《No.10》絶対に忘れたくない
カマエルにとっては、疑念が確信に変わっただけだった。それでも本人の口から聞けたことは大きな進展だ。
そしてそれは、2人の関係の終わりを意味する。
この3日間、エルカがカマエルに匿えてもらえていたのは両親の存在が不鮮明だったからだ。
それが明らかになってしまえば、わざわざ危険が集まるカマエルと一緒にいる意味は無くなる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!カマエルさんは何も悪くないんです。全部、私が……」
なんて自分勝手な自白だ。
まるでカマエルの元でも安全じゃないと知るや、見限って捨てるみたいなタイミングで打ち明けるなんて。
彼も渡された司令状に意識を回したいだろうに、お荷物となった自分を優先せざるを得ない状況にしてしまった。
取り繕うつもりで吐く言葉が、自分を嫌悪させる。
「……ゆっくりでいい。話してみな」
カマエルはエルカを抱き寄せる。彼女の震えが止まるまで、そのままでいた。
自分にはない筋肉質な腕の中で、エルカは抱擁を受け入れる。溢れかけた感情を制御して、彼にわかりやすく伝えるために。
最低だ、何もかも。あやされなければ言葉も話せないなんて、自分は赤ん坊と同じだ。
せめて話す時くらいは、しっかりと姿勢を保って話さねば。
「カマエルさんに助けてもらうより前は、お姉ちゃんと一緒にいたんです。お父さんとお母さんは……私たちを守って水晶になっちゃったから」
宝物を無くしたり、友達と別れたりするのとでは訳が違う。子供が親を失うというのは、世界が壊されるようなものだ。
それこそ、今の天界のように。
「それで、2人だけで家を出たんです。親を見捨てたくないのはお姉ちゃんだって同じハズなのに、駄々をこねる私を引っ張ってくれました。そこからはいろんな所に逃げて、隠れる場所も食べ物も、全部お姉ちゃんが探してくれました」
「立派な姉ちゃんじゃねえか」
エルカは首をカマエルの胸に預けるように頷く。
「でもちょっと前、お姉ちゃんと喧嘩しちゃった。忘れちゃってたんです、親のこと」
『私たちにお母さんなんていないでしょ。何言ってるの?』
『お姉ちゃんこそふざけないでよ!お母さんもお父さんも、私たちを守ってくれたんだよ!?嘘でもそんなこと言わないで!』
カマエルは昨日の彼女の言動に納得がいった。
紫水晶となり、世界から存在を消そうとするヤマトにエルカが叫んだことだ。
『忘れたくないです』
戦場に立つ天使ですら知る者は少ない、忘却の呪いのシステム。
エルカがそれを知っていたのは、家族の犠牲をもって体感していたからだ。
妹を逃すために前を向いた姉は、両親の死に目を見ることができなかった。逆にエルカは、最後まで両親から目を離せなかった。見捨てられなかった。
結晶化する瞬間を見ていたわけだ。
「その日からお互い喋らなくなったけど、たまたまお姉ちゃんの独り言を聞いて……今でも忘れられないです」
外の風が戸を軋ませる夜、姉はエルカが眠ったと思い独り言を吐いたのだろう。
『私にもお母さんがいたら、エルカには怖い思いさせなくて済んだのかな。ごめんね、ダメなお姉ちゃんで。本当にごめんね』
廃墟同然の、冷たい石壁の箱の中で呟かれる声。互いに背を向けて、めいっぱい毛布に包まっていても確かに聞こえた。
「でも結局、仲直りできませんでした。次の日隠れ家が鬼に見つかっちゃって、それで……」
目と手に力が入る。全部忘れて、無かったことにしたかった現実。でもやっぱり、目を背けたからといって帳消しにはならない。
「ドアの向こうでお姉ちゃんが襲われてたんです。怒鳴り声と悲鳴が混ざったみたいな声が聞こえて、ドンドンぶつかるみたいな音が繰り返して」
尋常じゃない事態が、1枚のドアを隔てて向こうで起きている。
姉が死ぬ。両親と同じ紫の水晶になる。
「ドアが壊れて、お姉ちゃんと鬼が一緒に倒れてきました。その時にはもう……」
姉の一部が紫だった。それを見て、まだ助かるだなんて思える人間などいない。
壊れたオモチャのような足を、ひとつ、ひとつと動かして向かう先は裏口のドア。
鬼が追ってこないのは、姉を喰らっているからか。まともに走れない足で逃げられたのは不思議でならなかった。
「酷いですよね。散々守ってくれてた人と、こんな別れ方なんて。いっそのこと、私もお母さんたちのことを忘れたら最初から……」
–––––苦しまずに済んだのに。
言いかけて止めたのは、自分の姿があまりにも憐れに思えたからだ。
きっとカマエルは全てを受け止めてくれる。その優しさに甘えて、可哀想な自分を演じ続けて何が変わるのか。
両親と姉を使い潰し、カマエルをも同じように死ぬまで擦り続けるだろう。悲劇のヒロインを守ってくれる残弾が切れるまで、それが続く。
何も考えずに生きるというのは、そういうことだ。だから。
「カマエルさん。私、もう逃げたくないです。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんも、絶対に忘れたくない。無かったことになんかしたくないんです。まだありがとうもごめんなさいも、なにも言えてないのに」
抱擁から離れ、自分の足で立ち上がる。しっかり彼の目を見て、自分の意思を伝える。
「今までありがとうございました。私も帰ります、家族のところに」
カマエルは寂しい目で見つめ返してきた。
そんな風に心配させることも嫌だったが、これ以上自分という足枷が彼を傷つける前に、別れてしまいたかった。
「待てよ」
家族の元に帰って、それからどうする気だ?
もし聞いてくるならこんな感じだっただろうが、そうじゃなかった。
「まさか1人で行くってわけじゃねえだろ」
「カマエルさんだって、これから大変じゃないですか。リッターさんから貰った、それ」
「それ?……ああ」
気遣いというよりは、独りになる口実だ。それに気づいたカマエルは、司令状を窓から吹く隙間風に遊ばせた。
「こんなもん気にするな。数分もありゃ結論は出せる」
笑顔で言えるほど軽い問題じゃないハズだ。それを受け取った時のカマエルの表情を、エルカは間近で見ていた。
「それでも、もうカマエルさんに迷惑はかけられません。
「今更独りでってのはないだろう。最後まで面倒見させろ」
「それでもし、カマエルさんが怪我したり……死んじゃったら私はどうすればいいんですか。自分の傷なんかより、そっちの方がずっと嫌です」
「俺の心配ならいらねえよ。聞いてたろ、これでも『伝説の天使』なんて呼ばれてたんだぜ」
この瞬間までそれを自称しなかったクセに、とエルカはむくれる。
そんなセリフで安心できるほど子供ではないし、彼の心情を飲んでやれるほど大人でもない。
カマエルは続けた。
「俺にも責任があるんだよ。それこそ途中で放り出しましたなんて言ったら顔向けできないだろ、両親と姉ちゃんによ」
もし自分が大人だったらこんなことは言わせなかっただろう。
でも現実は、子供だ。大人に責任を感じさせているうちはまだ。
「絶対死なせやしねえよ。道中何が来ようが、そこまで連れてってやる」
「ずるいです。"責任"だなんて、私が言ってもカマエルさん納得してくれないでしょ」
「そういうもんさ。どうする、行くんだろ」
「……行きたいです。絶対に帰りたい。だから、連れていってください」
次話からが《No.1》の続きです。




