《No.2》天使じゃないです
–––––時は3日前に遡る。
ヴァルハラから追放された"元"伝説の天使は、天界の端に広がるゴーストタウンへと流れ着いていた。
あちこちに倒壊した建物、割き砕けた地面、草花は枯れて果てている。そしてまばらに群生する紫水晶が不気味に煌めく。
ここへ来て約半年、カマエルは神罰で失うハズだった命を宙ぶらりんにしていた。
何かを求めるでもなく、自ら死を選ぶでもなく、あまりに早く到来した余生を過ごしている。
あてもなく街を出歩き、人気のない寂しい風に少しだけ酔う。空洞になった心を通り抜けるのは虚しさだけだ。
そんなカマエルの自虐じみた隠居生活を咎める者はいない。
どれだけ街を歩いても、目の前に現れるのは人間ではないからだ。
「これで何体目だ。相変わらずゾンビみたいに湧いてくる」
天界が紫水晶に侵された元凶、6ヶ月前に襲来した煉獄の先兵だ。
黒紫に揺らめく人影のようだが実体があり、体色と同じでわかりづらいが袴を着ているようにも見える。
頭上に浮かぶのは天使の輪に似た悪鬼の角だ。前方が欠けた紫色の半円で、その両端は斜め上に尖っている。
悪鬼の武器は両腕の凶爪。これに裂かれれば、傷口から結晶化が始まる。
全身結晶化した者は、歪な景色の仲間入りというわけだ。
カマエルは天使時代に培った戦闘能力を活かし、チカラを失った分を補う体術で悪鬼を薙ぎ倒していく。"元"伝説というだけあり、一般人どころか天使ですら手を焼く悪鬼をモノともしない。
かすり傷さえ死に繋がる凶爪も恐るるに足らず。そもそも神罰で死ぬハズだった人生だと、自暴自棄の男に恐怖心など無い。
5、6体の群れを全て倒すと、その死骸は紫水晶となり地面に根付いた。このため天界から完全に排除することはできない、なんともいやらしい先兵である。
この調子でカマエルの徘徊は続く。向かう先で煉獄悪鬼に遭遇すれば、その都度討伐をして。
捨て身にも近い戦闘を繰り返していれば、いつか死ねる日が来るだろう。と、そう望んでいる時こそ生き延びてしまうものだ。
気づけば夕刻を過ぎていた。寂れた廃墟も薄暗くなる頃合いだ。
拠点へ戻ろうと目的地を定めた時だった。
––––不意に、背後から攻撃的な気配を感じ取った。これは人間の殺気か。
「おっと」
肩を捻り、最小限の動きで回避をとる。すると、寸前のところで鉄パイプが空を切った。
振り向くと予感は的中。成人したくらいの天界人が背後に立っていた。野蛮な形相をした男だ。
ゴーストタウンと言っても、ごく稀に人と出会うことはある。ほとんどは廃墟を漁る火事場泥棒、目の前にいる蛮族だ。
「ずいぶんなご挨拶だな。その一撃、煉獄の鬼にぶつけりゃ良いダメージになったろうに」
「……俺がぶっ殺したいのは、ハナからてめえだ。って言ったらどうする?」
「どうも思わねえよ。昔から恨みを買われるのは慣れてるもんでな」
「わかってるじゃねえか、クソ天使。普段正義だのなんだのと抜かすクセに、肝心な時に役に立たねえ腐れ野郎どもが。俺ぁ、その天輪ごと脳天をカチ割ってやりたくてウズウズしてんだよ!」
天界に住まう人々を守護るのが天使の仕事だ。しかし現状、大都市ヴァルハラを残してほとんどが放棄された状態にある。
天使にもかなりの犠牲者が出ている以上、数少ない戦力は神の居城有するヴァルハラに集中させようということなのだろう。
神と民衆で天秤にかけられた結果をまざまざと見せられ、天使を憎む天界人は少なくないらしい。
「それならお門違いってやつだ。俺はもう天使じゃないからな」
「ゴタゴタ抜かすな、死ねやクソが!!」
男は鉄パイプを振りかぶり、カマエルへ突貫してくる。
不意打ちで決められなかったのだ、真正面から力任せの攻撃など当たるわけもない。
カマエルはするりと突撃を躱すと、二撃目のスイングに合わせて蹴りのカウンターを入れた。
「ぐはっ」
男の土手っ腹へクリーンヒット。そこそこの体躯が布切れのように吹き飛ぶ。背中から地面に打ちつけ、持っていた鉄パイプが手から離れた。
「動ける程度には加減してやった。残った体力はお前が逃げるために使え。それとも、数十キロ先には配給所がある……そこまで首根っこ掴んで連れてくか?」
