診断3
古田勇夫が訪ねてきたのは、メールした日の夜だった。
「吉利、ビール買ってきたぞぉ! あとカタン持ってきた、カタン! 飲みながらやろうぜ!」
既に酔っている。いや、いつもどおり酔ってやってきた勇夫の右手には、コンビニ袋に入ったビール。左手には紙袋に入れたドイツ製ボードゲームが入っていた。飲み物がアルコールでなければ、友人宅に遊びにきた子供だ。
「お! そこにいるのはマロマロだなぁ~? 出迎えご苦労! あいかわらず黒いなぁ、おまえは!」
勇夫は荷物を投げ出すと無造作に手を伸ばした。しかしマロはその手をさっと避けると、来客の確認は済んだとばかり、さっさと部屋の中に戻ってしまう。
「待てよぉ~マロマロ、待てやぃ!」
赤ら顔の勇夫は遠慮なく家にあがると、ヨタヨタと犬を追いかけていった。他人の家を訪ねてきたという意識は彼にない。
「お邪魔するよ、吉利君」
そんな勇夫と対照的に、落ち着いた態度で入ってきたのは古田紅緒。勇夫の妻であり、もうひとりの友人だ。勇夫に追い回されていたマロがやってきて、紅緒の前で控えめに尾を振る。
「やぁマロ。今日も黒いな」
紅緒が柔和な笑みを浮かべて頭を掻いてやると、気持ちよさそうにマロは目を細めた。
同じような発言をしているのに、夫婦に対する犬の態度は天と地の差があった。
「紅緒も来てくれたのか。子供はいいのか?」
「義母さんたちが見てくれている。うちは二世帯家族だからね、何も心配ない。それに――」
紅緒は慎太郎の顔を覗き込むようにして言った。
「相談したいだなんて意味深なメールが来たんだ。勇夫にだけ任せてはおけないからね」
「そうか。助かる」
「夕飯は食べたのかい? まだなら簡単なものを用意しよう」
紅緒は台所に進むと冷蔵庫を開けて中身をチェックしはじめた。彼女は彼女で遠慮がない。
勇夫と紅緒の二人とは、大学からの付き合いで、『ボードゲーム部』という名前のサークル仲間だ。評判の良いボードゲームを国内外から取り寄せて、仲間内で楽しむインドアサークルだった。年齢は勇夫が一つ上だったが、3人とも入部時期が一緒だったから同期にあたる。
常に勝率を意識して、手堅い選択をする慎太郎。
細かいことは気にせず、勝負手を好む勇夫。
他人の思考を読んで裏をかく紅緒。
ゲーム好きという以外、性格はまったく異なる3人だったから、ゲームの進め方もバラバラだった。それ故か、勝負にも熱が入った。
就職活動も3人同時にはじめた。勝手がわからないという理由で、3人で同じ会社に申し込みもした。携帯電話向けのゲームやネットワークサービスを手掛けるIT会社だった。
最終面接へ同時に呼ばれた3人は、その会社の社長とボードゲームをすることになった。
戸惑う慎太郎と紅緒を尻目に、勇夫とまだ30代という若い社長は最初から真剣勝負をはじめた。一切の遠慮なく、勇夫が社長をボコボコに負かしたときには、面接失敗を覚悟したが、結果は3人まとめて合格だった。
「3人のチームワークに期待するよ。3人一度に会社辞めるのは勘弁な!」
入社式で再会した社長は、軽い調子でそう言った。
それ以来、30歳が目前に迫った慎太郎も古田夫妻も、このユニークなIT会社で働き続けている。2人との関係だけでいえば、もう10年来の付き合いだ。
社会人になった今でも、こうして集まるとボードゲームを始めるのが常だった。夫婦に子供が生まれてからは、慎太郎が遠慮してその頻度も減ったが、声をかければやってくる。ちなみに『人間をダメにするクッション』を送ってきたのもこの夫婦だ。
勇夫のビール、紅緒のツマミを食べながら、3人はドイツ製のボードゲームを囲んだ。
人間たちがゲームに興じている間、マロは4人目のプレイヤーとでもいうように、慎太郎と紅緒の間に座ってテーブルを見ていた。もっとも、関心があるのはゲームの勝敗ではなく、テーブル上のツマミなのだが。
駆けつけワンゲーム。おおよそ30分でワンプレイが終了する。勝者は紅緒。夫の勇夫が悔しそうに、4本目となるビール缶を開けて喉に流し込んだ。
「負けた負けたぁー! 今回のダイス、紅緒に偏りすぎだろぉ。連続3三回、総取りってダメだわぁ」
「敗因はそこじゃないだろう? 自分の手札に夢中で、相手の手に無警戒過ぎだ。すんなり進み過ぎて味気ないくらいだよ」
夫の敗因を楽しそうに紅緒が評する。
「さて、勇夫に集中力が欠けているのはいつものことだが、吉利君。キミも心ここにあらず、という感じだね。メールにあった相談事が原因かい?」
「そうだ、相談! やぃ慎太郎、相談ってなんだ!?」
紅緒の理知的な視線と、勇夫の酒に酔った視線が、慎太郎に集まった。
「実は……」
慎太郎は動物病院で聞いたマロの症状。手術するか否か、迷っていることを2人に伝えた。
「マロマロ、おまえ死んでしまうんかぁ~!?」
「縁起でもないこと、いうんじゃない」
酔って感情の振れ幅が大きくなった勇夫を紅緒がたしなめる。そんな彼女も傍らのマロに悲しそうな視線を向けていた。
「何も変わらないように見えるのに……。相談というのは、マロの手術をするかどうかってことだね?」
