↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

ビッグマウス~異世界でも、俺の口は大きかった~

作者: ヤブサメ
掲載日:2026/09/28

 大口恒一三十八歳。

 どこにでもいる普通の会社員……であったのだが、先日、業績不振によりリストラとなってしまった。

  ◇    ◇

 再就職先も決まらず、公園のベンチでぼんやりしていたある日のこと。

 目の前で、子どもがブランコから大きく飛び出した。

 「危ない!」

 考えるより先に走り、子どもを抱き止めた瞬間、身体が大きく傾き、後頭部に硬い衝撃が走った。

 コンクリートの塊に頭をぶつけたのだ。

 最後に確認できたのは、泣きながらも無事だった子どもの姿だった。

 ――よかった。

 そう思ったところで、意識が途切れ、次に目を覚ましたとき、恒一は真っ白な空間にいた。

 「……ここ、どこ?」

 「死後の世界です」

 目の前には二人の女神がいた。

 一人は冷静な瞳をした女神、アストレア。

 もう一人は、柔らかな雰囲気を持つ女神、ミレイアだった。

 事情を聞けば、オレは死んだらしく、異世界へ転生することになったらしい。

 女神アストレアが告げる。

 「あなたには、特殊な力を一つ与えます」

 「どんな力ですか?」

 「《ビッグマウス》」

 「……」

 恒一は黙った。

 「名前からして、嫌な予感しかしないんですが」

 アストレアは無表情だった。

 「会話に関係する能力です」

 「……戦闘能力は?」

 「ありません」

 「魔法は?」

 「ありません」

 「身体能力は?」

 「普通です」

 「俺、異世界でどうやって生きるんですか?」

 ミレイアが微笑んだ。

 「あなたの力は、相手を従わせるためのものではありません」

 「では?」

 「相手の言葉を聞き、心の奥にある思いを理解し、もう一度、自分の意思で歩き出すための力です」

 恒一には、その意味がよく分からなかった。

 ただ――。

 「まあ……話すくらいなら、俺にもできるか」

 アストレアが淡々と言う。

 「あなたは口が大きいですからね」

 「それ、能力と関係あります?」

 ミレイアが小さく笑った。

 「きっと、ありますよ」

 こうして恒一は異世界へ転生した。

 森の中で目を覚ました彼は、まず空腹に襲われた。

 「……腹減った」

 周囲を見渡しても街はなく、あるのは木ばかりで、食べ物もない。

 当然、人もいない。

 「異世界転生って、もうちょっとサービス精神あってもよくない?」

 返事はない。

 「冒険者ギルドは?」

 返事はない。

 「美少女は?」

 もちろん返事はなかった。

 「……誰に話してるんだ、俺」

 そんなときだった。

 茂みが揺れ、ガサッと音がした。

 恒一は腰の短剣を抜いた。

 「来るなら来い! ……いや、やっぱり来ないで!」 

 茂みから出てきたのは、一人の少女だった。

 淡いピンク色の肌に、人間より少し尖った耳。そして頭には角があった。

 「……オーク?」

 「そうだけど?」

 少女が答える。

 「オークがしゃべった!」

 「あなたもしゃべってる」

 恒一は、彼女の周囲を一周した。

 「……何してるの?」

 「いや、本当にオークなんだなって」

 「だからって、一周する?」

 「珍しいから……」

 「変な人間」

 「初対面でそれ言う!?」

 少女は少しだけ笑った。名前を聞くと彼女はルルと名乗った。

 恒一も自分の名前を告げる。

 「俺はコーイチ」

 「コーイチ……」

 「よろしく」

 「……よろしく」

 ところがルルは、恒一の顔をじっと見ていた。

 「何?」

 「コーイチって……口、大きいね」

 「……」

 恒一は固まった。

 「それ、今言う?」

 「だって大きいから」

 「そこは気づいても言わない優しさが欲しかった!」

 ルルは楽しそうに笑っていたが、しばらく話しているうちにルルの表情は少しずつ曇っていった。

 彼女は普通のオークとは肌の色や角の形も違うことを理由に、仲間から「変だ」「弱い」「気味が悪い」と言われ、群れを追い出されたという。

