予感が当たりました
目を覚ますと、至近距離から此方を覗き込む息を呑むほど美しい虹色の瞳と視線がぶつかった。
(……近いなぁ…。不思議な色……近いけど。)
数度瞬き、首だけ気ごちなく傾けることで何とか叫ばずに済んだ。
そうして逃した視線の先に見えたのは何処か既視感のある、高貴な雰囲気の部屋の中だった。
(んー、ここは…)
逸らした顔をまた自分の方へ戻そうと顎に伸びてきた、長くて少しひんやりした指先をやんわり手で押しやりつつ、部屋を見渡す。
すると、綺麗な飴色の上質な木材を使ったローテーブルを挟んだ向かい側に、これまた趣味の良い上質な布張りの長椅子に腰掛けた人物が二人、なんとも言えない表情で此方を見ている。
部屋の調度品や二人の身なりを見る限り、やはりよく知っている様な高貴な身分の人種の住処で間違いないようだ。
(面倒臭くなりそうだな。…なんか、拙くない?)
ふと落ち着いて自分の体勢を考えれば、助けてもらった凄絶美貌青年の膝の上に所謂お姫様抱っこで抱えられているらしい。
…何この羞恥プレイ。
どのくらいこのままだったのだろうか?
見てないで助けて欲しいかなとそこそこ本気で考え始めたところで、それが顔に出たのか右向かいに座る青年が心底気の毒そうに口を開いた。
深い緑に金の装飾が華麗な盛装を見事に着こなしている。
「ごめん…ね?ベットに寝かせた方が良いって言ったんだけど…どうしても放してくれなくて。無理に引き剥がそうとして君を連れたまま何処かへ行かれてしまったら、困るなと思って。気分は?」
(王族さんかな?困る…私が?それとも…其方が?)
「…いえ…大事ない様です。…お気遣い、感謝致しま…す?…ふっ、くすぐったいです。新しいおはようのあいさつでしょうか…?」
そういえば、酷い目眩も吐き気もすっかり引いている。
先程は耳鳴りのことを除けば、酷く酒に酔った様な状態でとても自力で歩ける状態では無かったのが、なんの違和感も残っていなかった。
品のいい優しげな声で簡単になされた、この状態の説明と体調を気遣う問いに若干の引っ掛かりを感じつつ謝意を返すと、なぜか雪白の柔らかな髪色が珍しい頭が首元にぐりぐりと埋められた。
よく意味が理解ができない行動に僅かな苦笑が漏れる。
「良かったですね、白。でも止めてあげてくださいよ、その娘少し困ってます。ははっ。あんた、すごい落ち着いてるね。普通、落ちたばっかりって動揺してこっちの話なんて聞いてないよ。しかも、白がこんなに近くにいるのに。さすが、白に選ばれただけはある…っ!痛って!!アデル!本気で踏んだなっ!?」
ドンと鈍い音がした途端、左向かいに腰掛けていた涼しげな美形の青年が飛び上がる。
爪先を強く踏まれたらしい彼の背面からは、青玉を薄く削ったような鮮やかな青の翅が覗いていた。
こちらは翅の色によく合う青灰色の軍服が、細く締まった身体によく似合っている。
「お前の口がこれ以上滑らないようにな。…騒がしくてごめんね。まずは自己紹介からかな。私はこの国、ヴァシルクの王弟でアデリエールこっちは、リュカ。この通り、妖精だよ。君は?」
リタは妖精だと紹介された涙目の青年を大丈夫だろうかと眺めながら、身内と外部のものに対する態度の切り替えの速さはやはり王族だなと謎の感心をしつつ、凄絶美貌の頭をやんわり引き剥がした。
悲しげにしょげた姿を視界の端におき、可哀想なことをしたかな?と思ったものの、彼のことは先ほどの紹介でも触れられなかった為、まあいいかと流す。
しかし、王族を前にしてかなりの非礼を働いている状態を諌められていないのだから、彼もそれなりの身分があるのだろうか?
