黒猫のハロウィン
2018年ハロウィン小説です。
おれの名前はルイ。黒猫だ。2年前に母ちゃんに拾われて、ルイと名付けられた。
それまではただの黒猫だった。生まれたのはどこかの家の裏庭で、ちっこい弟妹が3匹。たぶん。おれだけが黒猫で、あとは全員白くつした。最後に見たときはみんなぼろくずみたいだったけど。
捨てられたのは公園で、子猫だけ、面倒になって捨てたんだなってことは、あとになって気づいた。そこで、今の母ちゃんに拾われた。
一番初めに見たときは、この人が母ちゃんになるだなんて思わなかった。おれのいたダンボールの中を覗き込んだその人は眉をひそめたから、きっと動物嫌いなんだろうと思ったのだ。弟妹達を見て、おれを見て、そしてそのまま背を向けて去っていった。
動かない弟妹達をなめてやるのも疲れて、おれはその場に丸くなった。おなかは空いたし、体も怠いし、やけに寒い。もうすぐ死ぬんだなって、誰に言われなくたって分かった。
おれはもう諦めきっていた。しかし次に目を覚ました時、おれはふかふかの毛布にくるまれていた。眠っているおれを観察していたその人は、哺乳瓶で子猫用のミルクをおれに飲ませた。
そして、俺はルイになった。
いつものようにふらりと散歩に出る。なんでも、今日は特別な日らしい。白猫のミーシャが、そう言っていた。隣家が飼っている彼女は整った毛並みが自慢で、いつも窓辺に寝そべっている。外に出るのは嫌いなのだそうだ。「あなた黒猫だから大変よ」と彼女は言っていたが、いったい何のことだろう?
今日が特別な日だというのは、人間に会ったらすぐに分かった。誰もかれも、甘い匂いをさせている。そのうえおれを見ると捕まえようとしてくる。
人をひっかいてはいけない、と母ちゃんに言われているので我慢しているが、耳やらしっぽやらを触られるのは居心地が悪い。そのうえ勝手に頭にとんがり帽子を乗せようとしてきたり、蝙蝠みたいな羽を背負わせようとしてきたり。首に鈴をつけようとしてくる人間は今日に限らずいるが、うるさいので断固拒否させていただいている。
いつまでもおれをかまうのをやめようとしない人間たちから逃れ、追いかけられないように塀を超えて普段入らない家の庭に侵入する。家の裏にちょうど日の当たるスペースがあったので、ここで昼寝しよう、とぬくもりの中で丸くなった。
がやがやと人の声で目を覚ました。塀の外を誰かが通り過ぎて行ったようだった。見知らぬ庭に、どうしてこんなところにいるのだっけ、とぼんやりと思い返す。たしか、あれこれと構われ続けるのがうっとうしくなって逃げてきたのだ。
門の隙間から外に出られるだろうと表に回ると、門の両脇に何かが置かれているのに気付いた。あの大きさ、白の混じったオレンジ色、ごつごつとした物体は……カボチャ?
「よう、黒猫」
その場に響いた声に、全身の毛を逆立たせた。カボチャがしゃべった!?
「おいおい、そんなに驚くことか?俺だよ、俺」
「オレオレ詐欺か!」
定番の突っ込みを入れて、自分の声に驚く。いつもの、にゃーにゃーという猫らしい声ではない。しかしそれが自分の声であることは分かった。
「久しぶりだな」
右側に置かれたカボチャがにやりと笑った――なぜか顔がついている――のを見て、懐かしさを覚えた。そいつの名前を呼ぼうとして、口をパクパクと開け閉めする。声が出ない。
「名前は呼べないみたいだぞ、親友」
その言葉に、このカボチャが俺の想像通りの人物であることが分かった。
「どうして…」
「さぁ。理由は知らんが、原因はわかるぞ」
「原因?」
「俺たちがもう死んでいるからだ」
死んでいる。まるで実感しない。友人がやけに軽く言うから余計に、つかみどころのないものである気になった。
「死んでる?だって俺は、黒猫で、さっきまで動いてて……」
「それはお前の今世の話だな。今のお前は黒猫なんだ。で、前は人間。ついでに俺は幽霊だ。今日はハロウィンだしな」
友人はそう言ってまた笑った。そういえばハロウィンってお盆みたいなもんだっけ。そんで、幽霊?