 「……私だけ、みんなと違った」

 「だから、いらないって」

 ルルは自分の腕を見た。

 恒一は少し考えてから言った。

 「違うことと、弱いことって、同じじゃないだろ」

 「……」

 「俺だって、自分の口が大きいのは好きじゃなかった」

 「過去形? 今も大きいよ?」

 「そこは否定してくれよ!」

 ルルが笑い、その笑顔を見て恒一も笑った。

  ◇    ◇

 話しているうちに、二人とも食べ物を持っていないことに気が付いた。

 二人で一緒に食べものを探していると、ルルが緑色の草を見つけた。

 「これは食べられるよ」

 「本当に?」

 「うん。苦いけど」

 「苦いのか……」

 恒一は草を見つめ、呟いた。

 「異世界最初の食事が、雑草かぁ」

 「雑草じゃないよ」

 「ごめん」

 ルルは少し笑った。

 その直後、太い枝が落ちているのを見つけ、ルルはそれを片手で持ち上げた。

 「これ、薪にできそう」

 「……ちょっと待って」

 「何?」

 「それ、重くない?」

 「そう?」

 「俺なら両手でも無理だと思う」

 ルルは不思議そうに枝を見た。

 自分の力が特別だという自覚はないらしい。

 そのとき、森の奥から巨大な影が現れた。

 灰黒色の毛で四本脚、コーイチの胸より高い巨体で額には角のような突起がある。

 「……でかっ」

 巨大な狼が低く唸ったとき、不思議なことに恒一の頭の中には声が響いた。

 『……腹が、減った』

 「え?」

 『食べ物が、ない』

 ルルが首を傾げる。

 「どうしたの?」

 「今、この狼がしゃべった」

 「……?」

 どうやら聞こえているのは恒一だけらしい。

 《ビッグマウス》。

 初めて能力の意味を理解した瞬間だった。

 「お前も腹減ってるのか?」

 『そうだ』

 「じゃあ、一緒に食べる?」

 巨大な狼はしばらく恒一を見る。

 『……いいのか?』

 「俺たちも腹減ってるけどな」

 こうして、人間とオークと巨大な狼による奇妙な食事が始まった。

 食事といっても、木の実と食べられる草を少しずつ分けただけだったが、三人にとっては貴重な食事だった。

 恒一は狼を見ながら尋ねる。

 「お前、名前は?」

 『私は、名前を持っていない』

 「ないのか」

 『ない』

 「じゃあ、名前つけるか」

 『必要か?』

 「あると便利だろ」

 恒一は腕を組んだ。

 「……ウルルン」

 『断る』

 「断る? しかも即答!?」

 ルルが吹き出した。

 「嫌だったみたい」

 「そこまで嫌がると思わなかった……」

 パチッ。

 そのとき、狼の額から小さな青白い光が走った。

 「……雷?」

 『時々こうなる』

 「じゃあ――ライ」

 狼はしばらく黙った。

 『ライ』

 「どう?」

 『悪くない』

 「じゃあ決まりだ」

 その日から、狼はライになった。

 名前を得たライは、少しだけ嬉しそうだった。

 『ライ……』

 「気に入った?」

 『……悪くない』

 「その割には何回も言ってるな」

 ルルが笑う。

 「嬉しいんだと思う」

 『……』

 ライは何も答えなかったが、尻尾がほんの少しだけ揺れていた。

 そして三人は街を探して歩き始めた。

 森を抜けると遠くに巨大な城壁が見えてきたので、近づく。

 門までいくと門番がいて、当然のようにこちらに槍を向けてきた。

 「止まれ!」

 「はい」

 「その魔物たちは何だ!」

 「仲間です」

 「魔物だろう!」

 「まあ、そうですね」

 門番が言うには、街に魔物を連れて入るために、知性ある魔物を識別石で確認する必要があるという。

 識別石は青・黄・赤のいずれかに光り、危険度を知らせるという。 

 まずルルが石に手を置くと、青く光った。敵意がないということのようだ。

 続いて七つある魔力石が順に光っていく。魔力石は、魔力が多いと多く光るという代物らしい。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 五つ。

