捕まりました
「っ、…んー?…困りました…どこ…ですかね?ここ…」
言うほど困っていなさそうなどこか間延びした声音が呟く。こてんと首を傾げた拍子に酷い目眩がした。耳鳴りが煩い。
少しでも動くと吐きそうで蹲み込んでしまう。それでも回らない頭で考えた。
(想定外…結構な覚悟で飛び込んだんだけどな…)
本懐は果たした。後悔は微塵もない。ただ、けじめとして自分自身も終わらせるつもりだった。それなのに。
(まさか、今まで呑み込まれたものも、全部ここに?…でも、呑まれた人が帰って来たなんて話聞いたこと…まして、家や木が降って来たらかなり大騒ぎになるはず。あ…そういえば、フルートが無い…物は対象外?)
ふと気付けば、胸に抱いて飛び込んだはずの大事な仕事道具が無かった。わからない事だらけだ。取り敢えず、この状況を何とかしなければならない。
ぐるりと見渡せば、大きな円形の野外演芸場の舞台装飾の上にいるようだ。かなり高さがある装飾だ。昇降用の梯子があればいいが。
国家的な催しなのか、階段状に連なる観客席にはざっと見る限り身分の高そうな者も多数いる気がした。
だが、見知った様な影はない。そんな中、かなり注目を集めてしまっている。こちらへ向かってくる衛兵の姿も見えた。
拙い。とても拙い。ここがどこなのかはっきりしない以上、あまり髪と瞳の色を人目に晒す訳にはいかなかった。銀髪紫眼の持つ意味は大きすぎる。
ましてや、明るい陽光の下では髪にも瞳にも少しだけ混じる金色が悪目立ちする。
(もう遅いかもしれないけど…)
さりげなく濃紺に緻細な銀の刺繍が施されたローブのフードを被る。
次に取るべき行動を逡巡するが、徐々に戻ってきた聴覚に思考が邪魔をされた。
そこにはいなかったはずの人が急に現れたのだからやはりそこそこの騒ぎになっているようだった。
聞こえて来る騒めきを意識的に拾えば、言葉は分かる。…だが、端々の単語の意味が取れない。
(テン…イ、…転移?ニュアンス的には移動手段なのかな?…オチボシ?…こっちはわからないな…)
よく聞けば、どうも自身の突然の登場に驚いているわけではなさそうだ。大方が非常識だというような内容で途切れ途切れに聞こえて来る。
ともかく、使用言語は普段使っているものと同じ様だ。それならば、彼の国から出たわけではないのかもしれない。
王侯貴族も全て顔を知っているわけではないが、それだけで判断してしまうには弱い。
仕事柄、様々な場所に出向くため国内の主要な施設等は頭に入っている。しかし、このように大規模な野外劇場に覚えは無かった。
(…だとすれば、国境を接している3ヵ国のうちどれかだったら同言語圏内…。北と南のどちらかであればいいけど…。)
色々と後暗い噂の絶えない東方の大国は勘弁して欲しい。恐らく帰れないだろう。
特に彼の国に思い入れがあるわけではないが、東方辺境で使い潰されるよりはよほどマシだ。
捨てようとした命とはいえ、辛い思いをしたいわけではない。
そう思う程度には、まだ自分が可愛いらしい。思わず僅かな苦笑が漏れた。
北と南なら友好国であるし何度か仕事に赴いたこともあるので、保護してくれるだろう。
しかし、両国にここまで大きな施設を建築、維持できる国力があるか疑問だ。
一番嫌な可能性が濃くなったところで、早く立ち去らねばと思うものの、未だ強く目眩の残る身体は思うように動いてくれそうになかった。
上演中の演目を邪魔した感も居た堪れない。抗議のような声も大きくなっている気がする。
なんとか立ち上がり一歩踏み出す。しかし、やはりふらつき、祭壇を模しているらしい然程幅のない壇上で背面から倒れた。というか、落ちた。
(あっ、死んだかも…まぁ、いいか。そのつもりだったし。お片付けよろしくお願いします。申し訳ないけど)
とは言え、痛いのは嫌だなと目を瞑り覚悟した衝撃は襲って来なかった。
「大丈夫?」
思いがけず、かなり近距離から問いかけられた声に反射的に目を見開けば、人では有り得ないほどの美貌に抱き留められていた。
…そこに誰かいただろうか?
舞台上にはおそらく数人の演者がいただろう。
だが、それよりも建物二階分ほど高くなっているここには自分以外の誰もいなかったはずだ。何より見落とすほど広くない。
一体、どこから?
