零細正義の組織の家計簿-6
〈6〉
航輝の通う学校、夕凪第三高校は、航輝の住む夕凪市の北側、丘の上に位置している。
いつもなら、十月も半ばを過ぎた今頃であれば、紅葉で丘全体が赤く色づくのだが、温暖化が進む最近は、まだ木々が緑の葉を残したままでいた。
同じ学校には、志摩都が通っている。都は、悠里や鋭一が航輝に話をしてみないかと持ち掛けた「知り合いの悪の幹部」だ。
都の家は《ラ・フィエスタ》と呼ばれる悪の組織をいわば「家業」として営んでいる。
構成員八十名、悪の組織としては、いわば中堅どころである。
航輝の家、の家業である《スターライツⅤ》のように素性を公開しているわけでは無い。
悪の組織なのだから当たり前なのだが、自分の素性を秘密にして一般人と変わらぬ生活を演じている。
通学中も航輝は都にどう話を切り出すか、そればかりを考えていたので、通学路でクラスメイトに声を掛けられても、すぐには気が付かなかった。
「天地ぃー。おーい、何ぼーっと歩いてんだよ?」
「ん、ああ、すまんすまん」
「あれじゃね?夜中までエロサイト巡回してたとか」
無責任な口調で声を掛けていたのは、クラスメイトの瀬古と中本だ。
「ちげーよ」
クラスメイトの口さがないセリフに突っ込みを入れつつ、挨拶をする。
「目の下真っ黒だぜ、昨日貫徹しただろ」
確かにその通りである。
都にどう話すべきか、悩んでいるうちに夜が明けてしまったのだ。
航輝が都に協力を持ち掛ける事をこれだけ躊躇っているのには理由がある。
父母が《スターライツⅤ》を捨てて失踪した半年前、後を継ぐのを一番反対したのは、都だった。「今、この業界に入って行っても、あんたの思うような正義の味方を続けていくことは出来ないわよ」と再三言われた事を覚えている。
その後、忙しくもあり中々話し合う機会を逸したままであった。
都の反対を押し切って正義の組織を継いだ手前、こうやって都の《ラ・フィエスタ》を頼るという方法は(航輝自身思いついてはいたものの)中々実行に移すことが出来なかったのだ。
「ああ、少し考え事してたんだよ」
「ふむ、『迷える子羊の旨い肉』よ、何か悩みでもあるのか?親友である我らが、悩みを聞いて進ぜよう」
瀬古が妙な事を言いだす。
「なんだよ、『旨い肉』って」
「子羊の悩みはとりあえず聞いてやるが、その悩みを後で酒の肴として徹底的にからかう」
「ぜってー話さねぇ」
寝不足で突っ込む気力も起こらない。
瀬古と中本は、ゲラゲラと笑うと、
「まぁそう言うな。おまえに耳寄りな情報を一つくれてやろう」
などと言った。
「昨日お前、公欠取っただろ?」
「ああ、正義の仕事の関係でな」
正義の組織の仕事関係であれば、学校は公欠を認めてくれる。
本当は、『仕事をした』のではなく、『仕事を求めて』いたのだが、営業の度に休んでいては、出席日数が足りなくなってしまうので『正義の仕事がある』という事にしてある。
「おう、昨日な、うちのクラスに来たんだよ」
「だから何が?」
「鈍いなぁ、お前の彼女。志摩都だよ」
子供の頃から、親同士が何かと付き合いのある航輝と都は、学校仲間から付き合っているなどと、からかわれる事が多い。
「何が彼女かッ。あいつは、子供の頃から知り合いってだけだよ……って、君達は何故そんな目で俺を見るのですかっ?」
ただの知り合いだと突っ込みを入れる航輝に、瀬古も中本も、目を細め、いわゆる半眼で航輝を眺めている。一ミリグラムも信じていないとき人が浮かべる表情だ。
「もっと喜べ、この『持てるものめ』」
「そうだ、我々はお前を糾弾する用意がある」
「な、なにがだよ?」
瀬古と中本の剣幕に押されてしまう。
「いいか?お前には可愛い妹と、子供の頃から心配してくれる志摩都がいる。これは何か、幼馴染とでも言うつもりか?!」
