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リベネとシャロン 〜冷徹少女と炎の剣〜  作者: らいらく
第1章 初心者少女と喋る剣
12/18

アイスボアーの倒し方 2


「あたし……」


 リベネは言葉の途中で乾いた唇の形をさまよわせた。

 赤クリスタルで死ぬこと。これは死に方リストの最後の項目だった。

 これがもし駄目だったならこの世界に嫌でも向き合わなければならない。

 決意しなければならない。

 いつか、きっと現実の誰かが見つけだしてくれるだろう、解決の時が来るまで。

 このゲーム世界で生きなければいけないこと。

 この世界に馴染まなければならないこと。

 その事実に向き合う必要性を、受け止めなければならない。


「リベネちゃん?」


 きょとんとした声で我に返ったリベネは、唇を痛いほど噛みながら、肩にかけた鞄を手前に持ってきて、中からアイテムを取り出した。

 わ、とフロレスタが小さく感嘆の声をあげる。

 生きた炎を閉じこめたように、移ろう赤い光を内に閉じこめた、大きな正八面体の水晶。それを持つ手が、我知らず、小刻みに震えていた。


「赤クリスタル大……持ってるんだ。貰いものなんだけど」

 普段であれば「ランク3剣士もびっくりの高級品ですね」などとコメントするフロレスタだったがこの時は違った。曇りない透き通った眼差しで、肩をすぼめる少女の姿をとらえる。

「ね、リベネちゃん、どうしたの?」

「あたし……」


 赤クリスタルの表面を見つめた時、そこに焼き付いたイメージがまざまざと蘇った。クリスタルをくれた男の背中と『確かにくだらない使い方だな』という腹の立つ物言い。


 ふいにリベネの表情がすとんと変わった。錆び付いた金属が磨かれて本来の色を思い出すように、赤くくすんだ瞳に確かな輝きが宿る。憑き物が落ちてふっきれた顔色で、リベネはまっすぐにフロレスタと目を合わせた。


「あたし、これで死ぬつもりなんだ」


 フロレスタは少し間をおいてから、口を開いた。


「死んじゃった時につく装備のデスペナルティってすごく重いんですよ。叩き直し料金もね、すっごく、すっごくーー」

「あたしの装備はフロレスタと違って大したものじゃないから大丈夫だよ。それに、あたしはただ死にたいわけじゃない。この爆発で死んだら、もしかしたら現実に戻れるかもしれないから、やるんだ」


 フロレスタはわずかに目を見開き、それから「そうですか」といくらか小さな声で呟いた。


「フロレスタは戻れないと思います。この世界は完璧です。穴があるとは思いません」

 だけど、と小さな唇で言葉を続ける。

「なにかリベネちゃんは現実に戻りたい理由があるんですね」

「本物の体に戻りたいからね」

フロレスタは(・・・・・・)戻りたくありません(・・・・・・・・・)


 今度はリベネの方が目を見開く番だった。


「フロレスタはこの体の方が自由になれます。自分らしくいられるって思うんです」


 完全なる意見の対立に、場が緊張で張りつめる。しかしリベネは聞かずにはいられなかった。


「それは……プレイヤーレベルが高くて、自由に戦えるから?」

「ううん。違う」

 困ったようにフロレスタは微笑んだ。その目が言葉にならないなにか大きな悲哀を表現していた。

「もしもレベルが低かったり、剣のランクが低かったりしても、変わりません。私はこの世界で作られた体がいいんです。アバターは、電子上で作られたから偽物の身体(・・・・・)だって言われますけれど、フロレスタは違うと思うんです。あっちの世界の身体は、ママに作られた、ママの身体の一部で、ママの持ち物なんです。わたしの、本当の身体だって思えたことは一度もないんです。この体のほうが、ずっとずっと自由になれます」


