満ちる月、欠ける月
結局トイレに立ったままシンは、帰ってこなかった。アキラに大丈夫か聞いたが、いつものことと軽くあしらわれてしまった。
2人で店を出たとき、時刻は2時を過ぎていた。だいぶ呑んだが互いにしゃんとしている。アキラがコンビニへ寄りたいと言うので微妙な距離を保ちながら近くのコンビニまで付き合った。
「なに買うの?」
「酒」
「は?まだ呑む気?」
アキラは、そうだけどと言いながら適当に酒をカゴの中へ入れていく。アキラがどこか寂しそうな顔をしていたのをわたしは、見逃さなかった。
「付き合うよ」
そう言いながら缶酎ハイを2本だけカゴの中へ入れた。誰かに合わせるのは苦手な筈なのに、いまは嫌な気がしない。
「無理に付き合わなくていいよ」
「わたしが呑み足りないだけ」
「そうか」
アキラがわたしを見ながら言ったのが視界の端に見えたが、わたしはアキラの顔を見ずにそのままレジへと向かった。寂しそうな顔をしたアキラをほっとけなかったことが照れ臭くてなんだか無性に苛立った。
くしゃくしゃと鳴く、酒の入ったビニール袋を提げながらコンビニ近くの公園へ向かった。街路樹が軽い風になびいてサーと音を立てる。本当に今日は風が気持ちいい。
「誰もいない」
「もう3時近いからな」
公園に向かう途中は、つまらない当たり前な話しかしなかった。互いに返事をしたり、しなかったりと、とても自由な時間に思える。だからいま、わたしはこの場にいるのだと胸を張れるくらいにしっくりくるこの感覚は久し振りだ。
公園に着くとアキラが手頃なベンチを見つけた。少し小高い場所にあるので、風が抜けて気持ちがいいし、星も月も近くに見える。わたしはこのまま、飲み込まれてしまうのではないかと少しだけ怖かった。
「そういえば、本当にシン大丈夫?」
「そんなに心配か?」
アキラはわたしを横目で見た。
「そうじゃないけど」
「あいつはいま女のとこだよ」
アキラははぁとため息をついて、わたしはふーんと返事をした。
「聞いた割には興味ないのな」
「そういうの興味ない。所詮他人事だし」
「冷めたやつめ」
公園にはどれくらいいただろう。特に盛り上がってあっという間に過ぎた訳でも無い。かといって、退屈すぎた事も無い。アキラとの時間は本当に不思議に感じる。
「そろそろ帰るか」
がさがさとコンビニの袋にゴミをまとめる。くしゃっと潰れた缶を見て、アキラは力強い男なのだと、当たり前のことを改めて思う。アキラに対して異性なのだということを強く意識したことがない。と言ってもまだ日が浅い。コージを背負って送ってくれたことや、潰れた缶を見れば異性なのだと思える。でも、会話や空間に異性という認識はあまりにも薄かった。
そもそも普段から異性を異性として気にしたことがあっただろうか。
「どうしたんだよ」
アキラの無愛想な声が耳に届く。
「なんでもない」
公園からの帰り道はいつも通り寡黙で、ヒールを履いていないぶん静かすぎた。遠くを走る新聞配達のバイクの音だけがやけに響いて、朝に近づいてることをわたし達に知らせた。
「ありがとう、送ってくれて」
「いや、こっちも付き合わせて悪かった」
それっきりわたしも、アキラも口を開かない。ただこの場にいるだけ。何もない。
少しだけ明るくなり始めた空には薄く光る満月だけが残った。いまにも消えそうな、淡くて切ない白い光。
「あの満月さ、あんたに似てるな」
アキラは空を見上げながら呟く。いまにも消えそうで、でもわたしには届くまっすぐな声で。
「意味わかんない。満月はシンだよ」
「シン?」
アキラは不思議そうにわたしを見た。
「でもまあ、前のシンなら確かに満月かもな。容姿もいいし、皆に好かれて、魅了するのも上手い。でも、いまのあいつは欠けることのが多いよ」
アキラは淡々と話し続ける。でも自分の中の毒を吐き出してるみたいに、辛そうだ。
「シンはリサと居ないと満月にはなれない」
「リサ?」
「さっき話した女のことだよ」
アキラははあ、とため息をついた。続けて帰るわと言った言葉は重たく、わたしには届かない。ただ無言で歩いていくアキラの背中に苛立ったのはわたししか知らない。わたしは苛立ちを抱えたまま部屋の中へ逃げ込んだ。明けない夜は無いと知っているから。
朝が近づいてくる。わたしの嫌いな眩し過ぎる新しい朝が。わたしは、朝に見つからない様に布団の中へ隠れる。眠ってしまえば、わたしは夢に守られる。夢がわたしを安全な月の世界に導いてくれるのだ。そう、目が覚めたら淡い光の世界に。
わたしはゆっくりと落ち着きを取り戻す。