第三章 もう一度 -4-
『さぁ、あの日の再演だよ、ソラ!!』
ディアスキアの叫声は、彼女の身から溢れ出た紅の霧に呑まれて消える。
やがて。
霧が晴れた先には、ひとつの機体がいた。
血のように赤い装甲に身を包んだ、異形の化け物だ。
背に携えた四枚の翼も、左右の肩の砲門も、両の手に握られた二丁のビームライフルも、何もかもがあの日のままだ。
けれど、まるで癒着したように、その装甲と装甲の間を繋いで潰れたような竜の鱗が見えた。腕の装甲の下には皮膚があって、腰の下からはのたうちまわるように尻尾が垂れ下がる。
『これが竜装と化したディアスキアだよ。――名前は、そうだね。「紅竜ノ鎧」ってところかな』
楽しそうに彼女は笑う。
もう見ていられなかった。
そんな化け物に身を変えてでも、アイリへと忠誠を捧げるディアスキアの姿も。
そんな化け物に乗って笑える、そのアイリも。
ソラにはどうしようもなく、気持ち悪く思えた。
「……リア、捕まっててくれ」
ぎゅっと操縦桿を握り締めて、ソラは急旋回でクロイツアインに背を向けた。あの化け物がどれほどクロイツアインの性能を再現しているかなどソラには分からない。だが、同性能だったとしたら、今のソラに勝ち目はない。
整備すらせずに二年も放置したゼクスクレイヴは、もうあちこちが悲鳴を上げている。まともにやりあえば、瞬く間に手足をもがれて終わりだ。
なのに。
『逃げられると思った?』
酷く冷たい声がした。
同時、ソラの横を赤い何かが駆け抜ける。
「――ッ!」
クロイツアインの翼は、分離して自立ビーム砲台となる。スラスター翼と同じで斥力場を展開して移動するそれは、大気圏下でも問題なく運用できる。紅竜ノ鎧――賢竜の能力なら、そこまで再生することくらい訳ないだろう。
分かってはいた。
だが、その砲門を突き付けられて、動揺しないではいられなかった。
かつては一緒に戦い愛し合った少女から、本当に殺意を向けられている。
その事実が、ソラの心に揺さぶりをかける。
「――ソラ!」
リアの叱責ではっとソラは我に帰る。とっさに機体を傾け、その射線から逃れようとする。
だが、間に合わない。
放たれた一条の光は、ゼクスクレイヴの左腕を貫き、爆散させた。
「――っぐ!」
激しい衝撃がコックピットを揺さぶり、警告音が鳴り響く。左腕を失ったせいで機体の制御もままならなくなっている。自動修正が働くまでに、いくらか時間がかかるだろう。
その隙を、アイリが見逃してくれるはずがなかった。
『逃げるんだ? あの日、私を討っておいて、逃げ出すんだ?』
アイリの言葉が、ソラの胸を穿つ。
それでも、リアを抱えている以上、ソラには無抵抗を貫くことさえ出来なかった。
迫る次の砲に対し、右の大剣の切先を向ける。もともとゼクスクレイヴは、オールレンジ戦闘を想定して設計されている。その大剣には、散弾や通常射撃、果ては砲撃までを行うだけの機構が備わっている。
――だが。
『落とせる訳がないでしょう?』
ソラが引き金を引いたところで、まるで分っていたかのように、その砲台はするりとビームを躱してしまう。
『ソラの射撃センスは、よく知っているもの。――今さら一発だって私に当てられると思った?』
言われて、しかしソラはただ歯噛みするしかなかった。
ソラの得意分野は、間合いに潜り込んでからの剣戟だ。射撃が出来なくもないが、それは常に一緒に出撃してきたアイリに任せていた。
逃げるという選択肢は、そのまま、アイリの得意分野で戦うということに他ならない。だが、当代最強を約束されていたクロイツアインに対して、壊れかけのゼクスクレイヴでどうにかなることなど何もない。
「――ソラ」
