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大いなる学び 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふ〜ん、大学ってもともとは先生と生徒の組合って意味だったのか。元の由来が「大学」の日本語名からだと想像しにくいな。

 いや、もう来年には受験生っしょ? なんか高校生になった実感も湧ききらないうちに、また受験といわれても、なかなか実感が湧かなくって。

 小学校は長えんだよなあ。6年間だし、これまでの人生の半分を占めるわけだし、記憶がはっきりしてからカウントするなら、もっとも濃密な2000日足りえるかもしれない。


 けれど、歳食ってからの3年なんてあっという間っしょ? 中学校の3年でさえ短く感じたんだから、高校入ってからの3年なんかもっと短い。

 次から次とところてんみたいに押し出されて……その流れについていかないと、落伍者みたいな目で見られるだろ?

 う〜ん、自由に生きるとはかくも難しい。図太いというか鈍感というか意志強固というか……いい意味で傍若無人なメンタルがないと、しんどそうな気がするぜ。

 もちろん、学びたいことがあって大学に行くならいいと思う。そして学校側も、その学びに関してはかなり手広くやっているかもしれないぞ。

 俺の兄貴が体験したらしい話なんだけど、聞いてみないか?



 その日、張り切って最初のコマの講義のために早起きをした兄貴。

 けれど、いざ学部棟へ行って掲示板を見ると、該当の講義を休講にするという張り紙が出ていたんだ。

 休みとなれば、大半の学生にとっては喜ばしいことであり、兄貴の胸中を占めるのはその感情だった。けれども、その珍しさに首を傾げたくもなる。

 なんだかんだ2年間単位を取り続けてきた教授の授業。これまで休みになったことは一度たりともなかった。「私事」とはっきり書かれるほどで、プライベートな用事であるなら仕方のないことかもしれないが。


 講義のある予定だったホールは、学部棟のある建物から幾段か下ったところにある。

 食堂、購買、図書館など学生たちが主に使うだろう施設は、そこより上に集中していて、講義以外ではゼミやサークルの活動で必要とされない限り、あまり用はないだろう。

 兄貴はすでに課題関連は終えているし、本を読みたい気分でもない。なんとなく散歩をしてみようと思って、くだんのホールがある階段を下っていったんだ。


 入口は閉ざされているものの、そこを取り囲む坂道を下り始めて、兄貴は「ん?」と思う。

 階段状の講義の席を囲う、縦長の窓の列たちはいずれもカーテンがぴっちり閉められていた。

 休講であるならカーテンを開けきっていてもおかしくないはず。

 実際、これまでも同じような状況では、外から見てオープンな構え。次の講義を待って、すでに着席している学生の姿を確認することもあった。


 ――もしかして、本当の休講の理由はこの場所を大事な用で使ってしまうからだろうか。教授もそれに加わらなくてはならない、とか。


 必修ではない、自由講義。

 興味があるから、こうも早起きしたものだから、何かしら埋め合わせがあってもいいだろうと、兄貴はホール周辺をぐるりとまわって様子をうかがってみる。

 どの角度、どの高さの窓もぴっちり閉じられ、ホール入り口側のドアの小窓も、備え付けの黒く小さなカーテンに隠されてしまっていた。

 いかなる講義であっても、ここまで厳重に隠されることはそうそうない。

 ますます興味をそそられる兄貴が、そっと入口ドアへ近寄ったタイミングで。

 


