第二章 たった二人の傭兵団 -5-
ぱちぱちと燃える木枝が爆ぜる音がする。
真っ赤な明かりを囲みながら、ソラはリアの言葉を待ち続けた。やがて、どう切り出すかを決めたのか、リアが重い口を開いた。
「私は、竜ではないよ。とは言え、人でもないのだけれど」
「……混血って、ことか」
「何だ、気付いていたのか。――そうだよ。私の父は賢竜で、母親が人間だった。母親が一人で私を育ててくれていたから、こうしてアルビニアで人として生きている」
半人半竜。それがきっと、リアがかつて言っていた『乙女の秘密』とやらの正体だったのだろう。
不思議、その事実をソラはあっさりと受け入れていた。異世界から来たという自分の境遇のせいで、その辺りの常識の枠は緩んでしまっていたのかもしれない。あるいは、リアの言葉を疑うことなど出来ないほど、彼女を信頼しているのか。
「……その母親は?」
「もう死んだよ。父親の方がどうかは知らんが。――母は元貴族だか何だかで、お金はあったからな。それを元手に傭兵を始めた」
そう言われて、ソラはリアがどうして自分にこだわるのかが、分かったような気がした。
鳥は生まれたときに初めて見た相手を親だと思うらしいが、それと似ているのだろう。親を失い、初めて優しく接してくれた相手だから。だから、彼女はソラに執着しているのだ。
「それにしても、竜との間に子供が出来るんだな。それも結構驚きだった」
「賢竜は何でもできるからな。それは、あのグランディフロイスと戦ったソラも知っているだろう? こうして私が人の姿をしているのも、その賢竜としての力を使っているからだ」
そう言って、リアはぎゅっと自分で自分を抱くように肩を握り締めていた。
「恐いだろう? 私の膂力は人間のそれを遥かに超える。気が昂ったり無理に力を引き出せば、昼間のように鱗が浮かび上がるんだ。私は、人ではないから」
きっと。
彼女は、そのことで辛い思いをしてきたのだろう。人の姿を完全に維持するのに感情が関係するとすれば、子供のころは中々に難しかったに違いない。そうすれば周囲の人間には気味悪がられて当然だ。迫害されても、おかしくはない。
もしかしたら、この事実を知られることは、彼女にとって友を失うことと同義なのかもしれない。だから怯えているのだ。ソラが自分から離れて行ってしまうのではないか、と。
見縊るなと、そう言いたくなる衝動を堪えて、ソラは努めて冷静に振る舞った。その場の勢いに任せてしまえば、彼女はソラの言葉を信用しない気がした。だから、理路整然と、ソラは離れないと教えてやらなければならない。
「……お前は、人を殺したいと思ったことがあるのか?」
「そんなことはない!」
ソラの問いかけに、リアは噛みつくように否定した。
「……竜としての衝動が抑え切れないとか、そんなことは?」
「一度だってあるものか」
その言葉を聞いて、ソラは小さく頷く。
「なら、何の問題もないじゃないか」
あっさりと。
本当に何でもないように、ソラは言った。きっと、それが一番リアにとって必要な言葉だと思えたから。
「……何を、言っている……っ? 竜だぞ!? 今も人と戦争をして殺し合っているその敵と同じ血が流れているんだぞ!?」
「俺は血で戦争をしている訳じゃないよ」
そうソラは答えた。
「俺は竜に対して何の憎悪もない。ただ生きる為に、仕方なく殺しているだけだ。――だから、リアが竜だからって、別に思うことは何もない。隠れた凶暴性がある訳でもないなら、なおさらだ」
それは、ソラの偽らざる本心だ。
彼女が竜であろうとなかろうと、ソラがここしばらくずっと傍にいたのは、ヒトではなく『リア』なのだから。
「しかし……っ」
「……君は、俺が異世界から来たって聞いて、恐いと思ったか?」
まだソラの態度が信じられなさそうな彼女に、ソラはそう切り出した。
「俺はあのゼクスクレイヴ――鋼の大天使とやらに乗れるんだ。あれを使えば、知っての通り竜なんて一網打尽だ。人だって街ごと消し去れる。――それでも君は、俺を恐れたか?」
