零細正義の組織の家計簿-4
〈4〉
カウンターに突っ伏す兄を見ながら、天地悠里は、自己嫌悪に陥っていた。
もっと優しい言葉をかけて慰めたいのに、自分はどうしてこうも理屈っぽくしか話せないのだろう。航輝は、冷徹な妹という印象を受けなかっただろうか。
「ううう」
事前に脳内でシミュレートしたときは、もう少し気の利いた言葉で慰められたのに。
破滅的なまでの運動音痴の自分が、兄を助けることの出来る機会はこういう場面しかないじゃないかとも思う。
そもそも、正義の味方が、悪の組織に『営業』しなきゃいけない世の中がいけないのだ。
そうすれば、航輝がこんなに無理をする必要もない。
悠里は、現在における、正義の組織と悪の組織の関係をもう一度考え直してみる事にする。
慰める事に失敗した(少なくとも悠里はそう思っている)以上、今後どうするべきか検討するぐらいしなければ、悠里は気が済まないのだ。
戦う相手がいなくなった正義の組織がとった行動……それは、生き残っている悪の組織に「我々と戦わないか」と持ちかけることだった。
期日と場所を指定し、ある程度の予定調和の中で戦うというシステム。
悪の組織側も、自らの名を売る事が出来、企画の範囲以上の損害が出ることは滅多にないというメリットがあるため、この営業活動法は中々好評なのだ。
悠里も期日と場所このシステムについては良く出来ていると思っている。中世ヨーロッパの戦争もそうだったのだから、あながち卑怯な行為ではないだろう。
ただ、その過程で、非常に困った習慣が出来てしまった。
「戦わないか?」と持ちかける際、悪の組織に正義の組織がワイロを持参することが半ば常態化してしまっているのだ。
要するに『ウチと戦ってくれれば、お金を、あなたの組織に(ひそかに)渡しますよ』というやり方である。今でも、良い風習とはいえないが、組織間の取引の場ではソレが横行しているのが実態である。
兄は何も言わないが、おそらく、今回もワイロを要求されたのだろう。
それを断ったために企画が通らなかったに違いない。
兄の航輝も、『そう言う事』が大嫌いな性格だ。
考え事をしているうちに、飲むものが無くなってしまった。
兄が頼んだコーヒーを少し貰って飲むが、苦くて飲めたものではない。
「それ苦くて飲めないだろ」
「飲めるもん」
子供並みの味覚だと思われたくなくて、つい嘘をついてしまう。
「無理すんなって、買ってきてやるよ」
昔から航輝には、色々、お見通しなのだ。
もう少し大人になれば、航輝の手伝いをすることが出来るのだろうが、それが中々難しい。
「ウチはただでさえ、人手不足だからなぁ。ほれ、さっきと同じのでよかったか?」
航輝が新しいアイスティーを買ってきてくれた。
優しい。
「うん、ありがと」
「ただし、ガムシロは無しな」
……前言撤回、あまり優しくない。
シロップの無い、苦いだけのアイスティーをちびちびと飲みながら、悠里はさらに思考を巡らす。
航輝の言うように、『人手不足』なのも問題なのだ。
悠里が属する小さな正義の組織《スターライツⅤ》は、航輝と悠里の父母が結成した組織だ。今は、航輝と妹の有理が後を継いでいる。
父母は、正義の組織経営が嫌になったのか……
『航輝へ、後の事は任せました。母さん(ブルー)と父さん(レッド)はもう引退です。明日の《スターライツⅤ》を創るのはあなたです!頑張ってください♪ PS,ゲスト出演はシュチュエーションとギャラ次第で考えてあげなくもありません。』
などと言ったふざけた置き手紙を残し失踪した。
その後父母には合っていないが、見つけ次第、ぐーでパンチを叩きこんでやろうと悠里は決意している。
その後、航輝がどれだけ苦労をして、《スターライツⅤ》を存続させようと苦労しているのかを近くで見ている自分としては、ぐーでも足りないのではないかとも思っている。
その後、さらにブラックとピンクが別の正義の組織に引き抜きに合い、チームを去った。
以来、航輝がレッド、悠里がブルー、ただ一人残ってくれたイエローの三人で活動をしている。
しかし、人数もそろえられない弱小の正義の味方組織に舞い込む仕事はないのだ。
(ウチみたいな弱小正義の味方でも相手にしてくれる悪の組織さん……)
それも、ワイロ無しで、仕事を受けてくれる組織じゃなければならない。
(やっぱり、心当たりは、一つしか無いよねぇ)
悠里は、自分の考えを兄に思い切って言ってみる事にした。
「お兄ちゃん。思い切って、都さんのところに頼んだら?」
「うーん、都の所か……」
