天使の虞れ
このお城みたいな部屋に来るのは、二回目だ。一回目も驚いたし、二回目程度で慣れるわけじゃない。っていうか、いまはエリシアちゃんが私にひっついたまま取れないから、それどころじゃない。
従者さんが、困った顔で私たちを見ている。お召し替えだよね。わかる。まだ二人して馬術授業用の格好だもん。
「すみませんが、なにがあったのか伺っても宜しいでしょうか」
「えっと……」
困惑している従者さんに、さっきの授業であったことを簡単に話して聞かせた。
エリシアちゃんをくっつけたまま説明する私の姿は、さぞシュールなことだろう。でも従者さんは真面目な顔で聞いてくれて、私の言葉を疑ったりもしなかった。
ここの貴族――とそれに雇われてる一部の従者さん――は平民のいうことなんて、って相手にしないのが殆どなのに。さすがエリシアちゃんの従者さん。
「……そんなわけなので、場違いなのはわかってるんですけど、一晩お邪魔します」
「とんでもないことでございます。エリシアお嬢様のご友人でいらっしゃるニーナ様は、我々にとっても大切なお客様です」
凄い……プロだ。
所作も声も完璧で、これが公爵家に仕える一流の従者さんなのかと感激した。
「エリシアちゃん、そろそろ着替えないと……」
一頻り感激してから、私はエリシアちゃんの頭を撫でながら声をかけた。
エリシアちゃんは暫く私をぎゅっぎゅしてから、やっと体を離して小さく息を吐いた。ずっとしがみついていたせいで、ほっぺたが片方赤くなってしまっている。
「エリシアちゃんをお願いします」
「畏まりました」
綺麗な刺繍が一面に施されて、上のほうにはレースが縫い付けられた衝立が、私たちのあいだを隔てた。エリシアちゃんはクローゼットの傍にある全身鏡の前で、私はその辺を借りて適当に着替える。
今日は事前にお泊まりのつもりできたから、着替えとお風呂セットをちゃんと部屋から持ってきたのだ。ただ、普通の制服までは持ってこられなかったから、明日は私服で一度部屋に戻らないと行けない。
着替えを終えて一息ついていると、衝立が開いてエリシアちゃんが飛びついてきた。
何だか凄く心配させちゃったみたいで、罪悪感がざくざく突き刺さる。
「落ち着いたらお風呂入って、温かいお茶をもらおうね」
「……ニーナも、一緒に入ってくださいますの……?」
「うん、一緒にいるから大丈夫」
こくんと頷いて、それからまた暫くくっついたままになった。
外が夕焼けから夕暮れって感じの薄暗さになってきた頃、私はエリシアちゃんをつれてお風呂場にきた。洗っているあいだも、エリシアちゃんはずっと鏡に映る私を心配そうに見つめていて、上がってから従者さんに体を拭かれているあいだも視線を感じていた。
「エリシアちゃん、心配かけてごめんね」
「……ニーナが悪いのではありませんわ。わたくしは、恥ずかしながらあれほどの悪意に触れたのは初めてでしたの。それなのに、ニーナは……彼の恫喝めいた言葉を聞いていたニーナの表情は、まるであのような言葉を浴びせられるのが当然のような顔をしていて、驚いてしまって……」
あのとき。平民とか雑種とか言いたい放題言われていたとき。エリシアちゃんは、隣でショックを受けていたと言う。そりゃ、公爵令嬢相手に雑種呼ばわりする人がいたら命がいらないんだろうなって思うし、社交界であんな汚い言葉を叫ぶ人もそういないと思う。だから、知らないことは別に悪いことじゃないと思うんだけど、エリシアちゃんはそうは思わないみたいで、凄く落ち込んでいる。
平民呼ばわりされていることは知っていても、それ以上の悪口までは聞いたことなくてびっくりしちゃったみたい。
「ニーナは……あのような言葉を言われて、哀しくはありませんでしたの……?」
エリシアちゃんが、私なんかよりずっと哀しそうで、自分が罵詈雑言を言われたような顔で見つめてくる。
本当のことを言おうか適当なことを言って誤魔化そうか、ちょっとだけ迷った。でも、本気で心配してくれている友人に、不誠実な態度は取りたくなかった。そのせいで余計に心配させてしまったとしても。
「私は、慣れてるから。小さい頃からひどいあだ名で呼ばれたり、からかわれたりして、それが私にとって当たり前の世界だったの。両親は気にするから悪いって言うし、周りの大人もあなたがいい子にしていればいいだけでしょって感じだったから……」
いま思えば、私に味方っていなかったんだなぁ……ちょっと切なくなってきた。
でも、あの経験があってわりと図太くなった自覚はあるから、もっと穏やかな幼少期を過ごしたかったのは本音だけど、無駄だとも思ってない。
「だから、まあ……彼はまだお上品なほうだったと思うよ。っていうかこの学園の人って直接馬鹿にしたり殴りかかってこない分、大人しいと思う。陰口は多いけどね」
そんなことを話して、エリシアちゃんを見たら、涙腺ぶっ壊れたのかなってくらい涙がボロボロ零れていた。
「え、エリシアちゃん、そんなに泣かないで……っ」
慰めようと伸ばした手を引かれて、私は咄嗟のことに反応出来ずに、エリシアちゃんの胸に顔から飛び込んでいた。