「ありえんだろ?きょうび、少年雑誌でもそんな『設定』ないぞ?」
「そうだ『空から女の子が振ってきた級』にありえん。そして、ゆるせん」
この級友、要するに航輝の立場が気に入らないらしい。
「多くを持つ者は、分け与えよ!!……主に俺達に」
「そんな格言は聞いたこともねー!!」
学校へと続く道もあと少しとなり、周りは夕凪高校の生徒たちで溢れかえってきた。皆めいめいに友達としゃべりあっているので。航輝達三人の馬鹿話は丘の道に吸い込まれて行った。
それにしても、都が自分に何の用だろう。
「だー、もういいもういい。で、なんか言ってたか?」
「いや?お前いるかって聞いてきたから、公欠だと答えておいたよ。なんか心配そうにしていたぜ?」
「首傾げながら帰って行ったな」
まずい。
休止中とはいえ悪の組織の幹部である都には、この町の周辺で戦った正義と悪の組織の情報は届いているハズである。《スターライツⅤ》が戦闘しているという情報が無いのに、航輝が公欠を取っているという事は、航輝が嘘をついていたという事がばれているという事になる。
また、言い出しづらくなったぞ……。
航輝はまた憂鬱になった。
昼休みになると食事の後、校庭は、サッカーや野球などで遊ぶ者が溢れかえる。
同様に、教室も、いくつものグループに分かれてそれぞれの会話の花を咲かせていた。
中には、校則では禁止されている携帯ゲームを取出し、通信対戦を行っている者もいる。
いつもならば、航輝もこれら何れかのグループの中で遊ぶのであるが、今日は都を探して、《ラ・フィエスタ》の協力を取り付けなければならない。
まずは、航輝は作ってきた弁当を片付ける。
悠里は、家事全般が得意ではないので、学校の弁当を作るのは航輝の役目だ。
食事を済ませると、都の教室へ向かう。
「おーい、天地、サッカーせんか?」
「んー、今日はやめとくわ」
などと誘いを断りつつ都の教室へと移動する。
中を覗くと、都は教室の奥でクラスメイトと談笑していた。
航輝はあたりを見回すと、入り口近くにいた少女に声をかける。
「えーと、杉山さん。都いるかな」
「あ、天地くん。今日も無愛想なヘの字口だねぇー」
この間延びした喋り方で喋るこの杉山というおさげの女子は、都と仲が良かったはずだ。
自分では無愛想なつもりは無いのだが、どうも他人から見るとそう見えるらしい。放っておいてくれと思わないでもないが、正義の味方は人気も重要な要素になる。
無愛想に見えない様にどうにかした方が良いのかもしれない。
しかし、にやにや笑いながら饒舌に話す自分という姿も、想像出来ない。
「都、昨日、天地君を探していたんだよぉ」
朝聞いた話は本当だったようだ。
「うん、昨日は公欠でさ」
「待ってて、都も航輝君とお話ししたかったんじゃ無いかな」
「そうなのか?」
「だってあの子、最近《スターライツⅤ》が活躍していないから、正義の組織経営が上手くいっていないんじゃないかって、心配していたよぉー」
「あ、いや上手くいっていないという訳じゃないんだ」
とっさに出る言葉が、しどろもどろの言い訳であるという事が恥ずかしい。
「そーなのぉー?まぁ、いいや。待ってて、みやこ呼んでくるねぇ」
杉山が、都のところまで歩いていく。
談笑していたグループが、何やらこちらを見て黄色い悲鳴を上げるが、航輝にはなんだかさっぱりわからない。都は大声で「そんなんじゃ無いったら!」などと言っている。今日の朝、自分も同じことを言っていた様な気がしないでもない。
おそらく同じシチュエーションだろう。
ご愁傷様である。
暫くして、都が、歩いて近寄ってくる。
身長は160㎝ぐらい、女子の中では長身の部類に入るだろう。長い髪を後ろ頭でポニーテール状に結び上げ、その先端が引き締まった腰まで垂れている。
