零細正義の組織の家計簿-7
〈7〉
「よっしゃ、話は決まりだ。航輝君、我々《ラ・フィエスタ》は《スターライツⅤ》と戦うことにしよう」
「はい!よろしくお願いします」
都の父、重蔵と航輝は、固く握手を交わす。
その横で、重蔵の娘、都がさめざめと泣いているのには、少々理由があった。
話は、しばらく前に遡る。
放課後、航輝は都の家に立ち寄った。
一度家に帰って、身だしなみを整えた上で改めて出向きたかったが、都が「なに気負っているのよ。気にしないでいいわよ」などと言うものだから。学校帰りの姿で赴くことになった。
都の家は志摩制作所という従業員七十名強の会社を経営している。これは勿論、世を忍ぶ仮の姿であり、会社の従業員すべてが《ラ・フィエスタ》の構成員なのだ。
バスに乗り。丘を下る。夕凪駅前を通過して、八往川沿いの入り組んだ住宅街を抜けると。町工場が多くなっていく。その奥が目的の停留所だ。
その日は七時間目まであったので、もう辺りはかなり暗い。
「もぅ!」
バスの中で携帯を操作していた都が、頬を膨らませる。
「どうした?」
「メールで、航輝が来るって伝えておいたんだけどさ」
「お父さんったら、『御茶菓子が無いぞ』だとか、『夕飯食べていくのか聞いておきなさい』だとか、変な心配のメールばっかり」
「おじさんらしいなぁ」
「でも、今日は夕飯食べて行くでしょ?たしかサワラの煮つけが在ったはずだから、それでよければだけど……」
「迷惑じゃないか?」
「別に、構わないわよ」
携帯のストラップを片手で弄りながら都が聞いてくる。
この辺りは工場が多く、帰るころには食事のできる店は閉まっているだろう。
それに、久しぶりに
「そっか、じゃぁお願いするよ」
「おっけー」
都は早速、家にメールを返信する。
「じゃぁ、鋭一さんに悠里の食事お願いしておかないとな」
妹の悠里は、破滅的なまでに手先が不器用だ。そのような彼女にとって、料理を作るなど、鳥に百メートル競泳を強要する様なものなのだ。
この前など、トーストを作る過程で、キッチンに小さな火事を起こしたほどである。
いつもは航輝が料理を作っているのだが、何らかの用事でどうしても出来ない場合は、近所に住んでいる鋭一にお願いする事が通例なのだ。
「大丈夫なの?鋭一さんって、あのロリコンでしょ?」
「今までも何度かやって貰っているから大丈夫だと思うけど……」
とりあえず、悠里と鋭一に全体メールをする。
一分もたたないうちに二人からの返信が届く。
『了解!!永遠の天使とのスゥイートなひと時を、ありがとう!!by鋭一』
『弥栄さんの子供に対する(歪んだ)愛を、延々と聞きながら食べる夕飯は、砂でも食べていた方がマシなレベルなので、全力でお断りします!!でも大丈夫。きっと都さんの家で食べてくるんじゃないかなと思っていたから、既に「出前」を取ってあります。弥栄さんは、妄想でも食べていてください。気にしてくれてアリガトー。都さんによろしくね。by悠里』
さすが我が妹である。
鋭一からは、慟哭のメールが複数届いているが、この際鋭一には我慢して貰おう。
都は悠里からのメールを見せると「よしっ」などと一人でガッツポーズをしているが、何をしているのかよく解らない。
バス停に着いた。
都の家まで、ここから歩いて3分もかからない。
白い外観の四角い箱のような建物が、都の家だ。
正面から入る大きなスペースは制作所である。都の話によれば、いまは携帯電話の小さな部品を作っているそうだ。裏から回ったところが都の住むスペースである。
都に付いて、そちらへ回る。
玄関を開けると、顎ひげを蓄えた、恰幅の良い中年が待っていた。
都の父、志摩重蔵である。
「おー、航輝君。久しぶりだね」
「おじさん、ご無沙汰しています」
白髪のほうが多くなり、グレーとなった髪と同色のあごひげが繋がっている
スラックスに長そでのシャツという出で立ちで、航輝をもてなすその姿は、どう見ても、気の良いおじさんにしか見えない。
しかし、彼は確実に悪の組織の首領なのである。
「ただいま、お父さん」
都も挨拶する。
重蔵は、自分の娘を見るなり、満面の笑みで。
「いやー急に来るってメールがあったから慌てたよ。仕事早く切り上げて、居間と玄関を掃除しないと、お客さんを呼べたものじゃ無かったんでね」
「すみません、急にお伺いして」
「いいよいいよ。小さいころは、悠里ちゃんと二人でよく来てくれてたじゃないか」
《スターライツⅤ》をまだ航輝の両親が経営していた頃、両親ともに正義の仕事で出かけるときは、悠里と共に、志摩家で預かって貰っていたものである。
最近は正義の組織を継いだ手前、そう、易々と悪の組織の家に上がり込む訳にもいかず、足が遠のいていた。
「い、いつもは掃除してるんだけどねっ」
「都、嘘はいずれバレるのだ」
目を泳がせながら言い訳する都に、重蔵は厳しい。
「たとえば、昨日から部屋の中に干しておいて、そのまま忘れていたコレなど、ワシが取り込んで置かなかったら大変な事になっていただろう」
「にゃぁぁぁ!私の下着!!なに航輝に見せているのよぉぉ!!!」
にゃぁ?
