《No.3》エルカとカマエル
『向こうがシャワー室、こっちが寝室だ。洗濯機の上に代わりになりそうな服は置いとく。好きに使え』
廊下の向こうから水を打つ音が聞こえる。あれからカマエルは少女を連れ、自身の拠点へ戻った。
少女に外傷は無いようだったが、やつれ切った様子を見て放ってはおけなかった。
カマエルはオフィスで一人、大きなレザーチェアに身を投げた。目線は窓の外。もう真っ暗だ。
ここは拠点といっても、捨てられた事務所をカマエルが勝手に使っているだけ。水や電気は近くの供給地から引っ張ってはいるものの、無制限に使えるわけではない。
家具などは適当に近くの空き家から拝借している。ある意味、カマエル自身も火事場泥棒のようなものだ。
『親はどこにいる。そこまでは俺が連れてってやる』
その問いに、少女は無言でいないと言う返答をした。死に別れたのか、存在しないのか、今の天界ではどちらもあり得る。
年頃の娘なら家出くらいするのだろうか。もしそんな理由なら問答無用で突き返せるものを。
いずれにせよ、他にもハッキリさせなければならないことは多い。「天使じゃない」のに頭上に天輪を浮かべる理由や、いつまで彼女の面倒を見るのかも。
後者は特にこの時世だからこそだ。滅亡の一途を辿る天界では、まともな別れなど期待するだけ無駄なことだ。
長く過ごせば過ごすほど、それは悲劇的なものになる。
だから、独りでいた。
関わりがない人間がどれだけ死のうと、案外無心でいられるものだ。出会ったばかりの人でも、目の前で死にさえしなければ。
独りでいれば、心は生物のようにすぐ腐る。感情に起伏がなくなり、知らないフリをしていた物事が本当に視界に入らなくなる。
それで天界の滅亡までを静かに過ごす、そのつもりだったのに。
(よりによって、あんな訳アリ娘を拾っちまうとはな)
天輪を持ちながら「天使じゃない」という少女。現天界において、なんという厄事を呼び寄せそうな存在なことか。
しかし、ここまで匿っておいて見捨てられるほど薄情ではない。結局はどちらにも振り切れない、中途半端な男なのだと思い知らされる。
そうこう考えているうちに瞼が重くなってくる。疲れているわけでもないのに、自然と視界が閉じていく。そうなってからは早かった。
カマエルは座ったまま眠りについた。
……
「あの。あのっ」
そよ風よりも弱い、耳に触れる呼びかけ。何度か聞いてはいたが、それだけでは決定打にならない。瞼に日光が差してようやく眠りから覚めた。
「悪い、今起きた」
夢うつつのまま目を開くカマエル。窓の外を見れば日が昇り始めている。久々の熟眠だった。
まだ意識がぼやけているカマエルを覚醒させたのは、目の前に映った少女だった。
肩にかかるくらいの紫黒の髪は艶を取り戻し、一晩置いて顔色も落ち着いた。薄紫の瞳もぱっちりしている。
しかし、ひとつどうしても気になるところがある。
「……マジでそれ着たのか」
少女はぶかぶかのシャツにスラックスを着ていた。どれも成人男性用の新品だ。備えられていた緊急用未開封のものを適当に置いたのだが、素直にそれを使ったようだ。
しかし全くサイズが合っていない。シャツの袖は手を隠すほど余り、スラックスは大きすぎてカーゴパンツのようになっている。
用意したのはカマエルだが、馬鹿正直にそれを着てくるとは思わなかった。
「それが、その……洗濯機の使い方がわからなくて」
「なんだそりゃ」
お笑い芸人がコケるように肩を落とすリアクション。こんな気安い反応を見せてしまったのがむず痒く、カマエルは立ち上がるなり廊下を出た。
手招きをすると少女も小走りでついてくる。
「ここに洗剤、ここに柔軟剤だ。あとは開始を押せばいい。光子変換式だ、乾燥含め1時間もありゃ着れるようにはなるだろ」
洗濯機の前で実演すると、隣で見ていた少女は申し訳なさそうに呟く。
「すみません、こんなこともできなくて……」
