《No.13》天界の天使、冥界の冥魔
2人は拠点に戻った。
出発する時は片道だと覚悟していた。希望を見出して帰ってこられるとは思いもしなかっただろう。
夜食を終えて、エルカはひとり台所で食器を洗っている。
拾われた日から今日までは、カマエルに任せっきりだった。
これからは率先して請け負うと言ったが、結局当番制になってしまった。
『包丁とか洗う時は気をつけろよ』
始める前に言われたことが、妙に耳に残っている。
「そんなに危なっかしく見えるのかな」
気にかけてくれて嬉しい、とはならない。流石に子供扱いが過ぎる。
少し目を離しただけで怪我する年齢じゃないし、そこまで不器用でもない……つもりだ。
「確かにお姉ちゃんに任せっきりだったけど」
これまで何度か姉に助けられたことを話したが、それで余計な印象をつけてしまったのだろうか。
家事の経験もない、箱入り娘。貴族のお嬢様じゃあるまいし。
カマエルの子供扱いに複雑な気持ちを抱えつつ、最後の一皿を洗い終えた。
冷えた手を拭っていると、廊下の向こうから鈍い音が聞こえた。足で床を踏み鳴らしたような音だ。
「嫌ねえ、こんな廃墟に居着いて。まるで天使じゃなくてネズミみたいだわ」
「お前らこそ許可なく押し入ってくるんじゃねえよ。いつから天界はフリーになったんだ」
こっそりと廊下に出て、壁を通してリビングの中を盗み聞きしてみる。
カマエルは大人の女性と話しているようだ。口調は悪いが険悪な雰囲気ではない。
ルート的に窓から侵入したのだろうか。それをカマエルが許す存在が気になる。
ドアは開いている。エルカは身を隠しながら、顔を最小限出して中を覗いた。
ドアの向こう、ちょうど真正面の窓際にいたモノを見て、エルカは背筋に寒気が走った。
なぜならそれは、決して天界にいてはならない存在。
頭上に浮かぶ黒の半円。前方が欠け、右の先端がツノのように突き出ている。
アルファベットの『G』を立体に殴り書いたような光線は、間違いない。
「あ、悪魔……!」
漆黒のパンツスーツを着こなす長身は、エルカがこれまで会ったどの女性よりも妖艶で美しかった。
しかしその姿に感じるのは、底知れない畏怖だ。
魔力が宿ったような瞳は心の芯まで見透かし、その長細い指で抉り出されてしまうのではないかと思わせる。
恐れを抱きながらも目線を上げようとした時、不意に女性と目が合ってしまった。
向こうはこちらに気づいていた。
「ひっ……!」
心臓がきゅっと締まる感覚だった。腰が砕けるように萎縮し、その場で尻餅をついてしまう。
「あらあら。可愛い天使さん」
その音でエルカに気づいたカマエルは、すぐに駆け寄った。
肩を貸してゆっくりと起こし、背中を叩く。
「怖がらなくていい。知り合いだ」
「知り……合い?」
冥界に住む悪魔といえば、天使との永遠の抗争相手だ。
住む次元が違う敵同士、こうして立ち会えばタダでは済まないハズだが……
「おい、お前」
女性の横にいた少年が声をかけてきた。
研ぎ澄まされた軍服に金髪のおかっぱヘア。頭上に浮かぶのは、青色の半円だ。
先程からいたようたが、女性に気押されてずっと気づかなかった。
少年の隣には、クラシックな衣装を着たメイドもいる。
銀の髪は腰まで一直線に伸び、ムダに主張しない物静かな立ち振る舞いは精巧な人形のようだ。
そして紫色の輪は、彼女も悪魔だという証明である。
「そこの銅輪の娘、聞いてるのか?僕たちを悪魔と言っただろう。冥魔だ、訂正しろ」
少年はエルカの反応が遅れたことに腹を立てたのか、語気を強めて目を尖らせる。
「え、あ、ごめんなさい。冥魔、さん……?」
少年の睨みは確かに鋭いのだが、周りの状況が悪い。
パンツスーツの女性とメイドの女性に挟まれていることで、少年の背の低さが浮き彫りだ。
年齢もおそらく十代に乗ったくらいの子供で、威厳や怖さは感じられなかった。
「ふん、これだから天使は」
腕を組んでそっぽを向いてしまった。立派な軍服に身を包んでいても、中身はまだまだ幼いようだ。
彼のおかげか、緊張した空気が和らいで気が楽になる。
「まぁ驚くのも無理はないけどな。一応紹介しとくと、右からメフィエラ、ゼータ坊ちゃん、それと……付き人のメイドだったか」
「坊ちゃんは余計だ。それにメイドの名前はナインだ」
カマエルの説明に補足するように、ゼータと呼ばれた青輪少年が挟み込む。
「お見知りおきを」
紫輪メイドのナインは、上品にお辞儀をして見せる。
そしてパンツスーツの黒輪女性、メフィエラだ。
「しかしアナタ、天使の資格を剥奪されたかと思えば、こんなところで燻ってたなんてね。ヴァルハラの判断は正しかったのかしらね?」
「どうだか。兵力が足りねえのか、結局呼び戻されることにはなったけどな」
「あらら、良かったじゃない。神に叛いた冥魔はロクな末路を辿らない……それは天使も変わらないと思うけど、アフターケアも万全ってこと」
「天使に戻るとはまだ決まってない。そもそも、ミカエルに神の審判を覆すだけのチカラがあるのかもわからんしな」
「若き伝説の華麗なる復活、と言えば聞こえは良いわね。そんな安いシナリオ、あの男が考えそうなモノだけどねぇ」
「同感だ。どこまでも胡散臭ェ野郎だよ」
メフィエラは側にある客席に腰かけ、ナインに目配せする。
紅茶を用意しろ、という合図だったらしい。ナインは折り畳みのテーブルを展開し、テキパキとした動作で茶をつくる。
