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リベネとシャロン 〜冷徹少女と炎の剣〜  作者: らいらく
第1章 初心者少女と喋る剣
8/18

チャパタの緑壁と赤クリスタル 2

 数メートルほど前方を悠然と歩く、先ほどの男の腰のポシェットに、あらがいようもなく、目が吸い寄せられた。ポケットに入りきらずにはみ出した赤クリスタル。その赤い輝きが、男が歩を進めるごとに不安定にゆらゆら揺れていた。

 固唾を飲んで見守る。――すると、案の上、そのクリスタルはポケットからこぼれ落ち、カン、と乾いた音をたてて石畳に落ちてしまった。にも関わらず、男は何故か気がつかずにすたすた歩いていってしまう。


 どきっと心臓が大きな音をたてた。


 突如として沸き起こる戸惑いと焦りと混乱がリベネの中で渦を巻く。

 嘘だろ?なんで気づかないんだよ、アホ男――いやこれは一生に一度のチャンスなのでは?こんな高価なもの買えるわけがない――ほら、だって誰も見てる奴いないじゃん。リベネの心の中で欲望が苛烈な主張をはじめる。

 自分がどうしたいのかも分からなかったが、しかし魅惑的な赤クリスタルの輝きは確実にリベネを吸い寄せるものだった。道の上に落ちたそれを拾い上げ、手に隠すように持ち、前方に視線を向ける。

 すでに男は坂道のはるか先の方にいる。

 今ここで拾って自分の物にしても、絶対にばれない――そんな確信があった。ひそかに走り去ろうと後ずさった。

 けれども赤クリスタルの表面に自らのアバターの顔が反射して見えた時、リベネの心の奥の奥のそのまた奥で眠る良心がにわかに目を覚まして力強い声をあげた。


 いいや、盗んではダメだ。


 あたしはそういう人間じゃない。

 そういうことをする人間じゃない。

 これがたとえゲームの中だったとしても、何をやっても現実で責められないとしても、あたしはそういうことをする人間になっちゃ駄目だ。


 唇を噛み、手にしたクリスタルをもう一度見つめた。表面に映り込む黒髪の険しい瞳をした少女『リベネ』が何かを問うようにじっと見つめてくる。


「待ってよ、おにーさん!」


 不思議と力強さを持った眼差しから顔をあげ、男の背中に向かってリベネは走り出す。


「ねえってば、ちょっと待ってよ」


 叫んで坂道を走ったら、思いのほか息がきれた。カッカッと石の道をブーツで蹴り上げ、一度こけそうになりながらも走り、走り、なんとか男の背中に追いつき、追い越す。

 ぜいぜいと息をきらしながら声をかけてきた少女を前に男は立ち止まった。相変わらず、無表情な顔つきを向けながらぼそりとつぶやく。


「なにか用か、坊主」

「坊主!?」


 裏返った声がでた。

 かっと顔の表面温度が上がる。クナイみたいに気持ち悪い目で見てほしくはないけれど、かといって男に間違えられるのも癪にさわる複雑な乙女心が猛烈に抗議する。


「ちょ、あたし、女なんだけど、おにーさん、ちゃんと目見えてる?!」


 男は無表情のままうなずく。


「そうか。女だとは思わなかった」

「んな……」


 ますます腹が立つ。ちくしょう、やっぱ赤クリスタルを盗んどくべきだったかも。そう思いながらも、リベネはわずかに残った良心をかき寄せて、手に持った赤クリスタルをさしだした。


「これ、落としてたよ」

 男はすぐには返事をせず、そしてクリスタルを受け取ることもせず、リベネを見定めるようにじっと無言で見つめた。視線だけで息苦しくなるほどの重圧にたじろぎそうになる。

 すると、男が重い声で――そしてどこか少し不思議そうな感じで、唇を開いた。


「お前、赤クリスタルを欲しがっていただろう」

「えっ、まあ、そ…そうだけど」


 行き場を失って途方に暮れていた、クリスタルを握る右手を男がそっと押し戻した。


「俺には必要ない物だから、持っていけ」


 その言葉でリベネはぴんときた。

 この男、わざとあたしに見えるように落としたんだ。これ見よがしに買って、試したんだ。あたしがこれを買えなくて、それでも欲しいと思っていたことを見抜いて。


 猛烈にむかむかした。本来ありがたいと思うべきなのかもしれないが、このいいように弄ばれている感じに、自分のちっぽけなプライドがずたずたにされた。


「な、なんでわざと落としたんだよ!」

 牙をむけて噛みつくように叫ぶ。

「あたしは初心者プレイヤーだぞ。いいのかよ、あたしがこれを使って何するかわかんないんだぞ。誰か他のプレイヤーを脅すのかもしれないし、ぶちのめすために使うのかもしれないし…」