コレと言われたものは、要するに都のショーツとブラが乾された小さな洗濯乾しであった。
ピンク色のやつや水色のやつなど実にカラフルである。航輝は、顔を真っ赤にしながら、案外大きいんだなぁ……などの思考を止めることが出来なかった。
父の手から光の速さで取り返すと、そのまま二階の自分の部屋に駆け上がる。
玄関の先の廊下の突き当たりには、リビングがある。
そのスペースの奥には、さらに食事をするダイニングと、キッチンが繋がっている。キッチンは、ダイニングとリビングの方に向けて作られており、調理している者は、部屋全体を見通すことが出来た。
取り返した下着を自分の部屋に置いてきた都は、いまだにブツブツと「取り込んでくれても、見せたら何の意味もないでしょぉに!!!」などと呟いているが、重蔵はどこ吹く風で
「まぁ、座んなさい」
「はい」
リビングには小さな机が置いてあり、それを中心に、紅い革製の三人掛けソファーと一人掛けのソファーが置いてある。
航輝は、勧められるまま大きい方のソファーに腰掛けた。
都は二人の為に、キッチンで冷たいお茶を入れて持ってきてくれた。
「さんきゅ」
その様子を重蔵は目を細めながら見ている。
「で、話と言うのは。なんだい」
「あ、はい。ええとですね」
「ようやく、『娘さんを僕に下さい!』って言う決心がついたのかな?」
「ぶっ!!」
危うく、お茶を吹き出しそうになる。
「おとうさんっ!!」
不意打ちを受ける二人を楽しそうに見ながら、畳み掛ける。
「はっはっは、照れるな、みやこぉ。ワシは、そう言ってくる航輝君に『ならば、ワシと戦って、見事打ち破ってみるがよい!!』って立ちはだかる事が夢なんだ。好きな女を悪の首領から取り戻すという構図は燃えるものがあるだろう」
「ふざけた夢見てるんじゃないわよっ!」
いつもながら、パワフルなおじさんである。
昔からあの手この手で、航輝や都を驚かせたり、慌てさせて喜ぶのだ。
「どうだ、航輝君、派生パターンとして入り婿として《ラ・フィエスタ(ウチ)》を継ぐという手もあるぞっ!その場合、古く頑迷な首領であるワシを倒し、航輝君が新たなる悪の首領に就任……ぐべっ!!」
近くにあったお盆を持った都の襲撃により、皆まで言うことなく、重蔵は撃沈する。
顔を赤くしたまま肩で息をする、少々やりすぎの都に、
「金属のお盆が、頭蓋骨の形状に湾曲するほどの力で殴るのはどうかと思うぞ……都」
「いいのよ!痩せても枯れても悪の首領レベルなんだから、この程度じゃ死にはしないわ」
「ふっ、わが娘ながら腰の据わった良い一撃だった……しかしワシも《ラ・フィエスタ》の首領、その程度では……ぶべっ!!ぐべっ!!!」
「追撃はまずいって、都。もうそれ、お盆なんだか、金属の塊なんだか、解らない事になってますからっ」
都を羽交い絞めにしながらいう。いつの間にか緊張が解けていた。もしかしたらおじさんは緊張していた自分をリラックスさせる為に軽口を言ってくれたもしれない。そう思って重蔵を見ると、都に叩かれながら、下手ななウインクをしていた。
「……と言うわけなんです」
航輝は、一つ一つ丁寧に説明したうえで、重蔵に助力を請うた。
「ふむ……露骨に金を求めてきたって訳か」
「はい、この業界の『暗黙の了解』だと」
「うーん、そんな了解は無いんだがなぁ。今の正義と悪の関係は、そこまで酷くなってたか……」
重蔵は、腕を組みながら首を傾げて嘆く。
「おばさんが亡くなって、活動休止中なのは解っています。でも、そこを何とか協力して戴けませんでしょうか」
航輝は必死に訴える。
「私からも、お願いするわ」都も続く。
重蔵は笑いながら、お茶を一口飲むと
「家内の事は気にしないで良いよ。もう三年だしね。」
と、言った。
「それに、それだけが原因で、三年間も活動休止していた訳じゃないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、戦うに足りる正義の味方が少なくなってきちゃってね。なんか世界征服とかもどうでも良くなっちゃってさ」
