《No.14》巣立ち
冥魔が訪問してから、一夜と丸一日が過ぎた。
ヴァルハラに発つ当日だ。2人は5ブロック先にある街で列車に乗ることになる。
「ようし……」
洗面所にて、カマエルは鏡に写る自分の姿を睨んだ。
ワックスとドライヤーで髪を整えた。アップバンクで固めにセットすると、以前の活力が目に見えてくる。
そしてオフィスの壁に掛けていたスーツを着込み、半年ぶりに"天使"の姿に戻る。
「わぁ……カマエルさん、なんか雰囲気出てますね」
ちょうど自室から出てきたエルカが、カマエルの姿を見て息を呑んだ。
「反応としちゃ30点の答えだ」
「ええっ。カッコいいとか言った方が良かったですか」
「まぁな」
天使に戻れるかは、まだわからない。
しかし、天使に勤めていた時の上司から指令を受けたのだ。いつものラフな格好で向かう訳にはいかない。
そしてこれは、誓いでもある。
(守りたいものができたんだ)
神罰を受けてなお生き延び、光を失っても形を留めた天輪。度重なったイレギュラーを、ただ死ななかっただけと思い過ごすのは止めだ。
数日前までは、こんな転機が訪れるとは想像していなかっただろう。
生きながらに死んでいた自堕落な自分に、再び火をつけてくれた。
彼女も生きる選択を選んでくれたなら、その生きるための世界を守るのがカマエルの役目だ。
「エルカは準備できたみたいだな」
「バッチリです」
いつもの白パーカージーンズにプラスされ、首元のアクセサリーが光る。
翡翠色の勾玉を首掛けにしていた。ヤマトとの別れ際に受け取ったものだ。
「思えばここには数日しかいなかったのに、すごい長く感じます。ヤマトさんがここに来たのもだいぶ前みたい」
勾玉を指で撫でると、今でも別れ際の記憶が蘇る。
紫水晶の中で逝った彼の顔は、とても暖かで柔らかかった。
想い人のために死すら乗り越え、最後は確かにひとつになった。
エルカやカマエルが生きる理由を見つけたように、彼はあの場で死を選ぶ理由を見つけていた。
エルカに始まり、ヤマト、リッター……この場所へ来た者たちは2人の心に大きな変化を与えた。
彼らは皆、この閉鎖空間から巣立つよう促してくれた使者たちだ。
「私、あの日カマエルさんに会えて良かったです。あの日助けてもらったお陰で色んな人に会えて、私も生きてもいいって気づけたから。そういう意味だと、この事務所にも感謝ですね」
「ああ」
ここにいて良かった。そう思ったのはカマエルも同じだ。
この事務所は、エルカと過ごす時間をくれた。自分を見つめ直すきっかけをくれた。
モノに恩返しなんて柄じゃないが、昨日はここの掃除に1日を使った。
リッター達の訪問以降大荒れのままだったが、そのまま出ていくのは失礼だというエルカの意見だ。
壊れた家具は外にまとめ、拝借した日用品も補充しておいた。
汚れも綺麗サッパリ落とし、カマエルが住み込む前より片付いたくらいだ。
「それでここまでやるとはな。律儀な奴だよ、全く」
「元々使ってた人が帰ってくるかもしれないじゃないですか。もしかしたら、また他の人が使い始めるかも」
「あり得ない話じゃないな」
そうなればまた、住み始めた者が希望を見出す場所になるだろうか。
ここから旅立つ以上、次の入居者など知ったことではないが。
「さて、俺も準備するか」
残ったカマエルの荷物といっても、そこまでの量はない。
精々、衣類が2、3着あるくらいだ。適当な巾着をリュック代わりに背負い、それで済ませられる。
エルカも同様、避難所へ行く時に使ったリュックを背負っている。
「そういえば日記はどうなんだ。書けてるのか?」
「もちろんです。もう2日分、みっちり埋めてきましたよ」
