味は変わりませんが
昨夜は、早く休みたいだろうという配慮から、部屋での食事となったが、普段の食事は食事室に集まって取ることになっていると、昨夜と同じようにリュカが案内してくれた。
通り名の件で引き続きご機嫌らしいセナに、右手を拘束されたままやってきた食事室には、既にアデルが卓に付いていた。
食事を始めずに待っていてくれた様だ。
リタの姿を見とめると、立ち上がり軽い会釈で出迎えてくれる。
昨日出会ったばかりの、素性もはっきりしない異世界の小娘にも流石の紳士ぶりだ。
幼い頃から叩き込まれて来ただろう流れる様な自然で美しい所作が、彼が王族であることを改めて認識させてくれる。
リタも、王族より後に来てしまった非礼を詫びつつ、微笑んで優雅にカーテシーを返す。
右手は拘束されたままだったが、振り払うわけにもいかないので、そこは無視した。
この世界での、目上の者に対する礼儀が違わなければいいがと考えていたが、問題はないようだ。
アデルが僅かに目を細め、口元を緩める。
「おはよう。よく眠れた?」
「アデル様、おはようございます。お陰様でとても良く休めました。有り難く存じます」
「それは良かった。さあ、君もどうぞ」
「それでは、失礼を致します」
昨夜が夜会であったようには全く見えない、今日も爽やか美青年なアデルに勧められ、朝食の席に着く。
すかさず椅子を引いてくれたセナに、目礼で謝意を伝えると、隣の椅子に両手で顔を覆いへたり込んでしまった。
意外に此方も紳士の様だ。
「大丈夫ですか?お食事、食べられますか?」
やはり、具合が悪いのではないかと伺うと、力なくふるふると頭を振りながら、座り直している。
大人なのだから、駄目な時はちゃんと自分から休むだろうと、流しておく。
リタの客間を出てからこの食事室まで、ずっとぶつぶつと何か呟いていたリュカは、此方に着くなり席につき、既に黙々と朝食を食べている。
(通り名を付けるのがどういう事か、説明してくれなかったな。まぁ、なんともないし…)
リタは目に見えた実害が無ければ、特に気にしない。
魔力が働いた気配も無ければ、どこか痛むという事もない。
此方もいずれわかるだろうと流しておく。
程なくして、アデル、リタ、セナの朝食がテーブルに並び、アデルが食事を始めるのを待って、リタも食べ始めた。
ワンプレートの中に美しく盛られているのは、綺麗に形の整えられたオムレツ、フレッシュサラダ、生ハム、蜂蜜がかかった白カビのチーズ、果物で見た目にも楽しい。
別添えのかぼちゃのクリームスープが、ゆらゆらと湯気を立てている。
今朝も焼きたてらしいパンが数種類、中央に置かれたバスケットに盛られていて、リタはバターが香ばしいクロワッサンを選んだ。
まだ、ほんのりと温かさが残っていて、パリパリとした食感が美味しい。
セナはスライスされたカンパーニュに、レモンのマーマレードを乗せている。
アデルは意外にも甘いペストリーが好みのようだ。
リュカの方には、三人のものとは別でバスケットが置かれているが、中身はもう無くなっていて、此方のものに手を伸ばしている。
プレートも空になっていて、メイドがお代わりの皿と取り替えていた。
細い割によく食べるようで、見ていて気持ちがいい。
リュカの食べっぷりに感心しつつ、ちらりと横目で見たセナの皿の中身が、自分のものと同じであることに内心、ほっと息を吐く。
得体の知れないものが乗っていなくて良かった。
同じ食卓で猟奇的な場面には会いたくない。
普段口にするものは、人と変わらないようで安心だ。
「アデル様、お洋服のお気遣いまで、ありがとう存じます。遠慮なく着させていただきました」
「とてもよく似合ってるね。でも、用意したのは私ではないよ」
さり気なく褒めつつ、目線でセナが用意したのだと教えてくれる。
まさか、セナが用意してくれたとは思いもしなかった。
「そうだったんですね。セナ様、失礼しました。ありがとうございます」
「今回は急ぎだったからね。既製品で揃えてしまったけど、次からはちゃんと仕立ててあげるよ」
「嬉しいですが、用意していただいているもので十分ですよ。お支払い出来ませんし。あっ、今回の代金は此方で職を得たらお返ししますね」
服は高い。
しかも、クローゼットに入っていたものは、どれも上質な生地で出来ていて、デザインもとても良かった。
