Chapter2. 闇夜に浮かぶ光
行動力こそが探偵に必要な最大の能力だ、と穂村はいつか言っていたが、実際にそれを体現しているようだ。
俺に話をした時点で既に学校から夜間活動の許可を貰っていたらしく、その日のうちに俺たちはユウレイ調査へと赴くことになった。
「——それじゃあ早速調査開始と行こうか」
いちど家へと戻り、午後八時に校門前で合流した俺たちは、そんな穂村の合図で校舎へと入っていった。
大体において同意してくれると思うが、夜の学校というモノは、昼のそれとは大きく異なる雰囲気を醸し出していて不気味だった。
月明かりに照らされただけの薄暗い廊下。響く足音でさえ神秘的な気配を漂わせている。道路を走る車の音がときおり聞こえてさえこなければ、まるで世界じゅうが眠ってしまったかのように思ったことだろう。
「……なあ、穂村」
と、そんな世界でも変わらない様子で懐中電灯を手に教室内を物色していた探偵に俺は声をかけた。
「……今更なんだが、なんだって俺も一緒にユウレイの調査になんか行かなきゃならなかったんだよ。別にお前ひとりで行けばよかっただろ?」
本当に今更だが、なぜ俺は言われるがまま素直にコイツに付いてきてしまったのだろうか。俺としては学校にユウレイがいようがいまいがはっきり言ってどうでもいい。そんなことを気にするくらいならはやく帰ってラノベの続きを読みたいものだった。
「それはまったくナンセンスな質問だよ、モリタニくん」
しかし穂村は手を止めて振り返ると、暗闇でもわかるくらい大仰に肩をすくめて言った。
「キミも知っての通り、探偵に助手は付き物なんだ。かのジョン・H・ワトスン博士のような、ね」
「……まぁ、たしかに探偵には助手が必要だな。ああ、それは認めるよ」
俺は穂村の言葉を否定しない。
だがそれは何もコイツの主張を受け入れたわけではない。ただ闇雲に反論するだけでは穂村鈴という女を言い負かせないということは、この三ヶ月で嫌というほど実感していた。
ゆえに俺はひとつのテクニックを利用することにした。いつか読んだ本で得たテクニック。すなわち、ひとまずは相手の主張を受け入れ、然る後に己が主張を挟む、だ。
「お前が言うようにホームズにはワトスンがいるし、コ◯ンくんには◯原さんがいるしな」
「ふふ、よくわかってるじゃないか。安心したよ、キミが探偵に助手は必要ないなんて言い出さなくて。もしもそんなことを言うようならボクはどうしようかと思っていたところさ」
「……ああ、俺もそう思うよ」
俺は頷いて、それから不敵な笑みを浮かべ続ける探偵にむかって、反撃の狼煙をあげる一言を告げることにした。
「――だがな、いつから俺はお前の助手になったんだ?」
「驚いた。キミはまだ自分が帰宅部のつもりなのかい?」
「そうじゃない。俺だって推理部の一員だっていう自覚はある。だがお前の助手になったつもりはないぞ。俺とお前はただの部活仲間だ。それ以上でも以下でもない。それに助手って言うなら東がいるだろうが」
「それこそナンセンスさ。彼は依頼人第1号でありキミの紹介者だ。役柄で言えばスタンフォードくんで、ワトスン博士にはなれないよ」
「む……」
しかしどうやら狼煙のために準備していた薪は湿っていたようだ。穂村の長く広い絶好調の舌を止められはしなかった。
「……いや待て。この際東が助手にふさわしいかどうかは置いておくとして。——問題は俺がお前の助手であるつもりはないってことだ。勝手に祭り上げられて面倒なことを強いられるのはごめんだぜ」
「ふむ、まあいいさ。キミがそんなにも助手になりたくないって言うのなら無理強いはしないよ。残念だけどね」
「……なんだよ、ずいぶん素直じゃねえか。……らしくねえな」
「ボクだって鬼じゃないからね。キミがそんなに嫌だっていうのなら仕方ない。諦めるよ」
「……そうか」と俺はなんだか釈然としない気持ちを抱えながらも言った。「なら俺はもう帰らせてもらうぜ。別にいいんだろ?」
「もちろん構わないよ。だけど――」
そして次に穂村の浮かべた意地の悪い笑みに、俺は自らの敗北を悟った。
「――だけど、仮にそうでなくとも、キミはか弱い女性を夜の学校に、それも何か異変が起こっているかもしれない場所にひとりで行かせるのかい?」
「……」
俺は口をつぐまざるをえなかった。完膚なきまでに叩きのめされた敗北感を覚えながら、俺は首を横に振り、後頭部をかきむしって、
「……暴漢に襲われても期待するなよ。俺はこれでも怪我人なんだからな」
実際去年まではいわゆるスポーツマンであったが、無茶な練習がたたって左肩を故障した身である。推理部……というか穂村の方針により朝のロードワークだけは欠かしていないため体力だけは無駄にあるが、それだけだ。大の男に襲われたら三十秒と持たないだろう。
しかし口の減らない探偵はニヤリと笑って、
「——大丈夫さ。ボクはこれでも柔道の経験があるからね。助手のひとりやふたり守ってみせるよ」
「……そうかい。そりゃ安心だ」
