序章 世界の崩壊 -2-
「ソラ・ミツルギ、ゼクスクレイヴ。――出撃する!」
凄まじいGが内部にかかり、灰色のカタパルト内だけしか映っていなかったカメラは、やがて広大な宇宙を映した。
既に、周囲の味方の機体全てが無数の敵機に囲まれている。数の上で言えば圧倒的に不利。その上、おそらく技術的な面でも数十年は遅れを取っている。
それでも、ソラは立ち向かう。
「このゼクスクレイヴで、俺が全員薙ぎ払う」
自らに誓うように、彼は言う。
その為だけに、彼は戦場に立ったのだから。
『ちょっと、私を忘れないでくれるかな?』
モニターの端に、通信として赤いパイロットスーツに身を包んだ少女――アイリが映る。
同時、彼女の機体がソラの愛機の横へ並び立つ。
それは、純白のソラに対し、血を連想させるような真紅の機体だった。
ゼクスクレイヴのように翼を携えながら、その枚数はそれより二枚も多い。大剣を持ってはいないものの、その代わりに左右の肩に着脱不能のビーム砲を装備し、両の手にも二丁のビームライフルを携えている。
名を『クロイツアイン』。
ゼクスクレイヴと同型の機体にして、彼と対をなす為に生み出された、アイリス・ホワイトブレットの専用機だ。
「……忘れてないよ」
さっきのアイリの言葉に、ソラはそう答える。
胸が締め付けられるように痛くて、けれど、じわりと温かくなる。
自分にそんな感情を教えてくれた彼女を忘れたことなど、一度だってありはしない。
「俺が、君を忘れることなんてない」
『あ、あははー。そう真正面から言われると照れちゃうね』
ヘルメット越しの彼女の顔は良く分からないが、ほんのり頬が赤く見えるのは、そのヘルメットだけのせいではないような気がした。
「だからさ、絶対に帰らなきゃいけないんだ」
『……分かってる』
「絶対に、生きて帰ろう」
『うん。ソラの帰る場所は、私が護るから』
その誓いに頷いて、ソラはフットペダルを踏み込んだ。
背の翼が展開しそのスラスターから斥力場が展開され、瞬時にトップスピードに達する。ゼクスクレイヴは一瞬にして、戦場の中央へと斬り込んだ。
右の大剣の刃を振り下ろし、まさにソラの仲間を討とうとしていた敵機を頭蓋から一刀両断する。
彼らの乗るロボット――アサルトセイヴには、共通してあるエンジンが搭載されている。それは、電力を受けて重力場に干渉するレアメタルと常温超電導体の、二つを駆使して生み出された特殊なコアだ。
これを用いることで、アサルトセイヴは斥力場を自在に発生させ、それを推進力としている。中でもこの『ゼクスクレイヴ』と『クロイツアイン』は、背の翼の下部全てがスラスターとなっている、速さに特化した機体だ。その出力は音速を容易く超える。
まるで舞うように飛びまわり、ソラは敵を切り裂き続けた。翼から漏れ出た光が尾を引くほどの速度で、だ。
一機ずつでは勝ち目がないと判断したのか、敵は数の違いを押し出して数十の機体で囲んできた。それに対し、ソラは吠える。
「やらせない。みんな、俺が護るんだ!!」
そこからは、自身のカメラすら追いつかないほどの速度だった。
刹那で周囲を取り囲んだ機体の全てを、胸部から断ち切る。数十の機体はその場で立ち竦み、やがてダメージを思い出したかのように全てが爆散した。
それでも、まだ数十。
数千、下手をすれば万を超える軍勢だ。この程度では、勝利には程遠い。
「……クソ!」
さらに飛び出し、ソラは敵陣へと向かう。
こうしている間にも、後方では仲間が次々と撃ち落とされていく。機体性能で言えば、ソラの乗る『ゼクスクレイヴ』とアイリの『クロイツアイン』を除けば、あの異星人の機体に勝る機体を地球は持っていない。その上、数で負けているのでは、些細な策略を練ったところで質と数の暴力を前に押し潰されるのは道理だ。