「……私は、ソラはそんなことをしないと知っている。恐れなどあるものか」
「それと同じだよ。それに、半分だけ竜のリアに比べれば、俺の方がよっぽどだと思うよ」
それがリアの求めていた正しい答えなのかは、分からない。リアが何に悩んで、何を望んでいたのかなど、ひと月にも満たない短い関係しかないソラには分かるはずがない。
それでも、リアは涙を零して頷いていた。ソラの言葉を抱えるように拳を握り締めて、胸に抱くようにして泣きじゃくる。
「……それが、君の秘密なんだな」
こくりとリアが頷く。
「なら、俺も俺の秘密を話さないといけないよな。――全然、楽しい話じゃないんだけどさ」
リアはそれでもいいのか、ただ黙っていた。どこかできっと、彼女はソラが抱えていることを分かっていたのかもしれない。
ソラはゆっくりと立ち上がって、傍で座したまま動かないゼクスクレイヴへと近づいていく。つるりとした金属のつま先の装甲を撫でる。
「俺は、最愛の人を殺したんだ」
その言葉はひどく上ずっていた。二年も経つというのに、その事実を認めることで、心の形が崩れていくような感覚があった。
「俺たちの世界で地球が負けてしまったとき。怒りで後先考えられなくなった俺を制止する為に、彼女は立ち塞がった。けれど、動き出したゼクスクレイヴを俺は止められなかった。そのまま、この剣は彼女の機体を貫いた」
その瞬間を鮮明に思い出してしまって、視界はぐらぐらと揺れていた。全身がひどい寒気に襲われて、震えていた。それでも、ソラは止めなかった。
「俺は愛した人を殺した。それは変わらない事実なんだ。――だから俺は、誰かと傭兵団を組みたくなかった。そうすれば、思い出さずにいられたから。誰かと仲良くなれば、絶対に、いつか思い出してしまうから」
「……ソラは、私といると、たまに遠い目をしていた」
まだ溢れる涙を抑えるように、リアが途切れ途切れにそう言った。
「あれは、思い出していたのだな」
「……そうだよ。――これが、俺の抱えた秘密だ。幻滅したか?」
ソラの問いかけに、リアはぶんぶんと首を横に振った。その即答が、ソラには少しだけ意外だった。人を殺した以上、たとえ異世界の人間であっても、もう少し戸惑いの色があってしかるべきだと思っていたから。
「そんなことは、絶対にない。ソラが優しい人間だということを、私はもう知っている。下等竜とは言え、一歩間違えば殺されるような相手に、私を護る為に一人で立ち向かってくれたのがソラだ。そんなお前の何に失望しろと言うのだ」
「……今の俺がどんなでも、彼女を殺したことには変わりないんだ」
「それでも私は、お前がいいよ」
真っ直ぐに、どこまでも純粋な瞳で彼女はそう言った。彼女の瞳には、恐れなど微塵もない。軽蔑などした様子もない。
昨日までと全く変わらない、いつもの日だまりのような優しさだけがあった。
それは、きっと、ずっとソラが欲しがっていたものだった。けれど自らを曝け出すのが恐くて、求めることさえ諦めたものだった。
それを、彼女がくれた。その事実だけで十分だった。
「……俺も、君がいい」
そのとても小さな呟きは、きっと彼女には聞こえていたと思う。けれど、リアはほんの少し頬を紅くしただけで何も言わなかった。
「傭兵団、俺と組まないか」
ソラはそう言って、リアに手を差し伸べた。
互いの秘密を知って、なおも蔑むことなく認められた二人だからこそ、赦される関係があるのだと思う。だから、ソラは彼女の傍で戦うことを望んだ。
だが、彼女は少し怯えたように、ソラの手をじっと見ていた。
「……いいのか? 私は半人半竜だぞ」
「リアはリアだ。――それとも、人殺しの俺は嫌か?」
その言葉に、リアは慌ててソラの手を取った。じわりと、その温かさがソラに伝わってくる。
「……ソラはソラだろう。その背負った罪なんて、私には関係ない」
そう言って、二人は手を握ったまま、静かに笑い合うのだった。