「気にすんな。家帰ったら洗濯の手伝いでもしてやりな」
自然な形で家族のことを聞く流れに持っていけると思ったが、少女はさらに押し黙ってしまった。
「とりあえず戻ろう、ここじゃ話もできん」
狭い脱衣所を抜け、オフィス兼リビングへ戻ってくる。少女は客人用ソファに座らせ、カマエルはテーブルを挟んで反対側に着く。
少女の薄紫の瞳と頭上に浮かぶ銅色の天輪。昨日見た通りだ。一泊したことで顔色は多少良くなっている。
何から話そうか、昨日寝落ちした時の記憶を整理しようとする間に少女が先陣を切った。
「昨日はありがとうございました」
「気にすんな。たまたま近くにいただけだ」
「でも……」
昨日も見た、あの表情だ。瞳を潤わせながらも、決して泣き出すまいと唇を締めている。
カマエルは少女の呼吸が落ち着くのを待ち、それから言葉を付け足した。
「放っておいたところで寝覚が悪くなるんだよ。もし望んでなかったとしても、恨んでくれるなよ」
「すみません!ほんとにそういう意味じゃないんです!昨日の男の人たちも言ってました。天使はもう私たちを助けてくれないって。だから……」
カマエルの捻くれた返答に、少女は慌てて否定した。両手を振ってのリアクション付きである。
「今の俺が天使じゃない、それだけの話だ。どういうわけか輪っかは残っちまってるがな」
カマエルは頭上の天輪を指差す。光を失った天輪は空の器のように佇んでおり、少女の銅色の天輪と見比べると空虚さが際立つ。
「天輪については俺からも聞きたいことがある。お前のそれのことだ」
少女は反射的に天輪に手を添えていた。暴徒に襲われる原因になった、この銅色の天輪。表情もぴたりと固まる。
カマエルも昨日の少女の訴えが嘘だとは思っていないが、問わずにはいられなかった。
「天輪ってのは、"銅輪試験"に合格して初めて授かるもんだ。勝手に頭に浮かんでたなんてことはねぇ」
「試験なんて受けてないです……ほんとに、気づいたら頭の上にあって」
「いつ頃だ?」
「たぶん2日くらい前だと思います」
「そうか。しかし、えらい時期に天使になっちまったな」
平時なら取り消しで済むかもしれないが、今は煉獄との抗争で大きな戦力不足。
もしヴァルハラに少女の存在を知られたらどうなるだろうか。貴重な戦力として戦いに駆り出されるのか。普通の天界人となんら変わらない、か弱い少女を。
「どうして、私だったんでしょうか」
少女が潤んだ声で呟く。カマエルまで届くのがやっとなくらいの、振り絞った音量だった。俯いているが震える唇は誤魔化せない。
カマエルは黙って傾聴の姿勢をとった。
「私なんて、誰かを助けたり戦ったり、そんなことできないのに」
「俺も前例を知らないから、どうにも説明できん」
自分では実力不足で、天使になるべきではなかった。
そんなニュアンスの言葉ではないことは、カマエルにもわかっていた。
「天使になったのが他の誰かなら、私があんな……」
少女の両膝に置かれた拳が固くなり、急に蛇口を閉めたように言葉が途切れた。
また俯いた瞳を前髪が隠す。その裏側がどうなっているか、カマエルは想像で補うしかない。
「……本当に私、最低ですよね。みんなだって、昨日の男の人達だって、誰かに助けてもらいたいハズなのに。私だけこうやって助けられておいて、天使の輪が他の誰かのところにいってたら、なんて。自分だけ良ければ、誰かが代わりに酷い目にあえばいいなんて思ってるんです」
平時なら"天使になる"ということがどれだけの人に望まれているものか。天界に住まう者なら誰しも一度は夢見る職業、それが天使だ。
だが今は天界の滅亡を1日でも遅らせることに命を懸ける、いわゆる殿のような扱いをされている。
さらに一般の天界人からも怒り、不満、罵倒を投げられる。昨日の一件もきっと氷山の一角だ。
望まずに天使になった少女に、これらの理不尽を退けるチカラはない。
現役時代の身体能力を残しているカマエルとは、まるで立場が違う。どちらも「天使じゃない」者同士のハズなのに。
