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第二章 たった二人の傭兵団 -9-


 まだ日も昇らない闇夜の中を突き抜ける。

 星ひとつ見えない暗い曇り空の下で、湿った草木を踏み締める音が延々と響き続ける。

 カレドリオン王国の国境から数十キロ。中央にディアスキア城を構えた城塞都市、『ダンフロイス』へ向けて、ジャスパー卿率いるアルビニア軍が侵攻を続けていた。

 先陣を切るのは、もちろん、黄金の鎧に身を包み、マントを旗のように翻して突き進む上位騎士――ジャスパー・ブラッドストーンだ。

 そして、その左右の後方にそれぞれ、簡素な鎧に身を包んだソラとリアの姿がある。


「……俺たちがこんなに前に出ていいのか……?」


「むしろ、貴公らはそれでこそ士気を高められる。傭兵の身で騎士よりも信頼されていると思われれば、他の傭兵の活気は大きく高まるはずだ」


「まぁ、全体の割合じゃ兵士よりも傭兵の方が多いからだろうな」


 ソラの独り言にきっちりとジャスパー卿は返事をして、リアもそれに補足する。

 現状、ジャスパー軍の人員は、騎士が一〇人、兵士が一〇〇人、傭兵が二四〇人である。普段から鍛錬を積んでいる兵士たちも重要だが、数の上では傭兵こそ要とも言える。その力をより発揮させる為には、ソラたちのように目に見える『成功例』を吊るすのが、一番手っ取り早かったのだろう。

 その結果、むしろ騎士たちの指揮はやや下がりそうなものだが、その辺りはジャスパー卿の教育次第だろう。傭兵ごときに取った遅れを取り返す、くらいに躍起になってくれれば、どちらの士気も上がることになる。


「――じきに城が見えるぞ。警戒を怠るな」


 ジャスパーの言葉に、ソラたちは息を呑む。一歩近づくごとに、確かに肌を突き刺すような緊張感が辺りに立ち込め始めていた。

 思えば、自ら攻め入ることなど珍しい気がする。

 ソラの元いた世界では、地球はあくまで異星人からの侵攻に対抗する為に戦っていた。必然、そのほとんどは防衛戦になる。こちらの世界に来てからも、こんなにも危険な橋を渡るような大規模の作戦に、ソラは参加してこなかった。単純に縁がなかったのか――避けていたのか。


 だから、だろうか。

 今までとは決定的に違う何かが、そこにはあった。


「……恐いか?」


 リアの言葉に、ソラは少し悩んで、首を横に振った。彼女が半人半竜で、五感が異常なまでに鋭いことは知っている。ソラの強がりなど、一瞬で見抜いてしまうに違いない。

 それでも、ソラはリアに弱音を吐く気はなかった。


「恐くはないよ」


「……本気か?」


「だって、リアがいるからな」


 その言葉は偽らざる本心だ。今まではずっと、ソラは一人で戦ってきた。二年間、誰にも自身の生い立ちを隠して、孤独の中で生きてきた。けれど、今はリアがいる。背を預けられる仲間がいるというだけで、今までとは全然違う自信が溢れてくる。


「――森を抜けるぞ」


 ジャスパーの言葉の直後、ソラたちの視界には巨大な壁が飛び込んできた。

 真っ白な石を積んで作られた、大層な城壁だった。人間が作るものとは規模が違う。その体躯に合わせてだろうか、地上からの高さが二十メートル近い。この奥へと攻め入ることは、人どころか竜ですら容易ではないだろう。


 その奥には、さらに遠近感が狂いそうになるほどの巨大な城がある。塔のような細いものはない、巨大なブロックを積み重ねたような外観だった。要塞として徹底的に組み上げられた、一切の無駄を削いだ機能美がそこにはあった。

 思わず、皆が足を止めて息を呑んだ。


 だが。

 それは眼前の城に畏怖したから――ではない。



 それを覆い尽くすほどの鱗の塊があったからだ。



 おおよそ一〇〇の瞳が、こちらを見ている。その口元には牙をぎらつかせ、虎視眈々とこちらの命を狙っている。


「あれが、全部竜かよ……っ」


 誰でもない誰かが、そんな声を漏らす。それはこの場にいる全員の言葉だった。

 まるで魚が来るのを待つクジラの顎のような、どうしようもない絶望が待ち構えていた。目の前に立ち塞がるその竜の群れに、高まっていたはずの戦意が萎えていく。


 数にすれば五〇を超えるだろう。それだけの下等竜の群れに対抗するには、こちらの戦力が明らかに足りていない。たとえ下等竜一匹でも、一〇人程度で囲い込んで、ようやく勝率が五割に届くかどうかというところなのだ。総勢三五〇のこちらの軍では、そもそも城壁を突破する力さえない。


