第一章 戦場 -9-
風が真下から吹き抜ける。
そんな奇妙な感覚を味わいながら、ジャスパー・ブラッドストーンは自身の身長を超えるほどの大剣を空中で構えていた。
「……空中戦は得意なようだが。まさか、私も飛べるとは思っていなかったか?」
「うるせぇんだよ、人間が。その喉から食い潰すぞ」
ジャスパーの眼前で、漆黒の鱗を纏った竜が唸りのような音と共にそう言った。
竜の中でもひときわ大きな身体を持ちながら、しかし、放たれたその言葉は紛れもなく人間のそれだった。喉や口の仕組みからして人間とは違うだろうに、まるで音そのものを別の方法で生成しているかのように、滑らかな声だ。
「さっきからそう言いながら、私の『ソード・オブ・ヴァラー』に阻まれているのはどこのどいつだ」
「ンな安い挑発に乗る訳ねェだろ」
漆黒の竜はそう呟いたまま翼をはためかせる。
眼下には、二十の竜と戦う兵士の姿が見えた。現在、ジャスパーと賢竜――グランディフロイスが戦っているのは、地上から十数メータ離れた空中だった。
本来、竜のあの薄い翼では空を飛ぶだけの揚力を得られない。だが、賢竜となれば話は変わる。賢竜には世界を改竄する力、物理法則を捻じ曲げる力が備わっている。それは簡単に言ってしまえば魔法のようなものであり、いかなる法則や摂理にも縛られない。だからこそ、あの巨大な図体でも空を飛べているのだ。
そして、竜装を得た上位騎士――ジャスパーにしても、それは同様だ。手にした剣は賢竜のように世界を捻じ曲げ、ジャスパーの身体を空中に固定してくれている。
「戦況は見えているかよ、人間」
「……何のことだ」
「俺たち竜も半分はやられた。だが、半分ほどの小隊は叩き潰している。なかなかいい勝負に見えるが、違うってことくらいは分かってるよなァ?」
「――ッ!」
気付き、ジャスパーは大剣を振りかざして突進した。足場などありはしないが、竜装の力を借りたその速度は大地を蹴るよりよほど早い。
だがその大剣は、切り裂くように振りかざされたグランディフロイスの爪によって防がれてしまった。
「竜の体力ってのは底なしだ。その気になれば丸一日くらい戦い続けられる。――だが、人間は違うよなァ? いま互角なら、後半で差が開くのは目に見えてる」
「ならば、私が貴様を屠ればいいだけの話だ」
瞬間。
ジャスパーの握る大剣の鎬から、まるで滲み出るように業火が生み出されていた。
自身の皮膚を焼かれる感触に気付いてか、グランディフロイスは即座に羽ばたいてジャスパーとの距離を取り直していた。
その爬虫類らしい鼻の長い顔には、確かに焦りのような表情が見えている。
「やっぱり、その竜装って奴は気に食わねェな」
「仲間の身体を切り飛ばさせてでも使い倒そうとする貴様の神経の方が、私にはよほど気に入らないがな」
「そうかよ」
短く言って、グランディフロイスは大口を開けた。同時、その喉奥から業火の塊が射出され、ジャスパーへと襲いかかった。
とっさの判断で、幅の広い大剣の腹で弾くジャスパーだったが、次々と放たれるその攻撃を前にしては、防御以外に為す術がない。
「勝つ為なら何でもするってのは、テメェら人間も一緒だろォが」
「貴様らのような竜と人間を一緒にするな」
賢竜の言葉に噛みついたジャスパーだが、そのグランディフロイスの方はただ呆れたようにため息をつくばかりだった。
「一緒だ、違いなんざありゃしねェよ。――ンなモン、そんな悪趣味な武器を持ってるテメェなら分かってんだろォが」
「……ッ」
ぎりっとジャスパーは歯を食いしばる。だが、決して反論は出来なかった。
ジャスパーを始め上位騎士の手にするこの竜装という武器は、そう揶揄されても仕方ないものだ。
だが、それでも。
「勝つ為なら仕方のないことだ」
「ほれ見ろ。知ってンぜ、テメェら人間はこう言うのを、同じ穴のむじなって言うんだろ?」
「……それでも私たちは、貴様らなどとは違う」
「そうかい。――まァ、そうかもしれねェな」
そう言いながら、グランディフロイスはまた高笑いでもするように口を大きく開けた。
「何を……っ」
「確かに竜と人じゃァ違うな。体力ってモンがよォ!!」
叫ぶと同時、その顎から球体の業火の塊が連続して放たれた。
一秒に二発か三発というハイペースで放ち続け、それは決して落ちない。どうにか大剣の腹で防ぎ続けるジャスパーだが、ほんの僅かでも気を緩めれば、即座に空中から叩き落とされかねないほどの威力があった。
「どォした、そンなモンかよ!!」
挑発を重ねるグランディフロイスに、しかしジャスパーはどうすることも出来ない。
次第に体力が削られていく。そしてそれは、眼下で戦っている彼の部下たちも同様だ。早急にジャスパーがグランディフロイスを屠る為のこの作戦で、自らが手間取るということは、それはそのまま、味方の死を増やしていくということに他ならない。
そんなものを、ジャスパー・ブラッドストーンは認めない。
自らが騎士になったのは、より多くの市民を守るためだ。
上位騎士になり軍を率いたのは、その仲間すら自らが護るためだ。
ここで無駄に命を落とさせるようでは、ジャスパーがこの竜装を手にした意味がない。
「――集中が切れてンぜ」
言葉が、やけに近く聞こえた。
そう気付いたときには遅かった。
防御の為とは言え、大剣で視界の大半を遮ってしまっていたジャスパーの目の前にまで、グランディフロイスは迫っていた。
「じゃァな、人間!!」
分厚い爪を振りかざし、グランディフロイスは笑う。
いくら上位騎士で竜装などという魔法のような武器を持っていても、その身は人間のそれに他ならない。竜の腕に薙ぎ払われるだけでも、その身体は簡単にひしゃげてしまうだろう。
殺される。
そんな思考が脳裏をよぎる。だが、もう既にジャスパーにはどうすることも出来なかった。
はずなのに。
「――ッ!?」
グランディフロイスが何かを察知して、振りかざした腕を振り下ろすことなく、羽根の羽ばたきだけでバックステップのようにジャスパーから距離を取った。
そして、その間を縫うように二本の矢が真下から飛んできた。もしもジャスパーへ固執していれば、その矢は鱗の薄い足裏に見事に突き刺さっていたかもしれない。
それは。
無傷で下等竜を屠った、勇ましくも若い二人の傭兵の放ったものだった。