解決策や道導になるようなことを言えたら、どれだけ楽なことか。結局カマエルにできるのは、腐りかけだった自身の思いを共有することだけだった。
「この時世だ、そこまで人に気を遣える時点で大したもんだよ。他人より自分が助かればいい……そう思って何が悪い。まず自分が生きてなきゃどうにもならないしな」
「……そうかもしれないですね」
少女は自嘲するように頷く。言葉では聞き入れても、本心では納得できないようだ。
こんな単発の説得では、不安や罪悪感を払拭できないのは当然か。所詮昨日会ったばかりの男の言葉だ。
「言ってしまえば俺がお前を助けたのも全部自己満だからな。あんな場で放っておいたら、俺が人でなしの畜生みたいだろ」
「そんな、で、でもっ」
ここまで言って「でも」も「だって」も無い。次にどんな言葉が飛んでこようと、カマエルは強引なカウンターで返すつもりでいた。
だが、少女が不意に起こしたそれは、あまりにも予想外のものだった。
–––––大きな腹の虫。
息と声が詰まるような重苦しい室内で、たしかに少女から発せられた音だった。
あまりにも可愛らしい訴えに、カマエルは吹き出してしまった。
「しょうがねえ、何か作るか。そりゃ腹減ってたら考えも悪い方にいっちまうだろう」
少女は耳先まで真っ赤だ。しかし空腹には抗えないようで、素直に頷いた。
「そういやまだ名前を聞いてなかったな。なんて言うんだ」
立ち上がったカマエルが少女へ問いかけた。
「……エルカです。あなたは」
「俺のことはカマエルと呼べばいい。エルカか、いい名前だ。ちょっと待ってな」
そうしてカマエルは廊下へ出、キッチンへ向かう。
この事務所、同フロアにミニキッチンや寝室、シャワールームまで完備している。
よほどアットホームな職場だったのか。隠れ家に使うにはもったいないくらいの優良物件である。
冷蔵庫には食材が乱雑に詰め込まれていた。備え付けではなく、カマエルが以前気まぐれに助けた郵送車から譲り受けたものだ。
「……そういえば、飯らしい飯は久々だな」
ヴァルハラを追われた日から続いていた、自傷じみた絶食不眠。
脳裏に焼きついた6ヶ月前の光景が消えない限り、その癖は無くならないと思っていた。
それが一変、昨日は寝付けから目覚めまで完璧な快眠だった。
–––––エルカに出会って気が緩んだか。
違う。食事や睡眠を削って死に急ぐなど馬鹿馬鹿しいと気づいただけだ。
本当にその時が来るなら、万全だろうが不調だろうが関係なく呑み込まれて終わるものだ。
禁酒に失敗した中年オヤジのような言い訳だが、自嘲して気を紛らすにはちょうどよかった。
心ここにあらずな料理はすぐに終わった。そぼろ、卵、ほうれん草の三食丼だ。
カマエルは盛り付けた丼をトレイに載せ、彼女の待つ客間へ戻った。
「待たせたな。三食丼だ」
エルカは姿勢良くソファに座って待っていた。薄紫の瞳は何事もなかったように淡く光を保っている。……瞼を少し腫らしながら。
きっと、普段はこんな気丈に振る舞うような娘ではないだろうに。潤んだ声、乱れた息遣いさえも平静に取り繕っていた。
「ありがとうございます。すごい、おいしそうです」
「そうだろ」
どれだけ目を充血させても、涙を溢れさせていたとしても、紫黒の前髪で隠してしまうのだろう。昨日からずっとそうだ。時折嗚咽や声色を隠せずに出してしまうが、一貫して涙を見せることはなかった。
弱みを見せるほど気を許していないなら、その方がいい。もし片方に何かがあっても"他人"で済ませられる。
達観した風な思考のカマエルだが、この短時間で何度も機会を逃している。その点で言えば、エルカのほうがよほど線引きができていた。
どちらにせよグッドエンドの存在しない天界では、滅亡と死別のバッドエンドが前提にある。
存命かもわからない両親と再開し、互いに知らぬところで逝く。よくてビターエンドだ。