 六つ。

 そして――七つ。

 「七……?」

 門番が絶句した。

 「普通のオークなら、ここまで光らない」

 ルルが不安そうにする。

 「私、変なのかな」

 「違う」

 恒一は即答した。

 「たぶん、すごいんだよ」

 「たぶん?」

 「俺も初めてだから」

 次にライを調べる。

 危険度は青で魔力石は五つ。

 額から小さな火花が走る。

 「雷属性……?」

 『知らん』

 「お前も知らんのかよ!」

 門番は頭を抱えながらも、三人に三日間の仮入街許可を出した。

 街で問題を起こすと、退去命令が出るようだ。

 三人が中へ入ると、街は人で溢れていた。

 露店、武器屋、防具屋、食堂。

 そして――冒険者ギルド。

 恒一は大きな看板を見上げた。

 「……本当にあるんだ」

 異世界に来たのだと、初めて実感した。

  ◇    ◇

 ギルドに入ってはみたものの、受付での反応は冷たかった。

 「魔物と話すだけ?そんな能力、何に使うんだよ」

 「戦えない冒険者なんて、すぐ死ぬぞ」

 恒一は苦笑しながら言った。

 「まあ、そう言われると思いました」

 ルルが前に出る。

 「コーイチはすごいよ」

 そうして、初めて会った日のことを話していった。

 受付嬢エリナが三人を見つめた。

 「よかったら、戦わない依頼を受けてみたらどうですか?」

 こうして、コーイチたちの冒険者生活が始まった。

 最初の依頼は薬草採取。報酬は大銅貨10枚でルルは報酬額を聞いた瞬間、目を輝かせた。

 「これで肉が買える!」

 「最初から肉目的なんだな」

 三人は街の西にある浅い森へ向かった。

 そこで見つけたのが、鮮やかな緑色をした三枚葉の薬草だった。

 ルルがしゃがみ込んで言った。

 「これが緑癒草」

 「緑癒草は、擦り傷とか切り傷みたいな軽い怪我を治す薬になるの」

 「そのまま使うこともあるけど、薬師さんが煎じたり、潰して傷口に塗ったりするんだって」

 「へえ」

 ルルは一枚を丁寧に摘んだ。

 「大きな怪我を治すほど強くはないけど、冒険者には大事な薬草なんだよ」

 「つまり、冒険者の常備薬みたいなものか」

 「そうだね」

 『食べられるのか?』

 「ライ、お前は何でも食べようとするな」

 『薬草だろう?』

 「薬だからって、全部食べていいわけじゃない!」

 ルルが笑った。

 その後、青白い葉を持ち、疲労回復などに使われるという月雫草も見つかった。

 三人で協力しながら採取していく。

 ルルは植物を見分けるのが得意で、ライは匂いを頼りに薬草の場所を探した。

 そしてコーイチは――。

 「俺は何をすればいい?」

 ルルが答える。

 「数える」

 「地味だな!」

 ライが言う。

 『重要だ』

 帰り道、三匹のゴブリンと出会った。

 ゴブリンたちは空腹で、何匹かは怪我をしていた。

 《ビッグマウス》を通じて聞こえてきたのは、敵意よりも警戒と恐怖だった。

 「怪我してるのか?」

 『……人間は、俺たちを殺す』

 「俺たちは殺さない」

 『信じられない』

 「じゃあ、これだけ渡す」

 コーイチは緑癒草を一枚差し出して言った。

 「これなら怪我に使える」

 ゴブリンたちは戸惑いながら受け取った。

 ルルが使い方を教える。

 傷口に薬草を潰して当てると、しばらくして出血が弱くなった。

 『……痛みが、少ない』

 「よかったな」

 ゴブリンたちはお礼に月雫草の生えている場所を教えてくれた。

 最後に一匹が振り返る。

 『人間なのに、変な奴だ』

 「今日それ言われるの二回目なんだけど!」

 ルルが笑った。

 街へ戻る途中、今度はグレイファングが現れ、巨大な牙をむき出しにして襲いかかってくる。

 ルルが前へ出て、太い枝をまるで棍棒のように振り回した。

 「えいっ!」

 グレイファングが吹き飛ぶ。

 「……ルル」

 「なに?」

 「それ、本当に枝?」

 「うん」

 「武器じゃなくて?」

 「枝だよ」

 ライも飛び込んだ。

 青白い火花が走る。

 グレイファングが怯んだ隙に、三人は森から離れた。

 「俺だけ戦力外じゃない?」

 ルルが首を傾げる。

 「コーイチは話す」

 「そうだけど!」

 『役割分担だ』

 「ライまで冷静に言うな!」

 無事に薬草を納品し、ギルドで大銅貨10枚を受け取り、ルルは嬉しそうに硬貨を眺めていた。

 「これで肉が買える」

 「結局そこか!」

  ◇    ◇

 次は中年の商人ガルドから荷車修理を頼まれ、壊れた車輪をルルが支え、コーイチが縄と木材で固定した。

 何度か崩れかけたが、どうにか修理に成功した。

