デビューすらできなかった私が「あんたじゃ絶対ムリ」と見下した同級生は、国民的ヒット作家になっていた
小学六年生の私は、教室で常に一番だった。
テストは当たり前のように毎回満点。
リレーではアンカーを走って男子を追い抜いた。学級委員にも推薦で選ばれたし、休み時間には、私の机の周りに男女皆が集まった。
面白い話をするのも、
誰の悪口を言って笑い合うのも、
誰を無視するのか——それを決めるのは、いつも私だった。
そんな私には、誰にも言っていない秘密がひとつだけあった。
大学ノートに小説を書いている。
……昔から本を読むのが好きだった。漫画も好きだけど、漫画はすぐに終わっちゃう。小説は一冊読み終えるとすごい満足感がある。繊細なキャラクターの心理描写や記された文字から情景を脳裏に思い浮かべるのが好き。
お小遣いだけじゃぜんぜん足りないから、図書館で借りた本を夜遅くまで何度も繰り返し読んだ。
いつしかマネして自分だけの物語を書くようになった。
剣と魔法の世界で、ひとりぼっちの少女が旅に出る話だった。
誰にも見せたことはない。家族はもちろん、ましてや友人なんかに……。
だって小説を書いているなんて絶対にバカにされる。将来の夢は小説家——とか、そういう夢はもっと地味でさ、教室の隅っこにいる子が持つものだと思っていた。
——だから、あの日、ノートを拾ったのが姫木だったのはサイアクだった。
姫木ユカ。
いつも同じ毛玉だらけのお下がりのお下がりみたいなトレーナーを着ていて、給食のほとんど味のしないパンを貪るように食べる子。先生に頼んで、毎日余ったパンを持ち帰っていた。髪は自分で切ったみたいにガタガタで、自分は実は魔法使いで……と言うのが口癖の少しアレな子。名字に「姫」が入っているのも「どこが姫だよ」とバカにされていた——していた。誰も話しかけなかった。もちろん、私も。
放課後の廊下で、姫木は私のノートを両手で抱えて立っていた。
ゲロを吐きそうなほど、嫌な予感……。
今日は塾があるから誰とも遊ばず、でも少しだけ時間があったから、図書室でノートを開いて続きを書いたり、今日の復習をしたりしていた。で、気がついたら遅れそうだったから慌てて図書室を飛び出た時に……そのノートを置き忘れた。
「これ落ちてた。……ごめんね、ちょっと……読んじゃった」
顔が燃えるみたいに熱くなった。
「すごく、すごく面白かった! つづき……ないの?」
姫木の目は真っ直ぐ私を見ていた。
この目を私は知っている。教室でいつも背中に感じている視線と同じだった。
私はずっと前から知っていた。姫木が私に憧れていることを。私の筆箱と同じ筆箱だったり、雑貨屋で見つけたカワイイアクセサリーも気がつくと同じヤツを持ってる。
誰もいない廊下で、私は少しだけ気が緩んだのだと思う。
「続きはまだ考えてるところ」
「えぇ、読みたい読みたいっ」身体を揺らす仕草の一つ一つが気持ち悪いけど、今は少しだけ嬉しさが勝る。
「でもすごいね、こんな物語を書けて。同じ小学生なのに……」
「だって、私は小説家を目指しているから」
「え?」
「誰にも言わないでよ」口にした瞬間にしまったと思い、慌てて付け加える。
「じゃあ、あたしもなるっ、小説家!」
その声は弾んでいた。まるで仲間を見つけたみたいに。まるで対等な何かを発見したみたいに。
は?