 真剣そのもののフロレスタになんと言えばよいかわからず、リベネは黙り込んでしまう。

 すると、フロレスタの白く小さな手が赤クリスタルを持つリベネの手にそっと触れてきた。リベネを否定せずに、そっと自分の方へ招きこむような触れ方だった。


「あの氷の豚さんを、無理に倒さなくてもいいんです。それとも、今試したいんですか?」

「……うん。あのイノシシも一生動けないんじゃ、みじめだと思って。一緒に死んでやるつもりだ」

「ねえ、リベネちゃん」とフロレスタがささやいた。きゅっと手にわずかな力をこめてリベネの手のひらを包み込む。

「また、この世界で復活したら、フロレスタとお友達になってくれませんか」


 伝わってくる温もり。アバター同士が触れただけにも関わらず、それでも本当に手を繋いだような不思議なあたたかみを感じることができる。しかし、それをあえて避けるようにリベネは後ろへ引き下がった。首を横に振りながら、胸が痛むのを感じた。


「あたしはこれで現実に戻るんだ。戻れなかったら、なんてこと考えたくない。ごめん」


 怒りも喜びも浮かべず、無表情で棒立ちするフロレスタをこれ以上見ていられなくて、背をむけて歩きだした。


 目線の先にいるアイスボアーは激しい抵抗を止めている。美しい氷の兜についた角が根本まで木の幹にめりこみ、移動することができなくなっているからだ。氷の魔物はどうしようもない時間をもてあますように、ただ意味もなく足下の土を固い蹄で蹴っていた。

 まるであたしのようだ、と不意に思った。

 この世界から出ることができず、うなだれて現状を受け入れるしかないのに、抜け出す術をもがくように探している――内心では、なかば諦めながら。


『事実から目を背けるのはやめましょう、リベネさん』

『フロレスタは戻れないと思います』


 脳裏に声が蘇る。そして赤クリスタルの表面に焼き付いた男の背中のイメージ。


『確かにくだらない使い方だな』


 それら全てに右手の中指を突き立ててファックサインを見せつけてやりたい気分だった。


 うるさい(・・・・)全員黙ってろ(・・・・・・)

 確かにあたしは事実から目を背けているかもしれない。何をしたって戻れないかもしれない。あたしが今からやろうとしていることは、足下の乾いた土を蹴り続けるような意味のない、くだらない行為なのかもしれない。それでも、それでもだ。あたしがこの世界と折り合いをつけるためには必要な行為なのだ。


 リベネはアイスボアーの隣で座り込む。瞬間、何かを悟ったのか、突然魔物がじたばたと暴れ始める。

 しかしリベネは魔物とは対照的に、驚くべき静謐さを伴いながら、神に祈る敬虔な信徒のように目をつむった。現実に戻ったら、この氷のイノシシのことを思い出して絵に描いてやろうかな――などと美術部らしい発想が生まれて、唇に小さな笑みが浮かぶ。

 そしてリベネは心臓の前でぎゅっと赤クリスタルを抱きしめた。指先でカンカンカンと小気味よく表面を叩く。


 カチッ、とずれていた歯車がかみ合う音。


『あと3秒で起爆します』


 直接脳へと電子音声が響いてから、リベネはまぶたを開いた。後ろは振り向かず、ただただじっと暴れ狂うアイスボアーに目を向ける。静けさの中に熱を秘めた眼差しで。


『3、2、1――』


 ――衝撃。


 激しい熱が開いた口の中から入り込み、焼けただれる体内。爆発の衝撃で二つに引きちぎられる腹。

 そうしたつかの間の気も狂わんばかりの激しい痛みは、死亡判定と共にすぐさまシャットダウンされ、意識の外へと消えていく。


 薄れゆく意識の中で案内音声が告げる、聞いたことのない言葉。


『脅威への挑戦により、特殊技能“炎の祝福”を獲得しました。詳細は神殿で確認できます』


 それを疑問に思う間もなく、リベネの意識は途切れてしまう。




 全てを飲み込む巨大な爆炎は、黒髪の少女とアイスボアーのアバターを小さな光の粒へと変えた。

 少し離れた場所に立つフロレスタは、頬に吹き付ける温かい風を感じながら、光の粒が完全に消えるまで、揺らめく炎の中をじっと見つめていた。


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