ビッグマウス~異世界でも、俺の口は大きかった~
大口恒一三十八歳。
どこにでもいる普通の会社員……であったのだが、先日、業績不振によりリストラとなってしまった。
◇ ◇
再就職先も決まらず、公園のベンチでぼんやりしていたある日のこと。
目の前で、子どもがブランコから大きく飛び出した。
「危ない!」
考えるより先に走り、子どもを抱き止めた瞬間、身体が大きく傾き、後頭部に硬い衝撃が走った。
コンクリートの塊に頭をぶつけたのだ。
最後に確認できたのは、泣きながらも無事だった子どもの姿だった。
――よかった。
そう思ったところで、意識が途切れ、次に目を覚ましたとき、恒一は真っ白な空間にいた。
「……ここ、どこ?」
「死後の世界です」
目の前には二人の女神がいた。
一人は冷静な瞳をした女神、アストレア。
もう一人は、柔らかな雰囲気を持つ女神、ミレイアだった。
事情を聞けば、オレは死んだらしく、異世界へ転生することになったらしい。
女神アストレアが告げる。
「あなたには、特殊な力を一つ与えます」
「どんな力ですか?」
「《ビッグマウス》」
「……」
恒一は黙った。
「名前からして、嫌な予感しかしないんですが」
アストレアは無表情だった。
「会話に関係する能力です」
「……戦闘能力は?」
「ありません」
「魔法は?」
「ありません」
「身体能力は?」
「普通です」
「俺、異世界でどうやって生きるんですか?」
ミレイアが微笑んだ。
「あなたの力は、相手を従わせるためのものではありません」
「では?」
「相手の言葉を聞き、心の奥にある思いを理解し、もう一度、自分の意思で歩き出すための力です」
恒一には、その意味がよく分からなかった。
ただ――。
「まあ……話すくらいなら、俺にもできるか」
アストレアが淡々と言う。
「あなたは口が大きいですからね」
「それ、能力と関係あります?」
ミレイアが小さく笑った。
「きっと、ありますよ」
こうして恒一は異世界へ転生した。
森の中で目を覚ました彼は、まず空腹に襲われた。
「……腹減った」
周囲を見渡しても街はなく、あるのは木ばかりで、食べ物もない。
当然、人もいない。
「異世界転生って、もうちょっとサービス精神あってもよくない?」
返事はない。
「冒険者ギルドは?」
返事はない。
「美少女は?」
もちろん返事はなかった。
「……誰に話してるんだ、俺」
そんなときだった。
茂みが揺れ、ガサッと音がした。
恒一は腰の短剣を抜いた。
「来るなら来い! ……いや、やっぱり来ないで!」
茂みから出てきたのは、一人の少女だった。
淡いピンク色の肌に、人間より少し尖った耳。そして頭には角があった。
「……オーク?」
「そうだけど?」
少女が答える。
「オークがしゃべった!」
「あなたもしゃべってる」
恒一は、彼女の周囲を一周した。
「……何してるの?」
「いや、本当にオークなんだなって」
「だからって、一周する?」
「珍しいから……」
「変な人間」
「初対面でそれ言う!?」
少女は少しだけ笑った。名前を聞くと彼女はルルと名乗った。
恒一も自分の名前を告げる。
「俺はコーイチ」
「コーイチ……」
「よろしく」
「……よろしく」
ところがルルは、恒一の顔をじっと見ていた。
「何?」
「コーイチって……口、大きいね」
「……」
恒一は固まった。
「それ、今言う?」
「だって大きいから」
「そこは気づいても言わない優しさが欲しかった!」
ルルは楽しそうに笑っていたが、しばらく話しているうちにルルの表情は少しずつ曇っていった。
彼女は普通のオークとは肌の色や角の形も違うことを理由に、仲間から「変だ」「弱い」「気味が悪い」と言われ、群れを追い出されたという。
「……私だけ、みんなと違った」
「だから、いらないって」
ルルは自分の腕を見た。
恒一は少し考えてから言った。
「違うことと、弱いことって、同じじゃないだろ」
「……」
「俺だって、自分の口が大きいのは好きじゃなかった」
「過去形? 今も大きいよ?」
「そこは否定してくれよ!」