一瞬の間を置いて、ぞわっと全身鳥肌。
私の秘密が、
私の一番大事なモノが、この子の手で汚された気がした。
同じペンやアクセサリーをマネするみたいに、この子は私の夢までマネしようとしている。
「あたしね、昔から魔法が使えるの。それを使って——」
「ムリだよ」
「え?」
「あんたじゃ絶対にムリだよ」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。目を大きく開けてきょとんとした顔すら、今は憎たらしくて、おぞましいと感じる。ノートをひったくって、私は走って帰った。振り返らなかったから、姫木がどんな顔をしていたのか知らない。
それから、私たちは一度も話さなかった。中学は別の学区になり、それから姫木の記憶は薄れていった。
☆★☆★
中学に上がり、そして高校生になっても私は書き続けていた。
ノートからスマホやタブレットに変わり、少女の旅は何度も書き直された。
もちろん、友人には相変わらず言わなかった。冷やかされるのがオチだ。今でもクラスカーストはトップを維持している。部活と勉強の合間にこっそり書いた。
だってそれが私のプライドだった。
誰にも頼らず、誰にも見せず……ある日突然プロ、という肩書を手に入れる。文武両道で顔もいいだけじゃなく文才まであったの? って驚かれる。それが、私の思い描くデビューだった。
高校二年生の冬——。
初めて新人賞に応募した。
結果は……佳作。
雑誌の片隅に、自分のペンネームが載っているのを見た時、本屋の床に座り込みそうになった。選評には「構成力は確か。次作に期待したい」と書かれていた。
いける、と確信した。
もう、目の前。
私は、プロの手前にいる……。
——その一ヶ月後、ぼんやりとテレビを眺めていると姫木を見た。
「現役女子高校生作家、異例の大ヒット」
テロップの下で、姫木ははにかんでいた。髪は綺麗に整えられていて、当然毛玉まみれのトレーナーは着ていなかった。野暮ったい雰囲気は相変わらずだけど、笑顔には自信が満ちている。
作品のタイトルは『魔王討伐はもう終わりました ~長命種エルフのゆるやか二周目冒険譚~』。
小説投稿サイトの『小説をカケ』に載せた作品がまたたくまにランキング一位になり、書籍化して大ヒット、アニメ化まで決まったらしい。
試しに読んでみた。文章は拙く、これでヒットしたの? と戸惑う。けど、物語には引き込まれ、登場するキャラクターの心情や静謐で美しい物語と、緻密な構成に夢中になって読んでいた。
面白い。
おもしろい。
おもしろい……。
教室でも、その話は少しだけ会話の中で飛び出てきた。同い年なのに、という羨望。どうせ女子高生ってだけで売れたんでしょ、という揶揄。どちらも自分を保つための言い訳。
「姫木って、あの姫木? 確か同じ小学校じゃなかった?」
「さぁ、覚えてない」
もちろん、私の佳作については誰も知らなかった。
佳作のときに電話をくれた編集者からは、姫木の名前が広まってから一度も連絡がなかった。姫木が売り出す本と同じ出版社だから他にかまっている余裕がなく、佳作程度の私は切り捨てられたのか。
☆★☆★
焦るように書いた。
月に一本は新人賞に投稿した。
しかし、結果は出なかった。
もう佳作どころか、一次選考すら通らない。小説投稿サイトにも投稿するけど、ランキングに載ることはなく、感想すらもらえなかった。
書けば書くほど、自分の文章が古く、重く、つまらないモノに思えた。
私は、
——停滞していた。
——落ちていた。
——自分を客観的に見ようとしていた。
——自分の実力を……。
その間も、姫木はヒット作を生み出し続けた。
『妹は鬼になったけど俺は絶対に見捨てない ~この世でもっとも慈しい鬼退治~』
『脱落したら一生日本代表になれない監獄で、凡人FWの俺が「自分だけのエゴ」に目覚めるまで』
『心臓がチェンソーの悪魔になった俺、普通の生活がしたいだけなのに公安に飼われています』
『呪いを祓う学校に入学したけど、俺自身が特級呪物でした』
『ちいさくてかよわいやつら』
『~コレドク~薬師の娘は後宮で目立ちたくない』
どれも爆発的なヒットを記録した。
本屋に行けば、どこに視線を向けても姫木の文字が入ってくる。少年漫画みたいな熱い物語から、女性向けの作品、子どもからお年寄りまで知っている作品まで。この国だけじゃない。世界中が、姫木の物語を愛していた。
私は、それからいつも目を背けて生きていた。
目を背けて、早足で通り過ぎるようになった。この星のエンタメが、彼女に支配され、もう私の作品は誰にも求められていないのでは? と思うようになっていた。
大学を卒業し、私は就職した。小さな広告代理店だった。
上司は毎日言うことが異なり、少しでも誤れば罵声を浴びせてくる。自分が無能なのか、それとも上司がパワハラをしているのか、当時の自分には判断できなかった。休日も社用スマホに連絡がかかり、拒否すれば翌営業日に皆の前で罵倒される。逃げ場がなかった。
