新興宗教団体カレー宗
「人生はね、この唐揚げカレーみたいなものなのよ」
「そうですね…」
「おっしゃるとおりです」
「よし、解散!」
三人の乙女たちが団欒のひと時を過ごしている——と思っていただきたい。
これはごく普通の女子大生の日常を描いた、ただそれだけのお話である。
「ちょっと聞いてよー! このカレーさぁー」
午後0時過ぎ。まだ閑散としている大学食堂の一角で腰を下ろしていると、ミディアムのフェミニンヘアを左右に揺らし瞳をシャーペンの芯のように細めた三崎美咲がトレーをガシャンとテーブルに置いた。彼女が機嫌を損ねるときは大体腹が減っているか、プリキュアが放送休止になったかのどちらかである。
「そうやって子供向けアニメが見れなかっただけでキレる人に限ってすぐ幼女をバッグに詰めようとする…」
「カレーって言うとるでしょ!! 誰もプリキュアの話しとらんわ!」
私の名前は秋島千尋。佐々木希さえファンデーションブラシを折るレベルの美人。どうせ漫画や映画じゃないんだし、そういうことにしておこう。
「そもそもすぐにオタクと犯罪者を一緒にすアホォッアッホアアッホッ!!!」
「あら、みんなお揃いね」
奇声を上げる美咲の後ろには、彼女の頬に湯気が立ちのぼる緑茶の湯のみを当てながらクスクス笑うラブハンドル理奈が立っていた。ブロンドのポニーテールを纏った彼女は中学生のように背も顔も幼く、公共交通機関を子供料金で利用できるかどうか試してみたいギリギリのラインである。お揃いとは3人とも唐揚げカレーを注文したという意味だが、もちろんこれは私達の友情の証——ではなく、今週はカレーフェアで普段の百円引きだったからだ。
「で、カレーが何ですって? 用があるならさっさと言いなさい。こうしている間にも1秒に3人のペースで地球の人口は増え続けているのよ」
「う、うん。ふぁふぉへ」
左目に涙を溜めて頬をこする美咲。この理不尽に耐えた経験が、いずれ社会に出て役立つだろう。
「ほら私のカレーみて。ルーがアンタたちのより明らかに少ないでしょ。海原雄山だったら『このカレーをよそったのは誰だあっ!!』って厨房まで殴り込んでるレベルよ。世が世なら今頃この建物は焼き討ちに遭ってるわ」
ただの愚痴だった!
「美食家とクレーマーを一緒にするなよ……」
「あら、どっちも同じだと思うけれど。要は払った金額に対価が釣り合っていないと感じるのでしょう?」
「そうよ! ぼったくりよ!! そしてこの唐揚げが意図的に小さいやつだけ抽出されているのはもはや完全に詐欺……! 犯罪ッ……! 神への冒涜ッ・・・・・・!」
「あー…あんたが神かどうかは別として、確かに私たちのと比べれば少し小さいわね」
「ふふっ、私の弟もおかずが自分より多いとすぐに睨みつけてくるわ」
「っていうか、そんなに不満なら自分で作りゃいいじゃない。食べ放題よ。絶対に損しないし」
私の提案に美咲はうーんと唸りながら天井を見上げた。
「そう思って一時期自炊生活してみたんだけど、なんか一人で作って食べてもつまんないのよねぇ。あのせせこましさといい買い出し、献立決め、食材管理あと洗い物の手間がどんどん嫌になって全然長続きしなかったのよ」
「美咲ってダイエット後に絶対リバウンドするタイプでしょ」
「えっリバウンドしないダイエット法なんてあるわけないじゃない」
「そうね、愚問だったわ」
そう、ダイエットとは無駄に偏った栄養学的知識を蓄え、食べ物のカロリーを瞬時に割り出すスカウターを装備できるようになるのと引き換えに、ダイエット食品や健康グッズへヘビースモーカーのタバコ代に肉薄する金銭と膨大なストレスを捧げる修羅の道である。当然体重が減ることはほぼ皆無であり、脱落者は負債として大量の皮下脂肪を背負う羽目になる。かつて我が国の偉大なる先祖はこう言った。一度ダイエットに足を踏み込んだものが、一般人と同じ生活を送れると思うな——と。
