馬とゴリラの併走
イストリア学園は、王族や貴族の子女が通う上流階級御用達の学園だ。なんていうか、思いつく限りの贅が尽くされた『ぼくがかんがえたさいこうのがっこう』って感じ。
広大な敷地に最新の設備、豪華な内装に、中世ヨーロッパ風と言いながらも、現代日本基準の清潔感と、世界中のいいところだけをかき集めたような作りをしている。
ターゲット層が十代女子メインだからか、女子が憧れるお姫様生活が送れそうなものは取り敢えず何でも詰まっていて。たとえば寮の部屋はあんな感じだし、使用人さんは常に十分なくらい配備されてるし、学食はホテルのバイキングそのものだし……そんな世界に突然月の聖女だからというだけで放り込まれた平民のヒロイン、わりと可哀想だと思う。アウェイどころじゃない。
当然、この学校にはヒロイン以外の平民はいない。ていうか敷居が高すぎて学園の門に近付けもしない。学園では上流階級のマナーが身についていて当然とされていて、それが出来ない人間は存在するはずがない。と、ヒロインが言われたのを周回の度に見てきた。
俯いて謝る姿は痛々しくて、私だったら物理的に黙らせてたのにと何度思ったか。でも聖女が物理行使はきっと良くないんだと思う。たぶん。
「……当面の目的は、大人しくすることでいいかな……」
学園内を散策しながらそんなことを思っていると、乗馬エリアに差し掛かった。ここは馬術を習うところで、並足や駆け足だけじゃなく、障害物走が出来る場所もある。授業がないときはどうしているんだろうと思ったら、騎手の人が走らせてるみたい。
柵に捕まって眺めていると、手綱を引いて歩かせていた人が近付いてきた。
「どうされました? 今日は、授業はないはずですが」
「ごめんなさい、邪魔するつもりはなかったんですけど……走れる場所を探してて」
「それは、馬で、ということですか?」
私は首を振って、自前の脚で走りたいと言った。基本的に、貴族令嬢は一応歩くことはあるけど走るなんてとんでもないことで、だからか馬丁さんも驚いた顔をした。
「私は貴族の生まれではないので」
「では、あなたが……」
「はい」
馬術場を見ると、走らせているのは平坦な敷地のほうだけみたいで、障害物走のほうはあいている。
「あの……障害物走のコース、走ってみてもいいですか?」
「えっ」
うん……まあ、驚くよね。わかる。
背後を振り返って二度見してから、馬丁さんは「ちょっと待っててください」と言ってどこかへ駆けていった。たぶんここを管理している人に聞きにいったんだろうな。何だかお手数かけちゃって申し訳ない。
暫くして、さっきの人が一枚の紙と羽ペンを手に戻って来た。
「こちらの同意書にサイン頂いた上で、でしたら問題ないそうです」
「はーい」
渡された紙には、簡単に言うと「うっかり怪我をしても訴えません」と証明する内容が書かれていた。無茶なお願いをしてるのは重々わかってるし、全文に目を通してサインをした。
「では、どうぞ」
「ありがとうございます」
ゲートを開けてもらって中に入ると、馬丁さんが連れている馬が顔を寄せてきた。傍で見ると滅茶苦茶デカい。
「ちょっとコース借りるね」
頬の辺りを撫でながら言うと、馬も答えるように鼻を鳴らした。
平坦なコースの端を横断して、もう一つのゲートを抜けると、スタート地点に立った。
「ハードルたっかいなぁ」
当たり前だけど馬のサイズに合わせて作ってあるから、普通に跳ぶのは難しい。良くて足を引っかけて頭から落ちるか、ゴールテープをぶっちぎる格好で突っ込む羽目になる。
他にも積み重ねた丸太が並んでいたり、ちょっとした幅の溝に水が張られていたりと、なかなか楽しいコースになっている。全長は八百メートルくらい。普通に走る分には全然物足りない長さだけど、これらを乗り越えながらだとそれなりの運動にはなりそう。
入念に準備体操をしてから、軽くその場で飛び跳ねてみる。見た目の変化具合のわりに違和感はなさそう。あとはどれだけこの体が動けるか。
「……よしっ!」
両手で頬を叩くと姿勢を低くして、一気に駆け出した。
「うわ……!」
以前より、ずっと体が軽い。これが二次元補正というものだろうか。線の細いエルフが身長ほどもある弓を軽々引けちゃうとか、小さい女の子がデカい武器振り回すあれ。実際体験してみると違和感が凄いけど、体の軽さは癖になりそう。
一つ目のハードルは、がっちり固定された胸の高さのポールだ。片手を置いて、地面を蹴り上げて宙返りをしながら飛び越える。勢いを殺さないようそのまま走り抜けると次の障害物へ。次は山積みの丸太だから、普通のハードルと同じ跳び方で越えた。浅いプールみたいな障害は幅跳びの要領で越えて、次の高いポールは頭から飛び込み受け身を取って立ち上がるのと同時に走り出す。
そうして全部の障害を走り抜けてゴール地点に着くと、走ってきたコースを振り返って息を吐いた。
「楽しかったー! から、もう一回だけ……」
真上に伸びをして、息を整えてからもう一周だけ走ろうとスタート地点に立った。軽く跳ねてから駆け出した、そのとき。
「ああっ!?」
背後から慌てたような声がして、何だろうって思っていたら、風を感じたのと同時に、隣に大きな影が並んだ。
「えぇ!?」
視界の端に、さっきの馬が私に併走している様子が映った。幻覚かと思ったけど、遠い背後で焦ってる馬丁さんの声がするから、手綱を振り切ってきちゃったんだろう。でも、走ってる馬に飛び乗るなんて芸当は出来ないから、私はせめてゴールを目指してこの子を間接的に送り届けようと思った。
同じタイミングでポールを飛び、丸太を越えてプールを飛び越える。走ってて思った。この子はさっきから、まるで琉球競馬みたいに息を合わせてくる。一度見ただけで、私の走りを覚えたんだ。
「凄い……!」
なにこれ楽しい。馬と併走する日が来るなんて、元の世界でだって夢にも思わなかったことだ。
最後のハードルを飛び込んで前回り受け身を取ると、私の頭上を馬が飛び越えていき、私が立ち上がったタイミングに合わせて横に並んだ。最後の直線を駆け抜けて、ゴールについた瞬間、私は馬の首に飛びついて抱きしめていた。