ルルが笑い、その笑顔を見て恒一も笑った。
◇ ◇
話しているうちに、二人とも食べ物を持っていないことに気が付いた。
二人で一緒に食べものを探していると、ルルが緑色の草を見つけた。
「これは食べられるよ」
「本当に?」
「うん。苦いけど」
「苦いのか……」
恒一は草を見つめ、呟いた。
「異世界最初の食事が、雑草かぁ」
「雑草じゃないよ」
「ごめん」
ルルは少し笑った。
その直後、太い枝が落ちているのを見つけ、ルルはそれを片手で持ち上げた。
「これ、薪にできそう」
「……ちょっと待って」
「何?」
「それ、重くない?」
「そう?」
「俺なら両手でも無理だと思う」
ルルは不思議そうに枝を見た。
自分の力が特別だという自覚はないらしい。
そのとき、森の奥から巨大な影が現れた。
灰黒色の毛で四本脚、コーイチの胸より高い巨体で額には角のような突起がある。
「……でかっ」
巨大な狼が低く唸ったとき、不思議なことに恒一の頭の中には声が響いた。
『……腹が、減った』
「え?」
『食べ物が、ない』
ルルが首を傾げる。
「どうしたの?」
「今、この狼がしゃべった」
「……?」
どうやら聞こえているのは恒一だけらしい。
《ビッグマウス》。
初めて能力の意味を理解した瞬間だった。
「お前も腹減ってるのか?」
『そうだ』
「じゃあ、一緒に食べる?」
巨大な狼はしばらく恒一を見る。
『……いいのか?』
「俺たちも腹減ってるけどな」
こうして、人間とオークと巨大な狼による奇妙な食事が始まった。
食事といっても、木の実と食べられる草を少しずつ分けただけだったが、三人にとっては貴重な食事だった。
恒一は狼を見ながら尋ねる。
「お前、名前は?」
『私は、名前を持っていない』
「ないのか」
『ない』
「じゃあ、名前つけるか」
『必要か?』
「あると便利だろ」
恒一は腕を組んだ。
「……ウルルン」
『断る』
「断る? しかも即答!?」
ルルが吹き出した。
「嫌だったみたい」
「そこまで嫌がると思わなかった……」
パチッ。
そのとき、狼の額から小さな青白い光が走った。
「……雷?」
『時々こうなる』
「じゃあ――ライ」
狼はしばらく黙った。
『ライ』
「どう?」
『悪くない』
「じゃあ決まりだ」
その日から、狼はライになった。
名前を得たライは、少しだけ嬉しそうだった。
『ライ……』
「気に入った?」
『……悪くない』
「その割には何回も言ってるな」
ルルが笑う。
「嬉しいんだと思う」
『……』
ライは何も答えなかったが、尻尾がほんの少しだけ揺れていた。
そして三人は街を探して歩き始めた。
森を抜けると遠くに巨大な城壁が見えてきたので、近づく。
門までいくと門番がいて、当然のようにこちらに槍を向けてきた。
「止まれ!」
「はい」
「その魔物たちは何だ!」
「仲間です」
「魔物だろう!」
「まあ、そうですね」
門番が言うには、街に魔物を連れて入るために、知性ある魔物を識別石で確認する必要があるという。
識別石は青・黄・赤のいずれかに光り、危険度を知らせるという。
まずルルが石に手を置くと、青く光った。敵意がないということのようだ。
続いて七つある魔力石が順に光っていく。魔力石は、魔力が多いと多く光るという代物らしい。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
六つ。
そして――七つ。
「七……?」
門番が絶句した。
「普通のオークなら、ここまで光らない」
ルルが不安そうにする。
「私、変なのかな」
「違う」
恒一は即答した。
「たぶん、すごいんだよ」
「たぶん?」
「俺も初めてだから」
次にライを調べる。
危険度は青で魔力石は五つ。
額から小さな火花が走る。
「雷属性……?」
『知らん』
「お前も知らんのかよ!」
門番は頭を抱えながらも、三人に三日間の仮入街許可を出した。
街で問題を起こすと、退去命令が出るようだ。
三人が中へ入ると、街は人で溢れていた。
露店、武器屋、防具屋、食堂。
