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プロローグ


挿絵(By みてみん)














「な、リベネ」


 ダイアウルフの鳴き声が山を越えた先の先まで響きわたるような静かな夜。

 城壁の外に広がる草原の真ん中あたり、見晴らしのいいゆるやかな丘の上に少女がぽつんと立っていた。

 たった一人、丘の上で孤独に立つ彼女は、細くしなやかな手足をしゃんとのばして遠くを見つめていた。その小さな体躯、夜風に揺れるさらさらの短い黒髪、きりりとした黒い眉、鋭い刃物を連想させる少女の瞳はすべて、本物の人間のように生気に満ちあふれている。

 しかし、ここは、『ビュグルズ・ワールド・オンライン』というゲームの世界。すなわち、彼女は血の通った人間ではなく、仮想空間上に作られたアバターなのであった。

 ひとりぼっちにも関わらず、堂々とした佇まいをした、この誇り高い野良猫のような少女プレイヤーの名前は、「リベネ」。プレイヤーレベルは15と低く、『古い革のベスト』に『古い革のすね当て』というほぼ丸腰に近い防具を身につけていた。


 夜の時間帯になると人を襲う魔物が出現しやすくなることは、このゲームにおける常識だ。数名以上いる部隊ならともかく、一人で夜の草原に立つなど、それなりの防具を身につけた戦士でも、場合によっては命を落としかねない行為だった。そのような危険にも関わらず、長いことその場に一人でいる少女に、ふと、ざらついた低い声が再び呼びかけてきた。


「おいリベネ、聞こえてんのか」


 リベネは口をつぐんだまま形のいい眉をひそめ、返事をしてやる気などさらさらない、という顔で黙り込む。すると、無視されたのが気に食わなかったのか、先ほどの低い声は、ますますむっとした調子で言葉を続けた。


「耳がいかれちまったのか?鼓膜が爆発したのか?それともおめえみたいなひよっこ戦士の脳味噌は、自分の名前すら覚えているのが難しいの―—」 

「あ・の・さ」


 耳障りな低い声に耐えきれなくなったのか、リベネは声をさえぎるタイミングで唇を開いた。毛を逆立てて怒る猫のようはまなざしで、右下を睨みつける。

 彼女の視線の先にあるのは、右手に握った一振りの剣。少女の腕ほどの剣身を持つ立派なロングソードだった。


「さっきからうるさいんだけど、あんた黙ることもできないの」


 リベネの言葉に対し、すでに鞘から抜き放たれたその剣が、赤い光を鈍く放ちながらどこからか苛立たしげな声を出す。

「さっさとおめえが返事しないから何度も話しかけることになんだよ」

「こんな時に話しかけるシャロンが悪い」

 にべもなくリベネは返答する。

「あんた、状況わかってんの?モロク隊長が、あたしとシャロンの力を過大評価してるせいで、こんなところに一人で立たされてるのよ。雑談してる場合じゃないって、あんたのヤギ頭でもわかるでしょ」

「お・れ・は」


 刀身の表面を、マグマの胎動のような赤い光があやしくうごめきだした。とぐろを巻くようにぐるぐる光がすべり動くのは、“彼”が苛立っている証拠だ。


「ヤギ頭って言われるのが心の底から嫌いって何度も言ってるだろうが!それに、おれはな、戦闘経験のほとんどないクソ鈍いアホご主人様が緊張してると思って話しかけてやってあげてたの」

「無用な気遣いだわ」

 剣の表面でで、ますます赤い光がぶんぶんと回転し始める。

「はーーそうかよ。余裕かよ。自分は天才だから俺の助言もいらねえってか。やれやれ、ひよっこなご主人様はこういう戦闘にもとーーーーっっても慣れていらっしゃるもんな」


 厳かな声質のくせに、盛大に拗ねて好き勝手騒ぐ声をリベネはしばらく仏頂面で黙って聞いていた。やがて、声の勢いが収まってくると、ひとつ大きなため息をつき、草原の彼方を見つめながら、ぽつんとつぶやいた。


「戦闘には慣れちゃいないよ。怖くないだけ」

 ほら、だってさ、とリベネは言葉を続ける。

「あたしはすごい剣の使い手にぶちのめされて本当に死ぬこと(・・・・・・・)ができたら嬉しいわけだし」

 剣身の内側でせわしなく動いていた赤い光がぴたりと動きを止める。空気が凍り付くような、一瞬の間があった。

「おい、アホご主人」先ほどとはうってかわって静かな声で剣が言う。「俺を見ろ」


 リベネが剣身に目を向けると、散らばっていた赤い光が剣の腹の一点に収束した。光を放つ一点の表面がぐにゃりとゆがむ。

 次の瞬間、にゅっと剣から突き出てきたのは、曲がった角を持つ小さなヤギの頭に、筋骨隆々な人間に似た上半身だった。まるで魔物のような見た目をしたそれは、小さな両手を剣の表面につき、「よっこらせ」と言いながら刀身から足をひっぱりだす。鉄の中から引きずり出された下半身は、茶色い羽毛につつまれ先端にかぎ爪がついた鳥の足の形をしていた。