 「助かった!」

 ガルドは三人が宿を決めていないことを知り、宿屋「陽だまり」亭へ案内してくれ、女将のマリアは三人を見ても驚かなかった。

 「いらっしゃい」

 それだけだった。

 温かい食事、清潔な部屋、そして眠る場所。

 ルルにとっては、初めての宿だった。

 夕食の席で、ルルは何度も料理を見つめて言った。

 「……こんなに食べていいの?」

 マリアは笑いながら言った。

 「もちろんさ。旅の途中なんだろ? しっかり食べな」

 ライが肉を見つめる。

 『肉がある』

 「お前、そればっかりだな」

 『重要だ』

 「分かったよ!」

 マリアが笑う。

 「困ったときは、お互い様さ」

 その言葉を、ルルはじっと聞いていた。

 翌朝。窓から朝日が差し込んでいた。

 コーイチが目を覚ますと、ルルはまだ眠っている。

 ライはすでに起きていた。

 「お前、いつから起きてた?」

 『知らん』

 「またかよ!」

 朝食にはパン、スープ、卵、そして肉が並んだ。

 マリアが笑顔で言う。

 「今日は少し多めにしてあるよ」

 「ありがとうございます」

 ルルは嬉しそうに食べ、その顔を見てコーイチも笑った。

 異世界に来る前は自分には何もないと思っていたが、今は違う。

 隣には仲間がいて、帰る場所もある。それだけで、少しだけ心が軽かった。

  ◇    ◇

 数日後、三人は護衛依頼を受けた。

 商人グリースの荷馬車を隣町まで護衛し、荷物を届けたあと、別の荷物を積んで元の街へ戻る仕事だった。

 グリースは気さくな男だった。

 「魔物が二匹もいるのに、随分のんびりした旅だな」

 「俺たち、意外と仲良しなんですよ」

 「そうか」

 ライが答える。

 『私は肉があれば問題ない』

 「ほら、仲良しです」

 「どういう理屈だ?」

 帰路の街道でゴブリンが道を塞いでいた。

 だが、以前会ったゴブリンとは違い、武器を持ち怯えている。

 《ビッグマウス》が伝えてきたのは、やはり恐怖だった。

 「人間に襲われると思ってる」

 コーイチは馬車から降りた。

 「俺たちは攻撃しない。お前たちも攻撃しない。それでいいだろ?」

 ゴブリンたちは顔を見合わせていたが、やがて武器を下ろす。

 グリースが感心した。

 「剣を抜かずに魔物を退かせる。商人にとっちゃ、こんなありがたい護衛はないぞ」

 「俺、戦うより話すほうが得意なので」

 「なるほどな」

 「《ビッグマウス》なんで」

 ルルが吹き出した。

 「自分で言った!」

 「能力名だから!」

  ◇    ◇

 依頼されたことをこなしていくうちに、三人の存在は少しずつ知られるようになっていた。

 もちろん、すべてが穏やかだったわけではない。

 ある日、街中でルルを見た男が笑った。

 「ピンク色のオークなんて初めて見た」

 「変な角だな」

 「普通のオークより弱そうだ」

 たまらなくなったコーイチは一歩前に出て、相手の男に話しかけた。

 「謝ってください!」

 「何だ、お前!」

 「この子は俺の仲間です!」

 男が鼻で笑う。

 「魔物を仲間にしてる時点で変だろ」

 「そうかもしれません」

 「でも、変だから悪いとは限らないでしょう」

 ルルの目から涙が落ちた。

  ◇    ◇

 その夜、陽だまり亭でルルは静かに言った。

 「私、今……幸せかもしれない」

 「どうした、急に」

 「一緒に食べる人がいて、帰る場所があるから」

 コーイチは少しだけ笑った。

 「じゃあ、これからも帰ってこよう」

 「うん」

 『私も帰ってくる』

 ライが肉を食べながら答えた。

 『肉があるから』

 「お前は最後までそれだな!」

 ルルが笑った。

 その笑顔を見ながら、コーイチは思った。

 ルルはもう、一人ではない。

 そして自分も、いつの間にか一人ではなくなっていた。

 そんなある日、ギルドマスターのローダンから呼び出しを受けた。

 机の上には、古い革張りの記録が置かれている。

 「これは昔の冒険者ギルドの記録だ」

 ローダンは慎重にページを開いた。

 「普通のオークとは違う肌を持つ個体について書かれている」

 ルルが息を呑む。

 「……私?」

 「可能性はある」

 記録には、淡い色の肌や通常のオークとは異なる角、高い知性と優れた身体能力、そして非常に高い魔力。

 「この記録では、そうした個体をハイオークと呼んでいる」

 ルルは自分の手を見つめた。

 「私……ハイオークなの?」

 「断定はできない」

 ローダンは首を振った。

 「ただ、お前が普通のオークとは違う可能性は高い」