「調子に乗るなよ……クソ天使が」
男は膝を震わせながら立ち上がる。蹴りのダメージは体より心に効いたのか、戦闘続行はなさそうだ。
しかしその目は依然、殺意を抱いたまま。呪怨のように呟く。
「てめえも、あの天使みたいにグチャグチャにしてやる……!俺一人じゃ敵わなくても、全員だ……!どんな手を使ってでもな!!」
「あの天使?」
カマエルが復唱すると、男は醜悪な表情で答えてみせた。
「いくら天使様といえども数十人でかかれば手も足も出ないもんだ。それに向こうからすりゃ、俺たちはバケモンに襲われた被害者。手出しはできないよなぁ」
カマエルは男の言う情景が容易に思い浮かんだ。
並の天使でも一般人と比較すれば身体能力は段違いだ。不意打ちされたとしても逃げることくらいできるだろう。
それで反撃さえしないのは、余程のお人好しか、正義感の強い者か。煉獄から民を守れなかった負い目か。
見捨てられた者にとっては都合の良いサンドバッグというわけだ。
「ざまあねえ、天使様が無様に引きずり回されてたぜ。今頃ボスにどんな目に遭わされてるかな」
そう言って吐き捨て、男はその場から逃げようとする。
それに対してカマエルは「待て」と呼び止めていた。自身の意志とは関係なく、反射的に。
襟首を掴んで捕え、そしてどうする気なのか。まさかその天使を助けに行こうとでも言うのか。
カマエルは自身の行動の矛盾に気づいていた。
–––––なぜこんな、天使まがいのことを。
弱きを助け、悪を挫く。そんな絵に描いたような正義感を持つ必要はない。
厄災に苛まれる人々を救助する必要も、痛ぶられている天使を助ける必要もない。
なぜなら、もうカマエルは天使じゃないのだから。先のない人生、周りがどうなろうと知ったことではない。
などと理屈をこじつけてもダメだった。結局、関わってしまった以上は心の何処かに残り続ける。
天使だった頃の自分に縋っているわけじゃない。捨てられないだけだ。
「上等だ。連れて行けよ、ボスのところまで」
……
下っ端の男に案内させ、カマエルは"ボス"がいるという隠れ家までやってきた。
かなり大きな倉庫だ。風化し錆びついているが、そこらの倒壊寸前の建物よりかは寿命は長そうである。
「さっさと行けよ。てめえなんざボスがぶっ殺してくれるぜ」
そんな挑発など無視し、カマエルは倉庫の錆びついたスライドドアを開く。
外界の光が中へ一直線に伸び、内側の光景が顕になる。その異様さにカマエルは思わず呟いた。
「……どうなってんだ」
薄暗い倉庫には先程より多くの男たちが潜んでいた。湿り澱んだ空気の中で、下品な笑いが飛び交っている。
中央で小さな体が男に馬乗りにされている。細い手足、乱れた服の隙間から覗く白い肌。食い物にされている天使は少女なのか。
行為中の男がこちらに気づいて振り向く。それと同時に、男の体で隠れていた少女と目線が合った。
–––––そんな目を向けられて。
感情の起伏を写したように眉間が閉じ、すり潰さんばかりに奥歯を噛み締める。
カマエルは隣にいた下っ端の胸ぐらを掴み、少女に乗っかる男へとぶん投げた。
それはレーザービームのように宙を切り、見事に直撃。人1人分の質量をぶつけられ、男は少女から引き剥がされるように吹き飛んだ。
「てめえ、なんのつもりだ!!」
取り巻きの反応を見るに少女を嬲っていた男は"主格"だったらしい。
そのボスも立ち上がり、暗がりでもわかるくらいの憎たらしい顔を見せる。
「痛ッてえなぁ。天使様がお仲間を助けに来たかと思えば、なんだその天輪は。電池切れてんのか?それともコスプレか?」
どうやら目をつけられたのは、カマエルの頭上にある透明の天輪。天使の輪が銅、銀、金の3種類あることは一般人でも共通認識だ。
誰にでもわかる、輝く天使のシンボル。光を失ったカマエルの天輪が異端であることもわかるだろう。
「どちらにせよ、こんな僻地に2匹目の天使が来るとはなぁ。神様のお守りすらできないクズが左遷されました、ってとこか?」
ボスに乗っかるように周りのチンピラからも嘲笑が起こる。やはりこの集団は天使に対して憎しみが強いらしい。