引き締まった口元と、アーモンド形の目がチャーミングな印象を与えるが、この少し吊り上り気味の目を、昔から彼女自身があまり好きではない事を、航輝は知っていた。
航輝は知らないことだが男子の中での人気は高い方で、隠れて撮影した画像を携帯電話の待ち受けにしている男子も一人や二人ではない。
「あんた、やせた?」
第一声はそれであった。
確かに、ここ三か月ぐらい、よく会って話していなかったと思う。外見が変わっていてもそうおかしく無いかもしれない。
クラスも違うし、都はバス通学。自分は徒歩であるので、中々会う機会が無かったのだ。
「そうか?」
「うん、一回り細くなったよ。目の下にくまも出来てるし……ちゃんとご飯食べてないんじゃないの?」
言われてみれば、この二か月ほど、企画書の作成やら飛び込みの営業やらで家に帰ったらすぐ寝てしまうという生活が続いていた。
「大丈夫だよ、食べてるって」
教室中の目線が興味深げに自分たちを見ている気がする。
しかも、下世話な感じで。
「どぞーお気になさらずー」などと口を揃えていう同級生から逃げるように、二人は廊下を歩きながら話すことにした。
航輝の家業の《スターライツⅤ》を継いでから、こうやって話すのは久しぶりの事だった。
アーモンド形の目が、ちらちらとこちらを覗いている。
「昨日、俺を探してたって聞いたけど?」
「そう!あれどういう事?正義の味方の仕事してないのに公欠って」
「うーん、仕事というかさ、行ってたんだ営業」
「やっぱり。いま《スターライツⅤ》と戦ってる悪の組織はないの?」
「うん、二か月前に、《鏡面戦団》との契約が切れた」
「じゃぁ、二か月も活動なし?」
「いや、したよ?駅前でビラ配りぐらいだけど……」
「そんなの活動したうちに入らないわよ!」
確かにその通りである。
航輝達、正義の組織は、悪の組織との戦いで勝利することで、スポンサーや国から報奨金を貰う。その金で運営しているのだ。
悪の組織と戦うことが出来ない航輝達は、駅前でヒーローの格好をして、ビラ配りなどの仕事を受けていた。
当然、その程度では、秘密基地の維持費も支払うことが出来ない。
中には、『正義の味方は、無償で働く』と考えてる奴などもいて、料金を提示すると露骨に嫌な顔をするような奴もいるのだ。
家業が悪の組織の都は、航輝達がどの様なピンチに襲われているか、一般人よりも正確に理解することが出来た。
「だから言ったのに……。あんたみたいな朴念仁が、正義の組織経営なんて、向いて無かったのよ」
家業を継ぐ前に、散々言われた事だった。
あんたは『正義の味方』になれても『正義の組織』は経営出来ない。
と、言われたときは、何を言っているのか解らずにただ反発してしまったが、今になるとよく解るのだ。
航輝の知らないところで、時代は変わっていた。
正義の味方は時として『汚く』もなれなければ、組織を維持できない時代になっていた。
古い時代の正義の味方に憧れている航輝としては、それを認めるまでに長い時間が必要であったのだ。
「そうだなぁ。都が言っていた事がよく解ったよ。俺の見通しが甘かった」
「う。い、今頃解ったって遅いわよ!!」
都の頬が赤く染まり、言葉がしどろもどろになる。
購買まで、たどり着いた。
昼休みの始めには、戦場になるこの場所も、昼休みも終わりに近いこの時間には、閑散としている。菓子パンのゴミなどが転がり、さながら古戦場のようだ。
都がピンク色の小銭入れを取出し、自販機でコーヒー牛乳のパックを買って渡してくれる。
コーヒー牛乳は航輝の好物でもある。「さんきゅ」と礼を言って、ありがたく戴いておくことにした。
都自身は紙パックの紅茶を選んでいた。