何の為に地球を狙っているのかは知らないが、ここまですれば攻め落とすか全機撃墜されるまで、彼らは止まらないだろう。
『ソラ! 前に出すぎだよ!!』
「もともと射撃の腕は当てにならないんだ! 後方でちまちま斬ってたら、俺の機体じゃ真価を発揮できない!!」
焦燥から、まるで怒ったようにソラは声を荒げてしまっていた。だが気付いていても、そんなことに後悔する余裕すらなかった。
本当のことを言えば、ソラ自身の射撃の腕前は悪くない。ゼクスクレイヴの火器管制システムによるオートロックを用いれば、当たらない道理がないのだ。設計思想としては、近距離から遠距離まで全てにおいて敵を上回るように作られているくらいだ。
だがそれに頼るよりも、ソラの近接戦闘のスキルが常軌を逸したレベルにあった。恐怖というものを知らないかのように敵の懐へ潜り込み、その大剣を持って切り刻む。誤射も撃ち損じもありはしない。一撃で確実に切り捨てるその腕があれば、銃に頼るよりも遥かに多くの敵機を撃墜できた。
だが、それはあくまでむちゃくちゃな戦い方でしかない。圧倒的な回避率を誇るソラでも被弾はするし、そうなれば、ゼクスクレイヴの出力は落ちる一方だ。銃撃も織り交ぜた方が、被弾を防ぐ意味ではいいと理解している。
けれど。
それでも、現状では一機でも多くを屠れる戦い方を選ばなければいけない。それほど事態が切迫しているのだ。
『……分かった。じゃあ、ソラの援護は引き受ける』
「待て! 俺とアイリだけが、あの軍勢に対抗できるんだぞ!? 分散して戦った方がいいに決まってる!」
『あれ。ひょっとして私、信用ない?』
言葉の直後。
計四枚あった彼女のクロイツアインの翼のうち、二枚がばらばらと分解するように落ちて宙を舞った。同時、それは砲門を見せて輝き始める。
音はない。
ただ、無数の閃光がクロイツアインを中心に巻き起こったかと思うと、周囲数百メートル以内にいた全ての敵が爆発して消え失せた。
セグメントと呼ばれる、クロイツアインの自立ビーム砲台。アイリの乗るクロイツアインだからこそ操れる、全方位射撃兵装だ。
「……俺の援護じゃないのかよ」
『援護もするわ。仲間も護るし、地球も護る。――知らなかった? 私、欲張りなの』
「……あぁ知らなかったよ」
呆れたようにため息をついて、ソラは前だけを見据える。
背中をバシリと叩かれたような、そんな頼もしさだけが後には残る。
「後ろは頼んだ」
『訂正して。――前以外は、私が全部引き受けてあげる』
「あぁ、ありがとう」
答え、ソラはゼクスクレイヴを走らせた。
敵機の中央へ真っ直ぐに立ち向かい、阻む敵を斬り伏せる。全てを一撃で、時に一薙ぎで数機をまとめて切り捨てた。
それでも、一向に数は減らない。周囲に展開しているレーダーは全体が真っ赤に染まったままもはや使い物にならないし、ロックオン警戒アラートは常に鳴り響くのでスイッチを切ってしまったほどだ。
数十メートル飛んだところで、敵機の山と衝突する。それ全てを薙ぎ払う頃には距離を離されていて、また数十メートル進んだところでまた襲われる。その繰り返しだった。敵の後方で構えているであろう大将の首が、余りにも遠い。
次第に、ソラの表情に焦りと疲労の色が浮かぶ。
「く……っ!」
周囲では先程から爆発が続いている。ソラたちが宇宙戦艦のブリッジで見たときよりも多くなっているのは、単純にクロイツアインの戦果だろう。
だが、それだけだった。
