序章 世界の崩壊 -3-
『そんな……っ』
黒い何かに塗り潰されていくアイリの声に、しかし、ソラはもう答えられなかった。何て声をかければいいのか、全く分からない。
そして、終わりを告げるように公開チャンネルでの音声が飛び込んできた。
『戦闘宙域の全軍に告げる』
その通信は、連合の長である大統領のものだった。
この状況で、その重役が声を発した意味を、この場にいる兵士の皆が直感した。だが、ソラはその直感を否定した。否定したかった。それが無意味と知りながら、それでも。
『我々、地球圏防衛連合――アヴァロン軍は、敵対惑星との停戦交渉に移ることとなった。それに伴い、同域における全戦闘行為を中止する。速やかに武装を解除し、別命あるまで待機せよ。繰り返す。我々――……』
その通信の意味が、分からなかった。繰り返される間も、その音は鼓膜を滑り続ける。
だが地球の言葉を理解しているのか、あの無数の敵機も動きを止めていた。これ以上の戦闘は無意味だと悟ったのかもしれない。
ばらばらと、モニターの端々で仲間のロボット――アサルトセイヴが武装を捨てていく。きっと、彼らは分かっているのだろう。
ここで素直にこれ以上敵対の意志がないと見せることが、今後の人類の地位を僅かでも残す手段だと。蹂躙されるのではなく、一方的に不利であろうと共存という形にするだけの温情を誘おうと言っているのだ。そんなものが、異星人に通用するかなど、誰にも分からないのに。
『……ソラ……』
真紅の機体もまた、諦観したように銃を捨てた。
もうそこに輝かしい未来などない。この瞬間に、人類の全ては終わったのだ。
「……けるな……」
ギリッと、砕けそうなほどに歯を食いしばって、ソラ・ミツルギは言う。口の中に血の味が広がるのにさえ、気付かない。
認められる訳がなかった。
まだ自分は戦える。このゼクスクレイヴには、傷ひとつ付いていない。
それでどうして、敗北を認められようか。
「ふざけるな」
右の大剣を振りかざし、ソラは手近なところにいた敵機へと斬りかかる。その衝動には、理性なんてものは欠片も残ってはいなかった。
『ソラ、駄目だよ!!』
アイリの声がする。今にも泣きそうなその声が、ソラのたがを更に砕いていく。
彼女を泣かせたくなかった。
守りたかった。
それだけが、ソラの願いだったのに。
「ふざけるなぁぁあああ!!」
人類のこれからなど知ったことか。
もう既に、一切合財終わった後なのだ。
『駄目だよ!! ここで暴れたら、本当にもう何も出来なくなる!!』
アイリが怒号を飛ばしながら、ゼクスクレイヴの前へとクロイツアインを走らせていた。
眼前に現れたその機体を前に、ソラの身体が硬直する。身を挺して、ソラにこれ以上の悲劇の引き金を引かせまいとしてくれているのだ。
だけど。
それは、ほんの少しだけ遅すぎだ。
突き出された右腕は、もう止まらない。鈍い感触が、腕を伝ってコックピットの内部を揺らした。
「え……?」
強力なサスペンションが組み込まれている以上、それは些細な揺れだったはずだ。なのに、船酔いにも似た酷い目眩があった。
そして。
眼前に広がるモニターには、クロイツアインのフェイスがあった。互いの間にある距離は、完全にゼロだ。右の大剣を突き出したままだと言うのに。
『ど……』
掠れたような最愛の少女の声があった。
そんな馬鹿な、と口内で何度も繰り返して、何度も頭を横に振りながらモニターの端を見る。
さっきまで通信が繋がっていたはずの小さなウィンドウには、今はもうジャミングされたかのように、途切れ途切れの映像しか映らない。
そこには、赤いスーツに身を包んだ彼女がいるはずだったのに。
あの照れたように笑ってくれた、その顔があるはずだったのに。
『どう、して……?』
最後に乗ったその言葉が、汚泥のように鼓膜にへばりついた。
ずるり、と大剣からクロイツアインの身体が抜け落ちる。胸部を貫かれ身じろぎひとつしないその姿は、息絶えた屍にそっくりだった。
やがてそれは、ショートしたエンジンによってか無残に爆発した。ばらばらに砕けた顔や腕が、虚空に漂う。
「うそ、だ……」
小さな箱の中で、ソラは呟いていた。
はっ、はっ、と短く息を吸う度、喉がヒリヒリと痛む。今の光景は偽りだったのだと思い込みたくて、ごろごろと違和感のある眼球を必死に動かした。
だけど、どこにも嘘はなかった。
怒り狂ったソラの手によって、アイリの乗るクロイツアインは貫かれた。機体は爆炎に包まれ、粉々に砕け散った。
それはもう、決して覆ることのない事実だ。
「――あ、ぁ……っ」
現実がソラの心を押し潰す。
頭も胸も、内側から殴られているかのように悲鳴を上げている。視界がちかちかと明滅して、空回りする肺のせいで呼吸もままならない。
「アイリ……。アイリ……ッ」
その声に応えるものは、もういない。
この手で討った後なのだから。
彼女は、クロイツアインと共に散ったのだ。
「う、ぁぁああああああ!!」
ソラの絶叫が、あまりに空しく響いていた。壊れたみたいに溢れ出た涙が、ヘルメットの中で行き場を失くして漂う。
あれほど外へと放出されたがっていた衝動は、今では全て反転していた。肌を、肉を、骨を撃ち貫くように、身体の中で暴れ狂っている。
何故、あのとき理性で制御できなかったのか。
些細な怒りに呑まれさえしなければ、アイリまで失ってしまうことはなかったのに。
後悔がいくら心を押し潰そうと、もう意味はない。ただ、嗚咽を漏らしてソラは蹲るしかなかった。
そんな中だった。
みしみしと、そんな音をソラは聞いた。
意味が分からなくて、ソラはもう一度辺りを見渡す。
そこでは、モニターに映っていた光景が、無限に広がっているはずの宇宙が、綺麗に折り畳まれていた。まるで広げていたテントを畳むのを、中に入って見ているかのように。
世界の崩壊。
ソラはそう直感した。
それが幻覚なのか現実なのかは、ソラにはもう分からない。考えようとさえしなかった。ただ分かるのは、この瞬間に、ソラの世界は終わろうとしていたということだけだ。
何かに引っ張られるように、ゼクスクレイヴが謎の奔流へと巻き込まれていく。
抗おうと思えば抗えたのかもしれない。けれど、ソラにはもうその操縦桿を握ることさえ出来なかった。
そして、意識が暗転した。