炎の祝福
「あの男はストーカーか?」
小さな部屋からでて、壁のない吹きさらしの長い廊下を歩きながらモロクが言った。
「ストーカーって言っていい、のかな。前に一回断ったのにまたパーティーに入れって迫られたんだよね。断るならきちんと理由を言わないと許さないとかなんとか……」
「災難だったな。女のプレイヤーは、ああいう変な輩がつきやすい」
「あー、そうなんですか」
「知り合いからそんな話をよく聞く。それとな、念のため言っておくが、次にこういう目にあった時はちゃんとした知り合いに助けを求めろよ。ストーカーは執着相手が嘘をついたと知ったら、激昂してさらに過激化するだろうからな」
モロクを指さして「この人とパーティー組む約束しているから、クナイさんとは、無理」と突然嘘をついたことを言外に責めているのだろう。リベネは小さな声で素直に謝る。
「あの、変なことに巻き込んでごめんなさい。話を合わせてくれて、すごく助かった。どう感謝したらいいのか分かんないけど……えっと本当にありがとうございます」
モロクはにこりともせず、相変わらずの仏頂面のまま言った。
「……意外と坊主は律儀な性格だな」
「ちょ!?だッ、だから、坊主じゃないって言ってるじゃん!さっきから、おにーさん、わざと言ってるでしょ!?」
噛みつくようなリベネの声にも男は顔色を変えず、肩をすくめて歩いていった。リベネは下唇を噛んでぎろりと男を睨みあげる。あーもう、この余裕な感じが、むかつく。
一方的にからかわれて終わるのはなんとなく腹立たしいので、モロクの服の裾を少し引っ張ってこちらに視線を向けさせた。
「ねえ」
「なんだ」
「あの大きい赤クリスタルなんだけどさ。モロクさん、わざと落としたじゃん。なんでそんなことしたの?」
その時はじめてモロクの表情がぴくりと動いた。
おっと、とリベネは意外に思う。モロクはどことなく決まり悪そうに、リベネから目をそらしてつぶやいた。
「偶然落としただけだ」
「ええっ?いやいや、あれ絶対わざとだったから」
「気のせいだ」
もしかして、照れてる?
大人の失態を見つけてしまった学生のような、いたずらっぽい特大級のにやにやを浮かべてリベネはモロクの顔をのぞきこんだ。
「回りくどいやり方だけどさ、あたしにくれるために落としたんでしょ?すぐにわかったよ。モロクさんって顔怖いけど、実はすごいいい人なんじゃない?ねえねえ」
「知らん」
モロクの歩みが分かりやすく早くなったのでリベネはおかしくてしょうがなかった。あまりからかいすぎると怒られそうなので、ゆるんだ表情のまま黙って彼についていく。
やがてモロクが神殿の小さなホールに入っていくと、リベネは一瞬立ち止まり、軽く振り返った。クナイの姿はないことを確認してから、モロクに続いて巨大な正八角形の部屋に足を踏み入れると、脳に直接響くメッセージが、「ここは東ホールです」と教えてくれた。
「これ、なんの部屋?初めてきたんだけど」
「本気で言っているのか?」
「うん、本気」
呆れ顔でモロクが「ゲーム攻略には必須の場所だぞ」とつぶやく。攻略にいそしむ余裕なんてなかったし、とモロクの表情を気に止めることなくリベネはホールの中を見渡した。
東西南北の四カ所に大きな石像が設置されており、像の間に一つずつ、計四つの受付がホールには設置されていた。いずれも少しずつデザインの違うカウンターだったが、中にNPCの神官が一人立っており、後ろに復活用の祭壇に似た台座が置いてあるのは四つとも共通して同じだった。場所によってはプレイヤーが5、6人並んでいるなど、全体的ににぎわっており、高い天井の下で人々の話し声が反響していた。
「あれが換金所で、その隣がステータスを確認する場所。向こうが剣の登録で、これが都市間戦争の状況を教えてくれる場所だ」モロクが指さしながら教えてくれる。「ミロタウロスの石像の裏に、小さいが出口もある。そこから後で出よう」
モロクの言葉を聞きながらリベネは首をひねった。
「あー…そういえばなんかやらなきゃいけないことがあった気がする。なんだっけなあ」
「換金か?」
「いや、そんなことじゃなくて……。てか、そもそも換金所ってなにするとこなの?」
一瞬沈黙が二人の間を支配した。
内心モロクは呆れたのかもしれないが、表面には感情を浮かべず、鞄から黒いクリスタルを取り出して「少しついてこい」と言った。
黒いクリスタルは「倉庫」の役割を果たすとゲーム開始前の説明書きで見たことを思い出す。リベネはもちろん持っていないが、その小さなクリスタルの中に剣や鎧などを保管でき、いつでも取り出したりしまったりすることのできる便利アイテムなのだそうだ。
しばらく列に並び、順番が回ってくると、モロクが受付の前で黒クリスタルをかざした。蛍の光に似た、小さな光の粒がクリスタルの下に生まれ、収束し、その光の中から魔物の毛皮がどさっと落とされた。続けて、骨や爪など様々な採取物が落ちてくる。
こんな感じででてくるのかぁ、ともの珍しげに眺めていたリベネだったが、やがて、出され続けるアイテムがうず高く積もり、山となり始めるあたりからあんぐりと口を開かざるを得なくなった。