 だと言うのに。


「――怯むな」


 重く、響くような声があった。

 誰もがその声の主を見る。


「これは好機である。我々があの城を攻め落とすことで、無数の竜を屠ることが出来るのだから。――撤退はない。すれば、あの竜たちは、いずれカールライルへと攻め入るだろう。そのとき殺されるのは私でもなく、騎士でもなく、傭兵でもない。か弱く敬虔な市民である」


 その言葉に、全員が現実を突き付けられる。

 あの軍勢が、カールライルへと攻め入ったらどうなるか。答えは簡単だ。一夜にして落ちる。全ての市民はその過程で殺される。やがて、そこを起点にアルビニア全土に被害が広がっていくだろう。


「不利であることは百も承知だ。それでも、我らはあの城を落とさねばならない! 貴公らが剣を取った理由を今一度思い出せ! 全ては、明日の平和の為に!!」


 ジャスパー卿のその言葉に、折れそうになる心はどうにかそこで踏み止まっていた。みなの瞳に灯っていた戦意の炎は、消えることなくまだ残っている。


「剣を握れ、大地を踏みしめろ。貴公らは剣であり盾である。そして、人だ。全ての竜を屠り、市民を護り、そしてもう一度、己が帰る場所へ戻るのだ!」


 ジャスパー卿の言葉に、兵士たちが雄叫びで答える。既にその瞳にあった絶望は、彼のカリスマによって完全に拭い去られていた。


「私が城主である賢竜――ディアスキアを屠る。それまで持ち堪えよ!!」


 ジャスパー卿が吠え、地面を蹴りつけると同時、戦争は始まった。

 がしゃがしゃと鎧を鳴らす彼らに、城壁で構えていた竜たちが真っ直ぐに立ち向かってきた。先の防衛戦では、ジャスパーの力で敵を分裂させ、一対多数の状況を作っていたが、これだけの敵がいればそれは出来ない。出来たとしても、三、四人では下等竜の足止めすらままならないだろう。

 だからこそ、総当たりで挑む。常に眼前の竜と十人以上で戦いながら、次々とターゲットを変えて的を絞らない。そうすれば、数の振りはその場しのぎだがごまかせる。


「――ソラ・ミツルギ、リアトリス。私に続いて、城に来い」


「騎士じゃなくていいんですか」


「この場の指揮が出来るのは、私の直属の部下である騎士だけだ。その役目は貴公らには出来まい。――だが、私の護衛となれば貴公らにも務まるはずだ」


「了解です」


 短く答え、ソラとリアは走り抜けるジャスパー卿の前へと躍り出て、剣を抜いた。

 ソラのそれは何度も使ってきたあの高周波ナイフ。そして、リアの武器はしっかりと磨き抜かれた業物の両刃剣。二つの光が、まだ暗い城の傍で輝いた。

 行く手を阻むように、二匹の竜が姿を現す。全く同時にその爪を振り上げた二匹に対し、ソラもリアも、あえて一歩を踏み込んだ。

 竜の足を踏み台にして一瞬で眼前まで飛び上がった二人は、竜の攻撃など全く意に介さない。その頸動脈を高周波ナイフで切り裂き、吠える為に開いていた口の中へと毒剣を突き刺す。

 ほんの刹那の間に、二匹の竜は完全に絶命し、崩れ落ちる。


「止まるなよ」


「分かっている」


 ソラの言葉に応え、リアもまた更に突き進む。

 これだけの敵がいる以上、悠長にカウンターを狙っている余裕はない。何度も攻撃を躱しているうちに囲まれてお終いだ。だから、初撃で決着を付けなければいけない。

 それを成し遂げるのは至難の業ではない。世界を超えたオーバーテクノロジーの武器があったとしても、近づけなければ何の意味もないし、半竜としての身体能力があっても、毒剣は目や口のような限られた場所に届かせなければいけない。


 だからこそ、突き進むことで戦いを最小限に城へと乗り込む。そうすれば、確率的にやって来るであろう失敗を引き当てる前に、安全地帯にまで侵攻できる。


「……流石だな。貴公らの腕に、更に士気が上がっている」


「お褒めに与り光栄です。――しかし、俺たちだけでは捌き切れませんよ」


「構わない」


 一度に一体ずつしか相手取れないソラたちの間を抜けるように、下等竜がジャスパー卿へと牙を剥く。だが、彼の瞳に焦りの色は全くない。


「貴公らを護衛にするとは言ったが、私も出るからな」


 自身の身長にも届く大剣――ソード・オブ・ヴァラーを引き抜いて、ジャスパー卿はその下等竜を腹で両断する。

 本来は分厚い鱗に阻まれる刃だが、竜装であるそれは常識を覆す。本来なら存在しえないほどの剃刀のような極薄の刃を形成し、鱗ごと断ち切っていた。あまりに鋭利に切断されたその竜は、一瞬自らが斬られたことにすら気付かず、そのまま大量の血の中へと沈んでいった。


「このまま行くぞ」


 死した竜に一瞥もしないジャスパー卿に続いて、ソラたちも門番の竜をまた一太刀で屠り、城の中へと突撃した。


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