「一生ゲームの中にいたい」 2
紙を見つめていたリベネはふと顔をあげた。
「なにですかこれ。誰かのいたずら?」
「いやいや!多分これ、マジっぽいですよ!実際、誰もゲーム中断できないみたいで」
鼻息荒くクナイ言う。
なんでお前は嬉しそうにそれを言うんだ?
喉元まででかかった言葉を飲み込み、リベネは紙を突き返す。
「こんなのただのバグで、誰かがちょっとしたいたずら心でこういう紙作っただけですよ。だっておかしいじゃないですか。ゲーム側がプレイヤーを閉じこめるなんて、しかもこんな大勢の人数を許可なく、こんな不意打ちでするなんて……。冗談じゃすまされない犯罪じゃ――」
「たとえ犯罪だったとしても、社長の宮平さんにとって、きっとこういう世界にするのが悲願だったんですよ」
「悲願って…んなバカなこと…」
そのとき、突然予備動作なしにクナイが両手でリベネの肩をつかんだ。ぎくりとなるリベネの目をまっすぐ見つめる、熱っぽいクナイのまなざし。
「事実から目を背けるのはやめましょう、リベネさん」
「く…クナイさん?」
「俺、ここで出会ったのも運命だと思うんです…。リベネさん、中身はまだ高校生なんですよね。多分家とか戻れないと不安かもしれないけれど、大丈夫です。俺と一緒に旅して楽しい時間を作りましょう。きっとすぐに不安なんかなくなりますから」
愛らしい少年の顔で、鼻息を荒くしているクナイ。その顔に「憧れのゲーム世界に合法的に暮らして、しかも旅仲間はJK」という夢物語のような妄想がありありと浮かぶのが見えるようだった。
「物腰柔らかな好青年」から、「最高に頭の中がおめでたい馬鹿」へと彼への評価が急降下していく。
気持ち悪い。率直にそう思った。クナイはこの黒髪の少女のアバターを前にしながら、リベネを見ていなかった。
こいつにとって、あたしは都合のいい妄想の手助けをするキャラクターで、異性で、性的対象にすぎないんだ。
クナイに捕まれた、むき出しの肩を中心に、ぞわっと鳥肌が立った。
「ちょ、離してください。ってかなんでそんな嬉しそうに言うんですか?現実に戻れないかもって書いてあるんですよ?」
「誰だって思うじゃないですか、何にも煩わされずに一生ゲームの中にいたい、って。もし、もしこの紙が本当なら、誰もクリアしなければ、一生、合法的にゲームの中にいることができるんですよ!」
ぱっと離れようと身を引くと、今度は肩のかわりに手を捕まれた。
うっ、とリベネの顔が歪む。
童顔のかわいい顔。金色の長いまつげ。人工的に作られた美しいアバターが、急に恐ろしい怪物のように見える。
「たしかに俺、まだレベルで見たら弱い男だけど、こういうゲームには慣れてるから、すぐにリベネさんを守れるくらい強くなるし…だから、おれ…」
「あの…あ、あたしは…」
覆い被さらんばかりに迫るクナイに、リベネの声が震える。
『リベネ』は、現実の自分よりもかわいいけれど、それでもなるべく自分に似せたアバターだった。
男の瞳の中にうつる自分のむきだしのふとももと二の腕を見て、背中に氷水を流されたような悪寒を覚えた。骨の髄から震えた。
「は、離せって言ってんだろ!」
アルタームベアに向き合った時とはまた違う身の危険を感じた体が、全力でクナイの手を振り払っていた。周りのプレイヤー達がこちらに注目するのがわかったが、気にしている余裕などなかった。
背後へ飛びのき、全身の毛を逆立てて威嚇する猫のような気迫で、クナイを睨みつける。
「アホか!なんであんたと旅なんかしなきゃならないんだよ!」
「えっ」と口をぽかんと開いたまま固まるクナイの顔面に叩きつけるように叫んだ。
「女子の手とか、肩とか許可なく触るなよ!気持ち悪いわ!」
見るに耐えない表情へ顔を歪ませたクナイから目を背けるように、リベネはくるりと身をひるがえし、走った。
人々の間をかき分け、かき分け、進む。「うわっ!?」「押すなよ、クソが」「いてっ」という頭の上にふりかかる声を総じて無視して、走り抜ける間に、人々が紙を手にして交わす言葉が耳に入った。
「俺達、ラッキーじゃね?!」
「っしゃ、仕事休んで、ゲームできるってことだろこれ!」
「どう過ごそっかな。スローライフもいいよなぁ…」
喜びがにじんだ人々の言葉。
まるでそうした声を聞く度に目の前が暗くきたなく塗りつぶされていくようだった。
おかしいだろ、なんでそんな反応なんだよ!叫びたい気持ちをかみしめて、視界を圧迫するように降り懸かる声から逃れるようとして、リベネは足を懸命に前にだし、走った。広場を抜け、チャパタの大通りを駆け、城門から外にでて草原を駆ける。リベネに攻撃をしかける魔物も無視して進み続ける。こんなに走ったのはリアルでもゲームでも初めてだった。心臓が爆発しそうなほど脈を打ち、耳がきんきんとなった。
やがてたどり着いたのは、城門外に広がる森の奥だ。
時刻は夕方。森を走るリベネをエネミー認定し、後ろをつけてきた魔物達の瞳に、獰猛な光が宿る。
ぜいぜいと荒い息をしながらリベネは立ち止まり、後方にずらりと並ぶ魔物達を肩越しに睨みつけた。
ふざけんな――プレイヤー達は現実の世界に戻ることができないだって?
ふざけんな――それが制作者側の悲願だって?
ふざけんな――ゲームへの拘束は誰もが望んでることだって?
ふざけんな――どんな狂った理由で、それが混じり気のない絶対的な真実だと勘違いしたんだ?
この状況を生み出したもの、それを肯定するもの、喜ぶもの、それに乗じて自分に近づくもの、そしてこのビュグルズ・ワールドという世界そのものに対して闇雲で壮絶な怒りが浮かんだ。
「アアアアアアアアッ!!!」
腰にさげた鞘からランク1の剣を抜き、迫りくる極彩色の鳥におろした。勝手に発動した剣のスキルによって、リベネの攻撃は正確に斜めの線をえがき、魔物を半分に叩き割る。転がり落ちる経験値玉と、白い光となって散っていく魔物の残像。しかし、涙のにじむリベネの瞳にもはやその残骸は移っていない。
切り裂き魔のごとく闇雲に剣を振り回す少女の攻撃は、魔物からの攻撃でHPが消滅するまで続いた。力が抜け、倒れ伏す身体とブラックアウトする視界の中でリベネは目覚めの時を待つ。
『死亡判定による防具へのデスペナルティが付与されました。詳細は鍛冶屋でご確認下さい』
脳に直接電子音が聞こえた瞬間、まぶたを開かずとも分かった。
チャパタの神殿だ。死んで、また、ここに戻ってきたんだ。
リベネは目をつむったまま泣いた。
わけもなく、涙がこぼれて止まらなかった。