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診断1

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柴犬マロ 

└飼育年数8年。推定15歳

└2019.1.1現在 気になっている点

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①気管虚脱

持病です。11月末にお薬を変えていただいてから、咳をまったくしなくなりました。大変ありがたいです。


②左目(マイボーム腺腫)

目ヤニは毎日かなり出ます。目ヤニの色は「白からやや緑色」でしょうか。以前から変わりない印象です。


③脂肪腫

お腹にシコリがあります。過去の検査では脂肪腫と診断されました。


④口元のイボ

半年前にはなかったイボが口元にできてきました。悪いものではないか心配しています。


⑤下腹部を頻繁にかく

ここ10日くらい、頻繁に下腹部をかく仕草をするようになりました。気になるところに届かないのか、右の後ろ脚、左の後ろ脚を交互に使ってかこうとします。人間でいうと「おへそ」のあたりかと思います。2日前シャンプーで全身を洗いましたが、その後も変わらず、頻繁にかいています。見た目や触った感じでは、特におかしなところはわかりませんでした。


⑥嘔吐

12月末の診察の後、帰宅して嘔吐しました。

当日は元気がありませんでしたが、翌日からは普段通りになりました。新しいお薬は試す前でしたので、病院で興奮しすぎたのかなと考えています。嘔吐は3~4カ月に1度あるかないかです。


検査でも興奮や抵抗が予想されご迷惑をおかけするかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。


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吉利慎太郎きちり・しんたろうは、『動物病院』提出用にまとめたプリントを、もう何度目かわからないくらいに読みなおした。


伝えたいことがきっちり伝わるだろうか?

本職の獣医はこれをどう見るだろう?


ただのサラリーマンである慎太郎がつくった資料など、見当はずれな内容かもしれない。それだけならまだいいが、獣医に下手な先入観を持たれてしまうのではないか?

さすがにプリントの内容だけを真に受けて、診察がおざなりになることはないだろうが、不安の種はつきない。


今日、慎太郎は愛犬マロを健康診断に連れていく。

『アニマル・ドック』と呼ぶらしい。人間ドックにあたるものだ。『ドック・ドック』と言わないのは、語呂が悪いからだろう。ちなみに『人間ドック』という言葉は、船の修理点検を行う船渠『dock』を、当てはめた造語だ。『人間船渠』と訳せば、まったく意味のわからない言葉になる。慎太郎としてはその命名に異議を申しだてたい。


そんな『アニマル・ドック』の受診を決めたのは、いつも利用している動物病院から、愛犬の誕生日を祝う葉書きが届き、そこに『アニマルドック』の案内が書かれていたためだ。誕生月か翌月の受診なら1万円割引で利用できるという。


マロは推定年齢15歳の柴犬だ。放浪しているところを保護された犬で、縁あって慎太郎が引き取った。実年齢はわからないが、飼い始めて8年目になる。老犬には変わらない。健康診断を受けるのもいいだろうと考えたのだ。


アニマルドックの中にも複数のコースがあり、慎太郎は『シニアコース』を選んだ。1万円割引で43,200円。なかなか手痛い出費である。ペット保険も適用外だ。


受診するにあたり、慎太郎はあらかじめ愛犬の健康状態、気になる箇所を資料にまとめることにした。

慎太郎としては、診察室で医師と顔を合わせてはじめて説明するより、文面に起こしたほうがより正確に伝えられると考えたのだ。医師のほうも先に資料に目を通しておけば、診察にも望みやすいだろう。

会議の前にあらかじめアジェンダを参加者に共有して、準備や心構えを促すのと同じことだと、慎太郎は考えている。ちょっとした気配りが仕事に余裕を与え、いい結果に繋がるのだ。そんな慎太郎の仕事ぶりや態度を見て、周囲の人たちはいつも言う。