初めて知る事実である。
都も知らなかったのか、隣で同じように目を丸くしている。
「確かに、金ばかりをせびる奴らがのさばるというのも、つまらないねぇ」
あご髭を擦りながら、何やら考えている。
航輝としては、重蔵が作戦を受けてくれるならば、ありがたい。
しかし、それは重蔵達の方針に係わる事だから、強くお願いするのは、申し訳ない気持ちでいた。
少し、待っていなさいと言って、重蔵はリビングを後にする。
制作所の地下にある、秘密基地で他の幹部級構成員と会議を開いてくるとのことだ。
「ふーっ……やっぱり無理なお願いだったかな」
ソファーに深く座りなおして航輝は言う。革張りのソファーに沈み込んでいく。
「そんな事ないわよ。ウチだって、ずっと活動お休みしている訳にもいかないんだし」
「そりゃ、そうだろうけど。知名度ゼロに近いウチと戦っても、《ラ・フィエスタ》さんにしてみれば、何の意味もないわけじゃん。それなのに、こっちの都合だけで戦ってくれってお願いするのは、なんか気が引けちゃってさ」
「真面目に考え過ぎなのよ」
「そかなぁ」
「そうよ」
二人きりでぼーっと、重蔵の帰りを待つ。
沈黙が続くことに耐えられなくなったのか、都がリモコンでテレビをつける。55インチの大型液晶テレビだ。
そこでは、世界的規模の正義の組織が、これまた悪の大組織を数年に渡って追い詰め、今月中にも壊滅させることが出来るだろうという内容のニュースが流れていた。画面の前では、ダークブラウンの髪の人形のように容姿が整った少女が、成果の報告をしている。
あれが世界的正義の組織のリーダーなのだそうだ。
「すごいわねぇ」
都が、感想を漏らす。
「ああ、《サンクチュアリ》だろ?世界でも十本の指に入る正義の組織だもんな」
駅前の公園の平和を守ることで精いっぱいの自分たちと比べて、なんと景気のいい話だろうか。
「ふーん」
それ以上、興味が亡くなったのだろう。
「お父さん達の幹部会議も、もう少しかかるでしょ、梨があるんだけど食べる?」
と、言った。
「ああ、いいな。ありがとう」
「おっけ。待ってて」
キッチンで作業をしている都に声を掛ける。
「幹部会議って長くかかるものかな」
「何人かの幹部と世話話みたいに話し込むだけよ。そんなに長くはかからないわ」
暫くすると剥いた梨を持ってきてくれた。
プラスチック製の可愛い楊枝も刺さっている。
礼を言って一口食べると、さわやかな甘みが口の中に広がった。
「都は、まだ幹部ひゃないのか?」
「口に物入れたまま喋らないの」
行儀の悪い航輝を嗜めつつ、都は言う。
「だって私、まだ、悪の組織として活動もしていないもん」
「あれ?そうだっけ?」
悪の組織の一人娘である都には、幹部クラスの改造が施されているはずだ。この業界、子供が生まれてスグに変身機構などの改造を施す親も珍しくない。かくいう航輝もそうである。
「うん、そうよ。三年前、活動休止したとき、私まだ十四だもん。デビューするには早いでしょ。」
「あー。そうだったな」
一四歳と言えば悠里と同じ年である。たしかに、あの年で正義の味方の活動をしているというのが早すぎるのだ。
「それに、今のままじゃ。私、悪の組織やる気は無いわよ」
「なんで?」
「だって!航輝も知っているでしょ……」
憤慨した都が、何か言いかけたところで、重蔵が帰ってきた。
リビングに入ってくるなり。
「航輝君、都、喜びたまえ。我ら《ラ・フィエスタ》は、君の申し出を受けようという事になった」と、宣言する。
「ホントですか!?」
「良かった!ありがと、お父さん」
「ただしっ!!」
喜ぶ二人を、重蔵は大きな声で遮った。
「協力しても良いが、一つ条件がある」
「条件なんて付けずに、協力してあげればイイのに……」
「それはダメだよ、うちは悪の組織だからね」
重蔵は都を優しく諭した。
航輝も、条件の一つや二つ提示されても仕方ないと考えていたので、「なんでしょう」と神妙に聞くことにした。条件がワイロとかで無いのならば、納得できるのだ。
「なんでしょう」