それがすとんと納得できてしまったから、まあ、不思議なこともあるもんだ。転生だなんて信じていなかったのに、実際体験したのだといわれると、それが当然のように思える。幽霊もしかり。
「外へ出てみろよーー思いがけないやつに会えるかもしれないぜ」
言われるままに外へ出て人通りのあるほうへ向かう。
なるほど、確かに今日は十月三十一日だった。猫になると日付の感覚なんて必要なくなるから、すっかり忘れていた。
「《お菓子をくれなきゃいたずらするぞ》」
そんな呪文とともにお菓子を交換する人間たち。手足に包帯を巻いたり、マントや仮面をつけたり、思い思いの格好をしている。
庭にミイラ?の転がっている家の前を通り過ぎようとした時、話し声が聞こえた。ひょいとのぞき込むが、誰もいない。
「やー、誰?」
「猫よ、猫」
「ほんとだ!かわいー」
しゃべっていたのは壁に立て掛けられていた箒と、吊り下げられた如雨露だった。二人の話す様子をじっと見てみるが、知っている相手ではなさそうだった。きゃいきゃいと話し続ける女性たちは、つかまったら放してもらえなさそうだ。話しかけるのはやめて、ただの猫の振りでとっとと退散する。
それからも何度か幽霊にはあったが知り合いはいなかった。
日が落ちるとやはり人通りは減って、冷たい風が吹いてくる。人も幽霊もあんなにいたのに、この中に俺を知っている奴はいないのだ。そう考えると、浮かれていた気持ちが急速にしぼんでいく。
「誰に会えるっていうんだよ…」
脳裏に浮かんできたカボチャに八つ当たりして、俺は走り出した。
顔をくりぬかれたカボチャは中にろうそくを入れられて、温かな光を零していた。
「なんだ、戻ってきたのか」
「おう」
ゆらゆらと揺れるろうそくが俺の体に陰影をつける。幽霊には実体がないんだよな、そうかこいつには影はないんだ、そんなことを思った。
「誰か会った?」
「いや、全然」
穏やかな問いかけには気遣う色があって、何も言わなくても通じ合えていることに安心した。そして、彼が本当にはもういないのだと思い出して、泣きたくなった。
「お前、なんで死んでんだよ……」
「それはこっちのセリフだと思うぞ?」
そうだ、俺のほうが先に死んだのだ。今俺が感じている苦しいほどの寂しさを、こいつは知っている。
「悪かったな、親友」
「おま……さっきおれが言ったときは流したくせに、ここで言うか」
「照れてんの?カボチャじゃわからん」
ずっと一番の友人で、心の中では親友だと思っていたけど、生きている間にこんな風に言葉に出していうことはなかった。いわれたことも、なかった。
「猫はわかるぞ。しっぽ揺れてる」
「…こっち見んな」
そんなことは知っている。でも、言っておきたかったのだ。きっと今を逃せば、二度と会うことはないだろうから。
「もう、本当にさよならなんだな」
本当にさよなら。いつかこいつに読まされた、銀河を走る鉄道の童話を思い出す。死んだ友人と鉄道に乗って旅をする話だ。彼らはそこで本当の幸いは他人のための幸せであるといった。その気持ちは俺にはわからないが、この親友のためならば百回死んだってかまわないと思った。そして、それは独りよがりな思いだということも知っていた。
俺はもう黒猫のルイなのだ。帰る家がある。
だけど、彼が寂しそうに笑うのがたまらなくなって、俺は叱るようにかぷりとカボチャ頭にかみついた。
それから、俺はずっと彼と話をしていた。いつもと同じ、くだらないことばかり言いあった。
ありえない明日の話や、帰れない昨日の話をした。
それから、言えなかったことも。
短くなったろうそくは今にも消えそうだ。不安定な光に、俺の影が不規則に伸び縮みする。夜は静かだった。
不意に彼が黙り込んだ。そろそろ日付が変わる頃だ。
多分何か最後に言うべきことがあるはずだと、俺は自分の心の中をさらった。言葉にならないものばかりあふれてしまって、途方に暮れる。
さよなら以外の別れの言葉を探していた。だけど、そんなものはなかった。
「俺、次は猫に生まれてきたいな」
彼が選んだのはそんな言葉だった。
「そうか」
俺の言葉は、途中で風にさらわれてしまった。俺は一人残された。
最後の火が尽きて、ぬくもりの消えていくカボチャの隣に座り込んで、俺は空を見上げた。
身体は重いのに、心の中にぽっかり穴が開いている。とぼとぼと歩いて帰ると、こんな時間だというのに、家には明かりがついていた。
「ルイ!」おれの名前を呼ぶ母ちゃんの、心配した、という声。暖かい腕の中。
おれはもう、黒猫のルイなのだ。