 ヤギの頭に人型の上半身、鳥足の下半身。ちぐはぐな見た目をしたこの手のひらサイズの怪物の名前は『シャロン』。自称“偉大なる赤き炎の王”で、リベネが持つランク3の剣――最強クラスの剣――に宿る存在だった。いや、剣に宿るというより、剣そのものいった方がいいのかもしれない。彼は、このゲーム世界でも他に類をみない、魂を持った剣という特異な存在だった。


 つまり、彼はゲーム世界上に作られた、仮想存在(アイテム)なのである。現実の世界には存在しない、人工知能によって動かされている電子の怪物、それがシャロンだった。


 剣から自分の「本体」だという怪物の姿を出して、シャロンは刀身の表面を二足歩行で歩いた。柄の上で器用にあぐらをかいてリベネの顔をじっと見つめる。

「俺の目を見ろ。いいか、馬鹿言ってんじゃねえぞ。おめえ約束を忘れたのか」

 シャロンの命令通り、じいっと彼の悪魔じみた赤い瞳を見つめてやる。一秒。二秒。三秒。それからリベネは突然いたずらっぽい表情でにやりと笑った。


「さっきのは冗談で言ったつもりなんだけど、もしかして信じた?」


 人間くさい表情を自在に浮かべるヤギ頭は、シャロンの気持ちをいつも巧みに表現してくれる。今回もシャロンは露骨に面食らった表情を浮かべ、恥じるようにあわててそっぽを向いた。


「べ、別に…まるきり信じちゃいねえよ」

「ふうん」リベネはにやにやしながら言う。「シャロンとの約束は忘れてないし、死んで嬉しいわけないじゃん」

「おめえがそういうこと言うと冗談に聞こえねえんだよ」

「うん……まあ、そうかもね」


 にやにやと笑うリベネの瞳が刹那的にかげりを帯びる。シャロンの姿を瞳に映しながら、何も見えていないような死人のような目をして、静かに語る。


「今この世界にあるような剣じゃあたしは死ねない。そうだろ?もしここで敵にやられたら、仲間も打撃をうけて、ただただ目標が遠のくだけ。昨日あれだけモロク隊長に説明されたんだから、もうわかってる」


 シャロンはしばらくリベネを見つめてから、やれやれと言うかわりに、大げさな身振りで肩をすくめた。

「俺のアホご主人様(・・・・・・)がちゃーんとわかってんなら、それでいい」

 すぐさまリベネはむっとした表情になる。瞳を曇らせる影が消え、いつもの生気が戻る。

「さっきから思ってたんだけど、アホご主人様、って呼び方やめてくれない?」

「無理だな。他の呼び方がひとっつも思いつかない」

「はあ?!」

 反射的に剣を持ち上げ、シャロンのヤギ頭を眼前で睨みつけた。

「あたしの名前はリベネだって散々言ってるじゃん。それともヤギ頭は三歩歩いたら人の名前も忘れるわけ?」

「だ・か・ら、おめえその呼び方は—―」


 小柄な少女と、無骨な剣。アンバランスな組み合わせの二人は、夜の危険も忘れてやかましく口げんかを始める。遠目に見ると、奇妙な少女が一人で騒ぎ立てているようにも見える光景だった。

 やがて二人が「燃やすぞクソ人間」「ぶち折るぞクソアイテム」と一触即発の雰囲気になった時、リベネが首もとからさげたネックレスの先で、通信用クリスタルが振動するのを感じた。

 モロク隊長からの通信だ。

 思わず背筋がぴんとのびた。なにか言いたげなシャロンを手で制してから、空いた左手でクリスタルを握る。


『こちらモロク。緊急事態だ』クリスタルから響く、穏やかだがきっぱりとした男の声。『リベネ、シャロン、指示された西側城門前にいるな?』


「はい」「おっす」と、二人は返事をする。


『そちらに敵が向かってるという情報が入った。3、4人程度の小部隊だ。援護を向かわせるが、到着までに5分はかかる。それまでなんとしても持ちこたえろ。一人も城壁内に侵入させるな』


「なあ、モロクのおっさん」

 横から慣れ慣れしくシャロンが呼びかけた。失言しないでよ、とリベネは刃物よりするどい眼光でヤギ頭を睨みつける。

「ひよっこのリベネだけで、3、4人相手にできると本気で思ってんのか?」


『その声はシャロンか。たしかにリベネはベテランとは言いがたいが、お前がそばにいる。それに、なにも敵を全員倒してやる必要などないからな。まともに相手をするな。まどわせて時間をかせげ』

 生意気な魔物の物言いに少しも動じない懐の深い隊長。その声から焼けつくような戦意だけが伝わってくる。

『お前達が立っている草原を、視界の限り燃やし尽くしてもかまわん。どうせこの世界では、夜が明ける頃にはまた生え変わる。なんとしてもその場にふんばって、守り抜け。頼んだぞ』