この世界の物価が分からないが、あの質の10着と靴の分を見ても、かなり金が掛かっているはずだ。
そこまで甘える訳にはいかないと、セナの申し出を断ると、セナはふるりと首を振る。
「代金の心配は必要ないよ。リタの身の回りのものは、全て私が揃えてあげる」
何故そこまでと思いはしたものの、有無を言わさないような微笑に、ケーキをデコレーションするようなものかと、妙に納得してしまう。
食事だろうがおやつだろうが、盛り付けは大事だ。
(見栄えがいい方が、より美味しそうだものね)
対価はいずれ、身体で払う事になりそうだと微笑んで頷き、向かいのアデルに視線を移す。
「ところで、昨夜の夜会は如何でしたか?…アデル様?」
特に此方の夜会に興味があったわけでは無いが、話題を変えようとアデルに水を向けた。
すると、アデルは首が奇妙な角度に曲がったまま、此方を見て固まっている。
手元はナイフが、オムレツに刺さったままでお行儀がよろしくない。
それにしても、今日はみんなよく石化する。
首は痛く無いのだろうかと、アデルと同じ様な角度に首を傾げてみた。
「アデル様?…如何されましたか?」
「…なぁ、リュカ?」
「俺は、知らない」
「え?だってさ…」
「知らない」
「でもさ、リュカ…」
「俺は、知らない。何も、知らない。だから、お前も、何も、知らない」
「………………わかった」
「ん、お利口さん。ほら、食べて」
石化したまま、到底一口では入りきらない大きさの白パンを、雑に口に詰め込まれたアデルは、口元だけ機械的に動かして咀嚼している。
多分、セナを通り名で呼んだことが原因だとは思うが、今は何を聞いても駄目だろう。
アデルが無事に白パンを全て飲み込むのを見届けた後は、自分の皿の上を空にすることに専念することにした。
「さて、昨日はどこまで話したんだったかな?」
朝食後、暫しの食休みを置いて、昨日と同じ部屋に、昨日と同じ様に、四人腰掛けている。
この執務室の主であるアデルは、きりりと場を仕切っている。
無事に石化が解けたようで何よりだ。
「私の保護人をセナ様にということと、なにか他にも頼みたい事があるとお伺い致しましたが」
「あぁ、そうだったね。実は、魔法省は管轄範囲が広い分、いつも人手が足りてないんだ。君さえ良ければだけど、此処で働く気は無いかい?」
「はい、喜んで」
「そうだよね。今は、この世界に来たばかりで、何も考えられないと理解はしているんだ。だけど、君の昨日からの様子を見ていると、君はもしかして、元の世界では王族ではなくとも、それなりの身分だったんじゃないかな?変わった服だったけど身なりは良かったし、王族と名乗った私と相対しても一切物怖じしない。朝も完璧な礼だったしね。昨夜、部屋に下がっても、一度もリュカを呼ばなかったと聞いてるよ。給水設備の使い方で戸惑うかと思ったけど、それも無かった様だね。きっと、裕福な環境で暮らしていたんだよね?此処で働いてくれれば、元の生活水準と同じとまでは行かないかもしれないけど、近いぐらいには保てると思うんだ」
「おいアデル、いいって言ってる。寧ろ、なんか喜んでる」
「うんうん。喜ぶのもわかるよ。だから、君にとっても悪い話では……え?なんて?喜んでる?働いてくれるの?」
長々と話させてしまって申し訳ないが、リュカが止めてくれるまで、本当に口を挟む隙が無かった。
以外と突っ走る傾向があるらしい。
しかし、成る程。
昨日から色々と様子を観察されていたようだ。
そこまで頭が回らなかったのもあるが、異世界だとわかった時点で隠すつもりは無かったので、別に構わない。
「はい、私でよろしければ喜んで。むしろ、職を見つけなければと思っていたので、雇って頂けるなら此方からお願いしたく存じます」
アデルの提案は、就職活動などした事が無いリタにとって、渡りに船だった。
実は、どう職を探せばいいか、何が出来るかも見当が付かず、少し面倒だなと思っていたのだ。
この世界に来たのは本当に偶然なのかなんなのかはどうでも良いが、せっかく与えられた機会だ。
今まで出来なかったことを色々してみてから、決めてもいいような気がする。
というか、死をもう一度体験するには、気持ちを作り直さなければ挑めないというのが正直なところだ。
