零細正義の組織の家計簿-3
3〉
航輝は、雑居ビルを出ると仲間と間に合わせている喫茶店へ向かった。
メニューには、キャラメルやら、エキストラホイップやら、ショットやらフラペチーノやらよく解らない単語が並んでいる。日本語があまり通用しない喫茶店だったらしい。
やたらと、横文字が並ぶ難しそうな飲み物を進めてくる店員に困りながらも、航輝は「アイスコーヒーのLサイズ」を注文する。
営業先で緊張したので、喉がカラカラなのだ。
十月にもなると、時間の過ぎるのが早くなるものだ。さっきまで太陽が出ていたというのに、もう辺りは暗くなってきている。
コーヒーのグラスを持って、店内を探す。
そこに、待ち合わせていた、航輝の仲間がいた。
栗色の髪をショートカットにして、おでこにかかる邪魔な髪を、赤いピンでとめている。
悠里は喫茶店の壁面に面したカウンターで、足をプラプラさせながら、なにか本を読んでいた。カウンターの上には、大量のチョコレートが山盛りになっている。
航輝の仲間にして妹、天地悠里だ。
航輝たちの住む町、夕凪市第二中学指定のセーラー服を着ているのだが、あまり中学生に見えない。まるで小学生が姉の学生服を借りてきたかのように不釣合いに見える。
我が妹ながら発育が遅い、そのままランドセルを背負わせれば、小学生でも通用するだろう。
先ほどから足をプラプラさせているのも、カウンター席のような椅子では地面まで足がつかないのだ。
カウンターの上の大量のチョコレートは、悠里の趣味だ。
普段から、事ある毎にチョコレートを食べている。
あれで、なぜ太らないですむのか、航輝には永遠の謎であった。
何にせよ、自分を心配して、もう一人の仲間と一緒についてきてくれたのである。
今日の失敗を話さなきゃいけないのが憂鬱だ。
航輝は努めて平静を装い、読書に夢中の妹に声をかけた。
「おっす、悠里」
「うわっ、ととっと」
後ろから声をかけたのがいけなかったのか、思ったより驚かせてしまった。
飲んでいた、アイスティーを取り落しそうになる。
「もうっ、驚かさないでよねっ」
「わりぃ」
抗議の声を上げる悠里に謝りながらも、その隣の席に腰掛ける。
「あれ?悠里だけか。鋭一さんは?」
もう一人の仲間、弥栄鋭一もここで待っているはずだが、どこを見渡してもいない。
「弥栄さんなら、しばらくここにいたけど。待機しているのに飽きたから、街を少し散歩してくるって言ってたよ。」
「じゃぁ、ここで少し待ってるかね」
「うん」
さっきまで、悠里が読んでいた本の題名が目の端に入る。『ビジネス経営学概説』いつもながら、難しい本を読む妹だ。
「相変わらず、すげぇ本を読んでるなぁ」
読んでいた本をパラパラとめくる。
曲線や分布図などが何かの意味を持って書かれているらしい。航輝には何が何だかさっぱり解らなかった。ざっと眺めただけで頭が痛くなるという事だけは解った。
「ありきたりな事しか書いて無かったよ。《スターライツⅤ》の経営に、何か役に立つことでも書いてないか期待してたのに……」
航輝などより余程出来の良い妹は、いわゆる天才と呼ばれる部類に属する。
一度読んだことは忘れないし、物事の理解力も段違いだ。
論理的にものを考えることに長けている一方で、呆れるほどに不器用でもある。
四角い折り紙を、三角形に折る事からして、既にできない。
料理などさせようものなら、指を調理しかねない程であった。
悠里は、最近経営やビジネスの専門書を読むようになった。
彼女なりに自分をバックアップしたいと思っているのだろう。ささくれ立っていた航輝の気持ちが心なしか穏やかになってゆく。
「そっか、ありがとな」
素直に感謝の意を伝えると、悠里の顔が真っ赤に染まる。
「そんなの、良いよぅ」
面と向かって礼を言われ、恥ずかしくなったのか。
悠里は、アイスティーに、ガムシロップを次々と入れていく。
なんとなく、それを見ていた航輝だったが、悠里の入れるガムシロップが三つ目を超えた辺りから、兄として心配になってくる。
「悠里、悠里。それ多い、多いよ」
「ん、でもこれタダだよ?」
「タダとか関係ないない。もう、アイスティーなんだか、ガムシロップなんだかわけ解らなくなってるだろが。糖尿になるぞ」
「えーこれぐらいが、普通だと思うけどなぁ」
もはや、ガムシロップそのものにしか見えない液体を美味しそうに飲む。彼女は極度の甘党なのだ。
飲んでいる姿を見るだけで、歯と歯の間が何やらぞわぞわとしてくる。
あれだけの糖分が何処に消えるのか、航輝にはさっぱりわからない。
「お兄ちゃん、お疲れ様」
ストローから口を離した悠里が、労ってくれる。
「おう」
「どうだった?」
さて、今日のことを言わなきゃいけない。
航輝は口を開いた。
「今回もダメだったよ。何も解っていないって、追い出されちまった」
我ながら情けない話をしている。
悠里は一瞬複雑な顔をするが、すぐ笑顔に戻り
「そっか。でも、次があるよ」とだけ言った。
悠里は、黙って目の前のチョコレートを二つ三つ航輝の前に追いやる。
甘いものを人に譲るのは、悠里なりの慰め方である。
ありがたく受け取ることにして口に入れると、ミルクチョコレートの甘みが、疲れた航輝の体をほぐしてくれた。
「次って言ってもなぁ、こんな遠くの街までわざわざ出かけてきても、何も成果なしだもんなぁ。どこの悪の組織もウチを相手にしてくれる程、余裕がある処は無いんじゃないか」
「そりゃ、仕方ないよ。『悪の組織』の数が減少するにつれて、相対的に『正義の味方』の数が増えてゆく一方だからね。どこの正義の味方も、『戦う相手』が足りなくて困っているわけなんだし……」
アイスティーの氷がカランと音を立てる。
そう、悪の組織が減少した後、正義の組織の殆どは窮地に陥ったのである。
戦う相手がいなくなった正義の組織は、存在する意義が無くなってしまったのだ。
「悪の組織が無ければ、正義の味方なんて、ただのごく潰しの暴力組織ってことだろ?」
「まぁ、そうなんだけどさ」
悠里はチョコレートを一つ、口に放り込むと、小さく返事した。
「でも、正義の味方は俺たち天地家の家業だし。これで生活していく以上、戦う相手がいないってのは、ほんと困っちゃうよなぁ。」
航輝はカウンターに突っ伏しながら、そう言った。
今日初めての弱音だった。