優しいともだち
あとから聞いた話。
私は王子の頭上を飛び越えて、バインドが解けた瞬間上体を僅かに浮かしたシャーディ先輩を、拳一つで吹き飛ばしたらしい。
火事場の馬鹿力って凄い。そういうことにしておく。
「先輩っ!!」
吹き飛んだシャーディ先輩の元へ駆け寄り、膝をついて抱き起こす。先輩は獣の姿から人の姿に戻っていて、私が呼びかけ続けるとうっすら目を開いた。
「せ、先輩、大丈夫ですか!? 何処か痛いところは……」
まくし立てる私の頬に先輩の手が触れた。あまりにもか弱くて、そよ風が触れたような感触だった。
「ニーナ……いた、い……?」
「違……わ、私じゃなくて……」
そう言ったとき、先輩の頬に水が一滴、したたり落ちた。雨が降ってきたのかと思って見上げても、相変わらずの晴天。なら、なんで。
「泣か、な、いで……いい子、いい子……」
私の疑問に答えるように、シャーディ先輩が震える手で私を撫でた。それが苦しくて、泣き止まなきゃ先輩も安心出来ないって思うのに、あとから溢れて止まらない。
「ニーナ……先輩を運びますわ」
「エリシアちゃん……ごめん、お願い……」
「貸せ。俺が運ぶ」
エリシアちゃんと一緒に来ていた王子がシャーディ先輩を抱え上げると、私に一瞥だけくれて救護室へと去って行った。
私はというと、補助魔法の班に戻る気にもなれず、かといって、王子を追ったところでなにが出来るわけでもなく。ただその場に座り込んだままぼうっとしていた。
エリシアちゃんの杖の暴発に始まり、馬への違法魔術の行使、そして今回のシャーディ先輩に対する、不意打ちでの錯乱魔法の使用。気に入らない相手を陥れるためなら、命に関わることだって平気でするような人たちが当たり前にいることが信じられない。
一緒に勉強したくてきてくれたシャーディ先輩が、これでまた教室に近付かなくなってしまったらと思うと、悔しくて仕方ない。
実は、ゲームにもシャーディ先輩の獣化イベントはあった。先輩との好感度が上がると発生する固定イベントで、このあと起きる会話イベントで「本性が獣だとしても傍にいてくれるか」みたいな問いに頷くとルートが固定されるんだった気がする。
正直ゲームをしていたときはただのイベントとして見てた出来事も、現実として見ると怖くて仕方がない。だって、一つ間違ったら王子やエリシアちゃんが大怪我していたかも知れないし、シャーディ先輩がもっとひどい目に遭ったかも知れない。
「エリシアちゃん……あのね、シャーディ先輩、あのとき少し笑ってくれたんだ。授業に出るって言ったとき……ほんの少しだけ」
「……ええ。わたくしも見ましたわ。とても優しい、やわらかな表情でした」
「そんな先輩が、なんであんな目に遭わなきゃいけなかったのかな……やっと一緒に授業受けてくれるようになると思ったのに……」
エリシアちゃんを力なく見上げる私の視界に、小さな金色の鳥が舞い込んできた。その小鳥はエリシアちゃんの肩に留まると、愛らしい声で囀る。
「わかりましたわ。……ニーナ、殿下がお呼びですわ。参りましょう」
「え、王子が? うん、わかった……」
エリシアちゃんの手を借りて立ち上がり、中庭をあとにする。
先生も他の生徒も授業どころじゃなくなっていて、後日改めて日程が組まれるみたいなことを後ろで話しているのが聞こえてきた。
そういえば、さっきの集団の中にロザリオ先輩とへたり込んでいた先輩の姿がなかった気がした。とはいえ、戻って訊ねるようなことでもないし、元凶と思しき先輩には殊の外興味もないからどうでもいいんだけど。
「殿下。ニーナをお連れ致しましたわ」
「入れ」
救護室前でエリシアちゃんが声をかけると、中から短く応答があった。
扉を開ければシャーディ先輩は枕を背にリクライニングベッドを少しだけ起こした形でこっちを見ていて、その傍に王子が足を組んで座っていた。
「シャーディ先輩、怪我は……」
「へいき。何ともない」
傍まで寄りながら訊ねると、シャーディ先輩は淡く笑って答えた。見たところ何処にも傷はなさそうだし、何処か折れてるとか打ち身になってる感じもなさそう。獣人は人よりずっと頑丈だとは聞いていたけれど、此処までとは。
でも、丈夫な体を持っているからって、なにをされてもへいきなわけがない。
「すみません。咄嗟だったのでなにも考えられなくて……」
「一年はまだ弱体魔法関連を習っていないからな」
「弱体魔法……二年で習う魔法ですよね。あの先輩は、どうしてあんなこと……」
上級生にならないと習わない弱体魔法は、文字通り相手の身体能力や精神を弱らせる、学園では禁止魔法扱いになっているものだ。座学や実技で習いはするけれど、人に向けて撃ってはいけませんっていうのはいくつかあって、当たり前だけど攻撃魔法とかもそれに含まれる。
シャーディ先輩が使われた錯乱魔法は、幻覚を見せるものだったり、単純に前後不覚にするものだったりして、程度によっては周りを傷つけたり自傷したり……ひどいときは、命まで奪われかねない危険なものだ。
そんな魔法を使ったあの人は、攻撃魔法による直接的なものじゃなくても明確な殺意があったとみなされてもおかしくない。
俯いてグルグル考えていたら、私の手をシャーディ先輩がそっと握った。
「ニーナ、ありがと」
「え……?」
私、お礼を言われるようなことなんてしたっけ? と思っていたら、シャーディ先輩はまた私の頭を撫でながら言ってくれた。
「たすけてくれて、ありがと。おれ、いつもきらわれる。獣で、おっきいから、こわくてきらいだって。でもニーナ、たすけてくれた。王子も」
「ベスティア王国との関係悪化は俺も望むところではない。当然のことをしたまでだ」
王子がツンデレみたいな台詞を吐くと、シャーディ先輩はきょとんとして首を傾げた。先輩は所謂外国人留学生ってやつで、言葉が難しいとたまにわからないことがあるみたいだから、今回もそれかも知れない。
「だから……」
「王子も先輩とお友達になりたいんですって」
「なっ!」
また回りくどい言い方になりそうだったから、私がもの凄く簡単に訳してみた。
王子は目を見開いてから私を睨んできたけれど、シャーディ先輩は一瞬言葉を反芻する仕草をしてからふわりと破顔した。
「ともだち。王子、おれと、ともだち?」
「……まあ、貴様がそれを望むというのであれば、吝かではないな」
またシャーディ先輩が首を傾げている。
王子は暫く唸ってから溜息を吐いて「そうだ、友達だ」と言い直した。
「ニーナ。おれ、ともだちふえた。ニーナと、姫様と、王子」
「えへへ、良かったですね」
うれしそうな先輩と、変に照れる王子と、微笑ましそうに見守るエリシアちゃん。
そんな和やかな空気の中、扉を開けてロザリオ先輩が入ってきた。
「オーギュスト、ちょっと」
ロザリオ先輩は何の用事で来たのか言わなかった。でも、あの固い声と表情からなにか感じ取ったのか、王子は一瞬で神妙な顔つきになって外へ出て行った。