「何でも一度上げてしまった水準を下げるのはとても難しいものよ」
理奈は小さくため息をついてそう言うと、黙々と食べていたカレーのスプーンを皿に置いた。
「それに、常に最高のイメージと照らして良し悪しを判断するから、日を重ねるごとに不満が溜まって喜びは減っていくのよ。マックの写真詐欺を四六時中味わっているようなものね」
「イグザクトリー。気づいたらカレーの味には何の感慨もなくなってて、少ない小さい詐欺だ詐欺ってただ文句ばっか言うようになってたわ。あーあ、もうやんなっちゃう」
「他人と比較したり、相対的にものを考える習慣はあまり感心できるものじゃないわね」
「う〜ん…」
美咲は喉に魚の骨が引っかかったときのような、違和感を示す表情を浮かべたその瞬間、大げさに無音の指パッチンをして言った。
「そうよ! 相対性理論よ!!」
「何よ、いきなりサブカル系中二病バンドの名前なんか口走って」
「なんでそっちが先に出てくるのよ! アインシュタインの方に決まってるでしょ! そう…全ては相対性理論によって支配されているんだわ・・・! 時間も顔も金も学力もセンスも価値観も、全て他人と比較した上で初めて価値が生まれるのよ!」
「理奈のセリフを真っ向から否定した?!」
「まぁ、そういう考え方もアリかもしれないわね」
理奈はあっさり匙を投げると、再び匙を進めだした。美咲はついに真理に到達した、私が神だなどと独り言に現を抜かしている。私は貴重な一つ目の唐揚げに箸を伸ばすと少しタルタルソースを添えて口に運んだ。肉汁と濃厚なマヨネーズが絡み合い、後からホースラディッシュとピクルスのほのかな酸味が口に広がる感覚が何とも心地良い。白米との相性も凄まじく、カレールーという主役が霞んでみえるほどである。
短い沈黙の時間を破ったのはやはり美咲だった。
「また気づいてしまったわ……」
「そして忘れてしまったわ……」
「ちょ、忘れてないわよ! 人のセリフ捏造すんなし」
馬鹿に限って「人生とは〜」「人として〜」といった具合に、ろくな思索もせずアニメのセリフを引用しただけの哲学を語りだすものである。そして往々にして彼らの意見はスライスにんにくのように薄っぺらく、山の天気のようにコロコロ変わるので聞く方もうんざりする他ない。
美咲はゴクリとコップの水で喉を鳴らし意気揚々と語り出した。
「カレーはね、バランスが命なのよ。ルーとライス、半々の状態が一番おいしいの。どっちかに偏るとすぐ食べづらくなるでしょ。そして人生こそバランスなのよカレーライスなのよっ! 例えば休日。これをルーに例えると平日はライスね。平日に学校や会社で精一杯汗をかくから休日が嬉しいって構図はほら、ルーがあるからライスが美味しいってのと同じでしょ。ニートを擁護するつもりはないけど、あいつらの日常も楽してるというよりひたすらストローでルーをすすっているような、それは辛いものに違いないわ。大学生の春休みに一週間バイトも何もせずに過ごせばわかるけど、堕落していく恐怖と不安に押しつぶされて死にたくなるだけで楽しくもなんともないのよ。そういえば楽と楽しいってぜんぜん違うわね。和田アキ子と矢田亜希子ぐらい違うわ。まぁ、かといってブラック社畜のように土日返上で働きまくっても体か精神やられてそのうち自滅するのがオチだし、やっぱりバランスが大事よ! いやぁ、いいこと言うねぇ」
「へー、ちょっとはまともなことも言えるじゃない。どうせ最近読んだ本に影響されてパクっただけなんでしょうけど」
「なっなな…なわけないじゃない! いいいまこの瞬間カレーを食べて発見したのよ! どう見てもう産みたてホヤホヤの完全オリジナルでしょーがっっ!」
やたら噛みついて来おった!