一方、モロクはまるで動じた様子もなく、淡々と説明をする。
「倒した魔物が消える前に“はぎ取り技能”を使うと、身体の一部が素材アイテム化する場合がある。ほかの用途に使う場合もあるが―—とりあえず、一定数集めればここで金に変えてもらえる。金は大事だからな、換金所は絶対に利用すべきだ」
そう言い終えた後も、黒クリスタルによるアイテムの吐き出しは一向に終わらなかった。カウンターの机にできた山は、向こう側にいる神官NPCの姿を半分隠すほどの大きさになり、列に並ぶ後ろのプレイヤーがざわつきだした。リベネだけでなく、他のプレイヤーから見ても異常な量のようだ。一体何をどうしたらこんなに集められるのか、全く想像がつかなかった。
でも、これだけあれば、とリベネは思う。
想像を絶するほどたくさんのお金を貰えるはずだ。きっと、あの大きいクリスタルも買えるほどの―—思考があの赤く輝くアイテムに至った時、リベネは冷水を浴びせられたようにはっと息をのんだ。
爆発後のおぼろげな記憶が蘇る。『脅威への挑戦により、特殊技能“炎の祝福”を獲得しました。詳細は神殿で確認できます』という声。
「ねえ、モロクさん。ステータス確認の場所って隣のカウンターであってる?」
「ああ」
「ちょっと用事を思い出したから、行ってくるね」
リベネは早足で隣の閑散としたカウンターに向けて歩きだした。『特殊技能』、『炎の祝福』など、これまで聞いたことのない響きに、不安と期待で心臓が早鐘を打つ。
受付のNPCに声をかけると、リベネのステータスが印字された薄い紙を渡してくれた。
紙の上部には大きな文字で『プレイヤーレベル8』『剣ランク1』『所属都市:なし』と書かれ、下にさらに詳細なステータスが書かれている。このゲームは筋力やHPなどは数値として公開されないが、データとしては組み込まれているらしい。同レベルプレイヤーの平均よりもHPは高く、筋力は弱い、というように棒線グラフで示されていた。ろくに剣をふるっていない代わりに、様々な魔物に殺され続けていた結果が反映されたのだろう。
ステータスの下に書いてあるのは“技能”だった。その項目をリベネは注意深くじっと見つめた。探査技能、投擲補正技能、はぎ取り技能などプレイヤーレベルに応じて成長する基礎技能に加えて、赤い字で目立つように言葉が印字されていた。―—“炎の祝福”と。
「なにかあったのか?」
換金を終えたらしいモロクが後ろからのぞき込んできた。隠す理由もないので、モロクに紙を手渡す。
「右下のところ、見てよ。さっき赤クリスタルの爆発で死んでみたんだけどさ―—」
「本当に試したのか」
リベネの言葉を遮って、モロクが言った。紙から顔をあげて、目の前の少女を意外そうに見つめている。
皮肉っぽい笑みを浮かべてリベネは肩をすくめた。
「試さないと思ってた?飛び降り自殺もやってみたし、アイスボアーと一緒に赤クリスタルで爆発もしてみたよ。結果は見ての通り、現実には戻れなかった。モロクさんの言うとおり、くだらない使い方になっちゃった。けど、なんでか分かんないけど、赤クリスタルのおかげで特殊技能とかいう変なものを獲得したみたいなんだ。この“炎の祝福”とかってやつ、モロクさんは知ってる?」
「特殊技能のことなら詳しくないな。一時期俺がゲームにログインしていなかった間に追加されたとは聞いていたが」
あの、とそこで口を挟んできたのは、カウンターの向こうに立っている神官NPCだった。
「“炎の祝福”獲得者には、特別ステージが用意されています。こちらの石像の前に来ていただいてもよろしいでしょうか」
特別ステージってなんだ?と思ってモロクを見る。俺も知らない、とモロクが首を横にふった。
ステータスの紙を返してから、二人はいぶかしげな顔つきで、NPCが指し示すままに角の生えた狼の石像の前に立つ。モロクの身長よりもさらに大きな、2メートルくらいはありそうな巨大な石像だ。牙のびっしり生えた口を大きく開け、今にもこちらに飛びかかってきそうな躍動感のある姿をしている。
神官NPCはカウンターから出て、石像の隣に立つと、やたらうれしそうにその狼の像を見上げた。
「特別ステージって、どうやって行くんですか?…一応、行ってみたいんだけど」
「こちらから行くことが可能です」
NPCは優しげな口元を上げ、にこりと微笑んだ。そしてぽんぽんと石像の台座を叩き、涼やかな声で言い放つ。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
NPCの言葉の意味を頭で理解するよりも前に、ガコリ、と不気味な音を立てて目の前の石像が動き出した。狼の下顎がはずれ、上顎は不自然に肥大化し、まるでなにかの入り口のようにぐにゃりと像が変形する。
「なんだあれ」「えっマジ?」とホール中のプレイヤー達が戸惑いの声をあげるなか、その注目の矛先にある変形した狼の口が、リベネ達の眼前に迫った。逃げる時間は用意されていなかった。
「えっ、待って―—」
呆然とした間抜けな表情のまま、リベネはぱくりと石像に飲み込まれた。そして、わけもわからないままに、石像の中からのびる丸く暗い通路を滑り落ちていった。