緊張する。
「一週間後、ウチは駅前公園を襲撃する。そこでの戦いでウチは、新しい女幹部をお披露目する予定だ」
なるほど。《スターライツⅤ》との戦闘の場を、新しい幹部のお披露目に使うつもりなのだ。たしかに、これなら《ラ・フィエスタ》にも多少の利点がある。知名度ゼロの《スターライツⅤ》の戦いで登場させても、宣伝効果は低いのに、ありがたいことだ。
「お披露目する女幹部の名前は『バイラオーラ』。知っての通り、バイラオーラはワシの妻が長く務めた女幹部の名前だ。が、そろそろ都も大人になったし、二代目女幹部バイラオーラとしてデビューさせようと思ってね」
いきなり話を振られた都の口元が引き攣る。
「ちょ、ちょっと!聞いてないわよ!!そんな話」
「そりゃー、今、ワシらが決めたのだからね。都が知っているハズは無いよ」
「勝手に決めないでよ!悪の女幹部なんてやるつもり無いわよ!!」
「そうはいってもねぇ」
「私、あんな恥ずかしいコスチュームで戦うなんて嫌なのっ!!」
先ほど、都が言いかけていたのは正にこのことだった。
航輝は初代バイラオーラ、すなわち都の母が身に纏っていたコスチュームを思い出す。
黒曜石のように輝くヒールの高い靴に、フラメンコを思い浮かべる長いスカート。
バイラオーラと言う名は、スペイン語で『女の踊り手』を指す。
腰から下を見れば、まさに、踊り子の名を持つ女幹部が身に纏うに相応しい。
ただ問題なのは、腰から上であった。
赤と黒の光沢を放つボンテージ風のトップス、同じ素材の長手袋、さらに目元を隠すアメジストで装飾された大きな蝶をモチーフとした仮面……。
胸の部分などは、大胆にV字の切れ込みがあり、隠すというより、強調する為に創られていた様な気がした。
強いて言うならば、加虐性欲を満たすための倒錯的な趣味の人たちが着るコスチュームに酷似しているといえた。
「他の所の女幹部の衣装より、かっこよく作ったんだぞー」
「あんな、SMの女王様みたいなコスチュームの何処がカッコいいのか、聞かせてほしいわよ!!あんなの、着て人前に出ていくなんて出来るわけないじゃないっ!」
「いや、鞭を持っているわけじゃないし、上半身だけだし……」
「関係あるかっっっ!」
都の悲痛な声がその夜の志摩家に響いた。
「とにかく、私は絶対に嫌ですからね!」
「それは困ったな。それが条件だから、都が参加してくれないと、航輝君の所がとても困ったことになるのでは無いだろうか……」
「なっ!」
都は言葉を失う。
「重蔵おじさん。それ微妙に脅迫ですって」
「だって、こうでもしないと、都は幹部やってくれないからねぇ」
「うう」
「航輝君を心配して、ウチにまで連れて来たのに、都が断ったせいで話が無かったことになってしまうとは。航輝君もさぞガッカリするだろう。もう都の事なんて知らないぞとか思ってしまうかもしれない……な、航輝君も困るだろぅ?」
「い、いや俺は、そんな事、考えもしません。それに、都が嫌ならやめても……」
「ほぅら!!航輝君もこう言ってる!!」
航輝のいう事に、被せるようにして重蔵は畳み掛ける。
都が混乱しているうちに、話を付けてしまおうという魂胆なのだ。
やはり悪の首領は恐ろしい。
「なに、登場と言っても、最後に少しだけ出るだけだよ。コスチュームが恥ずかしいなら、上半身に薄布を纏う感じでも問題ないかもしれない」
最初に無理難題を押し付け、罪悪感を煽った上で、少し譲歩したような条件を付け加える。
典型的な脅迫の手口だ。
「うううううう」
自分の気持ちと、何かすごく大切なモノを天秤にかけている様子が傍から見てもよく解った。
重蔵は、その様子を見て、にやにやと笑っている。
明らかに楽しんでいる風だ。
「さぁて、航輝君の為に一肌ぬいであげられるか。それとも、己可愛さに航輝君を見捨てるか。ふたつにひとつだよ。わが娘よ」
「鬼!悪魔!人でなし!」
「ふむ、知らなかったのかい?大抵の悪の首領は、鬼で悪魔でヒトデナシなのだよ」
都の罵声を平然と受け流す
さすが悪の首領だ。
冗談ではなく、そう思った。