初心者プレイヤー・リベネ 2
「だるいなあ」
リベネはぼそっと思わずつぶやいていた。
「今からばっくれたいな…」
えっ、とぽかんとしたクナイの顔を見て、リベネは自らの失態に気がついた。
あー、つい本音が。
「……という冗談で緊張を和らげようと思っただけです」
苦しい言い訳で取り繕う。ついでに軽く手を振った。
「そんな顔しないでください」
「す、すいません。本気で言っているのかと思って」
うん、うん、だいたい本気だけど。
二人がやるべき内容は簡単だった。突撃して、アルターヌベアに殺されること。ベテラン三人が奇襲攻撃を成功させるために、ミジンコの二人はぷちっと殺され、おめでたくデスペナルティと死の痛み―—それも多分強烈な―—を食らうという寸法だ。
やっぱ断ればよかったなー、とリベネは巨大なクマを見ながら思う。
あれだ。
今からなんか色々と理由つけて断ろうかな
自分、生理中なんで無理です、すいません。とか?
意外と名案かも――などと考えるリベネの心境も知らず、唐突に隣のクナイがしみじみとつぶやいた。
「僕たち、ラッキーですよね」
「ぇえっ?」
腹の底から変な声がでた。
「ほら、ゲーム開始初っ端からランク2やランク3の人たちのパーティーに一時でも入れてもらえるなんて、すごく幸運だと思いません?」
「ま、まあたしかに」と、リベネは肩をすくめて同意するふりをしておいた。
リベネがパーティーを組むことを承諾したのは、向こうからの勧誘がとにかくしつこかったこと、そしてランク1のひよっこ戦士には特別な措置があることが理由だった。
死んでもパーティーに所属していれば、経験値分配をある程度受け取ることが可能なのだ。高ランク剣士3人とクナイとリベネ、計5人に経験値が分配されたとしても、相手はあのアルターヌベアだ。かなりの経験値がもらえるにちがいない。
それ以外の感慨―—このパーティーに誘われた名誉感とか喜びとか、そういったものは持ち合わせていなかった。むしろ、クナイの純粋な喜び方には少し辟易する思いだった。
「ところで、クナイさん」
アルターヌベアが寝転がるのを待つなかで、リベネは口を開いた。
「はい」
「死んだこと、あります?」
彼は乾いた唇を軽くなめてから、困ったような微笑みをした。
「まだ一度もないです。神殿で蘇るってどういう感じなんでしょうか?」
「さあ。私もまだ死んだことなくて」
リベネとしてこの世界に降り立ってから、ゲームの中では1日経ったが、現実世界では3時間程しか過ぎていないはずだった。まだ時間経過は確かめていないので、正確にはわからない。だが、死んだら、一度ゲームとの接続が切れ、リベネは現実世界のゲームセンターに設置されたVR専用ルームの中で目を覚ますので、そのとき時間を確認すればいいだろう、とリベネは思っていた。
「俺、チャパタウサギの突進ですら、痛いなあって思いましたもん。あのクマの攻撃なんか……」
「考えるだけでぞっとしますね」
クナイがちらりと茂みの向こうへ目を向ける。
その瞬間、彼の肩がこわばり、緊張が走ったのが見て取れた。
「痛いって思った瞬間、ささっとゲーム離脱になることを願いましょう」
「はい」
リベネも茂みの向こう側をのぞくと、いつの間にかアルターヌベアが寝転がっていた。二人は目をあわせ、うなずきあった。
リベネがクリスタルを振って「パーティーリーダー・マディス」と呟くと、紫の光が中心から溢れだす。脳裏に精悍な顔に髭を生やしたリーダーの顔を思い浮かべていると、やがて、向こうの茂みに隠れているランク3のマディスのクリスタルとつながった。
「リベネです」
『ああ』
「始めてもいいでしょうか」
『よし、今から10秒数えて行け』
声を聞いたクナイは緊張と不安で青ざめた顔をしたが、気合いを入れるようにうなずき、広げた両手の指を折ってカウントダウンをはじめた。
「……なんかさぁ」
指が四本折られたあたりで、リベネはふと口を開いた。
「リーダーって、あのひげ、自分でカッコいいとか思ってるんですかね」
「リ、リベネさん、まだ、通信っ」
「……あっ」
紫の光がまだついていた。向こうに聞こえてたかもと思いつつ、連絡を切るためにクリスタルを揺すっていると、無性におかしさがこみあげてきた。思わずにやりとしてしまう。クナイもつられて破顔した。肩の力はもう抜けたようだった。カウントダウンが終わると、二人は右手の剣を握りしめ、茂みからひそやかにはいだした。
仰向けに寝転がるクマとの距離を詰めると、茶色の剛毛におおわれたクマが眠っているのがわかった。
リベネは頭上に剣をかかげ、全体重をかけて脚部へ剣を突き刺した。瞬間、アルターヌベアがかっと目を見開き、身をよじって咆哮した。
剣を抜いてリベネは後ずさる。
その時、隣でクナイが何かを言っているのが目で見てわかった。だが、クマの怒りに満ちた轟きがリベネの鼓膜を支配していた。
「―—聞こえません!」
びぃぃん、痺れる耳が徐々に聴覚を取り戻していく。
リベネは転がって、両腕を振りかざすクマの脇へ移動し、片膝をついてランク1の剣を構えた。瞬間、クナイの悲鳴のような声が鋭く空間を切り裂いた。
「リベネさんっ、リベネさんっ!」
「なんですか!?」
「パーティーが、解除されてッ―—」
悲痛な叫びは、アルターヌベアの長い爪がクナイを服ごと切り裂くと同時に止んだ。一撃、二撃と容赦なくクマの手が襲いかかる様子がスローモーションのように眼に映る。土の上にクナイがどっと倒れ込んでも、リベネは何が起こってるのかわからなかった。
立ち尽くすリベネの前で、ずたずたになったクナイの傷口から白い火が噴きあがる。底をついた彼のHPが、アバターを光の欠片へと変え、その魂を現実世界へ強制送還しているのだ。
アルターヌベアが獰猛な眼差しでこちらを見つめる。
だが、リベネはその殺気に気がついてもなお、錆ついた釘が足にうちこまれたかのように、その場から動けずにいた。
「……え?」
自分を敵認定したクマの存在などお構いなしに、確認の動作をふるった。間違いであれ、と祈りを込め、握りしめた左手で大きく十字を描く。
『あなたは現在パーティーに所属していません』
断罪の宣告のように、電子音が頭蓋の奥で響いた。
「―—あいつらッ!」
最初からこうするつもりだったのか。利用だけして、経験値は全く分け与えないつもりだったのか。
ああ、くそッ、ちくしょう。あいつらが今どんな顔をしているか、考えるだけで激しい怒りがわいてきた。それだけでなく、こんなずるいやり方をする人がいること、しかもよりによって初心者プレイヤーを騙す奴がいる、ということに対し、言葉にできないほどのショックがこみあげてきた。
アルターヌベアの背後へ、つい先ほどまでリベネが所属していたパーティー集団が近づいていた。
いかにも頑丈そうな鉄の鎧が、木漏れ日を鈍く反射してリベネの視界を灼いた。その色は、排気ガスで汚れた雪にちょっと似ていた。
パーティーの姿に気をとられたその瞬間、熊の棍棒のような右腕が地面と垂直になぎ払われた。よける間もなく、がつん!という衝撃が体の中心をまっすぐに貫く。小柄なリベネのアバターはまばらに立つ木の間をふっ飛んでいって、どこかの大木の幹に叩きつけられた。
視界が暗転した。