「見たところ、卑劣なことができるような性格には思えないが」


 思いの外優しい口調で問い返され、うっ、と言葉に詰まる。

 なんでいきなり優しく言うんだ。心が戸惑いで悲鳴をあげる。なんとなくこの男に動揺を悟られたくなくて、リベネはそっぽを向いた。


「それは、まあ……そんな卑怯なことには使わないけどさ」

「そうか」

 それなら黙ってさっさと持っていけと言わんばかりの無愛想な返事だった。自分でも理由は分からなかったが、なぜだかこのまま会話を終わらせたくないような気がして、リベネは手元に視線を落としながら口を開く。

「なあ…、このクリスタル、発動させてから、数秒後に爆発するんだろ」

「ああ」


 ふうん、と言って男を上目遣いにちらと見る。


「あたし、これを抱きしめて、爆発させて、死ぬんだ。そんな死に方、運営側も想定してないだろ。もしかしたらその死に方なら現実に戻れるかもしれないと思ってさ」

 男の鉄のように冷たい視線に勢いを削がれるように、リベネの声がだんだんと尻すぼみに小さくなっていく。

「その…最高にくだらない使い方だってあたしも思うよ。だから、あの…本当に、これ、あたしが持っていっていいのかなって」

「確かにくだらない使い方だな」


 興味なさそうに、ぼそりと男がつぶやく。言い返す言葉もなく唇を噛んだリベネの前で、男はひらりと片手をあげて歩きだした。


次会った時に(・・・・・・)、結果を教えてくれ」


 どうせ現実に戻ること(・・・・・・・・・・)はできない(・・・・・)からこの世界で会えるだろう、と言外に伝える言葉に最後までむかっとしたが「…わかったよ」と小さな声で返事をかえしていた。クリスタルをくれてありがとう、とお礼を言い忘れたのに気がついたのは、男の姿が見えなくなってからだった。


 なんともいえない気持ちでリベネは赤クリスタルを見つめる。無骨で大柄な背中のイメージが焼き付いた、てのひら大の赤水晶。それを大切に、慎重に鞄にしまう。

 もし飛び降り自殺もだめだったら、これが最後の希望だ。


 しばらく歩くと、防壁の上に登るための石の階段が見つかった。辺境の都市という設定だけあって、階段も古びて登りづらくなっている。慎重に老朽化した階段を一歩一歩のぼりながら、ふと疑問がわいた。さっきの男も、アルターヌベアを討伐したランク3も、なんでこんな初心者用の町に来ているんだろう?

 しかし緑壁の階段を上りきった頃には、リベネは眼の前に広がる景観に心を奪われ、その疑問をすっかり忘れてしまった。


「すっごいな……」


 壁のすぐ近くから広がるうっそうとした木々の群れ。森の真ん中を一直線に横切る、整備された人工の道。それらに覆い被さる白い霧と、太陽の柔らかな光。そして遠く霞んだ灰色の空を背景に立つ、巨大な山。

 そうしたビュグルズ・ワールドの構成物が一気に視界に飛び込んでくる。後ろを振り返れば、チャパタの町並み――まるで童話にでてきそうな煉瓦の屋根を見下ろすことができる。

 完成された、もうひとつの現実のような世界。

 リベネは目を閉じ、視界からゲーム世界の景色を排除する。


 きっとこれで最後だ。これで現実へ戻れるはずだと言い聞かせながら、一歩踏み出す――そして空中へ。


 死ぬことでしか、仮想世界に折り合いをつける方法が見つからない少女をあざ笑うように、どこかで魔物の鳴き声が響きわたる。それを耳にしながら、リベネは地面に向かって落ちていった。

 耳元を切る風、加速する落下速度、まぶたなど到底開けていられない永遠に思えるような一瞬を超えて、リベネはぐしゃり(・・・・)!と何かを下敷きにして着地した。


 つま先から脳天まで伝わる衝撃に思考が断絶し、びぃいんと鈍い麻痺が続く。


「痛ぅ……」


 うめき声をあげるリベネは、この瞬間はまだ、彼女を見つめるもう一人の少女の存在に気がついていなかった。


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