そして剣の元へ 2
洞窟にこもってから、早くも4日がすぎた。順調な探索を通じてリベネのレベルは9にあがっていた。
ここまで一度も死なずに済んでいるのは、モロクに貸してもらった上下セットの防具のおかげだ。ビギナープレイヤーのリベネは筋力値が低いため、重く、動きづらく感じる物だったが、不意に襲いかかってくる魔物の打撃から身を守ってくれた。
洞窟の魔物達は、モロクにとっては大した強さではないようだったが、リベネが剣で攻撃しても皮膚が固く、文字通り全く刃がたたなかった。そのため、リベネは剣を鞘にしまって彼の背後でランタンを持ち、後ろから襲いかかってくる魔物に小さな赤クリスタルを投げて攻撃する役目を担った。リベネの剣撃ではろくにダメージを与えられない上に、闇雲に剣を振り回せば邪魔になる、とモロクが判断したためだ。
また、それに加えて、洞窟内に落ちているアイテムや、魔物から採取できる素材もリベネが拾う係になった。回収したアイテムは全て自分の鞄にはしまわず、モロクの黒クリスタルの中に保管した。手に入れた報酬は後で分けると彼が言ったからだ。
(モロクさんはあたしに嘘はついてないと思う。……多分、だけど)
洞窟を進むにつれて、教えてもらったことはいくつもある。
例えば、この洞窟がよだれを垂らし続けるゴブリンの巣窟になっていることだ。洞窟の床や壁は所々ゴブリンのねっとりしたよだれが付着しており、気を抜くとすぐに踏みつけて靴を汚す羽目になった。他にも、いくつか魔物が出現しない休憩ポイントが設定されていることや、天井が高く剣が振り回しやすい場所があるなど、モロクに指摘されて始めて気がつくことがたくさんあった。
まるでモロクは教師のようだった。
それも、無口で厳しく、常に不機嫌な顔をした教師だ。だが、忍耐強い教師でもあった。
言葉数は多くはなかったが、彼は飲み込みの悪い少女に愛想を尽かさず、何度も何度も大事なことを教え込んでくれた。剣の構え方も、アイテムの投げ方も、倒した魔物からアイテムをはぎ取る方法も、よく分かっていなかったリベネに手本を見せ、実際に体験させ、直すべきポイントを指摘してくれた。
(パーティー仲間としてこれほど良いプレイヤーは、きっと他にいないだろうな。もう少しにこにこしてくれたら本当に申し分ないんだけど)
探索を始めてから、モロクは一度も笑顔を見せていない。魔物を倒す時も、休憩で睡眠をとる時も、気分転換に食事をする時も、常に不機嫌な仏頂面のままだった。片時も彼の眉間に刻まれたしわは消えることがなく、手持ちぶさたになるといつもどこか遠くを見ていた。
「はぎ取り技能はもう覚えたか」
切り伏せた3体のゴブリンを見下ろしながら、モロクが言った。
「大丈夫だと思う。ちょっとランタン持ってて」
明かりに照らされたゴブリンの死体は、見慣れたとはいえ、相変わらず醜悪だった。べろりとめくれた唇からぼろぼろの歯がのぞき、よだれが首筋までたれている。灰緑色の肌には、たるんだしわが浮かび、顔の中央あたりにあるちっぽけな瞳は白目をむいていた。3体とも大きさも見た目も気持ち悪いほど均質で、各々切り倒された方向で地面に倒れている。
リベネがゴブリンの死体から角をもぎ取る最中も、やはりモロクはしかめ面のままだった。リベネはちらと男の顔を見上げて、一度目をそらし、それから勇気を出して聞いてみた。
「ねえ、あたし、モロクさんのことなにか怒らせた?」
角を引っ張ると、すぽんと抜けて光がきらめき、『チャパタゴブリンの角・小』というアイテムとなって手のひらの上に乗った。上手くはぎ取ると、大きなサイズになるのだが、コツがなかなかつかめない。
モロクは抜き身の剣を背中にかけてから、首をかしげた。
「いや。何故そんなことを聞く?」
「だって、ずっとしかめ面してるじゃん。怒ってるのか、それとも探索がつまんないって思ってるのかなって」
「ああ……」
モロクはなにか思うところがあるようだった。リベネがゴブリンの角を黒クリスタルにしまう様子を黙って見守っていたが、やがて彼は静かに口を開いた。
「お前のせいではない。このゲームはつまらない、くだらない、と自分自身に言い聞かせているからそんな顔になっていたんだろう」
モロクは遠くにある何かを探すように、目を細めて洞窟の闇を見つめる。