よく考えなくても穂村の発言には矛盾があった。だが俺がそれを指摘したところでまた切れ味鋭い口撃を食らうことは目に見えていたので、俺は肩をすくめるだけにとどめた。
——穂村の減らず口には逆らうな。
それが俺を含めた古難学園に通う者たちが共通して抱く格言だった。
「はぁ……」
俺はため息を吐いて、それからせめて早く帰れるようにと話を進めることにした。
「……それで。例のユウレイってのはどこにいるんだよ」
「いくつかの目撃情報によれば、どうやら旧校舎の三階に出没するみたいだね」
「旧校舎だぁ?」
穂村からの情報に俺は声をあげる。なぜなら俺たちが今いるのは中央棟の二階。B棟と呼ばれるそこから旧校舎までは校舎ひとつ分離れていた。
「……おい、じゃあなんで俺たちはここにいるんだよ。出る場所がわかってんなら、はなっからそこで張ってた方がいいんじゃないのか?」
「本来ならね。でもそんな単純なことじゃないんだ」
「どういうことだ?」
俺は首を傾げる。どう考えても目撃されている現場で待ち伏せる方がいいように思えるが、探偵にしかわからない勘というものがあるのだろうか。
困惑する俺に穂村は咳払いをひとつして言った。
「つまりはね、モリタニくん。――そんなことをしたら事件は簡単に終わっちゃうかもしれないじゃないか」
「…………は?」
「せっかくの面白そうな出来事だ。やっぱり楽しみは飴のようにしゃぶり尽くさないとね」
「……お前は何を言ってるんだ?」
頭が痛くなってきた。本当にコイツは何を言っているのだろうか。常人とはかけ離れた探偵的思考に俺は呆然とする。
そんな俺に穂村は笑って、
「冗談だよ、モリタニくん。ボクだって分別はあるさ。いきなり張り込まないのは、ちゃんとした理由があるからなんだ」
「……ホントかよ、なんか嘘くせーなぁ」
俺が訝しく思っていると、穂村は薄く微笑んで、「例えばだけどね、モリタニくん」と人差し指を立てて言った。
「キミが今回の事件に何らかの形で関わっていたとして、事件の現場付近に通りがかったところを物陰で見張っていたボクに見られたとする。キミならどうする?」
「……そりゃあまぁ、やっぱ言い訳するだろうな。たまたま通りがかったんだとか言ってさ。罪を自白するわけにもいかないし」
「そう」と、穂村は満足げに頷いた。「大抵の場合、これから何かを犯そうとする人間が誰かにその現場を目撃されたとすると、言い訳をして逃れようとする。厄介なのはその言い訳に綻びがあっても追及できない場合だ。だからボクたち探偵はまず証拠を集めるんだ。犯人が決して言い逃れできないように、ね」
なるほど。確かに穂村の言い分には一理ある。……あるが、
「……でもなぁ、そんなことしてる間に被害が拡大するようなことがあったらどうするんだよ?」
「もちろんケースバイケースさ。ボクだって人命がかかっているのなら迅速に手を打つよ。でも今回はまだただの噂話に過ぎない。内容もどう考えても命に関わることじゃないしね」
「……」
まあ、言いたいことはあるが、しかし現時点では穂村の言う通り急を要するものと言えないのは事実だ。よくある七不思議みたいなもんで、あり得るのは何らかの脛に傷を持つ輩が不法侵入していることだが……可能性は薄いだろう。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と穂村は朗らかな声で、「ボクがいるんだ。最悪なことにはならないよ」
「……お前やっぱただ楽しんでるだけだろ」
「考えてみなよ、モリタニくん。いったい目の前の謎を解かずして答えを見ようとするなんて、探偵として存在意義があると言えるのかい?」
「……」
「それにそもそも、キミにとやかく……」
と、そこでなぜか穂村の言葉が不自然に途切れる。
「……おいどうした? 穂村?」
声をかける俺に探偵はニヤリと笑って、
「——どうやらお出ましのようだよ」
「なっ、マジかよ?!」
穂村の視線の先、窓越しに旧校舎の三階を見ると、ゆらめく光。淡い青系のぼんやりとした光の中に、緑に光る物体が宙に浮かんでいた。明らかな超常現象に俺は呆気に取られる。
「——行くよモリタニくん!」
「——お、おいっ!? 待てって、穂村ぁ!」
いち早く走り出した穂村のあとを俺は慌てて追いかける。推理部での朝練の成果か、身体は軽い。だがそれでも穂村の姿はどんどんと離れていく。
「ああ、くそっ! アイツはなんだってあんなに早いんだよ?!」
嘆く合間にも俺は足を動かして旧校舎へと急ぐ。木造の床を踏みしめ、ようやく旧校舎の三階にたどり着いた俺がみたものは穂村が現場である教室付近を調べている姿だけ。ユウレイらしき光は既に見えなくなっていた。
「はぁ、はぁ……ひとりで突っ走るなよ、穂村。もし危険な奴がいたらどうするんだ」
「事は一分一秒を争うんだ。そんな悠長なことは言ってられないよ。取り逃がしたら元も子もないだろ? ――だけど」
「……だけど?」
「今回は逃げられた、みたいだね」
残念そうに呟く穂村。しかし月明かりに照らされた穂村の顔は、まったく残念そうな顔には見えなかった。