「きっちりしてるね、吉利さん!」 ――と。


それが慎太郎の性分だった。何事もきっちり、はっきりさせないと気がすまないのだ。


プリントの内容に不安は残るものの、そろそろ出発しなければならない。朝の散歩を兼ねて、動物病院には徒歩で向かうのだ。慎太郎は愛犬の名を呼んだ。


「マロ!」


『人間をダメにするクッション』に体を横たえ、日向ぼっこをしていた愛犬が、顔だけこちらに向けた。黒い体毛に白い眉毛が特徴の柴犬だ。

『クッション』はいつもきっちりしている慎太郎をダメ人間にしてやろうと、友人が誕生日のプレゼントに贈ってくれたものだが、いつの間にか犬のほうがダメになっていた。呼んでも来ないのはいつものことだ。


「マロ、散歩行くぞ!」


散歩と聞いて、耳がぴくりと動いた。マロはのそりと起き上がると、テッテッテッと軽やかな足音を立てながらやってきた。


慎太郎は膝をついて出迎えると、陽の光を浴びて、あたたかくなった体毛をワシワシと撫でてやった。人間の年齢に換算すれば80歳になる愛犬は、耳の付け根や目元にずいぶん白髪が増えていた。もともと黒い犬だから白髪は目立つ。慎太郎はそれを寂しく、同時にいじらしく思うのだった。


ハーネスを体に巻くと、慎太郎を引っ張るように、マロは外に飛び出した。体に老いの兆候はでてきても、気持ちは若いままなのだ。マロの『散歩好き』は引き取った当時から変わらない。


30分ほど歩いて動物病院に到着した。受付に『アニマル・ドック』を受けにきた旨を伝え、用意したプリントを手渡した。


「わぁ、すごいですね」


年若い受付嬢はそう言って資料をまじまじと見つめた。この病院では看護師が受付も兼ねている。

専門家の目に資料はどう見えるのか?

受付嬢の反応を見るに、慎太郎のように資料を用意する飼い主は多くないようだ。


慎太郎の心配とは裏腹に、受付嬢はどこか嬉しそうにプリントに目を走らせていた。そして「先生にもお渡ししておきますね。3番目の診察になります」と案内してくれた。


慎太郎は小さくお辞儀すると病院を出て、外に設けられたベンチに座った。動物病院が苦手なマロは、待合室にいると、ここは嫌だと騒ぎだしてしまうのだ。外なら抵抗が幾分おさまる。


しばらくして診察番がまわってきた。

嫌がるマロのリードをこの時ばかりは強引に引いて、診察室に入った。


「こちら拝見しました。きっちりまとめられていて、わかりやすいですね」


受付に渡したプリントを手に、医師と助手の看護師は朗らかに迎えてくれた。好意的に受け取ってもらえたらしい。さぁ、ここからが本番だ。


慎太郎は愛犬を抱き上げ、体重計の機能を持った診察台にあげた。このあたりからマロの抵抗は激しくなる。診察台の上で一秒も大人しくすることができない。飛び降りようとする愛犬を押しとどめ、正確さではいささか不安の残る中、体重を測った。15.5キロ。体重に変化はない。


続いて体温を測る。慎太郎はますます暴れる愛犬の前肢を、自分の腕にかけさせ、後ろ足で立ち上がったところを抱きとめる。その隙に助手の女性が体温計を犬のお尻に刺すのだ。


『アゥアゥアァァー!』


切ない鳴き声を愛犬があげる。それでも心を鬼にして慎太郎は拘束をつづけた。体温計からピピッと音がなって、体温測定も終わった。


ここで一度診察台から犬を下ろす。ここまでは『アニマル・ドック』に関係なく、いつも行うことだった。マロには『気管虚脱』という、気管の形が変形し、呼吸が難しくなる持病があった。1ヶ月に一度診察を受け、お薬を処方してもらっているのだ。


最初に激しい咳が出たのは、5年前の1月1日。元旦の寒い朝だった。苦しそうに咳き込み、止まらなくなったのだ。その時は正月三が日でも診察している動物病院を探し出し、電車で愛犬を運び受診した。

