《No.1》若き伝説と呼ばれた、"元"天使
『天使への復帰か、死刑宣告か』
そう言って渡された便箋の内容、それは天界の大都市ヴァルハラへ戻ってこいという指令だった。
誰に聞かせるでもなく、それに対する返答を吐き捨てる。
「クソくらえだ。どっちにしろな」
ここは天界の辺境、そのさらに隅へ追いやられたかのように建つ事務所の中だ。
荒れ散らかった客間に、割れた窓から風がビュウビュウと吹き込む。横転したテーブルの足は折れ、床にはガラス片と瓦礫の数々が散乱する。
そこでひとり佇む、頭上に透明な天輪を浮かべている人物がいる。
名はカマエル、かつて天使だった男。
過去形なのは6ヶ月前に天使の資格を剥奪されたからだ。
神に謀反を起こすなどという、子供でもわかるタブーを犯した故である。
だから天使の証である天輪は光を失っているし、ヴァルハラを追放されて辺境の地に住んでいるというわけだ。
壁にかかった黒い背広が隙間風に揺れ、その様を哀れんでいるように見える。
白シャツ黒パンをだらりと着合わせる今では、黒衣で戦場を駆けた記憶はもはや懐かしい。
たった6ヶ月。"若き伝説"は時の風化を受け、目つきの悪いチンピラ風情にまで成り下がったのだった。
そんな男に指令が送られた理由、カマエル自身は予想がついていた。
神罰にて殺し損ね、死刑宣告を下したいほどの男に、天使への復帰を仄めかす?
矛盾したような指令だが、天界の現状を見れば察しがつく。
「クズの命も使いよう、ってか。そりゃ天界は絶賛、滅亡の真っ只中だしな」
カマエルは外の景色に目線を流す。
空には十字の裂け目、地面を侵食するのは紫の結晶群。 煉獄の王が復活してから、天界はすっかり変わってしまった。
青の空はどんより曇り、純白の美しい街は廃墟になり果てた。まさしく滅亡寸前といったところである。
天界の長い歴史が、たった6ヶ月でこの有様だ。全てが紫水晶に埋め尽くされるのも時間の問題だろう。
つまり指令の主は、カマエルの"過去の栄光"を餌にこう囁く。
–––––侵略せし煉獄を退けた暁には、天使への復帰が許される。
そんなバカな話があるか。
「"元"天使を駆り出さなきゃ解決できねえってんなら、それこそ天界は終わりだろうによ」
あの日全てを奪われた身だ。天使でなくなった以上、天界に命を捧げる義理もない。
それに資格剥奪を受け入れたのだって、今の天界に未来はないと見限ったからだ。
もはや「ザマァみろ」という捨て台詞すら吐く気もない。滅びゆく天界と運命を共にするだけだ。
齢31。天界人より短命な地上人ですら、人生を捨てるには早すぎると言うかもしれない。
生きる希望があればその通りかもしれないが、カマエルの現状は錆びついた鉄屑、あるいは燃えカスである。
そんな男を今日まで延命した者がいるとすれば、どんな人物か。天界の頂点に立つ神でも、全てを抱擁する聖母でもない。
「カマエルさん。準備、できました」
事務所の奥のドアが開き、中からは10代ほどの少女が出てきた。
小柄な体は緊張でさらに小さく見える。覚悟を灯す瞳にも不安の色が混じっている。戦乱や厄災とは全く無縁の、ただの少女。
「おう、んじゃ行こうぜ」
それは天界の片隅で繋がった、奇妙な縁だった。
もしカマエルが神罰を受けていなかったら、もし天界が煉獄に侵略されなかったとしたら。
何かひとつ噛み合わなかっただけで、この出会いは成立しなかった。
「緊張してるのか」
「そ、そんなことないです!カマエルさんがいてくれるなら、私は大丈夫ですから」
「そうか。まぁ安心しろ、何があっても俺が守ってやる」
故郷へ帰し、両親に会わせる。3日前に出会った少女のたったひとつの願いである。
「……はい!」
少女は両の拳を握り、健気に返事をする。そのそぶりが空元気だとしても、充分だ。
いずれ来る天界の破滅、避けられない死を前にするなら、こんな他人の男よりも家族といた方がいい。
そしてそれはカマエルも同じ。少女の頼みか指令か、どちらを選んでも結末は変わらない。
(何もかも、これで最後だ)
もしかしたら生き延びた先に未来があるかもと、淡い希望を抱くのも。
辺境の地で死んだように生きるのも。
–––––天使らしく誰かの助けになるのも、彼女の帰郷をもって最後だ。