リュックからノートを取り出してみせるエルカ。
表紙の空白には、2人分の名前が書き込まれている。
紫水晶の忘却の呪いは、活字にすら効果を及ぼす。エルカが姉の名を書き直したのだろう。
「どんなこと書いたんだ」
「秘密です。でも、沢山書きました。今日までにあったこと、思ったこと、全部忘れないように」
「スタートダッシュで詰め込みまくったら、後でネタ切れ起こさねえか?」
「そうならないように、1日1日を大事に過ごさなきゃですね。今の私がいるのは、みんなのお陰ですから。無駄に過ごしていい時間なんて無いです」
「根詰め過ぎるなよ。何事もな」
エルカのことだ、思い立てばあれもこれも……となんでも行動に移すことだろう。
いかにも大人しい風貌で、芯は硬く太い。ヤマトの時も自身の帰郷の時もそうだった。
自分のためだと言いながら、その胸の内では誰かを思い続けるのだろう。
「それじゃあ、出るか。列車の出発は昼前だしな」
「はいっ!」
外に出て、最後に事務所を眺める。もうここには戻らない。
建物に向かってお辞儀をするエルカを横目に、カマエルも左胸に拳を添えて目を閉じる。
そして2人は偽翼を使い、空へ飛び立った。
◇◆◇◆◇◆
2人が荒野を飛んで2時間が経過した頃、前方の景色に変化が起きた。
偽翼のバッテリーとところで、目的の町が見えてきた。
瓦礫の海が拓け、ぽつぽつと人影が出てくる。
北の先に見える列車の駅、それを囲むように建物が配置される。規則的に敷かれた道路が伸びる。
以前立ち寄った避難所より一回り大きい程度だが、確かに活きた|町だ。
荒野と町の境には、巡回する天使が数名見受けられる。
「こんなに綺麗な町がまだ残ってたんですね。人通りもそこそこあるし」
「ヴァルハラ直行の列車があるのがデカいんだろ。貨物列車も行き来してるみたいだしな」
地上に降りると、ちょうど近くの店から出てきた親子の会話が聞こえてくる。
大きなキャリーケースを持つ父と母、買ったばかりのチョコレートを齧る子供が駅へ向かっていく。
「あの人たちもヴァルハラに行くみたいですね」
「考えるのは皆同じだな。実際にここまで来れる人は一握りもいないだろうが」
そして2人も駅に着く。木造の小屋に最低限の改札がある程度で、平時なら田舎にある極小の駅と思われても仕方ない出来である。
ただ、即席で組まれたであろう木材の匂いと石張りの床が、妙なノスタルジーを感じさせる。
改札の奥には数名、天使が配属されている。彼らもまた警備兵ということだろう。
2人は駅員にチケットを渡し、改札鋏で印がつけられたものを受け取った。
赤インクの滲んだ紙もまた、レトロな雰囲気である。
「昔、こういう切符は捨てずに取っておいてたなぁ。旅行の記念に!って」
「ヘぇ、いい趣味してるじゃねえか」
「こういう日付が入った物って、捨てるの勿体なくないですか?その日の思い出を証明できるんですよ」
「わからなくはないが、俺はあんまり物に執着しないタイプだったからな」
「えー。でもカマエルさんだって、天使用のスーツずっと持ってたじゃないですか」
「そりゃスーツは使うからだろ。鑑賞用じゃない」
思えばカマエルは、天使に戻りたかった、あるいは未練を残していたのだろうか。
本当に全てを諦めていたのなら、現役時代に使っていたスーツなど処分されていてもおかしくない。
彼もまた揺れていたのだ。生きるべきか死ぬべきか、僅かな可能性にぶら下がりながら燻っていた。
「また着れる日が来て良かったですね」
「着てるだけじゃあダメだ。相応の成果を出さなきゃな」
2人はホームのベンチに腰掛け、目線で線路をなぞる。
程なくして列車が到着した。