元の世界で使った方法を此方の世界で使えるか、今はまだ不確定だが、此の世界の魔力の流れを感じた限りは可能性は低そうだ。
次は、痛かったり苦しかったりする方法を選ばなければいけない思うと、怯むのも当然だと思う。
激しくそう思う。
痛くしないなら、後々セナに食べてもらってもいい。
ただ死ぬより、誰かの糧になったほうが良いかも知れない。
ゆくゆくはちゃんとするので、暫し時間をくださいと、信じてもいない神に内心で赦しを乞う。
何にせよ、当面の食い扶持は必要だ。
「…………なんだ、心配いらなかったね」
アデルは、勝手に熱くなってしまったのを誤魔化すように、咳払いをして此方へ向き直る。
「良かった。本当に助かるよ!君にお願いしたい仕事は条件が少し変わっててね。希望者は結構居るんだけど条件を満たす人がなかなか見つからないんだ。その点、君は魔力量、耐性共に申し分なさそうだし、あとは番になってくれる魔者がいるかどうかなんだけど、君の場合はもう居るからね」
「……へぇ、随分と控えめな利用法だね」
得心した様なセナの横槍を避けるようなアデルに、にこっと爽やかに笑まれたが、リタには何のことかわからない。
はて?と首を傾げたところで、今日もリタの右手をおもちゃにしているセナに袖を引かれた。
セナは何も言わずに、ただ美しい虹色の瞳でじっと見返して来る。
「どうしました?あぁ、わかりました。セナ様が保護人だけではなく、お仕事のパートナー…番さんにもなってくれるということですね?」
ここでも、こくりとゆっくりひとつ頷くだけのセナの表情は心なしか嬉しそうだ。
(おやつが長期保存食になった…のかな?)
共に仕事をしてくれるというのだから、そんなにすぐ食べる予定はないのだろう。
此方としてもその方が助かると笑みを深めて頷くと、セナは両手で顔を覆ってしまう。
まだ気分がすぐれないのかもしれない。
そっとしておくことにした。
しかし、魔者と組んでの仕事とはどういったものなのか。
魔法省という場所柄で、書類事務関係や魔法研究かと当たりをつけて即答したはいいが、セナと一緒にとなるとどうやらそういった内容ではなさそうだ。
魔者がいる世界の初心者さんには想像もつかないが、そんなリタでも務まる仕事なのか今更、気掛かりになってくる。
「そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だって。魔者と人が共生するには、多少なりとも厄介事が起こるんだよね。その調整をしてくださいってこと」
「うん。彼らに人間の国境や法は関係ない話はしたと思うけど、少なくとも領土内にいる魔者との問題はその国で対処することになっているからね。言ってみれば、対魔者の外交官みたいなものかな」
「そんな格好良いものでもないでしょ。使い勝手の良い管理人ってとこだね」
リタの思案顔を拾ってくれたリュカと、アデルの間で表現にかなりの乖離があるが、要は人と魔者との間で起きた諍いをうまく納めて来いということか。
何それ、ちょっと面白そう。
「だから、どちらの意見も聴けるように、魔者さんとセットでということですね」
「そう。人間だけじゃ門前払いっていうこともよくあるからね。ただ、番になってくれる魔者がなかなか居なくて、ヴァシルクは現状、私とリュカを含めて三組の番で対応に当たってるんだ。君達が、引き受けてくれるとすごく助かるんだけど…大丈夫そうかな?」
少ないとは言っていたが、三組しかいないのか。
もしや激務なのではと思ったが、一度了承してしまったのだから、やるしかないだろう。
「忙しそうですが、セナ様はそれでもいいですか?」
「リタが望むなら」
一応確認をと思い、セナに聞いてみた。
答えはほぼ此方に委ねられたようなものだが、特に嫌ではないらしい。
せっかくおやつを長期保存できるなら、その機会は逃さないだろう。
リタとしても、なんだか面白そうだしやってみたい。
了解したと、微笑んで頷く。
しかし、一つどうしても言っておかなければいけないことがある。
恐らく、彼等は此れを想定していないはず。
それでも雇ってくれるだろうか。
「分かりました。お受け致します。ただ、私、魔法が使えませんが、それでもよろしいですか?」
「「「え?」」」
一斉に此方を見た三人に、もう慣れた反応だとほわほわ笑って肩を竦めた。