半年が過ぎたある日、駅のホームのベンチに座っていると電車が滑り込んできた。これに乗ったら、また……。そう思った瞬間、足が動かなくなった。そのまま、その会社には行かなくなった。
フリーターになった。
転職しようにも、スキルもなく、半年ももたずにリタイアした人間を雇う会社はなかなか見つからない。それに、また入った会社で罵倒されると思うと、怖くて仕方がなかった。それでも生きていくために、コンビニや居酒屋でバイトを始めた。しかし、シフトを詰め込んでも家賃と奨学金の返済で、手元には何も残らなかった。小さなアパートの片隅にいる私と違って、姫木はタワマンに住んでいるらしい。そんなネットニュースを見るたびに嫉妬がふつふつと湧き上がる。けど、それもすぐに消えてしまう……。
そして私は、夜の仕事を始めた。
生活費だけじゃない。両親から、実は借金があると打ち明けられ、その返済にもお金が必要だった。
『夜の街で、わたしはあの子を救えなかった』
姫木が発表した昨今の夜伽事情を描いた作品は物議を醸した。物語の内容が、自分と重なるところもあるから辛かった。それに惹かれたわけじゃない。けど、もうなんというか、疲れていた。お金が楽に稼げるのであれば、どうでもよかったのかもしれない。
最初はキャバクラだった。顔は良いと昔からチヤホヤされていたけど、それだけではお客はつかない世界だった。すぐに指名も減った。借金ばかりが増えていく。
——最初の夜のことはあまり覚えていない。
嘘、
思ったよりも
臭くないとか。
予想よりも
痛くないとか。
父親くらいの見知らぬ赤の他人の男性の体温の薄気味悪さとか、安っぽいボディソープの匂いとか、終わった後に鏡に映る自分の顔とか。辞めた仕事の上司っぽい人もお客に来た時は、怖くて泣き出しそうだったけど、結構優しい人だったので、なぜか救われた気がしたのが、なんか死にたくなった。昔、教室で一番だった女の子は、もうどこにもいなかった。
それでも書くことは……。
そうだ、これも経験になる。経験は武器になる。味わった分、描写の生々しさに磨きがかかるはず。全部糧にする。あの夜の思い出を脳裏に描きながら……。
でも、書いているうちに手が震え始めた。一行書くたびに、あの煤けたヤニで汚れた天井や部屋が脳裏をよぎる。
『ヤニ吸うネコ』
この前姫木が発表した獣人のコメディ作品にも、ゴミにまみれた部屋が出てきたけど、実際に体験すると笑えなかった。言葉を紡ぐたびに、蓋をして閉じていた記憶が——色や匂いや感触や痛みを纏って溢れ出てくる。身体の中に溜まった膿が、喉元までせり上がってくる。途中まで書いたけど、私はトイレで吐き続けて、それから私は何も書けなくなった。
☆★☆★
多分冬……。
なぜなら吐く息が白いから。床に引き寄せられるように倒れていた。暖房はとっくに止められている。起き上がろうとして、やめた。起き上がる意味が見つからないから。
画面の割れた古ぼけたスマホは、もう電池が切れかかっていた。わずかに映るのは、彼女が原作を描いた作品。
ドンドンドン
ドアを叩く音がした。
ドアが開いた。鍵は、かけているはずなのに。
「なんで……いるの」
「来たかったから」
姫木が立っていた。テレビで見かけていた時のように、綺麗に整った髪と暖かそうなコート。この部屋には似合わない人間だった。
「ってか、どうしてそんなことになってるの? 別に斧で襲われたわけじゃないのにさ」と、姫木は私のスマホをちらりと見て言った。
『背中を見ていた』
二人の漫画家の物語。最初は、私と姫木をモデルにして私の人生をパクったのかと憤った。でも読んでみると、まったく別の二人の物語だった。だって片割れの私は、何もないから。
「実はさ、あたしって超能力者なんだよね。異世界転移、をまぁ自由にできてさ。こことは違うけど、そっくりな世界に飛ぶ。でね、そこで流行っている物語を読んで、こっちに持ち帰って書き写しているの。流石に絵は描けないから、小説にして発表しているんだ」
べらべらとまるで天気の話をするかのような口ぶりで語る。
「あたしがゼロから作った物語なんて、ひとつも存在しないんだよ。これも誰かが生み出した作品なんだ」
姫木はそっと私のスマホを指先でスワイプしながらページを捲り、ため息をついた。
普通なら怒りを覚えるか、それとも失望?
しかし、今の私には「どうでもいい」本当にどうでもよかった。姫木がズルをしていたとしても、私には才能がなくて、書けなくなってしまったことに変わりはない。
「小学校の時、読んだ話はホントに面白かったんだよなぁ。あたし、無数に色々な世界を飛んでみたけど、あなたの書く物語だけはどの世界にも存在しない。だからまた——」
それだけ言って、姫木は消えた。
ドアが閉まる音も、足音すら聞こえなかった。私の幻覚、それとも……。
薄れゆく意識の最中、電池の切れたはずの私のスマホが、なぜか光っている。
見知らぬ小説投稿サイトの画面……。少しだけ似ている? パロディ?
でも普通に投稿できる。
霞む視界、震える指先で、割れた液晶の凹凸に皮膚を引っ掛けながら、脳裏に広がる想いを文字に書き起こす。
// 終わり