航輝が、顎に手を当てて考え始める。
「だって、都さんの家の《ラ・フィエスタ》とウチとは昔からお付き合いがあるじゃない。都さんだって、お兄ちゃんのいう事なら聞いてくれるんじゃないかな?」
志摩都の家は《ラ・フィエスタ》という悪の組織を営んでいる。
航輝の家、《スターライツⅤ》とは、幾度も戦った相手であり、同時に航輝達天地家と家族ぐるみでの交流がある、唯一の悪の組織であった。
「だけど《ラ・フィエスタ》は、おばさんが亡くなってから、休止中だっただろ?」
「そうだけどさ、志摩のおばさんも亡くなってから、もう三年だし、そろそろ活動再開してもいいころじゃない?」
「うーん」
航輝もその案は考えなかったことは無いだろう。
なかなか踏ん切りがつかないのは、このまじめで律儀な兄が、都の家に対して『迷惑をかける』と思っているからに違いない。
《スターライツⅤ》を継いでから半年になるが、その間、航輝は一度も都の家を頼った事は無かった。
「そうだなぁ……」
悩む航輝に、悠里はつとめて元気よく、言った。
「とりあえず今日はもうこれで帰ろ。都さんの事は明日にでも考えてみてよ」
「鋭一さん遅いなぁ」
「お散歩で迷子とか?」
航輝の呟きに、悠里が応える。
「いや、鋭一さんの場合、もっと他の事で心配すべきだよな」
弥栄鋭一という男は、航輝の率いる正義の味方《スターライツⅤ》のスターライツイエローの役職についている、今年で二十四歳になる青年だ。
モデルか俳優かと見紛うばかりの長身に、日本人離れした美貌の持ち主で、勇気もある。
父母の代から《スターライツⅤ》に参加している唯一の人間で、正義の味方としても実に強い能力を持つ。
ある意味で兄の航輝が目標とする男の一人である。
だが、彼は少々ユニークなポリシーを持っていた。
『12歳未満程度の外見の女性、または男性に対してのみ、恋愛感情を持つことが出来る』というポリシーであって、それはつまり、ロリコンだとかショタコンだとか言われ、世間から危険視される部類のポリシーであった。
当然、航輝はこのポリシーまで目標にはしていない。
していたら、妹としても困る。というか、やだ。
「ただの散歩なら良いけど……ちょっとメール入れてみる」
「心配し過ぎじゃないかなぁ。この前も通報されて反省してるみたいな事言ってたじゃない」
「いや、アノ人が趣味の分野で『反省』する事は、多分ない」
そんな会話をしているうちに、航輝の携帯に弥栄からの返信が届いた。
一読し、へなへなと机に突っ伏す。
「あの人は……解りやすいというか、ぶれていないというか……」
『素敵な天使達を見つけに公園へ、移動中 by鋭一』
突っ伏しながら航輝は手に持った携帯画面を、悠里にみせる。
「……うん、お兄ちゃんが心配する理由が解ってきた」
どうやら、航輝の心配が的中したらしい。
公園に行ったとなれば、おそらく子供たちを眺め尽くして楽しむ心算なのだろう。
「行こう、子供達に被害が出る前に」
航輝に促され、悠里は喫茶店を後にした。
航輝達が、近くの公園に向かうと、弥栄鋭一は、公園のフェンス越しに、公園の遊具で楽しく遊ぶ子供たちを食入る様に見ていた。
「ああ、天使たちが微笑んでいる……。夕焼けが終わり、薄闇迫るこの街並みの中で、アスレチックジムに登る天使たち。嗚呼!俺は今、何という造形を目にしているのだッッ!!」
よく見ると、目じりに涙をさえ浮かべている。
「イイネッ!!君達!もっと、青春を謳歌したまえっ!!」
急に、呼びかけられて、ジムの上で遊んでいる子供たちは、ぽかんとしている。
非常に危険だ。
「鋭一さん!正気に戻ってくださいっ!てか、もう帰りますよ?!」
「おお、航輝か。ちょっとだけ待ってくれ、俺は天使たちにエールを送らねばならんっ」
「この前もこの流れで、親御さんに通報されたばかりじゃないですか?!」
航輝は、公園のフェンスに張り付く鋭一の肩を羽交い絞めにすると、引き剥がしにかかった。
「あれは、俺のエールを取り違えたやつが悪いのだ。今度はうまくやる!」
「いや、取り違えるも何も、親御さんは実に正しい行動だったと思います!!」
「ええい、天使達の青春は短いんだ。はなせーっ!!」
「あの子たちは、まだ青春の入り口にも立っていません。まだ幼児です!!」
『子供好きのお兄さん』が正義の味方であるということは正しいと思うが、『子供(が 、)好きなお兄さん』が正義の味方である場合は、はたして正しいことなのかどうか。
悠里の頭脳を以てしても、なかなか答えは出そうに無かった。