砂漠の月
真っ暗で何も見えない。ここは光も音も気配も何も感じない、不思議な空間。ここはどこ?次の瞬間には投げ掛けた疑問は、どうでもよくなる。不思議な空間は次第にわたしを不快にさせた。得体の知れないものほど、わたしを不安にさせるものはない。
孤独は辛い。でも、暗闇なら独りじゃないとわたし自身を騙すこともできる。それはとても切ない嘘。カラカラに渇いた心は一滴の嘘でも欲しがる。目を閉じて、わたしの心に水を注ぐ。それがわたしのわたしを守る手段だから。でも、暗闇だって嫌いだ。
「おはよう。今日この前の埋め合わせさせて欲しいんだけど、時間ある?」
ぼんやりと瞳に映るスマートフォンの液晶には、コージからのメール。寝起きのわたしには液晶の光でさえ眩しい。眉間に寄った皺は、気付かないふりをした。何時間前のメールだろうか。
「いいけど、また焼き鳥屋?」
わたしはゆっくり起き上がる。カーテンの隙間からは微かな光だけが見えた。優しい、夜に向かう光。
「よ、今日は時間通りだね、珍しく」
コージはクスクスと笑う。わたしが暇だっただけと言うと、いつものことだとさらに笑う。
笑顔が眩しくて、また眉間に皺を寄せる。眩しいだけではない。なんだかとても苛立った。
「今日はイタリアンな」
「珍しいね」
わたしはいつもより少しだけ、うきうきと心が踊っていた。とても不思議な気持ちだった。コージと会うと楽しい反面、とても苛立つ。そして、空しく悲しくなる。わたしとコージは余りにも正反対で、余りにも遠い存在だ。すぐ隣に居るのに。
コージに連れられて入ったイタリアンの店は、店内の照明も雰囲気も何もかもが明るくて賑やかでわたしは居心地が悪かった。そして、よりいっそう孤独を感じた。
「いつもと違っていいだろ、ここ」
コージの笑顔は、この店の雰囲気に溶け込む。
「そう?いつものとこのが落ち着く」
「なんだよ、いつも文句しか言わないくせに」
コージはまたニコッと笑う。悪戯に笑う顔は妙に幼げで、憎めない悪ガキのようだ。
「そういえば、この前アキラに会ったよ」
わたしは目の前のパスタをくるくるとフォークで絡めながら、コージに先日の話をした。
「アイツ変わってるよな、まあ、お前には負けるか」
コージは幼い顔をこちらに向け続ける。わたしは、あまりの眩しさに目を背けた。そして、コージは二人ともいい奴だから、気になんないけどなと続けた。
そう、わたしもアキラも変わってなんていない。かといって、平凡や普通はもっと嫌だ。じゃあ、わたしはどう在りたいのだろう。コージの言葉で、この空間や綺麗に盛り付けられたパスタのことは、すっかりどうでもよくなってしまった。
帰り道にふと見上げた夜空には、うっすらと雲のかかった三日月が浮かんでいた。雲の向こうでは確かに光輝く三日月は、此方からは霞んで見える。その姿は切なく、今にも輝くことを止めてしまいそうな程に。
「ねぇ、コージってさ、太陽みたいだよね」
わたしは切ない三日月を見つめながら呟いた。コージに届いたか分からないほどに小さな声で。
「なにか言った?」
コージはこちらを見ていただろう。わたしの視線の先には確かに三日月が輝いていた。わたしは三日月から視線をそらせずにいる。見ることを止めてしまったら、あの三日月が消えてしまうのではないか、そんなことを考えていた。そして、無性に切なくなる。
今日は早めの解散だった。まだ、わたしの夜は終わらない。何をしようか考える。
窓辺でタバコを吸いながら、今日の事を思い出す。わたしは変わってなんかいない。でもアキラはどう思ってるだろう。個性だからと、受け流すだろうか。そう出来たらわたしも、自分を好きになれるだろうか。考えるほどに不快になる。
今夜も、どうしようもない事を考えながら夜は更けていく。わたしはわたしで、アキラはアキラなのだ。そして何故か急にアキラに会いたくなった。アキラなら何て言うだろうか、どう考えるだろうか。気がつけば、アキラのことばかりを考えている。そんなわたしに蓋をするように、2本目のタバコに火を着けた。
わたしの心は、1滴の嘘でも欲しがる。でもカラカラに渇いた心は潤うことすら忘れて、もう何も吸い込むことが出来ずにいた。暖かい気持ちに触れるほど、渇きは進んでいく。