チャパタの緑壁と赤クリスタル 1
チャパタ市を円形に丸く囲う古びた防壁。別名「チャパタの緑壁」の上にのぼるため、リベネは壁沿いの道を早足に歩いていた。
正確な場所は覚えていなかったが、南門の近くに壁の上に向かう階段があったはずだ。古びた城壁を右目に見ながら、ところどころはげ落ちた石畳を小気味良い音をたてながら進んでいく。
チャパタ市中央の神殿広場とは違って、チャパタ市の端っこにあたるこの道は、プレイヤーもNPCも店の数も少なかった。景観のためだけに設置されたような、鍵がかかっていて入れない無人の家もちらほら見受けられる。
単調な道の途中で、ふと、プレイヤー向けの店であることを示す、路上にせり出した看板が目にとまった。正八面体のアイテム「クリスタル」のマークが描かれている。クリスタルショップだ。
ビュグルズ=ワールドでは「魔法」というスキルがないため、その不便さを補填するために「クリスタル」というアイテムが存在する。初期アイテムである通信用クリスタルは何度でも使えるが、基本的には一度使えば壊れる消費アイテムとなっている。
青クリスタルは通信用、黄色クリスタルは拠点都市への帰還用、緑色クリスタルは防具修復用などといったように、色ごとに効果がかわり、また大きさも大きくなるほどその効果が高まるのだそうだ。
今日のリベネの目的は飛び降り自殺をすることだったが、赤クリスタル――すなわち、爆発し敵を巻き込んで殺す攻撃用アイテムは、死に方リストに書いた最後の項目を埋めるために必要だった。
中央の市場との値段の比較もしたいし、と思いながら店のガラスの扉に手をかける。
「いらっしゃい」
店の扉を開いて軽く息を飲んだ。
五畳ほどしかない、小さな部屋だったが、想像を絶する数のクリスタルが並べて展示されていた。掴み取りされるのを待つようにこんもりかごに盛られた小クリスタルに、壁沿いの棚にところせましと並べられた中サイズのクリスタル。それらが部屋の明かりを反射してきらきらと輝いていた。
店主は中年の男のNPCだった。目が合うと、リベネのちんけな装備のせいだろうか、やたらと嫌そうな顔でにらまれた。
現代のオンラインゲームのNPCは全て高度な人工知能を搭載し、それぞれランダムな性格やしゃべり方を持っているのが基本だ。昔はこういう偏屈な感じの反応もなかったらしく、母がゲームの話を聞く度に「技術は発展したのねえ」と感動していたことをふと思い出す。
ちんけな装備で悪かったな、と思いながらも、リベネは店主の視線を無視してクリスタルの値段を見てみた。そして思わず目を丸くしてしまった。
赤色クリスタル・小:値段2200
超高くないか、これ。
リベネはまぶたを閉じ、右手の人差し指でこんこんと頭を叩く。残金を確認するための動作だ。
『現在の所持金総額は1600ギルです』
無慈悲なる電子の案内音声がリベネに過酷な現実を突きつける。
いやこんなん買えるわけがないだろ。声にだして不平を言いたくなる。リベネが先ほど食べたポトフの値段は10ギルだったこともあり、あまりの高値に目眩すら感じた。
視線を移して中クリスタルの棚を見る。こちらの値段はどれも軽く一万を越していた。
なにをどうやったらこんな金額かせげるんだよ…。
中サイズの赤クリスタルを恨みがましく見つめていると、不意に背後で扉の開く音がした。新しい客だ。
「いらっしゃい」
店に入ってきたのは壮年の男だった。
鎧は着ていなかったが、一目で熟練の剣士だとわかった。短く刈り込んだ金髪に、鍛えぬかれた逞しい体、そして背中に負った剣が、語らずとも雄弁に戦歴を表すようだった。
「何かお探しの物がおありで?」
リベネに対する態度とはうってかわった猫撫で声で店主が質問する。その時、男が一瞬リベネの方をちらと見たような気がした。気のせいだろうか。
「赤クリスタルだ」
ずしりと重い声。
自然と目が男に引き寄せられてしまう。彼の声音だけで、何故か息が止まり、体が硬直するようだった。それほどに重々しく場を支配する声。
「あの中サイズ――」と言って、男が棚を指さす。一瞬、自分のことを示したのかと思ってリベネはびくりとしてしまう。
「――よりも大きなサイズの取り扱いは?」
「ありますよ」
店主がいそいそとカウンター奥から大きめのクリスタルを取り出した。
「こちらですね。値段は55000ギルになりますが、いかがなさいますか?」
「55000とは、ササナ市の値段の5割増しだな」
その言葉を皮切りに、店主と男の間で値段の交渉が始まった。なんとなく店の隅でその様子を見守っていると、50000ギルになったところで交渉は終わり、男は赤クリスタルを買って店を出ていった。
よりにもよって、リベネが欲しい赤クリスタルだ。
わざわざレベルの差を見せつけられたような気がして、勝手だと分かりつつも、恨みがましい思いを抱く。どうせ何も買えないので、男が店を出るのに続いて、リベネも店をでた。
今はクリスタルを買うのは無理だ。素直に城壁の上へ登る階段を探そう。
そう思い直した時だった。