天輪の金、銀、銅のように、冥界の輪にも黒、紫、青の"格付け"がある。
やはり3人の中では、メフィエラの格が一番高いのだろう。
「ささやかですが……」
ナインはメフィエラに配膳した後、カマエルとエルカの所へも一杯ずつ寄越しに来た。
最後はゼータの側に戻り、砂糖を多めに入れて渡していた。
「これが冥界のお茶」
白いカップを満たす、深めの赤橙色。香りは素人の鼻ながら、良い匂いだ。
とはいえ、本当に飲んでも良いのか。中々最初の一口が付けられず、それに気づかれてしまったようだ。
「好みを問わずお召し上がりいただけますよう、穏やかな風味に仕上げております。ご安心くださいませ」
ナインは吊り目の鋭さを感じさせない、柔らかな瞳を向けていた。笑っているわけではないが、暖かな表情だ。
「あ、ありがとうございます。それじゃあ、いただきますね」
エルカは若干の気恥ずかしさを覚えながら、改めてカップに向き合う。
冥界産という先入観は一度捨て、一口目を啜った。
冷たいが、染みるほどじゃない。子供舌の気を損ねない苦味とともに、すっきりとした後味が浮かんでくる。
「おいしいです」
天界と冥界の違いというよりは、給仕の腕が表れている気がした。
エルカにとって、これほど間近に冥魔と合間見えるのは初めてだ。
噂通り、上位の冥魔は恐ろしく感じる部分もある。しかし、想像と違う印象を受けたのも事実だ。
普通なら茶を淹れてもらうどころか、話を交わすことすらあり得ない。
次元を超えた敵種族が集い、茶をしばく。この妙な空間を作り出したメフィエラに聞いてみた。
「すみません。皆さん……冥魔さんって、本当は天使の敵なんですよね?私たち、こんな風に話しててもいいんでしょうか?」
「あら、アナタは冥界が憎くって?」
「い、いえっ!そんなことはないです。ただ、昔からそう教えられてたので」
エルカの問いにはゼータが答える。
「僕たちは、冥界と天界の和睦を目指しているんだ。冥界女王が残した意志を継ぐのが、息子の役目だからな」
カマエルが彼を『坊ちゃん』呼びしたのが腑に落ちた。
整った身なり、やや背伸びした言動。言われてみれば冥界の王子のイメージが合うかもしれない。
「そしたらいたのよねぇ。そちら様にも青臭い理想を語る青年が」
「驚いたのはこっちだ。冥界の奴らは無情のヒトデナシばかりだと思ってた」
「どこの世界も一枚岩ではないわ。神に仕える天使の中にも、神罰を受けた者がいるようにね」
「ぬかせ」
今では達観した風を装っているカマエルだが、昔は理想を抱いた清い天使だったのだろうか。
エルカは、カマエルの新人時代を想像してみる。
『天界と冥界、いつか分かり合える日が来る!俺はそう信じてる!』……だなんて、今の彼は口が裂けても言わなさそうだ。
「まぁ、現実はそう上手くいかないものね。『天界滅亡の危機』と『若き伝説の失墜』が同時に起きるんですもの。こんな絶好の機会、冥界の陣営はどこも悪知恵を絞ってるわ」
「だろうな。攻め落とすタイミングとしちゃ、これ以上ないくらいだ」
「天界に支援を持ちかけようとする組織もいるらしい。兵力を貸し出すと言って、勝手な真似を」
「それって、天界と冥界で、一緒にチカラを合わせようってことですよね。すごい、昨日の敵は今日の友じゃないですか」
ゼータの話題に反応したエルカだが、彼から帰ってきた反応は良くなかった。
呆れているのか怒っているのか、口が"への字"に曲がっている。
「そんな単純な話ではない。お前のように浅はかで短絡的な奴が神になれば、天界はそのまま滅亡するぞ」
「そ、そこまで言われるほどですか……?」
この生意気さを可愛げがある、と言い換えるのはギリギリのラインだ。
どうも、ゼータはエルカをよく思っていないらしい。
続きはカマエルが付け足した。
「ここで冥界に貸しを作るわけにはいかないってことだ。協力を受けて天界を守れたとしても、その後のパワーバランスは一気に崩れるだろうな」
「む、難しいんですね。助け合ってハッピーエンド……にはならないんだ」
「創世から続く歴史だからな。一代の天使冥魔が易々変えられるもんじゃないのさ」
「現状はこんなところね。まずは天界が元に戻らない限りは、和睦なんて夢のまた夢。冥界で目立った動きがあれば伝えるけれど、天界の危機なら天使が解決しなさい」
「ああ」
紅茶を飲み終えたメフィエラは立ち上がり、窓枠に手をかけた。
長いまつ毛を従える流し目は、その思考を読み取れない。
感情が素直に出るゼータや、フラットで実務的なナインとは違う。
最上の冥魔は心さえ探らせない、隙を見せないのだろう。
「ああ、最後に。天界に潜伏してる冥魔は私たちだけではないみたいよ。狙われるとすれば、アナタが筆頭なんでしょうけど……精々暗殺されないようにね」
「怯えて過ごしてりゃ、どなた様が助けてくれんのかよ」
「魂が冥界に落ちた時は、それなりの待遇でもてなしてあげるわ」
「それと次期赫輪も……ね。頃合いでしょう」
メフィエラが最後にこぼした言葉の意味は、エルカにはわからなかった。
ただカマエルの眉間が固くなっていることから、都合の良いものでないことは確かなようだ。
ナインがカップを回収し、こちらにお辞儀をする。
3人の冥魔は窓から飛び降り、夜景に消えていった。