「そうよ、山あり谷ありだとか似たようなことは昔から言われてきたけれど、カレーから共通項を見つけて唱えたその説はあなたの立派なオリジナルだわ。自分で導き出した答えってどんな美しい言葉の引用よりもずっと素敵だと思わない? だからこれをもっと突き詰めて宗教を作っちゃうのはいかがでしょう? 名前はそうね…唐揚げカレーが起源だからカレー宗なんてどうかしら」
「いいじゃない、オヤジ臭くて」
「どこがじゃ! むさ苦しくて窒息死しそうよ!」
「その苦しさに耐えることで外の空気を吸うだけで幸せになれるという修行を取り入れてみたらいかが? イスラム教徒の断食みたいですごくいいと思うわ」
「その苦行なら毎朝京浜東北線の中で一時間近くやってるからもうたくさんよ……」
「なるほど」
「で話を戻すけど、勉強についても同じことが言えるわ。大学受験で成功を収めるのは明るい未来を信じて高校3年間という青春の満開期を勉強だけに捧げた人じゃなくて、勉強ともう一つ、それと対極にある何かに打ち込んだ人なのよ。ルーは後にとっておくからといってライスだけを黙々と食べる人と、カレーとライスを一緒に食べる人。どっちが早く完食できると思う? ちなみに私は友達と遊ぶのをやめたし毎日夜中の二時まで勉強するって決めて高校受験勉強に挑んだら人間性はみるみる腐ったし頭が全然働かなくなって、とうとうラブドールみたいに顔から表情の消えた鬱病患者になったわ。ここの付属校以外全部落ちて、本当に何もかも失った気分だったけど、今では良い反面教師ね」
「いや、お前今でもぼっちやん」
「うっせ贅肉」
「あら失礼。どう見ても失敗から何も学んでいないあなたについ本音が漏れてしまいましたわ」
ラブハンドルとは脇腹の贅肉という意味である。温厚な理奈の神経を逆なでできる数少ない罵詈雑言ワードとして一部では重宝されている。若干険悪な空気が漂ってるので、私は何か喋れることはないかとテーブルを見回した。
「えっと、あ、じゃあこれは何に対応するの?」
私の指が指す先には唐揚げがあった。さっきから例えの説明に唐揚げが出てこないのに気づき、とっさに質問したのだ。
「…は? それは唐揚げよ。フラィツィッケン。千尋…頭大丈夫?」
美咲はアスペだった!
「美咲は、ア・ス・pmmm…」
これ以上ややこしくなると本格的に友人関係に支障をきたしかねないので、私の心の声を勝手に読み上げる理奈の口を封じた。
そのとき、目が合うと3秒後には処女膜をビリビリに引き裂かれてしまうとtwitter上で騒がれているテニスサークル「アイアンメイデン」の金髪ゴリラ集団が、ここを動物園の檻の中と勘違いしたのかギャアギャア騒ぎながら入ってきた。時計を見ると12時45分。まずい、急いで3限の教室へ向かわなければ端っこの席を確保できないではないか。
私は今すぐバトルコロシアム化しつつあるこの場を離れたかったし、2chまとめブログとSNSに専念できる快適な環境にさっさと身を置きたかった。
「次授業だし、そろそろ行かない?」
「えーまだ15分もあるじゃん。ギリギリまでいいでしょー」
美咲はまだ最後の唐揚げを大事に皿に残していた。
「それにまだ教義と聖典の内容に礼拝堂のラフ、総合本部の設置場所、祭典行事の日程、あと布教用映画の絵コンテ製作の分担が終わってないわ」
「新興宗教立ち上げる話本気だったの?! つか最後のはただの理奈の趣味でしょうが! ああもうめんどくせぇ!」
私はテーブルから立ち上がり、スプーンを口元に当て左手を横に広げた。
「聞き給え皆の衆、私がカレー宗総本山宗祖秋島千尋である!」
「今から汝等に箴言を与えようぞ」
「ははーッ」
美咲は嬉しそうにひれ伏した。
だが、おままごとはそこまでだ。
私は次の瞬間、美咲の唐揚げを目にも留まらぬスプーンさばきで捉え、口の中へ押し込んだ。他人の弁当箱から盗んだおかずは10倍うまいと言うが、この場合においても例外ではなく今日食べたどの料理よりも素晴らしく美味だった。
「いやあああああああああーーーーーーーー! 最後の唐揚げええええええええ!!!!!」
サクサクと何か噛み砕く音に嫌な予感を覚えた美咲が顔を上げた頃には、もう粉々になった肉片が千尋の食道を通過していた。
「ング…貢物は信者として当然の義務だろう。そんな小さいことでギャアギャア喚く奴は破門にするぞ?」
最後にスーッと深く息を吸い込み聖母のように優しい表情を作ると、私は丹田に力を込めて第一の教義を唱えた。
「人生はね、この唐揚げカレーみたいなものなのよ」