そして――冒険者ギルド。
恒一は大きな看板を見上げた。
「……本当にあるんだ」
異世界に来たのだと、初めて実感した。
◇ ◇
ギルドに入ってはみたものの、受付での反応は冷たかった。
「魔物と話すだけ?そんな能力、何に使うんだよ」
「戦えない冒険者なんて、すぐ死ぬぞ」
恒一は苦笑しながら言った。
「まあ、そう言われると思いました」
ルルが前に出る。
「コーイチはすごいよ」
そうして、初めて会った日のことを話していった。
受付嬢エリナが三人を見つめた。
「よかったら、戦わない依頼を受けてみたらどうですか?」
こうして、コーイチたちの冒険者生活が始まった。
最初の依頼は薬草採取。報酬は大銅貨10枚でルルは報酬額を聞いた瞬間、目を輝かせた。
「これで肉が買える!」
「最初から肉目的なんだな」
三人は街の西にある浅い森へ向かった。
そこで見つけたのが、鮮やかな緑色をした三枚葉の薬草だった。
ルルがしゃがみ込んで言った。
「これが緑癒草」
「緑癒草は、擦り傷とか切り傷みたいな軽い怪我を治す薬になるの」
「そのまま使うこともあるけど、薬師さんが煎じたり、潰して傷口に塗ったりするんだって」
「へえ」
ルルは一枚を丁寧に摘んだ。
「大きな怪我を治すほど強くはないけど、冒険者には大事な薬草なんだよ」
「つまり、冒険者の常備薬みたいなものか」
「そうだね」
『食べられるのか?』
「ライ、お前は何でも食べようとするな」
『薬草だろう?』
「薬だからって、全部食べていいわけじゃない!」
ルルが笑った。
その後、青白い葉を持ち、疲労回復などに使われるという月雫草も見つかった。
三人で協力しながら採取していく。
ルルは植物を見分けるのが得意で、ライは匂いを頼りに薬草の場所を探した。
そしてコーイチは――。
「俺は何をすればいい?」
ルルが答える。
「数える」
「地味だな!」
ライが言う。
『重要だ』
帰り道、三匹のゴブリンと出会った。
ゴブリンたちは空腹で、何匹かは怪我をしていた。
《ビッグマウス》を通じて聞こえてきたのは、敵意よりも警戒と恐怖だった。
「怪我してるのか?」
『……人間は、俺たちを殺す』
「俺たちは殺さない」
『信じられない』
「じゃあ、これだけ渡す」
コーイチは緑癒草を一枚差し出して言った。
「これなら怪我に使える」
ゴブリンたちは戸惑いながら受け取った。
ルルが使い方を教える。
傷口に薬草を潰して当てると、しばらくして出血が弱くなった。
『……痛みが、少ない』
「よかったな」
ゴブリンたちはお礼に月雫草の生えている場所を教えてくれた。
最後に一匹が振り返る。
『人間なのに、変な奴だ』
「今日それ言われるの二回目なんだけど!」
ルルが笑った。
街へ戻る途中、今度はグレイファングが現れ、巨大な牙をむき出しにして襲いかかってくる。
ルルが前へ出て、太い枝をまるで棍棒のように振り回した。
「えいっ!」
グレイファングが吹き飛ぶ。
「……ルル」
「なに?」
「それ、本当に枝?」
「うん」
「武器じゃなくて?」
「枝だよ」
ライも飛び込んだ。
青白い火花が走る。
グレイファングが怯んだ隙に、三人は森から離れた。
「俺だけ戦力外じゃない?」
ルルが首を傾げる。
「コーイチは話す」
「そうだけど!」
『役割分担だ』
「ライまで冷静に言うな!」
無事に薬草を納品し、ギルドで大銅貨10枚を受け取り、ルルは嬉しそうに硬貨を眺めていた。
「これで肉が買える」
「結局そこか!」
◇ ◇
次は中年の商人ガルドから荷車修理を頼まれ、壊れた車輪をルルが支え、コーイチが縄と木材で固定した。
何度か崩れかけたが、どうにか修理に成功した。
「助かった!」
ガルドは三人が宿を決めていないことを知り、宿屋「陽だまり」亭へ案内してくれ、女将のマリアは三人を見ても驚かなかった。
「いらっしゃい」
それだけだった。
温かい食事、清潔な部屋、そして眠る場所。
ルルにとっては、初めての宿だった。
夕食の席で、ルルは何度も料理を見つめて言った。
「……こんなに食べていいの?」
