第三章 もう一度 -5-
「怯むな! 撃ち続けろ!!」
ジャスパー・ブラッドストーンが怒号を飛ばす。
だが、下方からの弓矢の攻撃は次第に衰えていた。上空で一人戦うジャスパーにも、もう余力はない。
敵の軍勢が多すぎる。数にして二〇〇近い下等竜が、空を飛んでいるのだ。それだけの竜を屠れるほどの戦力は、ジャスパー一人ではかき集められないし、出来たとしても地上からでは何の役にも立たない。こうして、下方から弓矢で牽制させる程度だろう。
次第に焦りが滲む。
周囲を取り囲む下等竜を切り飛ばすことすら、ままならない。
「――くそ……っ」
勇ましく戦い続けた彼の目に、僅かな絶望が宿る。だがそれでも、決して退くことは出来なかった。
ここは最後の砦だ。国境付近にありながら、資源も豊かなこのカールライルを攻め落とされれば、瞬く間にアルビニア中にカレドリオンの魔の手が伸びる。それだけは絶対に阻止しなければならない。
そんな中で、彼は見てしまう。
紅の鎧に身を包んだ、一匹の竜を。
「何だ、あれは……っ」
長年竜と戦ってきた彼の本能が、けたたましく警鐘を打ち鳴らす。
体長は竜の二倍ほどある。一見すれば鎧を纏った竜に見えたが、無理やりに竜の身体を引き伸ばしたかのような歪さがある。
その異形の者が、森へと舞い降りていく。
まるで、獲物を見つけた獅子のように。
その他の二〇〇の竜もまた、その獅子に続いて進路を変えた。
*
『見ぃつけた』
無邪気な声だった。それと共に、轟音が鳴り響く。
自由にのびのびと成長していた木々を薙ぎ倒して、その赤い悪魔はソラの眼前に降り立った。それを彼は一人でじっと眺めていた。
『あれ、あの子は? もしかして逃がしちゃった?』
アイリの言葉に、ソラは答えない。
『まぁいいや。あとであの子も見つけて殺す。――知らなかった? 私、嫉妬深いの』
「……あぁ知らなかったよ」
短くソラは呟くように答える。
結局彼は、アイリの何も知らなかったのだろう。彼女がどんな人間なのか、微塵も理解できていなかったのだ。
「これからもきっと、俺は君とは分かり合えない」
『そうだね。――だって、ここで死んじゃうんだもんね』
クロイツアインの右手の銃口が、ソラへと突きつけられる。単純に計算すれば、自身の五倍以上の大きさはある相手の武器だ。その銃口すら、まるで竜の顎のように、ソラの身を丸々と呑みこんでしまいそうだった。
それでもソラは、一歩も引かなかった。
引き金にかかったクロイツアインの武骨な指に、力がこもる。甲高いモーター音がして、その銃口に光が灯る。
『じゃあね』
そのあまりにあっけない言葉と共に、引き金は引かれた。
一条の光は一瞬で地面を蒸発させ、辺りは煙に呑みこまれた。赤熱した大地が、その威力を物語る。
けれど。
「……俺は、死なないよ」
『――ッ!?』
直撃したはずのソラの声がして、思わずアイリは跳び退っていた。
真っ白い煙を引き裂いて、ソラはその姿を見せる。
その青年の手には、一振りの剣があった。
燃えるように輝いた、黄金の両刃剣だ。その鍔は端正な竜の顔に形作られていて、あまりの美しさに、戦場であることを忘れて息を呑んでしまう。刃先で煌めく光は澄み渡った青空のように清らかだった。
『それは……っ』
「天竜ノ剣。――これは、リアだよ」
彼女の賢竜としての力を引き出し、一時的に竜装のような姿へと変化させたのだ。この剣の力で、今のクロイツアインの銃撃すら受け止めてみせたのだ。
『あり得ない……っ』
「どうして? アイリはディアスキアで同じことをしたじゃないか。――無理やりクロイツアインに繋いで、その命を喰らう形で」
『そんな矮小な剣で! どうやってクロイツアインの攻撃を防いだっていうの!?』
「……竜は何だって出来る。揚力を操ったり、炎を吐いたり、その姿を人にも竜にも変えられるんだ。けれど、力はあっても知恵はない。だからその役目は俺が負った。――もう一度やり直したい。その俺の願いを叶える為に」
その言葉で。
アイリは何かを察したように、息を呑んだ。
『……時間を操ったって言うの……っ!?』
「驚くことじゃないだろう。異世界なんてところに飛ばされてきた時点で、あの頃の常識なんて何の意味もないんだから」
そう言って、ソラはその剣を振るう。
風を切る心地よい音を耳に残しながら、彼は天竜ノ剣を地面に突き立てる。
『な、にを……ッ!』
「アイリが言ったんじゃないか。あの日の再演だって。――なら、役者は俺だけじゃダメだ」
ソラの背中にあった鋼の残骸から、傷が剥がれ落ちていく。失われた頭部のパーツがどこからともなく寄り集まり、それを形作る。腕も、翼も、足も、剣も。まるで、そこに流れた時間を拒絶するかのように、巻き戻っていく。
それをクロイツアインはただ呆然と眺めていた。何か横やりを入れたところで、流れが逆転しているあのゼクスクレイヴには触れることも叶わないが。
やがて。
ソラの背で、一機の騎士が座していた。
装甲は磨き抜かれたように白く輝いていた。背に生えた翼は蒼穹のように煌めいて、しかし首を垂れて主へ忠誠を誓うかのように、ただじっとその瞳を閉じている。
鍔と一体となった籠手は右手を覆い、刃に対して垂直に握り締めるその特異な大剣の切先を天へと向けていた。まるで、今すぐにでも戦いたいと、声高に吠えているようだった。




