~一日目~
「番よ、そなたを迎えに参ったぞ!」
少々乱暴にノックされたドアを恐る恐る開くと、目の前の男は居丈高な態度で言い放った。
――パタン。ガチャリ。
私はすぐさまドアを閉め鍵を掛け、見なかった事にした。
しばらくの間ドアをしつこくドンドンと叩きながら何事かを喚いていたが、両の耳を塞いで聞こえない振りをした。
それが彼との出会い一日目の出来事であった。
私はある日突然、いわゆる異世界転移をした。
新卒で入社してしまったブラック企業を退職し、明日から次の職場を探さねば、と意気込んでいたまさにその時。
突然目の前が真っ白の光に覆われ、眩しさのあまり目を瞑り、次に目を開いた時には見知らぬ土地にいた。
周囲の建物はというと、基本はヨーロッパ風――なのだが、他の地域の文化も取り入れられていたり、中には明らかに重力を無視しているような物さえあったりと、現代日本ではまずあり得ない光景であった。
また、道を行き交う人々の中には鎧を着込み剣を携えた戦士らしき人や、馬車だけでなく、馬とドラゴンを足して2で割ったような生き物に荷車を引かせている竜車? まで走っていた。
成る程、これはどう見ても異世界だ。未来の地球にタイムスリップした訳でもなく、まごう事なき異世界である。
ちなみに私がこの時立っていた場所は空き地であった。
普通、異世界転移と言ったらお城の魔法使い達に召喚され、勇者または聖女として魔王を倒す為に旅立つ――とかではないのだろうか。なぜに空き地。
空き地には召喚主らしき者の姿もない。
私は一体何故この世界に来てしまったのだろうか……。
ともあれまずは情報収集が必要であろう。
こういう時、普通はもっと取り乱すものなのかもしれない。
しかし私は来るものは拒まず、去る者は噛み付いたスッポン並みの執念深さで相手を逃さぬブラック企業のお手本のような会社に正々堂々と退職願いを提出し、上司達の引き留める手をかいくぐって見事退職をもぎ取った身である。
他者と比べて少々強メンタルかつ図太い自覚はある。
それに思い立ったらすぐ行動、が私の信条なのだ。
異世界に赴こうとも、そこは変わらない。
私はたまたま目が合った通りすがりの魔法使いらしき男性をロックオンし、私がこの世界に来た経緯説明と、この世界についての質問攻めの集中砲火を浴びせた。
鍔広の三角帽子とローブに身を包み、そしていわゆる使い魔という奴だろうか、翼の生えた小さなドラゴンを侍らせた、見るからに魔法使いといった出で立ちの男性である。彼は面倒な奴に絡まれてしまった、と言わんばかりに露骨に顔をしかめた。
ただの通りすがりを巻き込んでしまい大変申し訳なく思ってはいるのだが、私にとっては死活問題に関わる事ゆえ、こればかりは許して頂きたい。
面倒そうにしながらも魔法使いさんは私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれた。この世界の住人と言葉が通じる事にまずは安堵する。
彼の説明を要約すると。
この世界はやはり異世界であり、いわゆる剣と魔法のファンタジー世界。
だが地球との類似点が多く、太陽や月といった存在もあり、一日は24時間で一年は365日。閏年の概念もあるらしい。
魔王というのもかつては存在していたが、300年程前に勇者が討ち倒した結果、生き残った魔物達も弱体化し、世界は平和になった。
また、異世界の者を召喚する魔法も確かに存在はするが、それは禁術扱いである上に極めて高度な魔法であり、誰が何の目的で私を召喚したのかはわからない、との事だった。
すると住む場所も職も無いならばと、彼は私に薬草摘みの仕事を斡旋してくれた。
その薬草は煮て良し焼いて良し煎じて良し、の様々な薬の原料となる万能薬草だそうで、これまで薬草摘みの仕事をしていた人が先日定年退職してしまい、丁度後任者を探していたのだそうだ。
――どうやらファンタジー世界にも定年退職の制度はあるらしい。そちらの話についても若干気になるところではあるが、話の腰を折る訳にはいかないので口には出さないでおく。
薬草が自生している山には前任者が使っていた小屋があり、そこに住み込みで働いてみてはどうか、と彼は勧めてくれた。
右も左もわからず途方に暮れていた私としてはまさに地獄で仏であった。
薬草の売買はギルド経由で行われる為、ギルドの登録が必要との事で、魔法使いさんは私の代わりに所定の手続きまでおこなってくれた。
なんて親切な人なんだろう、と感激していたのだが、彼もまた件の薬草で薬を作っているらしく、自分で採りに行くのが面倒臭いので一刻も早く後任者を決めたかっただけらしい。
それでも彼のおかげで助かったのは事実である。
魔法使いさんはこの町の近くの森に住んでいるという。薬草の山には山菜や食べられる木の実も多いとの事なので、これらが採集出来た際には彼の家におすそ分けに行こうと思う。
ちなみに魔法使いさんにお名前を伺ってみたのだが、教えてもらう事は出来なかった。
どうやら魔法使いというのは職業柄、本名を隠している者が多いらしく、なんでも真名が外部に漏れると呪いを掛けられる恐れがあるのだとか。特に彼はかつて少々やんちゃをしていた時期があったそうで、今なお一部の者達に命を狙われる可能性も0ではないので念の為、だそうだ。
――比較的平和になった世界で暗殺の危険があるというのは穏やかでない。彼の過去に一体何があったというのか……。
だが万が一命の殺り合い抗争に巻き込まれたらたまったものではない為、あえてそれ以上は追及しなかった。好奇心は猫を殺す、深入りは禁物である。
ゆえに彼の事は今後も「魔法使いさん」と呼ぶことにした。
そんなこんなでこの世界での生活に慣れ始めてきたある日の夕暮れ、あの男は現れたのだった。
「番よ、そなたを迎えに参ったぞ!」などという意味不明な台詞と共に。