マリアは笑いながら言った。
「もちろんさ。旅の途中なんだろ? しっかり食べな」
ライが肉を見つめる。
『肉がある』
「お前、そればっかりだな」
『重要だ』
「分かったよ!」
マリアが笑う。
「困ったときは、お互い様さ」
その言葉を、ルルはじっと聞いていた。
翌朝。窓から朝日が差し込んでいた。
コーイチが目を覚ますと、ルルはまだ眠っている。
ライはすでに起きていた。
「お前、いつから起きてた?」
『知らん』
「またかよ!」
朝食にはパン、スープ、卵、そして肉が並んだ。
マリアが笑顔で言う。
「今日は少し多めにしてあるよ」
「ありがとうございます」
ルルは嬉しそうに食べ、その顔を見てコーイチも笑った。
異世界に来る前は自分には何もないと思っていたが、今は違う。
隣には仲間がいて、帰る場所もある。それだけで、少しだけ心が軽かった。
◇ ◇
数日後、三人は護衛依頼を受けた。
商人グリースの荷馬車を隣町まで護衛し、荷物を届けたあと、別の荷物を積んで元の街へ戻る仕事だった。
グリースは気さくな男だった。
「魔物が二匹もいるのに、随分のんびりした旅だな」
「俺たち、意外と仲良しなんですよ」
「そうか」
ライが答える。
『私は肉があれば問題ない』
「ほら、仲良しです」
「どういう理屈だ?」
帰路の街道でゴブリンが道を塞いでいた。
だが、以前会ったゴブリンとは違い、武器を持ち怯えている。
《ビッグマウス》が伝えてきたのは、やはり恐怖だった。
「人間に襲われると思ってる」
コーイチは馬車から降りた。
「俺たちは攻撃しない。お前たちも攻撃しない。それでいいだろ?」
ゴブリンたちは顔を見合わせていたが、やがて武器を下ろす。
グリースが感心した。
「剣を抜かずに魔物を退かせる。商人にとっちゃ、こんなありがたい護衛はないぞ」
「俺、戦うより話すほうが得意なので」
「なるほどな」
「《ビッグマウス》なんで」
ルルが吹き出した。
「自分で言った!」
「能力名だから!」
◇ ◇
依頼されたことをこなしていくうちに、三人の存在は少しずつ知られるようになっていた。
もちろん、すべてが穏やかだったわけではない。
ある日、街中でルルを見た男が笑った。
「ピンク色のオークなんて初めて見た」
「変な角だな」
「普通のオークより弱そうだ」
たまらなくなったコーイチは一歩前に出て、相手の男に話しかけた。
「謝ってください!」
「何だ、お前!」
「この子は俺の仲間です!」
男が鼻で笑う。
「魔物を仲間にしてる時点で変だろ」
「そうかもしれません」
「でも、変だから悪いとは限らないでしょう」
ルルの目から涙が落ちた。
◇ ◇
その夜、陽だまり亭でルルは静かに言った。
「私、今……幸せかもしれない」
「どうした、急に」
「一緒に食べる人がいて、帰る場所があるから」
コーイチは少しだけ笑った。
「じゃあ、これからも帰ってこよう」
「うん」
『私も帰ってくる』
ライが肉を食べながら答えた。
『肉があるから』
「お前は最後までそれだな!」
ルルが笑った。
その笑顔を見ながら、コーイチは思った。
ルルはもう、一人ではない。
そして自分も、いつの間にか一人ではなくなっていた。
そんなある日、ギルドマスターのローダンから呼び出しを受けた。
机の上には、古い革張りの記録が置かれている。
「これは昔の冒険者ギルドの記録だ」
ローダンは慎重にページを開いた。
「普通のオークとは違う肌を持つ個体について書かれている」
ルルが息を呑む。
「……私?」
「可能性はある」
記録には、淡い色の肌や通常のオークとは異なる角、高い知性と優れた身体能力、そして非常に高い魔力。
「この記録では、そうした個体をハイオークと呼んでいる」
ルルは自分の手を見つめた。
「私……ハイオークなの?」
「断定はできない」
ローダンは首を振った。
「ただ、お前が普通のオークとは違う可能性は高い」
ルルは言った。
「何もできず、弱くて醜いから必要とされず追い出されたと思っていたけれど……。」
「ただ、違うだけだったのかもしれない」