どれほど敵を屠ろうと、無限に湧き続ける。他の兵士は疲弊し散っていく。
その結果はどう足掻いても変えられない。
「ちくしょう……っ」
その様を見れば見るほど、心が耐えきれなくなって軋んでいく。焦りで暴れ狂う心臓の横で、胸の骨が折れそうなほど痛む。
こんなことになるのは、軍人になったその日に分かり切っていた。この手で操縦桿を握り、何色かも分からない異星の血で染め続けても、後悔などしていられなかった。
感情を押し殺して、割り切ることは上手くなったはずだった。仲間の死なんて、もう嫌というほど見てきた。
けれど、これは駄目だ。
頭も目も殴られたように痛い。感情の処理がもう出来なくなっている。
これ以上はもう、一人だってソラの心は許容できない。
「そこを退け!!」
握り締め大剣を正眼のように構え、ゼクスクレイヴはそこで動きを止めた。腰に垂れ下がった直結型のビームライフルが、その砲門を眼前へと向けている。
爆発があった。
大剣に搭載された砲門、左右の腰の計三門から、途切れることなくビームの弾丸が放たれたのだ。それは光の暴力だ。一〇〇程度の敵ならば、この一撃で消え失せる。
なのに。
目の前に広がる敵を蹴散らすが、それでもまだあの山の一角すら切り崩せなかった。
『この!』
クロイツアインの翼から放たれた自立ビームライフルが飛び回り、次々と敵機を撃破していき、敵の爆発が波のように押し寄せる。それでも、こちらの不利は全く変わらない。
「このままじゃ……っ」
負けてしまう。
その事実が頭によぎったときだった。
ソラやアイリの横をすり抜けて、数百の敵機の山が流れ込んできた。
「しま――ッ!?」
慌てて戦線を後退させようとするが、山の一部が崩れるようにしてソラとアイリの行く手を遮っていた。
この先には、艦隊が立ち並ぶ最終防衛ラインがあるのに。あれを切り崩されれば地球の敗北だというのに。
「どけ……っ!」
敵機を切り刻み、その後方へと下がろうとするのに、流れ込み続ける数の方が多い。どれほど暴れ回ったところで、ゼクスクレイヴでは身動きが取れない。
焦りは次第に、恐怖に変わっていた。
指先の感覚が抜けていく。
いま見えている風景が、どこか遠いものへとすり替わっていく。
『やめて……っ』
悲痛な声が、スピーカー越しに響く。ソラも同じことを叫びたい気持ちだった。
だがその声が敵に聞こえるはずもない。聞こえたとしても、応じる訳がないだろう。
流れ込む敵機の山を、暗闇に漂う戦艦が打ち払おうとする。だが、それでもまだ足りない。
無数のミサイルに、ゼクスクレイヴたちですら使用できない大口径のビーム砲やレールガン。嵐と見間違うほどの攻撃が降り注ぐのに、巣を突かれた蜂のように無数の敵機に覆われていく。もはやあそこまで取りつかれてしまえば、どうすることも出来ない。
バツン、と、ゼクスクレイヴのコックピットの中に嫌な音が木霊した。砂嵐のような不快な音だけが、そこからは流れ込んでくるばかりだった。
「艦長、何が――」
問いかけようとした直後だった。
眼前で、ひときわ巨大な爆発が起きた。
一瞬だけ真っ赤な獄炎を撒き散らし、空気を失って消えていく。真っ白な破片だけが当たりに散らばった。
それは。
ほんの少し前まで、ソラが立っていた場所。
ソラが、アイリが、帰るべき船だったもの。
「嘘、だ……」
掠れた声が漏れ出た。あれほど怒りに滾っていた全身の力が、呆気なく失われていく。
旗艦は砕かれ、防衛ラインは崩された。
もう、地球の命運は尽きたのだ。
『そんな……っ』
黒い何かに塗り潰されていくアイリの声に、しかし、ソラはもう答えられなかった。何て声をかければいいのか、全く分からない。