素数を数えよ
――――ええと。落ち着いて、素数を数えてから、なにがあったのか思い出そう。
「一、十、百、千、万……違う。これじゃ鑑定団だ。落ち着け私」
確か、もう何回目かもわからないくらい見たエンディングのあと、画面が切り替わってメッセージウィンドウが表示されたんだっけ。それで、クリア特典っぽい新しいルートがあるみたいなことが書かれてたから『はい』を選択した。ここまではいい。……で?
「なんで私は、イストリア学園の救護室によく似た天井を見上げているんだろう?」
やりすぎて幻覚でも見てるのだろうか。
それとも本当に月曜日が爆発四散したんだろうか。
体を起こすと、人生で一度も着たことがないひらひらで可愛らしいアイドル衣装っぽい制服を着ていて、思わず二度見した。両手を目の前に持ってきて握ってみるけれど、特に違和感はない。
周りを見回すと、寮の救護室らしき光景が広がっていた。白い清潔なベッドに、薬草の何とも言えない青い匂い。現実世界の保健室と似ているようで少し違う内装は、ゲームで何度も見た背景だ。
恐る恐る胸元に手を当ててみると、硬い感触がした。ゲームの中でヒロインは寮の鍵をペンダントにして胸に下げているのを思い出したから。
「……部屋があるとは思えないけど、行ってみるだけなら……」
救護室の先生はどこかへいっているみたいだから、そっと抜け出してこっそり戻れば、たぶん大丈夫なはず。
救護室を出て設定を参考に三階まで上がると、一番奥の部屋の前に立った。
「まさか……ほんとに……?」
鍵に刻まれた紋様と、部屋のプレートは同じ。試しに合わせてみると、カチリと小さな音がして扉が開いた。
「ほんとだ……」
扉の向こうには、画面越しだけど親の顔より見た寮の内装がそのままそこにあった。
お姫様の部屋みたいな家具に、雑貨に、ベッド。ゲームの世界だからか何でもありで、高校の寮なのに一人一部屋だし、天蓋付ベッドだし、部屋にお風呂はついてるしだったと記憶している。
恐る恐る記憶にあるバスルームへの扉を開くと、本当にそこはバスルームだった。白と金の豪奢な作りに、ホテルみたいな猫足のバスタブ。シャワーも完備で、タオルはいつもふかふかなものが用意されている。
「………………なるほど、夢か!」
それなら納得。
周回しまくってるうちに、月曜日から逃げたいあまり寝てしまったんだ。絶対そうだ。
じゃなかったら、こんなことになっているわけがない。だってあれはゲームだから。
気が済んだし、救護室へ戻ることにする。なにがあったのかわからないけど、あそこにいたなら勝手に消えたりしないほうがいいだろうから。あと、万が一この鍵が自分のじゃなかったら不法侵入になっちゃうし。
「リアルな夢だなぁ……」
ベッドに腰掛けてやっと自分を落ち着かせたところで、救護室の扉がコンコンとノックされた。
「はーい」
いったい誰だろうと思いながら、扉を開ける。と、そこにいたのは、ライバルキャラのエリシアお嬢様だった。夢の舞台がイストリア学園なんだから、お嬢様が女子寮にいてもなんの不思議もない。
いるのは別に不思議じゃないんだけど、エリシアお嬢様は私の顔をじっと見つめたままフリーズしたかのように動かない。まさか、夢でもフリーズってあるの?
「えっと……なにかご用、ですか?」
なんて思いながら訊ねた瞬間、ふわりとやわらかいものに全身が包まれた。
「は……ぇ? な……なに……?」
「よかった……!」
混乱する私の耳元で、涙に濡れたような声がした。ゲームのテキストで見ていたときの印象よりずっと優しくて、やわらかい声だ。
エリシアお嬢様に抱きしめられていることに気付いたのは、それから何秒か経ってからだった。マシュマロか真綿にでも包まれているかのようなふわふわ感と、甘い匂いが私を捕らえて放さない。本物のお嬢様って、こんなにもやわらかくていい匂いなんだ……って変態じみた思考が過ぎり始めた頃、そっと体が離れた。
まさか、心を読まれた……?
「ニーナ、ほんとうにごめんなさい……」
「え……と?」
ニーナっていうのは、私がゲームに登録したヒロインの名前だ。ニーナ・キリエという本名をわりとそのままカタカナにした名前は、気恥ずかしさを緩和しつつ、でも没入感を損なわず、いい感じにゲームに浸らせてくれた。
その名前で呼ぶってことは、やっぱりゲームの夢を見ているんだ。
「なにか、あったっけ……?」
私が疑問をそのまま口にしたら、エリシアお嬢様はとうとう泣き出してしまった。
なんか私が泣かしてるみたいだったから慌てて救護室に引き込んでベッドに座らせた。私も隣に座って背中を撫でてあげると、暫く泣いてからやっと落ち着いてくれた。
「ごめんなさい……わたくしの魔法のせいで、ニーナが……」
「魔法……?」
エリシアお嬢様と魔法、そして、謝罪案件がヒロインの身に降り懸かるというワードで脳内検索をしたところ、共通ルート第二章第三部が引っかかった。
「あ……授業の」
当たりだったらしく、エリシアお嬢様がこくんと頷いた。
そのイベントは、魔法の実技で、弓道場みたいなところで遠くの的に小さな魔力の玉を当てるという内容だった。でも、それをヒロインがやろうとしたとき、なぜか大爆発してエリシアお嬢様も僅かだけれど巻き込んでしまう。
取り巻き令嬢がお嬢様を庇う中、そのとき一番好感度が高い男子がヒロインをお嬢様と一緒に救護室まで運んでくれるから、そこで好感度の目安を知る。というイベントのはずなんだけど。現在地は学校じゃなく寮の救護室だ。しかも魔法を喰らって倒れてたのは、どうやら私のほうらしい。
女子寮は男子禁制のはずだから、女の先生にでも頼んだのかな、と思っていたら。
「本校舎の救護教諭がご不在でしたので、わたくしがこちらに運びましたの。あれから、お加減はいかがでしょう……?」
「はぇ? えっ、お……重くなかった? ていうか公爵令嬢になんてことさせちゃったの私……」
エリシアお嬢様の質問に質問で返してしまったけど、それどころじゃなかった。私は、よりにもよってどすこいボディを公爵令嬢に寮まで運ばせてしまったのだ。普通に考えて処罰を受けるのはこっちじゃないのかと思うのに、エリシアお嬢様はふるふると首を横に振った。
「浮遊魔法を使いましたので、ご心配には及びませんわ」
「ああ、なるほど……」
浮遊魔法とは一年で習う魔法の一つで、その名の通り物や人を浮かせる魔法だ。ただ、物はともかく人を浮かせるにはもの凄い集中力と高い魔力が必要だから、誰にでも出来るわけじゃない。
作中の描写通り、エリシアお嬢様は身分が高いだけじゃなく才能もあるんだと思った。
「……そうだ。具合だけど、特に痛いところもないし大丈夫だよ。わざわざ様子見にきてくれたの?」
エリシアお嬢様は涙目で頷くと、私の手を握った。その手は小さく震えていて、身長は同じくらいなのに、何だか小動物みたいに思えてくる。
まあ、フリーランニングと筋トレが趣味なメスゴリラと比べたら、だいたいのご令嬢は小動物になると思うけど。
……何だか、切なくなってきた。