波乱の年明けだった。それ以来、咳に悩まされてきた。ピタリとおさまることもあれば、前触れなく

増えることもあった。『気管虚脱』という具体的な病名を聞いたのは、2年前にこの病院に通いはじめてからだ。


慎太郎の用意したプリントを見ながら、医師の問診がはじまった。


「新しいお薬が効いているようですね」

「はい。薬を飲み始めて2、3日もすると、咳しているところを見かけなくなりました」


慎太郎は1ヶ月前の診察を思い出した。


「医術も毎日進んでいて、制吐剤なんですが、この薬が症状に効くとわかってきました」


そう提案されて新しいお薬に代えてから、咳が劇的に減ったのだ。長年苦しんできた症状だけに、慎太郎の喜びもひとしおだった。それだけに全力で抵抗する、マロの受診態度が申し訳ない。嫌な顔一つせず、患者に向き合ってくれる獣医には感謝しかない。


「咳が減って良かったです。服用も2日に1度にしてみましょうか。また咳が出るようなら、連日で与えてください」


資料を上から確認していくように問診は進んだ。

素人である慎太郎が書いたものだから、それだけで症状や処方が判断できるものではなかったが、問診は円滑に進んでいった。獣医は質問を、慎太郎は答えを、あらかじめ用意できたのがよかったようだ。


マロの気になる症状のうち、目ヤニの原因になっているまぶたのイボ(マイボーム腺腫)と、お腹のしこり(脂肪腫)に目立った変化はなかった。

口元のイボも悪性とは思われず、嘔吐についても頻度の低さから、問題にはならないだろうと判断された。

お腹をしきりに掻く原因はわからなかった。何度も掻くものだから、肌は荒れていた。さらに症状が続く場合は、お薬をもらうことになり、経過観察となった。


「それでは検査のためお預かりしますね。15時以降に来ていただければ、連れ帰っていただけます」


慎太郎は承諾し、愛犬を預けると病院を後にした。

時間は午前11時。検査が終わるまで中途半端に時間ができてしまった。とりあえず昼食にするかと歩き出す。


いつもはマロを連れ、散歩で歩く道だった。犬が主役の接待時間だ。マロを連れていない今、慎太郎は不思議な解放感に包まれていた。有給休暇をとった平日の午前中ということもあるだろう。犬を連れていては道草できないお店に入ることもできる。愛犬を邪魔に思ったことはなかったが、意外にも軽やかな心境に、慎太郎は浮き足だち、同時に後ろめたさを感じるのだった。

慎太郎は平日限定ランチを堪能し、図書館ですごした後、再び動物病院を訪れた。


「検査、無事終わりましたよ。後日で結構ですので、便と尿を採取してお持ちください。結果が出るのはすべてそろってから1週間ほどですね」


すぐに結果が聞けるものと考えていた慎太郎は拍子抜けした。戻ってきたマロは、格別再会を喜ぶ様子もなく、リードを引っ張り病院を出たがった。

拘束されるのを嫌い、慎太郎が抱っこすることも嫌がる犬である。ようやく窮屈な場所から出られたと、表情が物語っていた。


「マロ、お座り!」


動物病院を出たところで、慎太郎は愛犬に命じた。早く散歩を再開したい愛犬は嫌そうに抵抗してみせたが、慎太郎が腰を下ろし再び命じると、不承不承という態度で座った。


「動物病院で騒ぐのは良くない。良くないぞ? 先生たちはマロのために付き合ってくれてるんだからな?」


慎太郎は言い聞かせるようにそう言った。人間の言葉が犬にわかるはずはない。しかし、良くないことはきっちり伝えるようにしてきた。犬は雰囲気を察して反省はするのだ。


しょんぼりしている愛犬を確認すると、慎太郎は声色を代えて、その柔らかい頭を撫でてやった。


「今日はよく頑張ったな」


サツマイモのお菓子を取り出し、いつもより多い3粒を与えてやった。嬉しそうに目を輝かせながらクッチャクッチャと咀嚼する。元気も食欲も異常なし。その様子を慎太郎は微笑ましく見る。

しかし検査はまだ終わっていない。便と尿の提出も必要だ。大便はとにかく、尿の採取はどうすればいいだろう。慎太郎はぼんやりとそんなことを考えながら帰路についた。


すべての検査が終わり、新たな病が見つかったのは、悪戦苦闘の末、便と尿を採取して提出した10日後のことだった。


挿絵(By みてみん)

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