ぎゅっとリアがソラのスーツを握り締める。彼女もまた、感じているのだろう。僅かでも道を誤れば、即座にゼクスクレイヴは破壊される。その道を、彼女は直感しているのだ。
「君は、俺が護る」
覚悟を言葉に変えて、震えだす身体を抑えつけようとする。そうでもしなければ、アイリに向けられた銃口にひれ伏してしまいそうだった。
けれど。
『よく言うね。そんな甘い言葉と一緒に私を討ったくせに』
その言葉は、怨嗟の塊だった。
彼女が二年も抱えてきた、ソラへの憎悪だ。醸成され、もはや手のつけられないほどに膨れ上がったその感情に、ソラはどうすることも出来なかった。
気付けば、十基の砲台がソラの乗るゼクスクレイヴを囲んで併走していた。
「――ッ!?」
『ばいばい、ソラ』
引き金を引く音すら、マイクを通して聞こえてきた。
同時、必死にアクセルを踏みながら機体を旋回させるソラだったが、もう間に合わない。放たれた十の閃光は、腕を、頭を、翼を、貫き打ち砕く。
響き渡る警告音のどれが何を示しているのか、もはやそれさえ分からなかった。制御を失ったゼクスクレイヴが、真下にある緑の森へと墜落する。機体を激しく揺さぶる衝撃に、ソラとリアは必死に耐えた。
やがて、そこでゼクスクレイヴは動きを止めた。
コックピットの中は真っ暗で、ゼクスクレイヴはぴくりとも反応しない。
「ここは、どこだろうな……」
もうゼクスクレイヴはOSすらダウンしているが、移動経路を頭で反芻する限り、アルビニアの領土には入っているはずだ。おそらくは、国境付近の『カールライル』辺りだろうか。
あれほどあったビームの嵐は、もう止んでいた。ソラを殺したと思って手が緩んでいるのか、それとも――……
「……出よう」
もうゼクスクレイヴは大破した。まともに動けはしない。そう判断して、ソラは強制的にハッチを開けて外へと降り立った。
草木をへし折って着地したせいで、辺りには酷く青臭いにおいが立ち込めていた。白い煙を上げるゼクスクレイヴの残骸が、あまりに歪に思えるほどの自然の中だった。
振り返ったゼクスクレイヴの様子をまじまじと見て、ソラはすぐに目を逸らした。
左腕はない。頭部もまた同様に。右足は半ばから断ち切られ、右手に構えた特殊な大剣は、中腹で断ち切られている。背に携えた大きな翼は、両方が無残に撃ち抜かれて、骨のようになっていた。
あまりにも無残な姿だった。
これではもう、どうすることもできない。
「ソラ、あれ……」
そんな中で、リアが上空を指差した。その声には、いつものような明るさはどこにもなくて、確かに絶望に満ちていた。
「……何だよ……?」
つられてソラも見上げる。そして、言葉を失った。
空を覆い尽くすほどの何かが、そこにはあった。
「竜、だと……ッ!?」
それは間違いなく、竜の群れだった。数にして一〇〇は優に超えている。だが、下等竜は空を飛べない。もしもあれが賢竜の群れだとしたら、もはやこの国は終わりだ。
『安心しなよ、ソラ。これは下等竜だ。ディアの力で飛ばせているだけの、ね。――ところで、こんな竜の群れが襲いかかってきたら、カールライルの兵士たちはどうするんだろうね』
上空のスピーカーから放たれるアイリの言葉に、ソラは絶句した。
基本的に、竜は地上に降り立っている。そうでなければ、人は毒を塗った剣を突き立てることすら敵わない。
もしも。
そんな竜から空襲を受けたとしたら。果たして人間は、きちんと抵抗できるのだろうか。空を飛んでいなかったとしても、戦力差では絶望的なのに。
「……やめろよ……」
呟く。
だけど、そんな声が届く訳もない。
やがてどこからともなく喊声が響いてくる。あの城には確か、ダンフロイスから撤退してきたジャスパー軍がいるはずだ。城の兵士たちが異常を察知して、飛び出して来たのだろう。
