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少年と腕と、絆創膏

作者: 甘木人

「ばんそうこうをください」


 そう、レジの上には緑色の箱が置かれる。


 まただ。

 こんな片田舎の薬局を訪れるのは、まだまだお迎えが訪れなさそうな高齢者とおよそ勉学とは遠縁そうな学生ばかりだ。だからこそ、彼の存在は印象に残っていた。


 小学校低学年くらいだろう。

 程よく日焼けした肌と、やや赤らんだ頬、ぱっちりとした大きな目が特徴的だ。


 毎週のように訪れては絆創膏を買っていく。

 毎回同じもの。一番安くて、一番枚数が多いもの。つまり、コスパが良いものを選んでいるらしく、頭は良いようだった。


 商品を置くと、彼はあらかじめ持っていた小銭を薄汚れたトレーの上に並べた。いつもどおりぴったりの金額だ。

 その時、ちらりと腕を見るが、やはり傷などはない。


「……ねえ、君」


 おせっかいだと分かっていても、口が動いてしまった。こうなると止まらない。


「毎週絆創膏買いに来るけどさ、誰か怪我でもしているの?」


 30枚入りの絆創膏が一週間でなくなるはずはない。ましてや、それが2か月も続いていれば気にもなる。

 家庭内暴力の可能性をどうしても疑ってしまう。昔から、面倒ごとと分かっていても放っておけない性質なのだ。


 少年は指を折りながら、何かを数える。

 けれども数えきれなくなったのか、小さく首を傾げた。


「うん。友だちなんだけど、いっぱいね、腕にキズがあるんだ」


 ああ、藪蛇だったか。

 ため息がこぼれた。 


 少年の服装や振る舞いを見ても、両親からの愛情を目いっぱいに受けて育っていることが感じ取れる。当然、その四肢にも傷はないし、薄着のTシャツから覗く首元にもアザなども見られなかった。虐待を受けているとは思えなかった。


 となれば憶測ができる。そして、少年の発言から十分に察することはできる。


 友人が虐待を受けている。

 少年は友人のために、お小遣いで絆創膏を買っている。そう考えれば不思議ではない。


 ここで我関せずにいられたらどれだけ楽なことだろうか。

 時計を確認すると休憩時間であった。インカム越しに店長に声をかける。気の抜けたような、活舌の悪い了承が返ってきた。


「ねえ、その友達のところに私もついて行っていいかな?」


 少年は大きな目をさらに大きく見開き、白い歯を覗かせて笑った。


「いいよ!」


 なんの意図すらない透明な返事だった。




 

 少年に案内されるまま、真夏の住宅街を歩く。

 廃屋と新築がモザイクのように入り混じった町が、昔から好きになれなかった。


 アスファルトからは陽炎がのぼる。けたたましいセミの鳴き声と車のエンジン音、線路を駆る電車の音。むわりと立ちこむ青草の臭い。

 決して快適ではないけれど、外に比べたら薬局内は天国のようだと、汗をぬぐいながら思う。


「どこまで行くの?」


「そこ!」


 しかし、少年は元気いっぱいだ。何をしていても楽しい時期なのだろう。


 指さす先には、錆びだらけのフェンスに囲まれた小屋があった。トタンで雑に組まれただけの資材置き場で、もはや管理者はいないようで、朽ち果てた資材が屍のように転がっている。大粒の砂利道を歩き、屋根の下に入ると、先ほどまでの熱気が嘘のように消え失せ、肌寒さすら感じた。


 蝉の鳴き声は遠く、響いていた自動車のエンジン音も影に吸われ、溶けていく。


「こ、ここ?」


 言葉に詰まってしまった。

 完全に予想外の場所だった。


 想像していてのは、普通の民家、あるいは集合住宅だ。

 少年に友人を呼びだしてもらい、事情を聴いた後に警察か児童相談所に連絡しようと考えていた。


 なのに、これはどういうことだ。

 埃と蜘蛛の巣、雑草まみれのここに人が住んでいるわけない。電気すらろくに通っていないのだろう、天井からは首吊り死体のように配線がゆらゆらと揺れている。


 先日の雨の影響でぬかるんだ道を少年は跳ぶように進んでいく。

 どこまで行くのだろうか。見失うような距離ではないのに、その背中が果てしなく遠く、闇夜に一人残されるような言いようのない不安感が募っていく。


 じっとりと重たい汗が噴き出していく。

 形容しがたい、異様な雰囲気だった。泥のせいだけとは思えないほど、靴が重く、鼻腔をつく埃の臭いに神経が苛立った。


 ぴたりと少年の足が止まった。

 彼の目の前には作業台があり、その一部にブルーシートがかけられている。


「ここなの? どこにいるの?」


 やはり、人の気配はない。それどころか生き物の気配すらない。わずかに聞こえていた蝉の鳴き声もついには止んでしまった。


 少年が指さす。

 そこはブルーシートで覆われた作業台の下。


 ああ、なんだ。捨て猫か捨て犬だ。きっと傷を負って、ここで治療しているのだ。

 小学生の出来る治療など、絆創膏をはるぐらいだろうし、それならば合点がいく。


 それが、あり得ないことは分かっていた。

 少年が絆創膏を買いに来るようになって2か月だ。仮にここにいるのが犬猫だとしたら、どうすればそれほどの量の絆創膏を使えるというのか。


 動物などではないと、察してしまう。

 けれども自身にそうだと言い聞かせるしかなかった。そうしないと、この異様な空気に呑まれてしまう気がしたからだ。


 ブルーシートが私の思考を嘲笑するように揺れた。

 ぬっと中から灰白色の丸太が出てきた。それは先端に五つの枝があり、幹にも枝にもびっしりと絆創膏が張られていた。丸太は少年と私の背丈ほど伸びた後、かくりと折れる。

 そして、枝がこちらに向かってくる。


 声も出なかった。

 ただその光景を眺めることしかできなかった。


 あり得ない。こんな長さのものが隠れられるスペースはない。いや、それ以前にこれは──。


 少年はポケットから絆創膏を取り出すと、枝の部分に丁寧に貼っていく。慣れたように、丁寧に優しく、そして。


「はりおわったよ」


 緊張感も恐怖感もない、この場において最も異常な声だった。

 すると丸太はするするとブルーシートの中にもぐる。そして、さらにシートが蠢く。


 無数の丸太が、否。


 異様に長く、大きいが、それは見覚えのあるもので。気づきたくない、分かってはいけないという思考を、目の前のそれは容赦なく押しのけ、醜悪な現実を突き付けてくる。


 そこにある無数の──『腕』が、『腕達』が伸びてくる。ひび割れた腕にはびっしりとヒビが走り、どす黒い血がにじんでいる。


 いっぱい傷があるんだと彼は言っていた。腕に傷があるんだと言っていた。

 そこに何一つ偽りはない。あるがままに、彼は言っていた。


 少年が一枚、また一枚と絆創膏を張っていく。一枚貼られると満足したように腕はシートの奥に消えていく。


 どれほど時間がたったのか。

 気が付けば腕は最後の一本になっており、私はその光景を震えながら見ている事しかできなかった。


 腕がシートの奥に消えると、寒気は消え失せ、聞こえなくなっていた音が鼓膜を叩いてくる。


「みたでしょ? あれがね、ともだち」


 瞬間、私は跳ねるように駆け出していた。

 何も見ていないと自身に言い聞かせ、名状しがたい現実を夢だと思い込もうとした。




 あれから一週間がたった。

 私は、そっと倉庫からレジを見つめている。決して見つからぬように、勘づかれないように。


「ばんそうこうをください」



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