第一章 戦場 -5-
翌朝、ソラは『黄金の大鷲亭』で朝食を取っていた。丸い全粒粉のパンと焼いた塩漬け肉を大量に皿に盛ってもらい、ソラはそれを美味しそうに頬張る。
「……昨日も少し思ったが、よくそんなに食べられるな」
そんなソラの横で、リアが小さなパンをかじりながら、目の前の大量の朝食にうんざりしたような顔をした。
彼女がここにいる理由は単純で、女性が一人で泊まれる優良な宿を探そうとなると、フローラの経営するこの店が一番だったというだけだ。ついでにソラを勧誘できるということもあってか、リアは朝からべったりとソラにくっついていた。――フローラは何か変な誤解をしていたようだが、ソラとしては野良イヌに懐かれたような気分だ。
「異世界の人はみんなこんなに食べるのか?」
ソラが隠していると理解しているから、彼女は声を小さくして問いかけていた。
「いいや。こっちの世界に来てから異様にお腹が空くようになったんだ。理屈は良く分からないけれど、栄養の摂取効率が悪いのかな」
これもまた、ソラが傭兵をやっている理由だ。この世界で傭兵の月収は、腕のいい職人にも比肩する。エンゲル係数が馬鹿にならないソラの現状では、手っ取り早く稼げるこの仕事でもなければ生きていけない。
そうかそうかと頷いたリアは、そこでぴくりと耳を動かした。何かに気付いたように、些かの警戒を滲ませている。
「……この店、朝食だけもやっているのか?」
「うん? やってないわよ。夜以外は宿泊客限定だもの」
調理器具を井戸水で洗いながら、フローラは不思議そうに答える。だがリアの方はじっと扉を見つめていた。
すると、まるでリアは分かっていたかのように、その木の扉が勢いよく開け放たれた。
「邪魔をする」
そう言って入って来たのは、黄金の鎧に身を包んだ若い男だった。
癖下の赤髪が印象的な、長身痩躯の美青年だ。その黄金の鎧にはマントがついていて、その高貴な身分を象徴している。
この世界では、竜に対して鎧はほとんど役に立たない為、可能な限り軽量化されている。――それにも関わらず、全身甲冑ほどでないにしても、ソラたちよりも重い鎧に身を包むということは、それはすなわち竜の攻撃を躱す必要がないということを意味する。
つまり、この男は本陣の最奥にて座す存在だということだ。
「……どちら様でしょう?」
「ジャスパー・ブラッドストーンだ。誉れある上位騎士の一角である」
その言葉に、フローラもリアもピシっと背筋を正した。そのリアクションは当然のものだ。
上位騎士とは、竜をも力技で殺せる騎士を指す。
竜装と呼ばれる特殊な武具を用いることで、毒に頼ることなく、ソラのように竜の身を一刀両断することすら出来る、異端の存在だ。その地位は並の貴族と同等か、それ以上だとも言われる。
「ジャスパー卿。いったい何の用でしょう」
二人がその威光に臆している中、ソラは率先して声をかけた。異世界から来たというせいもあってか、この世界の階級序列に関してさほど恐れることがないからだ。もちろん、昔の上官に対する程度にはきっちりと礼節は尽くすが。
「傭兵を探していてな。先日、前線から離れた位置で竜に襲われ、撃退した傭兵なのだが」
「それは私たちだ!」
勢い良くリアが手を上げる。それを止め損ねたソラは横で「しまった」と言いたげに顔を覆うしかなかった。
「……君たちが?」
「あぁ、竜を屠ったのは私たちで間違いない」
その言葉で、ジャスパー卿は納得した様子だ。まだ先日の森で竜が屠られたことを知る者は、ほとんどいない。あのとき軍を仕切っていたジャスパー卿には連絡が行っているだろうが、それ以外に知る者は、あの場を再度視察した相手くらいだろう。この街で暮らす一介の傭兵であれば、当事者でもなければ知り得ない情報だ。
「そうか。――ひとつ話が聞きたかったんだ。あの竜の鱗を切り裂いたのは、どちらの剣だ?」
その言葉に、ソラは顔には出さずに心で舌打ちした。
あの竜を殺したのはソラの高周波ナイフで間違いない。だが、ゼクスクレイヴほどでないにしろ、あの兵装は間違いなくこの時代に存在してはいけない代物だ。
だからこそ、ここでソラが高周波ナイフで切り裂いたということがバレるのは非常にまずい。
「それはソラが――むぐぅ!?」
そんなソラの思考に気付かずに、あっさりと喋りそうになるリアの口へパンを押し込みながら、ソラ自身は誤魔化したように笑う。
「もしやと思うが、竜装ではないのか? であれば、即座に上位騎士へと叙任されることになるが」
ジャスパー卿の言葉にリアが何か言いたげに「むぅ!」と暴れるが、ソラはさらにそれを抑え込んだ。
騎士になる条件そのものは、大したことではない。兵士に与えられる勲章の上位版、あるいは貴族の階級のひとつで、家柄として相続される。
だが、上位騎士となれば話は別だ。たとえ貴族がどれほど金を積もうと、王族が権威を振りかざそうと、上位騎士が勝手に選出されることはない。
上位騎士になる条件は、ただひとつ。
竜装を自在に操る敵性を持ち、賢竜に対してすら互角以上に渡り合えることだ。
「残念だけど違いますよ。俺のはただの剣だ。角度が良かったから、たまたま斬り裂けたんでしょう」
ソラは適当にうそぶきながら、ジャスパー卿へ作った笑みを浮かべる。
試すような時間が流れる。
じっとソラの目を見つけてジャスパー卿は無言を貫いた。その間も、ソラは目を逸らさずに、何でもない体を装い続けた。
「……そうか」
やがて、根負けしたようにジャスパー卿が先に折れた。まだ何か言いたげではあったが、これ以上深く追求できないと思ったのだろうか。それだけを言って頷いていた。
「それより、ジャスパー卿はどうしてこちらへ? 今頃は国境付近の『カールライル』で防衛戦を指揮している頃では?」
「貴公らが倒した竜はおそらく敵情視察の為の早馬だったのだろう。だから『カールライル』の城へまだ攻められてはいない。今の内に戦力を確保する為に、わざわざ赴いたのだ」
なるほど、とソラは思う。
『カールライル』は国境付近の都市であり、防衛の要とも言うべき要所だ。それを守る為には今まで以上の戦力が必要だろうし、あの竜を切り裂いた傭兵が竜装持ちであったなら、それはかなり優秀な戦力になったはずだ。
「まぁいい。――竜装がないにしても、たった二人で竜を屠ったその腕前は確かなものなのだろう。見たところ怪我を負った様子もないしな」
「お褒めに与り光栄です」
「次の防衛作戦には、ぜひとも貴公らにも参加してほしい。竜を屠った貴公らの活躍を期待している」
「えぇ。是非とも」
そう挨拶を交わすと、ジャスパー卿は背を翻した。ばさりとマントがはためく。
そして、彼は去り際に不敵な笑みを浮かべて、こう言った。
「……貴公は強そうだ。竜に対する恐れが微塵も感じられない。君が竜装を持っていないということが、ひどく歪に思える」
まるで見抜かれたような言葉にドキリとしながら、ソラは引きつった笑みのままジャスパー卿を見送るのだった。






