第二章 たった二人の傭兵団 -4-
呆然と立ち尽くしていたソラだが、すぐに彼女を追いかけて森へと足を踏み入れた。いくらリアでも森で迷えば生死に関わる。彼女の背の鱗のことも気になるが、そんなことは二の次だ。
森の木々をかき分けて、ソラは延々とリアの姿を追いかけ続けた。
だが、何時間探してもリアを見つけることは叶わなかった。とっくに日が沈んで、夜を告げる鐘が微かに聞こえてくる。
「……帰るか」
流石にこれ以上の捜索は危険だと判断して、ソラは来た道を引き返すしかなかった。
道中、ソラは考える。
あの鱗はおそらく、竜のものだ。彼女自身が竜なのか、それに近い何かなのだろう。そんなリアの姿を見て、驚いたことには驚いた。だが、同時にどこか納得できたところもある。
初めて会ったとき、ソラが気付くより先にリアは竜の足音に反応していたし、その後も、匂いだけでソラを追いかけてきた。脚力など男のソラを超えるほどだ。
そんな身体能力を、ただの天賦の才だけで片付けるには無理がある。だが、それが竜としてのものであったならなるほどと思う。
「……どういうことなのかは、よく分からないけど」
彼女が竜だったのなら、いったい何の為に人の国に来て傭兵をやっているのか、その理由が分からない。様々な可能性を考えようとするが、どれもピンと来るものはない。そもそも、竜が人の姿になれることも驚きだ。
リアはいったい何だったのか。彼女は今どこにいるのか。それを考えながら森を抜けて、ソラは宿屋の『黄金の大鷲亭』へと着いた。
ぎしぎしと木製の扉を押し開けて、ソラは宿屋へ入る。一階の酒場はいつものように賑わっていた。オイルのランプで照らされた店内は、それ以上に明るい雰囲気に包まれている。それが少し、眩しいと思った。
「おかえり。どうかした?」
「……いや……」
一瞬、彼女に相談しようかとも思ったが、フローラにもリアのことは言えないと思い直す。まずは、彼女と出会うのが先決だ。
「なんかやつれて見えるけど、ちゃんとお昼食べた?」
「……あぁ、そう言えば、川に流されたままか」
流木に襲われた拍子に、バスケットは川に落としてしまっている。その後はすぐにリアを追いかけていたから、昼食はサンドウィッチ一個か二個程度。人の十倍近く食べないとこの世界では生活できないソラからすれば、ほとんど抜いていたようなものだ。
「今から作ったげるから、しっかり食べなさい」
「いや、でも――」
「いいから」
今から街中だけでもリアを探そうかと思っていたソラだったが、フローラに無理やり席に座らせられてしまった。フローラは満足そうに少し微笑んで、厨房へと戻って行く。
「今日はおごりにしてあげよう。元気出しなよ」
「……ありがとう」
ソラに何かがあっただろうとは察しながら、フローラは深くは追求しようとはしなかった。その心づかいが、今はとても心地いい。
やがて、いつもと違ってハーブと塩で焼いた牛肉だったり、いろんな野菜のスープだったり、普段のソラなら高くて手を出さないようなものが、ずらりとテーブルに並んだ。
「これ……」
「おごりだって言ったでしょ。それに新作メニューもあるから、味見だと思って気にせず食べてよ」
その言葉に深く頭を下げて、ソラはがつがつと貪った。
普段は大量に食べなければいけないせいで、塩で焼いた肉と簡素なパンばかりの味気ないものをずっと食べていた。それに文句はなかったが、今のこれは全身に染み入るように美味しかった。
腹が満たされていくうちに、余計な思考は削ぎ落されていく。満腹感は幸福感に変わって、リアに対する疑念のようなものは消えていく。
余計な思考が消えれば、頭はすっきりと回り始めていた。自分がこの先どうすればいいのか、リアの性格と照らし合わせた上で、きっちりと考えられる。
「……ありがとう、フローラさん。最高に美味しかったし、元気が出たよ」
「そう。ならもうさっさと寝ちゃいな」
「そうする」
答えて、ソラは酒場を抜けて二階へと上がる。
いくつか並んだ扉の中でこの二年ずっと借りっぱなしの戸を開けて、ソラは部屋へと入る。そのまま胸や足を覆う簡素な鎧をがしゃがしゃと脱ぎ捨てて、革のブーツに履き替えた。
ふぅと息を整えて、木の板で閉ざされた窓を押し開け、二階から一気に飛び下りて地上へ降り立つ。そのまま足音を殺すことさえせずに、ただ全速力で地面を蹴りつけて、店の前を目指した。
「やっぱり」
にやりと笑うソラの視線の先には、いた。
驚いたような顔をした、リアトリスが。
「……ッ」
即座に逃げ出そうとするリアだが、既に走り始めていたソラの方が僅かに速い。どうにかギリギリで彼女の細い手首を掴んで、ソラは無理やりに引き留める。
彼女の服はいつもの白いワンピースのようなものだったが、背中は破れていない。わざわざ着替えてきたのだろう。――きっと、そのままソラの前から姿を消すつもりだったのかもしれない。
そう思えば、もう彼女の手を絶対に離すことは出来なかった。
「……何で、ここに戻ってきたんだよ」
「あの川で、突き飛ばしたっきりだったから。怪我がなかったのか確認しそびれていて……」
だから戻って来たのだと、彼女は言う。ソラの前にはもう現れない。きっとそれだけの覚悟を持ってあの場で背を向けたのだろうに、それでも彼の身を案じて、そのままにはしていられなかったのだろう。
「そ、それで、ソラの方は大丈夫だったのか?」
「……イタタ。いま走ったせいで響いてる」
本当は怪我など全くないが、ソラはあえてリアを引き止める為にそんな嘘をついた。案の定、リアは困ったようにおろおろして、逃げ出そうとはしなかった。
「……教えて、くれないか」
彼女の手を強く握り締めて、ソラは言う。
「このまま逃げ出すのだけは、許さないぞ」
「……やっぱり、ソラは意地悪だった」
少し恨めしそうに彼を見つめた後で、リアは短く息を吐いた。
「分かった。――あの大天使の前に行こう。あそこなら、他に人が来ない」