リュカの2人への言葉遣いの差にも引っかかる。
もしかしたら、まったく似ていないが、リュカの隣に座る淡い栗色の髪に若草色の瞳が理知的なアデルと同列かもしれない。
あまり不用意に突いて不興を買いたくなかった。
「名乗りもせず大変失礼を致しました。リタと申しまっ…、んー?」
「リタ…リタ…」
妖精の青年とあの話からいくつか大きな疑問が浮かんだが、男性の割には高く艶のある声がなぜかうっとりと耳元で繰り返す自身の名前に思わずびくりとしてしまう。
しかし、ここははっきりさせねばなるまい。想定していた事態とは大きく違うようなのだから。
「申し訳ございませんが、もう何とも無い様ですので、降ろして頂いても宜しいですか?膝上で大変失礼を致しました。ご配慮有難く存じます。重かったことでしょう。痺れてはいらっしゃいませんか?」
「…なんだろ、胸が苦しい…」
「お加減、優れませんか?申し訳ございません。すぐに失礼いたしますね」
少し身を捩り、不快だったからではないとの意味を込めほわりと微笑んで謝意を伝えれば、先ほどまでこれでもかと距離を詰めにかかっていた彼が、何故か口元に手を当てそっぽを向いてしまう。
やはり彼の方が具合が悪いのではないだろうか?それとも、機嫌を損ねてしまっただろうか?と首を傾げつつも、特に返答がないので取り敢えずそれは一旦置いておく事にした。
その隙に、膝の上から長椅子へ直接座る事に成功したが、すぐに少し慌てた様子の彼が膝に抱き直そうとする。
腰を捕らえようとする手をやんわり避け、また腰付近を彷徨いだす手を押し戻す…という静かな攻防の果てに、右手は彼に捕獲されてしまった。
この際それはもう致し方ない。
何よりあの羞恥に居た堪れなかったし、重要な話が右手ひとつの犠牲で進むならくれてやる。
中性的な見た目に反して意外に大きな両手で、決して逃さないかのように包み込まれる右手を、随分懐かれたものだと苦笑しつつ一瞥するに留めた。
このやり取りすら、生温く見守られていて少々居心地が悪かったが、彼の月長石の様な爪は綺麗だなと思った。
「アデリエール様、先程は何か大事な式典中だったのではないでしょうか?とてもお邪魔になったようなので申し訳ないのですが…私にも何故急にあの場所にいたのか、さっぱりわからなくて…。その後、支障なく済みましたでしょうか?」
「あぁ…うん、うーん?…うん。うん、大丈夫。君が気にすることは何もないよ。気を遣わせてしまったね。ありがとう」
一瞬の間に、様々な感情の動きが見えた気がしたが、後半はさらりと爽やかな笑顔で返されたので、ありがたく気にしないことにした。
不敬を問われるかと思ったが、それも無さそうなので一安心だ。
それに、重要なのはそこではないのだから。
「そうでしたか。それは安心致しました。…それで、アデリエール様、私、実は少し混乱してまして。妖精?とか落ちる?とか、どういうことでしょうか?此方はエランダル大陸の何処かの国ではないのですか?」
リタがある意味特殊だという明らかな証拠であるはずの銀髪紫眼に反応しないことから、あまり必要性は感じなかったが、一応所属している国名を避けて敢えて大陸の名称を出してみた。
当初想定していた範囲内であれば知っている国名が出るだろうし、現在地、引いては帰国手段の見当もつく。
この際、国よっては其方に就職先を変えてしまっても構わなかった。
ほとぼりが冷めるのを待ちつつ、また決心を固めればいい。
だがしかし…先ほどからの予感が当たっているとするならば…。
「全然、そうは見えないけどね。アデルでいいよ。リタ、ここにはそんな大陸存在しないよ。気の毒だけど、ここは君の今まで暮らしてきた場所とは、世界ごとまるっと違うんだ。少し休みたいだろうけど、知らないまま一晩過ごす方が辛いと思うから、時間を掛けて説明させて貰うね」
「…………」
アデルから返ってきたのはやはりここが、これまで生きてきた場所ではないという、にわかには信じがたい答えだった。
大方予想はしていたものの、流石に少しくらりとする。
真っ先に考えたのは、なぜ?どうして?という事よりも、自分の過去の足跡がない場所でなら生きられるだろうか?生きてもいいだろうか?という随分と現金で利己的なものだった。
(耐えられる…?)
犯した罪はどんな理由があろうと許されるものではない。
だから、全て終われば自分も消えようと初めから決めていた。
自責の念などという高尚なものではなく、ただ背負って生きていく勇気がなかったから。
しかし、こうして目の前に新たな選択肢を提示された途端に容易く揺れる覚悟に内心、自嘲が漏れた。
その罪は例え世界が変わったのだとしても自身の中
から消えるものでは無い。
それは十分に解っている。
だが、まっさらな此処ならば、一から自分を作り直していけるだろうか。
何もかもこの胸に仕舞い込んで、何も無かったように歩めるだろうか。
この疎ましい銀髪紫眼と。
思考が深みに嵌りかけたところで不意に体が浮いた。
再び凄絶美貌の膝の上に回収されたと気づいた時には、後方からお腹へぐるりと白い腕が固定された後だった。
感情を表情に出したつもりは無かったが、慰めてくれているのだろうか?
先程よりも強めのぐりぐりを頸に落とされる。
図らずも、現実に呼び戻してくれたこそばゆさに少し感謝した。
「…お手間をお掛けいたしますが、お願いしても宜しいですか?」
取り敢えず、まずは話を聞いてみようと頭と心をリセットし、ぐりぐりはそのままにゆるりと微笑んでアデルを促した。