「とりあえず、座ろ」
購買の近くにあるベンチに座り、ストローに口をつける。
天井のスモークガラスから、日差しが二人に降り注ぐ。夏の時期の刺すような日光と比べると、この時期の日差しは暖かく、柔らかい。
昼休みも、もうあまり時間が無い。
早く本題に入らなければ。
「あー、そんでさ……」
「ウチに泣きついて来たって訳でしょ」
先手を取って言われてしまった。
「あー、いや、恥ずかしながら、その通りなんだ。怒んないで聞いてくれ」
航輝としては、恥じ入るしかない。
「や、やーね。こんな状況で、私の所に声を掛けてくるんだから、それっきゃないでしょ。そうだろうなーって思ったから。先に行って挙げただけでさ。別に怒っているってわけじゃ……」
都は、また声がしどろもどろとなる。
思ったより、きつい言い方になってしまった事を悔やんでいる風だ。
「あ、ああ解ってるって」
航輝は都を宥めると、今までの活動の経緯を手短に説明した。
恥かしいことだが、助力を頼む以上《スターライツⅤ》の状況を知らせておくのが礼儀だろうと思ったのだ。
航輝が後を継いだ半年前は、まだ3つの悪の組織と継続して戦う契約が残っていた事。
残りのメンバーが相次いで「引き抜き」に合い、ブラックとピンクがいなくなった事。
残ってくれたのはイエローの鋭一さんだけだった事。
二か月前、最後の契約が切れ、契約の更新もしてもらえず、戦う相手がいなくなった事。
色々な悪の組織に『営業』をかけたものの、裏金を用意しないと受けて貰えない事。
都は、根気強く聞いてくれ、一つ一つの事に憤慨したり、ため息をついたりしてくれた。
なかでも、都が憤慨したのは、最後の裏金についてだった。
「なにそれ!悪の組織だからって、仁義に背くわよ、そんな事!!」
実家が同じ悪の組織だけに、思う所があるのだろう。《ラ・フィエスタ》も『昔気質』で知られた、悪の組織なのだ。
「それやった悪の組織どこよ。評判の悪い所にしか行かなかったんじゃないの!?」
「都、都、声大きいって」
辺りに人影が少ないとはいえ、誰が聞いているかわからない。
航輝は家業を公開しているが、都は秘密にしているのだ。
「ご、ごめん」素直に謝る。
「いや、まぁ、そうは言っても。評判の良い所は、企画の持ち込みすらお断りって所が多くてさ。どうしても、黒い噂の多い所に行くことが多いんだ」
「うーん、そっか」
同じ正義と悪の組織と言っても、航輝の所と都の所では十倍以上の規模の差がある。
今は活動を停止しているとはいえ、都の家の《ラ・フィエスタ》は、この業界でも中堅であり、最盛期であれば、五組の正義の味方と並行して戦っていた時期もあるのだ。
戦う相手がいないという状況に陥ったことは無い。
「そういうわけなんだ。悪いけど、助けて欲しいんだ」
航輝は都に頭を下げる。
「あーもう。男がそんな軽々と頭を下げないのっ」
都はベンチから立ち上がると、くるりと航輝を見て言った。
「いいわ。放課後、ウチに来なさいよ。お父さんに頼んであげる」
「ホントか!?たすかる!」
「ただ、あんたもわかっていると思うけど、最終的に決めるのはお父さんだからね、確約はできないわよ?」
「重蔵おじさんには、俺から話すよ」
都の父は志摩重蔵といい、《ラ・フィエスタ》の首領をやっている。決定権は首領の父にあるのだ。都は話をする機会を作ってあげる事しかできない。
だが、話を聞いてくれただけでも、航輝としてみればあり難い。
昼休み終了を告げる予鈴が鳴る。
二人は飲んでいた紙パックを近くのゴミ箱に放り投げると、教室へ戻る事にした。
「なんで、もっと早く頼ってくれないかなぁ……」
「ん?なんか言ったか」
「何にも言ってないわよっ」
都の呟きは、航輝には聞こえなかったようである。