「了解」「しゃーねーな」


 ぶちっと通信が切れると同時に、雑談の時間は申し合わせるまでもなく終わる。

 リベネは感覚を研ぎすまし、仮想世界で見事に再現された草の揺れる音、遠くで聞こえる鳥の声に耳をすませた。まるで現実世界そのもののような、ごく自然な夜の世界。それでも、この世界は現実とは違うことをリベネは知っていたし、それが彼女の戦う理由にもなっていた。


「敵はどっから来ると思う?」

 人の足音はいまだ聞こえず、眼前に広がる暗闇が敵の姿を見事に隠してしまっている。

「さあ、この暗闇じゃあどうにもわからんが―—」

 シャロンがそう言ってからヤギの口でにやりと笑った。彼の赤い瞳が不思議な静穏さを宿しながら輝いた。


「全て照らしてやる。俺の力で」


 どうやって、と聞こうとして口を開く前に愚問だと悟った。シャロンと視線を交わした一瞬で、不思議と彼の考えていることがすぐに理解できた。

 不意に、いつも腹立たしいことこのうえない怪物が、ばしゅっ、と勢いよく姿を消した。一瞬感じた心細さを、いや、ただの気のせいだと自分に言い聞かせながら、剣のみの姿になった相棒から目をそらす。そして、やがて来る敵のことを思いながらグリップをぎゅっと握った。

 金属の塊と完全に一体化するシャロン。この状態になると彼はもう喋ることができない。しかし、彼の魂があるべき場所、剣へと戻ることで、白く冷え込んでいた剣の刀身が赤い光と確かな温度を帯び始めた。

 グリップを握る手のひらから彼の魂を熱く感じとったリベネは、目をつむり、その温もりをたぐり寄せるイメージを頭に思い描く。

 彼の熱が、手のひらから腕、そして心臓へと行き届くのを待つ。電子の身体を形作るデータひとつひとつがシャロンと一体化するような不思議な感触―—行くべき道を(・・・・・・)照らしてやる(・・・・・・)、と耳元で声が響いたような錯覚―—を強く感じて、リベネは目を開いた。


 唇から自然とこぼれる、戦意に満ちたささやき声。


「炎熱を我に」





 刹那、わずか百メートルの距離に迫っていた戦士の男達4人組は、夜の闇の中で爆発的な光を目撃する。

 光の発生源は、草原がわずかに隆起した丘の上。突如として発生した巨大な炎を、男達は声もなく見つめた。

 なんだ、あの炎は—―?

 四人とも、戸惑いの声をあげそうになる。しかし戦闘慣れした彼らは、爆炎の中に立つ人影を見つけると、それが敵だと一瞬で判断することができた。あの炎はなんだかよく分からないし、恐ろしいが、とにかくやるしかない。男達は腰に下げたランク2の剣を抜いた。

 敵も味方もお互い一瞬で白日のもとにさらす、致命的で凶悪的な炎。そのせいで隠密に忍び寄る作戦は無効になってしまった。

 今のところ、向こうの人数はたった一人だけなようだった。

 丘の上に立つ、炎の剣を持つ少女は、男達を見下ろしながら髪を悠然とかきあげる。明らかに挑発的な動作だった。

「ランク3の剣の持ち主か」

「化け物め」

 男達は憔悴した視線を交わしたが、それは一瞬のことだった。彼らは背を向けて逃げ帰るわけにはいかなかった。この世界を、ゲームの世界に生きることを誇りに思っていたからだ。

 それに、相手がどれほど特殊な剣を持っていたとしても強大な魔物とは違う。所詮は人間プレイヤー、炎耐性が強いだけの相手だ、ひるむことはない。男達はそう思って、いつも通り、手元の武器を構える。

 数の差でおしきってやる。せめて少女の向こう側に立つ城壁、その都市に一撃だけでも食らわせなければ、俺たちがここまで遠征してきた意味がない。


 

 炎の威嚇におそれをなす様子はない男達をリベネはじっと見つめた。

 対人戦は幾度か経験したことがあるが、こうして背後にある都市を守るための戦闘は初めてだった。守るべきものがある―—それだけで、熱い思いが胸の内側で爆発的に膨れ上がるのを感じる。

 さあ、来い。あんた達の意志、あんた達の戦略、あんた達の肉体をこのシャロンの炎で焼き付くしてやる。

 あんた達がどんなことをかかげてここにむかおうとしているのかはわからない。だけど、私は―—。

 リベネは下唇を噛みしめて、炎の元にさらされたこのゲーム世界を見下ろす。


 他の誰が何を言おうと、私はこの世界をぬけだす道を作り出す。

 その道をふさごうとする者なら誰であれ。


 沈黙する無機物となったランク3の炎の剣をぎゅっと握りしめると、手の平に火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。熱さで肌の表面がジリジリと痛みを感じだす。けれどもこんな偽物の感覚に負けると思ったら大間違いだ。リベネは唇の端をあげ、にぃっと不敵な笑みを浮かべた。

「行くよ、シャロン」

 いささかもひるむことなく迫りくる男達を見つめた。

「あたしたちの炎で洗礼してやろう」

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