「!……グェ……ぺぺぺ……!!!」


 顔をしかめたくなる、怒鳴り声が聞こえてきた。

 兄貴の耳へ飛び込んできた音としては、先に書いた「グェ」や「ペぺぺ」をかろうじて聞き取れたくらい。

 あとはよく分からなかった。聞こえないというより、理解ができない。

 外国語か、なまりや方言満載のお年寄りか。脳が意味をなすものとして認識をしてくれないノイズに似た音の並びだったんだ。


 閉じきった戸の奥から、兄貴の耳をくぐもらせるほどの音の大きさ。

 よほど中ではでかい音が出たんだろう。その不意打ちにふらつきながら後ずさる兄貴は、どんと背中をどこかにぶつけてしまう。

 壁や柱ならまだよかった。でもこの弾力は、明らかに人のそれ。

 振り返り、ろくに顔も見ないで頭を下げるも、その顔をあげて兄貴は一瞬、言葉を失った。


 隻眼。

 それも本来、左右に分かれているはずの瞳の二つ分をくっつけたかのような大きさで、額の真下あたりに植わっている。

 その下の鼻も、また人の2倍か3倍はあろうかという横広がり。さらに穴は5つ開いていたのだとか。

 それらに対し口はというと、梅干しほどのサイズしかない小さなもの。注意しなければその動きさえ見逃してしまいそうなアンバランス差だった。

 他の背格好は成人男性と変わりない。ぴっちりと決めたスーツ姿は、出先に赴く服装として申し分ない。

 ただひたすら。その顔のつくりでもって兄を固まらせていた。のみならず、目の前の相手はその小さい口から、耳のそばで叫ばれたような大声を兄に叩き込んでくる。


「…?…??……エヴォ……??…ハ……?……クォ?」


 まただ。断片的にしか読み取れない、意味不明の言語。

 先ほどのホールから聞こえてきたものより、いくぶん語気がやわらかい。

 突っぱねるというより、尋ねてきているようなニュアンスだ。

 けれど、兄貴はすぐに反応ができなかった。目の前の御仁の声が耳へ届くやいなや、声に鼓膜が震えるのはそのままに、兄貴の目の前は真っ青になっていったのだから。



 それは水に溺れるかのような景色。無数のあぶくの幕が上がると、兄貴の目の前に水色が広がった。

 水色がたちまち上がっていき、青みはどんどん濃さを増したかと思うと、ほどなく黒色へ染まりきってしまう。

 とどまらぬ下降。けれども足元は水の中特有の抜ける感じではなく、しっかりと支えを持ったまま、身体ごと下がっていくんだ。

 エレベーターに乗せられて、ひたすら深きを潜っていくように思えたとか。


 が、その潜行も色の変化をうかがうだけにあらず。

 さっと、兄貴の視界を横切るものがある。水族館で見た、魚のイトウを思わせる大きさで、つい身体をのけぞらせてしまいそうな間近を通過された。

 下降は続いている感覚がある。その中でまた一匹、さらに一匹と同じような魚が、目の前を横切っていく。

 その速度を落とした一匹を見やって、兄貴はまた息を飲みそうになる。


 同じだ。声を出した男と。

 身体こそ魚のものなのに、その顔だけ。隻眼、横広がりの鼻、小さい小さい口、そのほかも人と大差ない顔のパーツでもって、魚は動いていたんだ。

 その魚の一匹が真ん前でだしぬけにこちらを向き、兄貴が「わ!」と声を上げかけたところで、視界が大学に戻ってくる。

 あの顔の主も、先と同じ完璧なスーツ姿でもって直立し、兄貴を見下ろしていた。


 ――自己、紹介?


 兄貴の頭が、とっさに結論を出した。

 本来なら長々と、そして説得力を帯びた言葉を並べ立てねば、およそ理解してもらえない内容。それを目の前の存在は幾分かの声掛けと体感でもって、伝達をしてきたんだ。


「……モァ…#……##……エソ……#…###……」


 またも声が漏れ出す。

 目の前の男からじゃない。兄貴の口からだった。

 勝手に回る舌に、兄貴は自分で驚きを隠せない。発していながら、その意味もやはり自分で分かっていない。

 思わず手で口を塞ぐが、顔に触れるより早く発声は止んでしまった。


 眼前の男? も直後に動き出す。「十分だ」といわんばかりに、もう兄貴を一顧だにしない。

 びっこを引き、ときおり飛び跳ねるような奇妙な歩みでもって、男はあのホールのドアへと向かう。

 兄貴が触れる前に、中からの怒声にひるんでしまったそのドアを小さく開き、身体を滑り込ませるかのごとく、するりと入っていってしまったんだ。


 その背を見送ると、どっと出た疲れが兄貴を襲う。

 特に頭のふらつきが一歩ごとにひどくなり、どうにかたどり着いた図書室の一人がけの勉強机でだらりと身体を投げ出してしまう。

 痛みにもかかわらず、疲労の方が勝ったのか。意識を手放してしまうのに、そう時間はかからず。気が付いたときには、もう最初のコマの講義も終わる時間となっていた。


 かすかにめまいの残る頭をおさえつつ、改めて戻ったホールはカーテンを開け放たれたうえで、もぬけの殻となっていた。

 あの不可解な顔の男も、校内のどこをめぐっても見つけることはできなかった。

 そして自分が耳にし、口にさえしたあの理解の及ばない言語も、もう兄貴は発せられなくなっていたんだってさ。

 


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