「ああ。2人はどう思う?」
慎太郎は目の前の友人たちに一目置いていた。自分とは異なる思考をし、同時にマロを大切に思ってくれている。慎太郎がきっちり結論を出せない問題に、納得のいく回答を導き出してくれるのではないかと期待したのだ。
「そんなの手術にきまってるだろぉ!」
躊躇なくそう言ったのは、赤ら顔の勇夫だった。
「勇夫は迷わないんだな」
「当たり前だろ? 迷うところじゃないぞ」
「いや、迷うさ。マロの命がかかってるんだから」
すこしムッとして答えると、勇夫はやれやれといった仕草をしてみせた。
「あのなぁ、医者はオーバーに言うもんだぞ。そりゃあ危険はゼロじゃないかもしれねぇよ? けど麻酔ひとつで、ぽんぽんペットが死んでみろ。大問題じゃねーか。なにより準備万端整えて手術するんだぞ? 後々悪くなって大慌てで治療するより、ずっと安心じゃねーか」
酒の勢いだけで喋っているわけではないらしい。今すぐ手術をするか、悪化してから手術するか、勇夫は2つのリスクを比べて、前者がずっとマシだと言っているのだ。慎太郎の反論が止まったのを納得したと思ったのか、勇夫はさらに言葉を続けた。
「“きっちり吉利”らしくねーなぁ。勝算が高いほうに賭けるのは、お前の十八番だろ? だーいじょうぶだって! 手術してお腹の中の悪いところは、まるーっと取ってもらえ!」
こういう時、勇夫の強気が羨ましいと慎太郎は思う。彼には自分にない度胸と勝負強さがあった。ゲームを遊べば、勇夫の勝率が一番低かったが、ここぞという勝負で勝利するのは彼なのだ。
勇夫と紅緒が付き合う『きっかけ』になったのも、そんな勝負のひとつだった。
学生時代、サークル仲間がたむろする部室で『公開告白』をした勇夫に、紅緒はゲームで勝ったら付き合ってもいいと答えた。当時の勇夫と言えば、10回遊んで1回勝てるかどうかという腕前だったから、誰もが体のいい『お断り』だと思ったものだ。
そのゲームの人数合わせに慎太郎も参加させられた。戸惑う慎太郎に2人は遠慮せず本気で戦うよう求めた。しかし結果は惨敗。大方の予想に反して、勇夫が勝利して恋人を手に入れたのだ。
冗談のようにできたカップルだったが、大学卒業後も交際は続き、晴れて夫婦となった。
もしもあの時、勇夫と同じ覚悟を持って勝負に臨んでいたら、結果は変わっていたのだろうか? 時々そんなことを考える。その後、ゲームで何度圧勝しても、勇夫に対する敗北感は消せずにいた。
『勝負師』勇夫は、ここが勝負どころだという。
彼の言葉なら、それが正しいことのように慎太郎は思えてきた。
「紅緒はどう思う?」
「私の意見はちがうな」
もうひとりの招待客に話を振ると、彼女はそう切り出した。
「まずひとつ。リスクの比較が間違っている」
「どういう意味だ?」
「今すぐ手術をした場合と、出血して緊急手術をした場合を比べるなら、勇夫の言う通りだろう。今やったほうが安全だ。けれど出血は起きないかもしれない。このまま腫瘍に変化なく、健やかに過ごせる可能性もあるだろう」
その通りだと慎太郎は思った。単純な2択でないから迷うのだ。
「手術は麻酔のリスクの他にも、体に負担をかけるだろう。今、症状が出ていないマロにそれを強要するのはいかがかなものかと思う」
そこで紅緒は言いよどみ、トーンを落として言った。
「マロは高齢だ。柴犬の平均寿命も超えているんだろう? 腫瘍に関係なく、天寿を全うする可能性だってあるだろう」
その言葉に場がシーンと静まり返った。紅緒がバツが悪そうに言う。
「嫌なことを言って、すまない」
「いや、紅緒のいうとおりだよ」
たまたま今回の健康診断で腫瘍が見つかり大慌てしているが、腫瘍以外の要因で命を落とす可能性もあるのだ。
「紅緒は手術に反対なんだな」
「それなんだが、私たちの意見は聞かないほうがいいと思う」
「どうして?」
意外な言葉だった。慎太郎の問いに紅緒は言葉を選ぶように言った。
「吉利君が悩みぬいて私たちに相談してくれたのはわかっている。けれどこれはマロの命に係わることだから、飼い主のキミがやはり決断しないといけないと思うんだ」
「そのわりにきっちり話してたじゃねーか。まるで吉利みたいに」
夫の勇夫が面白くなさそうに言う。
「勇夫の意見は、なるほどと納得できるものがあった。だから私は対抗意見をあげたにすぎないんだ。私でも勇夫でもない。決断するのは吉利君でなくてはいけないんだ」
友人の言葉に、ああ、そうかと慎太郎は思った。
自分は無意識に流されようとしていた。問題の大きさに耐えきれず、信頼する友人たちの言葉に乗っかろうとしていたのだ。
もしも2人がそろって手術を勧めたら、それに従っていただろう。2人が手術に否定的なら、きっと自分は手術を受けさせない。
紅緒はそのことを察して、決断は慎太郎が行うべきだと言ったのだ。そうでなくてはいけないと。
「そうか。そうだな……」
慎太郎はぺこりと頭を下げた。
「ありがとう。もう一度悩んでみる」
「ん。そうするといい」
紅緒は笑顔で答えてくれた。選択を間違えて大切に思うものを失うのは、もうこりごりだと慎太郎は思った。