あんな空を舞う竜の群れに対して、どうにかなることなどないはずなのに。
「ソラ、ダメだ。今すぐジャスパー卿たちを下がらせねば」
リアの声は確かに聞こえる。だけど、ソラは頷くことすら出来なかった。
「……もう、無理だよ……」
突きつけられた現実に、何かが砕ける音がした。
それはきっと、物質的なものではない。もっと奥底にあって、見えざる何かが折れたのだ。
「だって俺には、アイリと戦えない……っ」
初めから分かっていた事実。だがそれでも、リアを護る為には目を逸らしていなければいけなかった。それすら、もう出来ない。取り繕う余裕すら奪われた。
膝から崩れ落ちて、ソラは雑草を握り締めて何かを必死に堪える。
「俺には、もう無理だ……っ」
視界が滲む。鼻の奥がツンとして、喉や胸が痙攣する。溢れ出るその感情の名前を、ソラは知らなかった。けれどもう、それすらどうだって良かった。
このまま、ソラの世界は蹂躙される。
ソラが殺したアイリス・ホワイトブレットによって。
「……何故、無理だと言う?」
そんな、どこまでも慈愛に満ちた声がした。ソラのつけた深い刀傷が消えた訳ではない。なのに、血まみれのその姿で、リアはそれでもソラに笑いかけた。
「彼女の怒りを受けることが、そんなに怖いか?」
「……っ」
「なら、大丈夫だ。私も一緒に耐えてやろう」
どうしたって、彼女はそんな優しい声をかけてくれる。
それが堪らなく嬉しくて、途方もなく怖かった。
「私は諦めないぞ。この世界で人と竜が手を取り合えるようになるまで、絶対にだ」
「……そんなの無理だよ」
「無理なものか。その点で言えば、あの女は評価できるな。ディアスキアとの関係性は、人と竜が共存できる可能性を、ほんの少しだけ示してくれたのだから。――まぁ、あんな形はゴメンだが」
だから、彼女は絶対に諦めない。
どこまでもまっすぐなその心が、狂おしいほどに愛おしい。けれど、ソラはその瞳を見つめることさえ出来なかった。
「俺は、アイリを討てない」
「――討て。お前の手で、もう一度。でなければ終わらせられん」
「無理なんだよ!!」
喉が引き千切れそうなほどに、叫ぶ。叫んで、小さな声でもう一度その言葉を繰り返す。
「……アイリをあんな化け物にしたのは、俺だって言うのに……っ!! どんな面で戦えって言うんだ!!」
「お前の手で決着を付けろ。そんなものを、他人に押し付けるな」
ソラの胸倉を掴んで、リアが吠える。
力を失った彼を、無理やりに立たせる。
「あの化け物はもう止まらない。復讐に呑みこまれ、その身を売ったのだから。――ならば、誰が止める。誰の手で、止めなければならない」
「……っ」
言われなくたって、そんな答えは分かっている。
全てはソラの引き金が原因だ。
あの日、ソラが彼女を討ってしまったが故に、全ては歪み、狂っていった。
ディアスキアの命すら弄び、カールライルの無関係な人たちまで虐殺しようとしている。そこにはもう、ソラがかつて愛した彼女の面影などどこにもない。
だから。
だから――……
「……もう一度、俺の手で、アイリス・ホワイトブレットを討つよ」
恐くないと言えば、嘘になる。
彼女に立ち向かうこともそうだし、もう一度彼女を殺すことそのものにさえ、恐れをなして逃げ出してしまいそうになる。
けれど。
もうそんなことはできない。
リアの為に、ソラは戦うと決めたから。
「俺に力を、もう一度やり直すだけの力を貸してくれ、リア」
「当たり前だ。――だって私は、お前のパートナーだからな」
零すように笑い合って、ソラは彼女の肩に手を乗せた。
リアの額にキスをする。同時、彼女の身体が蒼い光に包まれた。