「クズってのには同感だ。だが胸糞悪い光景見せられて黙っていられるほど、俺は腐ってやしねえぞ」
「そんな中途半端に残った正義感のせいで、お前はこれから死ぬんだぜ」
ボスがハンドサインを送ると、取り巻きたちが臨戦体勢に入る。カマエルをぐるりと囲んで逃げ道を無くす。
各々が構えるのはナイフや棍棒、どこからくすねてきたのか拳銃を持つ者もいる。そんな男たちが総勢30人。
「やれ!!ブッ殺してやれ!!」
雪崩れ込むように総攻撃を仕掛けてくるチンピラ軍団。あっという間にカマエルの視界を埋め尽くすが、それに動じることはない。
素人の力任せ棍棒スイングは簡単に見切れる。片手で武器を捉え、もう片手で拳を打ち込む。
左右からの挟み撃ちは回し蹴りで蹴散らし、倒れたチンピラを掴み起こして集団へ投げ飛ばす。
幾多の戦場を越えてきた伝説の天使は、ただの暴徒が頭数を揃えた程度では止められない。冥界の名だたる冥魔との死闘で培った戦闘力は、天使のチカラを失おうとも。
「くたばれ!!」
背後から拳銃が向けられるが、それに対してカマエルは身体をひねり敵の銃を持つ手を蹴り上げる。弾かれた銃口は天井に向けて発砲。
ナイフを持って突撃する相手にも同様、こちらが傷つくことを恐れずに武器の持ち手にカウンターを合わせ、得物を弾き飛ばす。
武器を無力化された者はまとめて剛腕、剛脚が薙ぎ払う。恵まれた体格、長い手足が繰り出す打撃はそれだけで一級品の技になる。
気づけば立っているより倒れている人数の方が多くなり、倉庫の外へ逃げ出す者もいる。
残った周りのチンピラは、後の判断を主格に委ねているようだ。
主格の男は狼狽えながらも、足元に鉄パイプが落ちていることに気づく。
「世界のひとつ守れねえ天使が。今更正義感振りかざして、スカした面見せてんじゃねえぞ」
得物を拾い上げ、一歩、一歩と近づいてくる。吐き出すセリフは、嘲笑から怨み辛みへと変わっていく。
鉄パイプのリーチまで到達すると、主格の目は一層研ぎ澄まされた。動かずにいたカマエルへ向かって雄叫びを上げる。
「顔面ブチ撒けろ!!」
振りかぶった鉄パイプは空を切り、カマエルの頬を強烈に殴打した。
無抵抗で受けた頭はぐらりと揺れるが、倒れるには至らない。
「お前も天使に思うところがあるんだろうが……」
カマエルは口から血を吐き捨て、打たれた側の口角を親指で押し上げる。
「悪いがてめえにやる歯は無えよ。一本もな」
渾身の殴打を食らわせても、口内を切る程度のダメージにしかならなかったのだ。
この乱闘の勝敗は、人数差や武器の有無では決まらない。それほどにカマエルが圧倒していた。
「これ以上やるってんなら手加減は無くなる。こんだけの人数を束ねてたんだ、お前もバカじゃないだろう」
「……退くぞ!」
この号令で軍団は倉庫から出ていった。先程まで室内をこだましていた怒号は足音の連打に変わり、それもすぐ静寂に呑まれた。
薄暗がりに残されたのは2人、カマエルと少女。
「無事か」
銅色の天輪を頭上に浮かべる少女は、天使というにはあまりにもか弱く儚い存在だった。
両手で上体を起こし、はだけた衣服を直して肌を隠す。小さな体をさらに縮み込ませる。
瞼はぎゅっと閉じ、震える唇からは嗚咽が漏れる。
「あんな奴ら相手に言い様にされることはねえよ。天界がこうなったのも、天使1人が負う責任じゃない」
弱々しく首を振り、俯いた瞳は黒髪に隠れる。言葉を紡ごうとしているが、なかなか声にならない。
いたたまれず、カマエルは少女の前で膝をついた。
それに気づいた少女はこちらを向く。潤み滲んだ薄紫、美しい瞳だった。そして、悲鳴にも近い声で訴えられる。
「天使じゃ……ないです。私、天使じゃないです!天輪も、勝手にっ……」
その告白にカマエルは目を細めた。
何万と続く天界の歴史、前例のない事態だろう。天使の資格を失った者がいるなら、逆に望まず天使になってしまった者もいるのか。
いったい、どんな巡り合わせで。悠久の時を巡っても出会えないような奇妙な縁が繋がるのだろうか。
元伝説の天使は静かに呟いた。
「……ああ、俺もだ」
もう、天使じゃない。




