからないです。わからないけど、もし別れた後で辛い思いをするんじゃないかって考えたら、引き留めた方が良かったかもって。本当にそうなったら私、後悔するかもしれないです」
「その場で言葉が見つからなかったんなら、俺たちから言えることは無かったってことだろ」
どんな言葉をかけるべきだったのか、そもそも引き留めるべきだったのか、今のエルカに答えは出せない。
天使としての経験どころか、人生経験も浅い小娘にやれることは限られている。
「……それでもやっぱり、後悔はしたくないです」
「次会った時の教訓だな」
–––––おそらく二度と会うことはないだろうが。きっと後悔を感じることさえも。
カマエルはあえて口にはしなかった。
「さあ、一応目的は果たせたな。帰るか」
譲り受けたダンボールを抱え、2人は施設を出ていく。
出入り口の付近、ふとカマエルが目をやった掲示板には、行方不明者の情報を募るビラが何枚も貼られていた。
しかし張り紙のほとんどが白紙だ。顔写真のスペースも空欄になっている。
記入されたものを端から読んでみるが、エルカに関連したものは見当たらなかった。
(両親が載せてやしねぇかと思ったが……そんなに甘くないか)
帰りも行きと同じように空を飛ぶ。荷物を持っている分、少しだけ移動時間が長く感じた。
地平の先まで続く、廃墟や紫水晶の海。きっとこの景色が半年より前のものなら、どれだけ気持ちよく飛べただろうか。
借り住まいの事務所まで辿り着き、機械仕掛けの翼を解いた。
「あっ、あれ。見てください。誰か倒れてませんか?」
「なんだって?」
エルカが指差した先、玄関ドアの側で人型のシルエットが倒れていた。
やや新しめの革靴、黒スーツ、さっぱり整えられた黒髪。背負われたリュックは中身が空なのか、大きく凹んでいる。
そしてなにより目立つのは、頭の先に輝く天輪である。エルカのものと同じ、天使の中で一番位の低い銅色だ。
「……生きてんのか?」
カマエルが不用心に近づくと、倒れた青年の手首がゾンビのように動いた。這いつくばるように足を掴まれ、呻き声が絞り出される。
「み、水」
見た通りの遭難者だが、驚くべきは天使であることだ。ヴァルハラに集中しているハズの天使がここで力尽きているということは、カマエルやエルカのようにいわく付きである可能性が高い。
一度他人と関わり始めた途端これだ。所詮神罰を受けた堕天使に普通の人間は寄りつかないのだろうか。
隣にいるエルカへ意見を求めんとするが、逆にカマエルは追い討ちをくらうことになった。
「なんだよ。わかりやすく顔に書きやがって、助けましょうってよ」
「だ、だって。私だってカマエルさんに助けてもらいましたし、こんな目の前で知らんぷりなんて」
「助けるとは言ってないが、放っておくともまだ言ってないぞ」
「寝覚が悪くなる、ですもんね」
「誰のマネだよ。そりゃ」




