「一生ゲームの中にいたい」 1
ゲームオーバーになったら、強制的に一度ゲーム離脱させられる。
そしてもう一度ゲームを再開すると、近くの町の神殿で復活する。
それがこのゲームの基本ルールなはずだった。
『死亡判定による防具へのデスペナルティが付与されました。詳細は鍛冶屋でご確認下さい』
頭蓋の奥で案内音声が響く。感情のない、無機質な声を半分眠ったままの脳味噌が受け取る。
やがて、意識が覚醒したリベネがまぶたを開いた時、視界に広がっているはずのゲームセンターのVRルームはどこにもなかった。
吹っ飛ばされ、地面の上に崩れ落ちた姿勢のまま、リベネは大理石の床にふせっていた。上半身を起こすと、乾いた土が服にも腕にもこびりついていることに気がつく。座ったまま土をはらいながら、顔をしかめて辺りを見回し、そして、ぽかんとした表情になった。
リベネがいたのは、古びた神殿の祭壇の上だった。正方形の祭壇は、もっと巨大な正方形の床の上にあり、その床を囲うように、空にむかって丸く太い9本の柱がそびえていた。柱が支えるのは、立派な彫刻を施された屋根だ。
この古代ギリシャ風の神殿をリベネはよく知っていた。初心者プレイヤーが拠点にする最初の都市のひとつ、チャパタ市の中央にある神殿だ。病院、役所、礼拝所、留置所などなど様々な役割を果たす巨大建造物たるこの神殿は、もう何度も目にしていた。
なんでだ。
リベネは座り込んだまま、眉をひそめる。ゲームオーバー認定をくらって、強制帰還させられて、あの整然としたVRルームの中で目覚めてるはずだったのに。
バクなのだろうか?
いや、このゲームはバグがほとんどないことで有名だったはずだ。アップデートでなにか不具合がでたのだろうか。
微かな不安を押しのけて、リベネは立ち上がった。
ゲーム内の設定では、プレイヤー達は神界から遣わされた、魔物と戦うことのできる、何度でも蘇る戦士とされている。そのため、死亡してゲームを再開すると神殿からまたスタートするという設定になっているのだそうだ。
なんだか理由は分からないが、とりあえず死んだけど、現実に強制退去されずにここで復活したんだな。そう思うことにして、改めて周りを見てみる。クナイの姿もあの高ランクパーティー達の姿も特に見あたらない。神官の衣装を着たNPCや、剣を携えたプレイヤー達が祭壇の周りをぽつぽつと行き交い、時折リベネの姿を横目で眺めてくるのみだった。
ふう、とため息をついてリベネは立ち上がった。
元パーティーメンバーだった高ランクプレイヤーに対する熱い怒りは、ふき出た時と同じように急速に冷めていた。今はただ、心臓の底で微かなやるせなさがくすぶっているだけだ。
いったん中断するか。
初オンラインゲームであっけなく騙された体験を話したら姉はなんて言うだろう、と考えてすぐに渋面になった。
絶対あいつは爆笑する。こっちがうんざり顔になるのもお構いなしに根ほり葉ほり経緯を聞いてくるだろう。あれはそういう人間だ。……よし。話すのは、笑い話にできるくらい時間が経ってからにしよう。
「ゲーム中断」
つぶやいて目をつむり、先のことに思いを馳せた。ーー昼ご飯を食べて、またこっちに戻ってきたら地道にランク1の剣を鍛えるか。チャパタウサギを五匹倒して、その肉を宿に持ち込んで食べるのも悪くない……
そんな取り留めのない思考を断ち切ったのは、無機質な電子音だった。
『システムエラーが発生しました。現在、ゲームの中断はできません』
「……え?」
意味が分からず、リベネはもう一度「ゲーム中断」とつぶやいてみる。
『システムエラーが発生しました。現在、ゲームの中断はできません』
ただただ同じメッセージが頭の中を流れるだけだった。
中断のやり方が違うのかと思ったが、メッセージの内容からやり方は間違っていないようだ。悪いのは「システムエラー」とやららしい。システムエラーとはなんのことだろうか?やはりなにか深刻なバグがあったのだろうか?