「ねぇ、大丈夫?」
その思考も、続けて問いかけてきた中性的で蠱惑的だが温度を感じない声に完全に遮断された。過ぎた美貌は人の行動も思考も止めてしまうらしい。
ひとつ勉強になった。
この凄絶美貌の登場により、先程まで騒めいていた人々が波を打ったように息を詰めている。
図らずも注目度は最高潮だろう。
ここがどこであれ、捕らえられてしまっては今更何をしようと手遅れだ。
この腕から逃れたとしても、まともに歩けもせず、思考停止している状態でどうするというのか。
そもそも、気分がすこぶる悪い。耳鳴りが再発し、もう目を開けているのも辛かった。
身体の要求に従い素直に意識を飛ばすことにした。
もう、なるようになれ。
「あれ?…寝ちゃった」
凄絶美貌の長身は、腕の中でぐったりとしてしまった彼女を不思議そうに眺める。
華奢な女性のものとはいえ完全に脱力した身体を腕のみで支える彼は、細身であるにも関わらず、まるで重さなど感じていないかのように少しも揺るがない。
堅く閉じられてしまった陽光を弾いて煌めいていた金と銀の虹彩が散る瞳を少し惜しく思う。淡いライラック色の瞳が綺麗だった。
それに彼女の持つ全体的に淡い色味は、酷く魔者好みだ。
(もう少し、見ていたかったな。…?)
何かに気がついたのか、さらりと風に揺れたほんの少しだけ金が混ざる癖のない真っ直ぐな彼女の銀髪を一束手にとり、香りを確かめるように自らの顔に寄せた。
途端に、中性的な美しさのその顔にごく間近で見ていなければ気が付かないほどの薄い笑みが浮かぶ。
少し変わった雰囲気を感じたのだ。
別の階層の世界から何かのきっかけで流れてくる人間は、特段珍しくはない。
流れてくる時は世界に少し歪みができるので、その修復はするが落ちた人間に接触したことは無い。そもそも人間にあまり興味が無い。
長く生きる中で、気まぐれに人間社会に手を加えたことはあるが、人間そのものと関わったことは無いかもしれない。
でも、何故だか触れてみようと思った。手慰み程度にはなるかも知れないと。
だが、この落ち星は…。
彼女を繊細なガラス細工を扱うように、丁寧に大事に胸へ抱え直したところで後ろから声をかけられた。
「はぁ…寝たんじゃないですよ。気を失ったんです。あーあぁ…観客も、王族ですら固まってるじゃないですか…。来るならせめて少し色を混ぜてきてくださいよ。まんまのあなたを初見で、しかもこんなに近くで直視したんです。当てられたんですよ。可哀想に…」
「でも、それじゃ間に合わなかった。この高さから落ちたら…人の子は死んでしまう、多分ね…」
自らと同じように転移魔法でこの場にやって来た、鮮やかな青い翅を持つ顔見知りの妖精の青年に、小首を傾げて返す。
「んー、最悪そうでしょうね。よくても大怪我します。そこはありがとうございました。その娘、綺麗だったから演出かと思って出遅れました。騒ぎもしないし。…そもそも何で来たんです?どんな招待も無視するくせに。あっ、その娘こっちに渡してください。落ち星でしょうから、こちらで庇護します」
言葉と共に伸ばされた青年の腕から彼女を庇うように避け、虹色の虹彩を持つ瞳を不機嫌に細めた。自分以外の誰かにこの娘を触れられたくなどなかった。
「嫌」
「は?何その潔い拒絶。駄々捏ねてないで、早く渡してください。そんなに興味もないでしょ?俺ら掃けないと、舞台、終わんないから。もうそれどころじゃなさそうだけど。それにあなたの登場で固まってた淑女方から悲鳴があがってるんです。…チッ、男も混じってんな…白王はモテますね。あー…第二王女が発狂寸前だわ…面倒臭ぁ…」
孤高の白王。それが凄絶美貌の持ち主の俗称である。創世の魔者とも呼ばれ、魔者事情に明るくない人間の間ではこちらの方が広く知られている。
人間の眼前に出てくることは滅多にないが、その容姿の特徴だけは他に類を見ない為あまりにも有名だ。
強く鮮やかな色を纏うほど強者で序列が高いとされる魔物の中で、唯一の白を纏う者。
不可侵の白と称される雪白に銀が煌めく柔らかな癖の髪に、様々な色が複雑に混じり合う多色虹彩の瞳。
一度その姿を目にしたものは、幸運に恵まれるとも、逆に一生分の運をそこで使い果たし、後の人生は不幸に見舞われるともされる、男性とも女性ともつかぬ凄絶な美貌。
その半ば伝説じみた、死ぬまでに一度は目にしたいようなしたくないような魔者ランキング堂々一位の憧れの魔者が目の前に突然現れたのだ。
ヴァシルク王国建国800年を祝う盛大な祭典が行われている王立野外劇場は、今、初恋に出会ったような男女入り乱れる阿鼻叫喚の様相を呈していた。
さも鬱陶しそうに場内を一瞥した白い魔者は、涼しげな目元が特徴的な美形の妖精に視線を向ける。
「駄目。この娘は抱いてるよ。…ここ、煩い。リュカ、案内してくれるよね?」
端的にどこか適当な部屋を貸せと要求された、リュカと呼ばれた青年は思わず翅と同色の双眸で空を見上げた。
「…本気でなんなの?この忙しい日に俺を殺す気ですか?まだやることたくさんあるのに…」
ぶつぶつ呟きながらも、転移魔法を大人しく編んだ。相手は魔者の王だ。逆らえるはずもない。消されるよりマシだと、自らを納得させ嘆息した。
もう、なるようになれ。