「ビュグルズ・ワールドには色々な娯楽が揃っている。気を抜けばもっとこの世界にいたいと思ってしまうだろう。それでは運営の思うつぼだ。ゲームの仕組みを効率的に使って自分の剣を鍛える一方で、楽しむな、冷徹であれ、と自分に言い聞かせる必要がある、と俺は考えていてな」
「ふうん。じゃあその冷徹なモロクさんが、この前あたしのことを笑ったのはなんでだよ」
モロクがにやりと唇の端をあげた。
「それは小僧がとっぴょうしもないことを言うからだ」
「こ、小僧……!?またわざと呼んだな!もう絶対許さない!」
真っ赤に顔を上気させてリベネはモロクを殴ろうとしたが、モロクが少し体をねじっただけでかわされてしまった。リベネが怒声をもらして睨むと、挑発するようにモロクがランタンをかかげてゆらしてきた。かなり頭にきた。
次こそは、次こそは、とリベネは何度か向かっていったが、モロクは軽々と全てをかわし、拳は空をかいていく。挙げ句の果てに、隙をついて腰をつかまれ、宙に浮かされてしまった。まるで小さい子供を「たかいたかい」とあやす姿勢のようだった。
「は、はなせっ!」
リベネは足をばたつかせて暴れたが、モロクは全く動じなかった。
「降参するか?」
「する!するから放してってば!」
もしも次「小僧」や「坊主」などと呼んできたら、なにがなんでも許すもんか。屈辱的な体勢から下ろされたリベネはいまいましく男を睨みつけた。だが、彼が楽しげに笑みを浮かべていることに気がつくと、ふんと満更でもない様子で鼻をならした。
乱れた服装を整えつつ、リベネは何気なくモロクに言った。
「モロクさん、そんな感じでもっと笑えばいいんじゃない」
しかし言ってすぐにリベネは後悔した。すぐさまモロクが仏頂面に戻り「そういうわけにはいかない」と言って顔を背けてしまったからだ。柔らかな雰囲気はすぐに失せ、「ほら、黒クリスタルを鞄にしまえ。次に進むぞ」とアイテム回収をせき立てられる。
(楽しむな、冷徹であれ、か)
男の大きな背中を見ながらリベネは思った。
(笑ってる時間が惜しいくらい、この人は早く戻りたいんだ。それに比べて、あたしは、覚悟が足りないんだろうか)
洞窟の中は狭い通路と大きな空間が交互に設置されており、たいてい大きな空間にはゴブリンの群れが巣くっていた。
でこぼことした狭い通路を数分間進んだ後に、いつものようにリベネ達は、また新しく、開けた場所にたどり着いた。洞窟の中では見たことのないほど巨大な空間だった。
ランタンの光をかざしてみると、意外なことに、ゴブリンの姿はなかった。
「探索技能にも魔物の反応がない。ここまで広いのに何もいないとはな」
「誰かが倒した後だったりして?」
「それか、もともと出現ポイントが設定されていない可能性もある」
天井も床面積も広大な空間だった。ランタンの光が部屋の壁まで届かないほどだ。歩き回ってみると、きれいな円形の部屋になっており、出口となる通路は、リベネ達が入ってきた通路とその向かい側からのびる計二本の道だけだと分かった。
もうひとつの出口付近に設置されている石像を最初に発見したのはリベネだった。見つけた瞬間、ここまでの単純な探索が終わりを告げる予感がして、思わず唾をのみこんだ。常にどこからか聞こえる、ごうんごうんという不気味な風音がやけにうるさく耳に響いた。
「モロクさん、ちょっと見てよ、これ。見覚えない?」
通路出口の右と左に、向かい合う形で狼の石像が置かれていた。灰色の直方体の台座の上に四つ足をのせた獣達は、口を開けて鋭い牙を見せている。
モロクが狼の像に近づいてじっくりと眺めた。
「神殿で俺たちを飲み込んだ像と同じだな。大きさはだいぶ小さいが」
モロクとリベネはその石像に触ったり叩いたりしてみたが、ひんやりとした石像は沈黙を守ったままだった。
「今度は飛びかかったりしてこないんだね」
「この先に何かあるのかもしれない。慎重にいくべきだな」
そう言ってモロクは服の下に隠していた通信用クリスタルを取り出した。「念のため交換しておこう」ということで、二人は互いのクリスタルを触れあわせた。これでいつでも連絡がとれるようになる。
通路に足を踏み入れる前に、リベネはランタンの明かりで先を照らした。
巨大な広間から続く道はこれまでの洞窟の道とはがらりと様相を変えていた。壁も床も天井も、つるりとした継ぎ目の見えにくい黒い岩でできており、なめらかで傷一つない板のようになっている。両側の壁近くの床には1メートルごとにシンプルなろうそくが置いてあったが、火はついていなかった。
「なんか不気味だね。ほんとにこのまま進むの?」