コーイチが言った。
ルルが顔を上げる。
「……コーイチ」
「だって、俺たちが初めて会ったときもそうだっただろ」
「何が?」
「俺、オークを見たことなかったから一周した……今思うとかなり失礼だったな」
「うん」
「そこは否定してくれよ!」
ルルが笑い、つられてコーイチやローダンも笑った。
◇ ◇
その日の夜、ルルは自分の魔力を試してみることにした。
最初は何も起こらなかった。
「……できない……やっぱり、私には無理なのかな」
コーイチが言った。
「焦らなくていい、ゆっくりやればいいんだよ」
ルルがもう一度、試したとき、小さな赤い光が生まれた。
「……!」
光は指先で揺れ、やがて、小さな炎になった。
「火……?」
ルル自身が驚いているうちに炎は少しずつ大きくなった。
その炎が木箱の端に触れると、ボッ。
「わあ……」
コーイチが慌てて水をかける。
ライは炎を見つめていた。
『食べ物を焼ける』
「そこかよ!」
ルルは笑った。
だが、その炎を見つめた瞬間、胸の奥に何かが浮かんだ。
小さな手、幼い声。
『お姉ちゃん!』
赤い布、森、走る自分、誰かに引き離される感覚。
「……妹」
ルルの声が震えた。
「私には……妹がいる」
名前も分からないし、顔も思い出せない。
どこにいるのかも分からない。
けれど、確かにいた。
コーイチは何も急かさなかった。
「探そう」
「……一緒に?」
「ああ」
『私も行く』
ライも静かに答えた。
◇ ◇
あくる日、ローダンに相談すると、しばらく考えたあと、一冊の古い記録を取り出した。
「実は、もう一つ情報がある」
その記録は港町セレスタの冒険者ギルドから送られてきたもので、そこには、淡い色の肌をした若いオークの少女について書かれていた。
通常のオークとは異なる角があるが、名前や年齢は記録されていない。
ルルの妹だという証拠はない。
ルルは記録を見つめた。
「もしかしたら……妹かもしれない」
「自分で確かめればいいよ」
「うん」
ルルは顔を上げた。
「行きたい」
「じゃあ、行こう」
『肉も必要だ』
「お前はどこでもそれだな!」
◇ ◇
旅の準備が始まった。
乾燥肉、硬いパン、水、薬、毛布、火起こし道具、薬草少し。
緑癒草は軽い傷の治療に使えるし、月雫草は疲労回復に使える。
ルルは採取した薬草を一枚ずつ確認した。
準備がすべて整い、明日出発することになった。
最後の夜。
陽だまり亭の食堂で、マリアがいつもより多く肉を出してくれた。
「旅に持っていきな」
「こんなに?」
ライが即座に答える。
『いま食べよう』
「旅に持っていく肉だろう! 今食べてどうする!」
ルルの笑い声が食堂に響いた。
ルルは料理を見ながら、少し寂しそうに笑った。
「……ここ、好きだったな」
マリアが笑った。
「また帰ってくればいいさ」
ルルが顔を上げる。
「……帰ってきても、いいんですか?」
「当たり前だろ」
マリアは優しく答えた。
◇ ◇
翌朝、三人は荷物を背負い、陽だまり亭を出た。
ルルがマリアに向けて深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「また来ます」
「待ってるよ」
冒険者ギルドではエリナが見送ってくれた。
「セレスタは大きな港町です」
「魚がある?」
ライが尋ねる。
「たぶん、たくさんありますよ」
『行こう』
「お前、目的が変わってないか?」
◇ ◇
三人は街の門を出た。
しばらく歩いてから、ルルが振り返る。
高い城壁、門、何度も歩いた道、自分が初めて「帰る場所」と呼べた街。
「……さようなら」
「またな」
『また来る』
三人は前を向き歩き始め、街から少しずつ遠ざかっていく。
コーイチは歩きながら、ふと自分の口元に触れた。
大きい口で自分でも気にしていたものだが、異世界に来てからこの口でルルの話を聞き、ライと話し、仲間ができた。
ビッグマウスも悪くないもんだ。
街道の先には、まだ見たことのない世界が広がっている。
どこからともなく吹く風が、三人の髪を揺らした。
終