呆然とリベネがその場に立ち尽くしていると、近くに立っていた神官のNPCから声をかけられる。
「すみません、そこの戦士様。次の方が戻ってこられるので、祭壇から降りてもらってもいいでしょうか?」
「あ……はい」
よろよろとリベネが一段高くなっている祭壇からおりると、リベネがいた場所にどこからともなく蛍の光のような小さな輝きが生まれ、収束し、わずか一秒あまりで人間の形を作り上げた。
ぱん!と集まった光が割れると、きょとんとした顔の壮年の男が現れた。
「あれ、死んだはずなのに……」
男がつぶやくのをみて、ますますリベネの中の不安がふくれあがる。
いつの間にか手にじわりと汗がにじんでいた。現実世界で眠るリベネの脳から発信された「不安」という感情データを機械が傍受し、解析し、アバターにその反応を反映させたのだ。
死んだ人が、現実世界に戻れてないし、ゲームの中断もできない。
よろよろと祭壇の間から出て、壁のない屋根と床のみの廊下をすすむ。そして神殿の外にでて、リベネはさらに目を丸くした。
チャパタ市の中央にあり、かつ市内でもっとも高い場所にあるこの神殿の前にある、石畳の巨大な広場。そこに、信じられないほどたくさんの人が集まっていた。いつもは5、6人が大きな広場をぽつんと歩いているのみなのに、この時は剣を釣り下げた100人ほどの戦士たちがその場所に立ち、なにか紙を持ちながら言葉をかわしていた。おそらく全員がプレイヤーだ。
なんで、こんなに人が。
集団の中を突っ切って向こう側に行くのが難しいほどの人口密度だった。異様な光景に戸惑いを隠せないリベネが立ち止まって棒立ちになっていると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「リベネさん!ここにいたんですね」
人混みをかき分けて駆け寄ってくる、金髪の可愛い顔をした、背の低い男性。
クナイだ。
なんだか本能的に後ずさりしたくなる自分を叱ってその場に踏みとどまる。
彼は自分と同じくあの高ランクプレイヤーに騙された被害者だ。知り合いと呼べる唯一の相手だし、基本的に悪い人じゃない。すぐに人を警戒するのはよくない癖だ。大丈夫だ。大丈夫。
約三秒の短い間でなんとか自分に言い聞かせたものの、クナイの表情が熱にでも浮かされたような興奮気味のものであることに気がついて、再び警戒心が首をもたげ始める。
「もー、必死に探しましたよ!そろそろ神殿で復活する頃かな、って思ってたんで」
「はあ…どうも」
軽いお礼で済ませつつ、他に話し相手もいないリベネは、疑問に思っていたことを素直に聞いてみた。
「あの、なんかバグ起きてませんか?ゲーム中断できないし、死んでも現実世界に戻らないし…」
「あっ」とクナイは驚きを顔に浮かべてから、ふと合点したように言った。
「もしかして、まだこれを見てない感じですかね?」
彼が差し出してきた一枚の紙を受け取る。広場にいる皆が持っていたものだ。
「なにこれ――」
「プレイヤー諸君に告ぐ。
すでにお気づきの方も多いかと思われるが、
君たちはビュグルズ・ワールドにおいて、真に永遠の戦士となった。
戦闘および他のなんらかの理由で死亡した場合、
現実に戻ることはなく、君達は神殿で蘇る。
ゲーム中断方法もなく、外部からのデータ干渉で
君達がゲーム離脱されることはない。
データ改変はもちろん不可能な状態にある。私の手によってでも、だ。
すなわち、現実の肉体の息の根が止まるまで、
君達は永遠にこの世界に居ることができるのである。
老いることもなく、病に伏せることもなく、
日々の仕事にさいなまれることもない世界が
このビュグルズ・ワールドには存在する。
心行くまでビュグルズ・ワールドを楽しみ、生きてほしい。
それが創造者たる私の願いだ。
この世界から現実へ戻ることを望む者があるならば、
ただひたすらに、剣を鍛えあげるといい。
剣が最高ランクに到達した時、
この世界は正しい形で終わりの時を迎えるだろう。
ただし、焦ることはない。
君たちがビュグルズ・ワールドで一週間過ごす間に、
現実で過ぎる時間は約一日だ。
たとえ一年この世界で過ごした気分でいても、
現実ではたったの一ヶ月のみの時間を費やしたに過ぎない。
以上の事柄を踏まえながら、諸君等の好みのやり方で
この「ビュグルズ・ワールド」を楽しんでいただければと思う。
ベータオメガ株式会社 代表取締役 宮平雅人」
リベネは一度ざっと呼んでから、もう一度最初から最後までじっくり読み返した。読み進めるうちに、しかめ面になっていくのが自分でもわかった。