「なんだ、怖くなったのか?」
「別に怖いわけじゃないし」
威勢がいいところを見せようとしてリベネが通路に足を踏み入れた瞬間、「ぼしゅっ」という音がしてリベネは飛び上がりそうになった。見ると、両側のろうそくに火がついていた。
「ろ、ろうそくか」
「ただのろうそくに怖がる必要はないぞ、小僧」
「小僧じゃないから!」
「それは失礼した。とりあえず先に進むぞ」
確かな足取りでモロクが通路を進みだし、リベネがその背中を追った。彼らの歩みに併せて、ぼしゅっ、ぼしゅっ、と両側のろうそくに火が灯っていく。不思議で怪しい光景だった。どうやらもうランタンは必要なさそうだ。
通路は長く、ろうそくは何百本も並んでいた。背後の入り口が遠ざかり、親指の爪ほどの大きさになった頃に、ようやく通路の出口が見えてきた。最後、通路から出ようとする時にリベネはろうそくを一本蹴ってしまったが、ろうそくが倒れただけで、何も起こらなかったので、ほっとしながら部屋に出た。
「うわ。また、あの狼だ」
「同じだが、炎がともっているな」
部屋の真ん中で二人を出迎えた巨大な狼の像は、ぱっくりと開けた口をこちらに向け、飢えた瞳で二人を見下ろしていた。巨大な台座に鎮座し、その舌の上ではたき木もないのに凶悪な炎が燃えていた。いつか見たキャンプファイヤーの炎のように、巨大な火は明るく、そして熱かった。
真ん中に狼の石像が置かれたこの部屋は四角い形をしていた。今通ってきた道を含めて東西南北それぞれに道がのびており、4つの道は全て同じ大きさで、同じようにろうそくが置かれており、長くまっすぐのびていた。
「今度は選択肢が三つか」
リベネはげんなりしながら見かけが同じ通路達に目をやった。
「なにこれ、どうすればいいの?」
「1つが当たりで他の2つの道には罠がしかけられてる、という設定はゲームでよくあるな」
「外れを引いたらどうなると思う?」
「さあな。苦しんで死ぬんじゃあないか」
リベネは乾いた唇をなめ、ふんすと鼻をならした。
「それで本当に死ねたら本望だね。どれも違いはないみたいだし、こっちから行くのはどう?」
リベネ達は右側の道を選んで進んだが、予想していた罠はなく、長いろうそくの道が続くだけだった。
通路の先で待ちかまえていたのは、また狼の開いた口と巨大な炎、そして、あの同じような四角い部屋だった。部屋は先ほどと同じように四方向に道ができている。
「また選択肢が三つか。この調子だとねずみ算式に可能性が広がっていくぞ」
腕組みをし、苛立ちまじり声でモロクがつぶやく。
その時、ある重要な事に気がついたのはリベネだった。
「待って、モロクさん。違う」
振り絞るように出された声は、恐怖でかちこちに凍り付いていた。
彼女の目線は、あるひとつ物に縛り付けられていた。
今さっき通ってきた通路――その出口付近にある倒れたろうそく。
「ねえ。これ、さっきと同じ部屋だよ」
「そんなはずはない。内装が似ているだけで、ここは別の部屋なはずだ」
「だって、あのろうそく……」
リベネは唇をつぐみ、黒クリスタルから『ゴブリンの角・小』を取り出して床に置いた。狼の像の口の下あたりだ。
「じゃあ、今度は左側の道に行こうよ」
リベネはモロクよりも早く、何かから逃げ出すような歩調でまたろうそくの道を進んだ。長い道には明かりをともした何百本ものろうそくが並んでおり、歩を進めるごとに二人の影が踊り狂った。どこからか聞こえるごうんごうんという地鳴りのような風音は、止むことなく二人を追い立てた。
通路の出口付近で、またろうそくが一本倒れているのを見て、今度こそモロクの顔色も変わった。そしてその先に待ちかまえていた、狼の口と炎、そして床に置かれたゴブリンの角を見て、とうとうモロクはうめき声をあげた。
「一体どうなっているんだ……」
二人は躍起になって四本の道を行ったり来たりしてみたが、どの道を通っても、何をしてもこの部屋に戻ってきてしまった。どの道を行こうが、部屋にでると、炎をくわえた狼が彼女達を出迎えるのだった。
やがて歩き疲れたリベネは、狼の石像の前で座り込んでしまった。
「なんなんだ、この部屋は」
明かりの下で、モロクもリベネの向かい側にあぐらをかいて座った。彼の顔色は暗く、眉の間のしわはますます深くなっていた。おそらく、自分も同じような表情をしているのだろう。
「閉じこめられたようだな。こいつは苦しんで死ぬよりたちが悪い」
