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共感デバイスで地球人を愛してみた話

作者: 鈴木美脳

 愛するとは、例えば、末永く近くにいて互いを思いやることであり、自分自身ではない個人の幸せを願って行動することだろう。人は時として、愛する者を守るために自らを犠牲にすることがあり、例えば子や妻や夫のために怪我をしたり命を失うことがあって、その由来は自然選択、いわゆる進化論に求められる。つまり、人間という生物は必ずしも自己の生命と幸福とを最優先にする生き物ではないわけであり、他者の生存と苦楽を考慮する器を備えている。そのような考慮は、実は高度に知的な作業であると同時にもちろん感情的な動作であるから、「愛する」という現象の根底に「共感」という能力を見ることができる。

 愛する人をもしも殺されれば、心には耐えがたいほどの傷が苦しみとして残る。それは例えば、とても大切にしていた物品を破壊されたり奪われてしまっても同じだ。あるいは単に、非常に愛着している対象について侮辱的な言葉を表明されることによっても、程度問題だが心は傷つく。指や腕を怪我によって失えば身体が痛むように、愛することによって「痛み」の対象は拡大する。愛さないことによって縮小もする。例えば子を愛する者にとって、子の命を救うために他に道がない時、相対的には、自身の死は許容可能かもしれない。

 人間は社会的な動物であり、自分が直接見聞きする以上の事実を情報として観察できる。遠く離れた地に生きる人々の存在を知ることができるし、世界のどこかで行われている不正義を嫌い、虐げられている人々の幸福を願って共感し行動することができる。しかし私達は普通、それが恋人であってすら、相手の人生のすべてを体験することはできない。


 ここに一つの空想的なデバイスがあって、これは私達の素朴な共感能力を拡張する。私がそれを用いる対象は自然に、最愛の他者である恋人だった。

 私が共感デバイスを彼に向けると、最初に流れ込んできたのは彼の今の気持ちだった。そして、彼自身今や意識すらしていない、今朝の朝食。続けて、本人すらも覚えていない、人生のすべて。

 人間にはもしかしたら、本当に霊魂があるのかもしれない。彼の体験は、乳幼児期を越えて何千年、何万年とそのまま続いていた。共感デバイスによって、私はそのすべてを何ら支障なく観察することができた。


 数千年前、ある銀河の辺境にある「地球」という名の星で彼は生きた。

 「数千年前」とは言っても、それは彼の魂の記憶をたどった概算での値であり、実際の時空で客観的な時間として連続しているわけではない。地球とその文明の存在は、もっと遥かに遠い過去のことかもしれないし、まだ起こっていない将来の事象かもしれない。

 その星で彼は生まれ、やがて死んだ。もちろんその間に、彼は非常に様々な感情を感じたし、日々色々なことを考えた。あるいはもちろん、様々な風景を見た。

 私は共感デバイスによってそのすべてを体験し、ああ彼はこの時、こんな風景を見ていたんだな、と思った。私は、愛する恋人である彼のその人生を当然愛おしく思ったし、だから、彼が催した感情のすべても、彼が見た風景のすべても愛おしく思った。

 共感デバイスによって自身の共感能力を拡張することさえできれば、私はそのように彼のすべてを体験することができる。彼が一人で見たはずの風景さえ、共に体験することができる私はまるで、同じ土地、同じ時刻に一緒に存在しているかのようだった。


 当時の地球には高度に文明化された社会が成立していたが、共感デバイスを製造するほどの技術水準にはとうてい及んではいなかった。だから彼は、自身が一人で体験した土地や時間を、誰かがやがて追体験するなどと、その時、思ってもいなかったかもしれない。

 例えばある時、彼は駐車場でふと街並みを眺めた。しがない駐車場のそばに立つありふれた建物が、日常的な日暮れの夕焼けに照らされる光景を彼は目に収めた。その風景は、彼にとって何でもなかった。ただ立ち寄っただけの土地で、ただ視界に入っただけの風景だった。

 でもその風景は、私にとっては少なくなく興味深いものだった。今の彼を形成する大きな転機がそこに隠されていたというわけではなく、単にそれが、愛する人がかつて見た風景だったから、興味深いと思った。だから私は、彼が向いている方向を眺めて同じ視界を共有しようとしたし、身体を可能なだけ近くに寄せて、体温や鼓動まで感じるように努めた。

 そのように、共感デバイスさえあれば私は、現在の彼と時間を共に過ごすだけではなく、彼がかつて体験したどの時間も自由に体験することができる。今の彼と一緒にいるだけではなく、過去のすべての彼と共に歩み、共に眠ることができる。言ってみれば、無限大の時間を生きることができる。あるいは、その人に成り代わることができる。


 共感デバイスがあれば、そうして、他者を生きることができる。

 逆に言えば、自己とは第一の共感対象にほかならない。

 私達は、自己を体験することで自己を体験しているが、自分自身の過去のすべてすら記憶しているわけではない。私達は他者の苦楽を感受する能力において限られているが、自己の苦楽を認知する能力においてすら限られている。

 無限大の共感能力を持つ共感デバイスがあれば私達は任意の人間のすべてを体験できるが、逆に言えば、私達に生得的に備わった共感機能の能力はゼロではない。私たちはいつも、有限の視野で、愛する人の人生を体験しているし、自分自身の人生を体験している。


 したがって、どんなに孤独でどんなに苦しい時間であってもそれは、見方によっては愛すべき大切な瞬間だ。

 それは、恋人の幸福な一面が恋人の一部であるように、恋人の不幸な一面が恋人の一部であるようにだ。

 恋人が恋人の体温を体験しようとするように、人は共感デバイスによって人生のすべてを体験しようとする。

 愛するとは結局、そのようなことではないだろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  言葉通りに考えたなら、愛する者の全てを受け容れる為には必要なデバイスかも知れませんね。けれどその中に受け容れられない何かが有ればそれは偽りの愛となるのでしょうか? そお問われているかにも…
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