 ルルは言った。

 「何もできず、弱くて醜いから必要とされず追い出されたと思っていたけれど……。」

 「ただ、違うだけだったのかもしれない」

 コーイチが言った。

 ルルが顔を上げる。

 「……コーイチ」

 「だって、俺たちが初めて会ったときもそうだっただろ」

 「何が?」

 「俺、オークを見たことなかったから一周した……今思うとかなり失礼だったな」

 「うん」

 「そこは否定してくれよ!」

 ルルが笑い、つられてコーイチやローダンも笑った。

  ◇    ◇

 その日の夜、ルルは自分の魔力を試してみることにした。

 最初は何も起こらなかった。

 「……できない……やっぱり、私には無理なのかな」

 コーイチが言った。

 「焦らなくていい、ゆっくりやればいいんだよ」

 ルルがもう一度、試したとき、小さな赤い光が生まれた。

 「……!」

 光は指先で揺れ、やがて、小さな炎になった。

 「火……?」

 ルル自身が驚いているうちに炎は少しずつ大きくなった。

 その炎が木箱の端に触れると、ボッ。

 「わあ……」

 コーイチが慌てて水をかける。

 ライは炎を見つめていた。

 『食べ物を焼ける』

 「そこかよ!」

 ルルは笑った。

 だが、その炎を見つめた瞬間、胸の奥に何かが浮かんだ。

 小さな手、幼い声。

 『お姉ちゃん!』

 赤い布、森、走る自分、誰かに引き離される感覚。

 「……妹」

 ルルの声が震えた。

 「私には……妹がいる」

 名前も分からないし、顔も思い出せない。

 どこにいるのかも分からない。

 けれど、確かにいた。

 コーイチは何も急かさなかった。

 「探そう」

 「……一緒に?」

 「ああ」

 『私も行く』

 ライも静かに答えた。

  ◇    ◇

 あくる日、ローダンに相談すると、しばらく考えたあと、一冊の古い記録を取り出した。

 「実は、もう一つ情報がある」

 その記録は港町セレスタの冒険者ギルドから送られてきたもので、そこには、淡い色の肌をした若いオークの少女について書かれていた。

 通常のオークとは異なる角があるが、名前や年齢は記録されていない。

 ルルの妹だという証拠はない。

 ルルは記録を見つめた。

 「もしかしたら……妹かもしれない」

 「自分で確かめればいいよ」

 「うん」

 ルルは顔を上げた。

 「行きたい」

 「じゃあ、行こう」

 『肉も必要だ』

 「お前はどこでもそれだな!」

  ◇    ◇

 旅の準備が始まった。

 乾燥肉、硬いパン、水、薬、毛布、火起こし道具、薬草少し。

 緑癒草は軽い傷の治療に使えるし、月雫草は疲労回復に使える。

 ルルは採取した薬草を一枚ずつ確認した。

 準備がすべて整い、明日出発することになった。

 最後の夜。

 陽だまり亭の食堂で、マリアがいつもより多く肉を出してくれた。

 「旅に持っていきな」

 「こんなに?」

 ライが即座に答える。

 『いま食べよう』

 「旅に持っていく肉だろう! 今食べてどうする!」

 ルルの笑い声が食堂に響いた。

 ルルは料理を見ながら、少し寂しそうに笑った。

 「……ここ、好きだったな」

 マリアが笑った。

 「また帰ってくればいいさ」

 ルルが顔を上げる。

 「……帰ってきても、いいんですか?」

 「当たり前だろ」

 マリアは優しく答えた。

  ◇    ◇

 翌朝、三人は荷物を背負い、陽だまり亭を出た。

 ルルがマリアに向けて深く頭を下げる。

 「ありがとうございました」

 「また来ます」

 「待ってるよ」

 冒険者ギルドではエリナが見送ってくれた。

 「セレスタは大きな港町です」

 「魚がある?」

 ライが尋ねる。

 「たぶん、たくさんありますよ」

 『行こう』

 「お前、目的が変わってないか?」

  ◇    ◇

 三人は街の門を出た。

 しばらく歩いてから、ルルが振り返る。

 高い城壁、門、何度も歩いた道、自分が初めて「帰る場所」と呼べた街。

 「……さようなら」

 「またな」

 『また来る』

 三人は前を向き歩き始め、街から少しずつ遠ざかっていく。

 コーイチは歩きながら、ふと自分の口元に触れた。

 大きい口で自分でも気にしていたものだが、異世界に来てからこの口でルルの話を聞き、ライと話し、仲間ができた。

 ビッグマウスも悪くないもんだ。

 街道の先には、まだ見たことのない世界が広がっている。

 どこからともなく吹く風が、三人の髪を揺らした。


 終 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。