男の苦渋に満ちた声を聞いて、口の中に嫌な味が広がった。床に落ちた濃い影を見つめながらリベネは、曲げたひざを顔に引き寄せる。
「なんていうか……ごめん。あたしがモロクさんを巻き込んじゃったから、こんな変な場所に来ることになっちゃったわけだし」
「気にするな」
そう言いながら、またモロクは遠い場所へ目を向けていた。ここではないどこかを見つめるように。
(楽しむな、冷徹であれ――)
彼の声が脳裏によみがえる。気がつくと、リベネは尋ねていた。
「モロクさんはどうして元の世界に戻りたいの?奥さんとか子供がいる感じ?」
モロクは意外そうにぱちくりとまばたきし、そして苦笑いを浮かべた。
「いや、妻も子もいない。別の理由で俺は帰る必要があってな……」
そこで彼は口をつぐみ、けげんな顔で狼の石像の方を見つめた。
「どうしたの?」
「なにか書いてあるぞ」
彼は狼の顎の下をかがんで進み、石像の台座を手でなぞった。狼の口元で深い影になっている場所だ。リベネも近づき、取り出したランタンの明かりで照らすと、小さく文字が刻まれているのがわかった。
炎に飲まれし者に
祝福があらんことを
「これ、特殊技能『炎の祝福』のこと言ってるのかな?」
「だろうな。だが、そもそも『炎の祝福』とはそもそもなんなんだ?この隠しステージに入る以外に何ができる?」
リベネは肩をすくめた。何ができるのか、こちらが聞きたいくらいだった。
(炎に飲まれし者に、祝福があらんことを――か)
ふとリベネはランタンを地面に置いて、台座に手をかけた。
よし。この高さならいける。
手に力をこめ、ぐいと体をもちあげた。台座の上になんとか這いあがると、リベネは体をかがめて狼の腹の下を探った。そして途中ではっと息を飲んだ。狼の腹の中央部に、これみよがしに出っ張った岩があったのだ。
「どうした?なにかあったのか」
「うん。ちょっと、押してみるね」
手のひらサイズの四角形の岩は、力をこめると狼の腹の中にずぶりと沈んだ。
息をのむ一拍――その後に、ゴトリ、という重い音が響いたかと思うと、狼の石像が動き始めていた。慌ててリベネはモロクの手を借りながら台座からおりた。石像から距離をとり、部屋の隅で呼吸することも忘れて、石像の変化を見守った。
上顎が肥大化し、下顎が床までのびる光景――ちょうど神殿で見たのと同じような変化の仕方だった。岩同士が軋み、悲鳴に似た音をたてながら、あるひとつの入り口を形作っていく。
「神殿と同じだ!これでやっと出口が……」
「いや、喜ぶのはまだ早い。あの火は通り抜けることができないぞ」
モロクの言う通り、狼の口の中には相変わらず巨大な炎が燃え盛り、到底のどの奥へと入れるような状態ではなかった。
「この中に入っても炎に飲まれて死ぬだけだ。なにか別の抜け出す方法を探そう」
「だけどさ、どう考えても、これが正しい出口じゃない?四つの道を行っても、どうせまたここに戻ってくるだけだよ」
「そうかもしれないが、この火を消さない限り、通るのは無理だ」
(炎に飲まれし者に、祝福があらんことを)
リベネは自分の手のひらを見つめた。すべらかで白く、か弱い手だった。この手が熱い炎に蹂躙され、焼けただれるのは可哀想だと思った。どういうわけか自分が痛みにもだえ苦しむこと以上に、この肌を傷つけることへの罪悪感の方が大きかった。この迷路のような部屋のせいで頭のねじがゆるんでしまったのかもしれない。
(冷徹であれ)
唇をかんでリベネは炎に包まれた入り口に近づいた。まぶしい光の奥は闇に包まれており、そもそもこの先に道があるのかどうかもわからない。じっと炎を見つめていると、次第にアイスボアーと共に熱に飲み込まれて死んだ時の記憶が蘇ってきた。フロレスタは今頃どうしているのだろうか。リベネのことを思い出したりしてくれているのだろうか。
『フロレスタは戻れないと思います』
リベネはきっと炎をにらみつけたかと思うと、次の瞬間、肩から炎の中につっこんでいった。「よせ――」というモロクの言葉が背中を追いかけてくる。知らない。聞こえない。だって出口はきっとここにあるんだから。
炎は少女のアバターを飲み込み、一層燃え盛ったかのように見えた。思わずモロクはため息をつきそうになったが、もう一度炎に視線を向けた瞬間、はっと驚愕で固まっていた。
モロクの前で、炎に包まれたリベネが呼びかけた。
「モロクさん」
たっぷりの戸惑いに濡れた声で言う。
「あたし、火を熱く感じないや」




